スパーズでチャンピオンズリーグ出場を決めるゴールをシティ戦で決め、チャンピオンズリーグでは、ACミランを破る決勝ゴールを決めたピーター・クラウチ。逆に、レアル・マドリー戦では早々に退場となり、次の出場権を手繰り寄せたかった昨季終盤のシティ戦では、1年前とほぼ同じ場所でオウンゴール。外見だけでなく、スパーズ・ファンには印象に残るシーンを演出してくれた選手だったが、今回のマーケットでストークに移籍することになった。そこで切り拓く未来とは。「テレグラフ」紙のジム・ホワイト記者による、アーセナルとストークの比較を交えたコラム。
++(以下、要訳)++
アーセン・ヴェンゲルがオールド・トラフォードで惨敗を喫した後に言ったことのうち最も驚いたのは、アーセナルが移籍を掌る部署に20人を雇っていて、日々アーセナルにフィットする才能の発掘と獲得を担っているということだった。この狂ったような夏の移籍市場が閉じると、我々は「このヴェンゲルに仕える20人の部署は残りの364日は何をしているのか」と聞きたくなるだろう。
8月31日のエミレーツは、クリスマス・イヴが近づく高速道路のサービスエリアのようで、売り場の棚はどんどん空っぽになり、どんなものでも残っていれば懸命に買物カゴへと入れられた。ライバル2チームで余剰人員となったケガがちなイスラエル人は、本当にアテになるのか?
いないよりはいい。他に誰も残っていなかったのだから。
アーセナルが公衆の面前で監督が長きに渡って大事にしてきた哲学を解体し、高い値段をつぎ込む24時間を見ながら、最初に浮かんだのはこのシステムへの批判だった。こんな条件でどうやって効率的なビジネスをするのだ?ある意味、「売る」クラブが締切間際のプレミアムを期待して待ち続ければ、最終的にはパニック買いを誘発するのは目に見えている。
それでも、この騒乱の真っ只中で非常に効率的に取引を進めていたクラブがある。
ストーク・シティはこの夏、非常に良い補強をした。彼らが獲得した選手は、ヨーロッパでも戦うチームを強くするだけではなく、その明快な意図を周囲に伝えるものだった。
記憶の良い読者であれば、コヴェントリー・シティで監督をしていたジョン・シレットを覚えているだろう。1987年のFAカップで優勝し「今まで随分長い間ウールワースで買い物してきたが、これからは買い物はハロッズだ」と語っていた。
結局コヴェントリーのその後はそうはならなかったが、この夏のストークはプレミアリーグでの安定感を取り戻し、世界で最も裕福なオンライン・ブッキング企業をオーナーに持つことから、まるでハロッズのカードを持つかのようなった。
そして、アーセナルの締切間際のパニックとは異なり、ストークの投資には、規模は別にして一貫性があった。ピーター・クラウチが6フィート7インチ、ジョナサン・ウッドゲイトは6フィート2インチ、そしてマシュー・アップソンとキャメロン・ジェロームは6フィート1インチ。トニー・ピューリスが得た果実は、バルセロナが主張する「チビこそ進む道」に鋭く反論するものとなった。
より標準的な5フィート10インチのウィルソン・パラシオスには当てはまらないとしても、ブリタニアでの選手獲得ポリシーはすべてメジャーで測って決められているのではないかと考えざるを得ない。4人の代表選手がストークにやってきたが、皆プレミアリーグとヨーロッパの舞台で実績があり、より重要なことに、皆何か自分を証明するものを持っている。
しかしながら、最も重要な取引はクラウチだった。彼は最後の最後にやってきた。スカイのカメラがストークのオフィスにいる彼の痩せ顔をとらえた時もまだ交渉は続いていて、ビッグベンはもう移籍市場の終了を伝えようとしていた。1,000万ポンドは安い買い物ではないが、価値を証明する甲斐があるというものだろう。これは冷静な頭脳と落ち着いた気性、そしてその脚のように長い実績の履歴書を持つ男なのだ。
昨シーズン、トッテナムのチャンピオンズリーグへの挑戦において、クラウチはファースト・チョイスのフォワードであり、10試合で7ゴールを決めた。アテにならないスパーズ時代のチームメイトの何人かと比べて、彼はケガにも強く、好不調の波も無い方であり、意志の強い努力家だ。それでも、彼の以前の雇用主たちは同じポジションに彼ほどの意志もなくゴール数も少ない選手を残しつつ、彼を売ることを決めてきた。
奇怪なフットボール財務の世界においては、クラウチは彼の売却につながる一貫性を持っているのだろう。彼の監督が補強で誰かを連れてこようと思えば、誰かのサラリーを削る必要があるのだ。そして、彼の会長がルカ・モドリッチをキープすることで名誉を守るのだとすれば、ハリー・レドナップにとって最も売却の容易な資産はクラウチだったのだ。結局のところ、誰もロマン・パヴリュチェンコにはオファーを出さなかった。
これはクラウチのキャリアの中で何度も起きてきたことだ。最初にスパーズで。次いでQPR、リバプール、ポーツマスでも起きたが、その間、誰を失望させることもしなかった。
イングランドでも同様だ。ファビオ・カペッロはクラウチの誰もが羨むようなゴール実績を否定し、アンディ・キャロルの屈強な体躯と比較して説得力が無いと考えている。事実は、その体格から、彼はフットボールのスタイルの変化による影響を最も受けやすい、ということだ。
これはつまり、彼は遂に自分に相応しい場所にたどり着いた、ということを意味する。結局のところ、ストーク・シティでは背の高さが原因で選手同士が争うことなど無い。
クラウチは遂に彼が属する「巨人の島」という場所に歓迎されたのだ。
++++
細長い体系が自分に似てて、クラウチは相当に感情移入する選手だったから、スパーズを出るのは残念だったけど、行き先がストークだった時は安心もした。背に目が行きがちだけど、俺はあの柔らかいタッチのプレーが結構好きなんだよな。このあいだ取り上げたウッドゲイトと同じくスパーズ⇒ストークの移籍。プレミアだけじゃなくて、ヨーロッパ・リーグでも対戦できるかなぁ。
Wednesday, September 7, 2011
Saturday, September 3, 2011
爽快なイングランド代表とカペッロ采配
フランク・ランパードのスタメン落ちや、4-2-3-1の採用で話題となった、ユーロ予選のブルガリア戦。これまでと異なるキャラクターを見せたイングランド代表は、アウェーでキッチリと結果を出して見せた。その変化について、「ガーディアン」紙のリチャード・ウィリアムス記者のコラム。
++(以下、要訳)++
新しくスマートなオックスフォードとケンブリッジの濃淡の青を身にまとって現れた彼らは、金曜の夜の試験を何のトラブルもなくやり過ごした。遂に実現したモダンで合理的な4-2-3-1への適応は、信頼性のある守備と柔軟性のある攻撃をもたらし、いつもと変わらぬ平凡な相手から常時主導権を握り続けた。
スタジアムでは発煙筒や花火が焚かれ、ブルガリア人をオスマン・トルコから解放した19世紀の英雄をあしらった横断幕が掲げられたが、数千にのぼる空席が実際の熱狂度を語っていた。ローター・マテウスのチームは、1年前にウェンブリーで敗れたスタニミル・ストイロフ時代から何の改善も見せなかった。
ソフィアのヴァシル・レフスキスタジアムには、フリードリヒ・シラーの語録である「戦う時こそ真の男」という言葉が、元々のドイツ語と翻訳のブルガリア語で掲げられている。おそらく、この18世紀の哲学者の言葉でファビオ・カペッロ率いるイングランドにより関連があるのは、「暴君の権力には限界がある」の方だろう。
カペッロは、どちらかというと各イベントを仕切るよりも、そこに雇われるタイプの人間だが、3年半前のイングランド代表就任時に求められていたのは、仕切り屋だった。現在の才能ある若手登用の流れは、彼が強いられた類のものであるが、金曜の夜を見る限り、彼はそれを最大限利用したように思われる。
彼が選んだメンバーは興味深いものだった。伝統的なセンターフォワードや守備的な中盤は置かず、先発にフランク・ランパードの名前は無かった。徐々に、徐々に、ではあるが、古い世代は陰へと追いやられ始めているのだ。リオ・ファーディナンドの背番号5はギャリー・ケーヒルが着け、このボルトン・ワンダラーズ所属のディフェンダーは、4キャップ目をセットプレー後に混乱する相手ディフェンスを尻目にゴールキーパーの股を抜く自身のゴールで祝った。
そしてセンターフォワード無しとは一体何だったのか?ケーヒルのゴールの6分後にはウェイン・ルーニーが、代表での1年ぶりのゴールを右コーナーキックからのヘディングで決めた。こんな荒らしい場面は今では伝統的なものだが、おそらくナット・ロフトハウスは誇りに思うだろう。前半終了間際にはイングランドの3ゴール目を奪った。
3点をリードしたイングランドのパフォーマンスの中で戦術的に興味を引いたのは、テオ・ウォルコット、アシュリー・ヤング、そしてスチュワート・ダウニングがルーニーの後ろのラインで自由なポジションチェンジを許されていたことだろう。ピッチを駆け回るように、3つのポジションを順々に入れ替わっていた。ギャレス・バリーとスコット・パーカーが後ろに控えていたことで、このクリエイティブなトリオは、ディフェンスのことを気にかける必要はほとんどなかったし、バリーとパーカーの2人は創造性を発揮する負担を感じずに済んだのだ。
3点目は、ウォルコットが右サイドから中に切り込み、外のヤングに開いたパスを、ヤングが絶妙なクロスでルーニーに折り返したものだが、これはブルガリアのディフェンスの欠陥を更に曝すことになった。しかし、自信に満ちた滑らかな展開は印象的で、イングランドはかなり前掛かりだった。
ブルガリアを下した昨年の代表デビューからの1周年を翌日に控えていたケーヒルは、ハーフタイム前にはいくつかの決定的なディフェンスで貢献したが、この日のチーム最年少だった21歳のクリス・スモーリングは、いくつかの不安定さと右サイドバックでの経験不足を露呈し、逆サイドからのクロスがマルティン・ペトロフに渡って危険な場面を招いた。
後半のイングランドはいつもの効率性の問題が顔を出し、集中していればスコアを倍にもできたはずだったが、それでもこの日のイングランド代表はアウェーの地でホームではできないようなポジティブなフットボールを展開した。ウェンブレーで迎えるウェールズ戦は、このムードを維持できるかどうか、もっと言えばカペッロの影響力の深さの興味深いテストとなるだろう。
++(以下、要訳)++
新しくスマートなオックスフォードとケンブリッジの濃淡の青を身にまとって現れた彼らは、金曜の夜の試験を何のトラブルもなくやり過ごした。遂に実現したモダンで合理的な4-2-3-1への適応は、信頼性のある守備と柔軟性のある攻撃をもたらし、いつもと変わらぬ平凡な相手から常時主導権を握り続けた。
スタジアムでは発煙筒や花火が焚かれ、ブルガリア人をオスマン・トルコから解放した19世紀の英雄をあしらった横断幕が掲げられたが、数千にのぼる空席が実際の熱狂度を語っていた。ローター・マテウスのチームは、1年前にウェンブリーで敗れたスタニミル・ストイロフ時代から何の改善も見せなかった。
ソフィアのヴァシル・レフスキスタジアムには、フリードリヒ・シラーの語録である「戦う時こそ真の男」という言葉が、元々のドイツ語と翻訳のブルガリア語で掲げられている。おそらく、この18世紀の哲学者の言葉でファビオ・カペッロ率いるイングランドにより関連があるのは、「暴君の権力には限界がある」の方だろう。
カペッロは、どちらかというと各イベントを仕切るよりも、そこに雇われるタイプの人間だが、3年半前のイングランド代表就任時に求められていたのは、仕切り屋だった。現在の才能ある若手登用の流れは、彼が強いられた類のものであるが、金曜の夜を見る限り、彼はそれを最大限利用したように思われる。
彼が選んだメンバーは興味深いものだった。伝統的なセンターフォワードや守備的な中盤は置かず、先発にフランク・ランパードの名前は無かった。徐々に、徐々に、ではあるが、古い世代は陰へと追いやられ始めているのだ。リオ・ファーディナンドの背番号5はギャリー・ケーヒルが着け、このボルトン・ワンダラーズ所属のディフェンダーは、4キャップ目をセットプレー後に混乱する相手ディフェンスを尻目にゴールキーパーの股を抜く自身のゴールで祝った。
そしてセンターフォワード無しとは一体何だったのか?ケーヒルのゴールの6分後にはウェイン・ルーニーが、代表での1年ぶりのゴールを右コーナーキックからのヘディングで決めた。こんな荒らしい場面は今では伝統的なものだが、おそらくナット・ロフトハウスは誇りに思うだろう。前半終了間際にはイングランドの3ゴール目を奪った。
3点をリードしたイングランドのパフォーマンスの中で戦術的に興味を引いたのは、テオ・ウォルコット、アシュリー・ヤング、そしてスチュワート・ダウニングがルーニーの後ろのラインで自由なポジションチェンジを許されていたことだろう。ピッチを駆け回るように、3つのポジションを順々に入れ替わっていた。ギャレス・バリーとスコット・パーカーが後ろに控えていたことで、このクリエイティブなトリオは、ディフェンスのことを気にかける必要はほとんどなかったし、バリーとパーカーの2人は創造性を発揮する負担を感じずに済んだのだ。
3点目は、ウォルコットが右サイドから中に切り込み、外のヤングに開いたパスを、ヤングが絶妙なクロスでルーニーに折り返したものだが、これはブルガリアのディフェンスの欠陥を更に曝すことになった。しかし、自信に満ちた滑らかな展開は印象的で、イングランドはかなり前掛かりだった。
ブルガリアを下した昨年の代表デビューからの1周年を翌日に控えていたケーヒルは、ハーフタイム前にはいくつかの決定的なディフェンスで貢献したが、この日のチーム最年少だった21歳のクリス・スモーリングは、いくつかの不安定さと右サイドバックでの経験不足を露呈し、逆サイドからのクロスがマルティン・ペトロフに渡って危険な場面を招いた。
後半のイングランドはいつもの効率性の問題が顔を出し、集中していればスコアを倍にもできたはずだったが、それでもこの日のイングランド代表はアウェーの地でホームではできないようなポジティブなフットボールを展開した。ウェンブレーで迎えるウェールズ戦は、このムードを維持できるかどうか、もっと言えばカペッロの影響力の深さの興味深いテストとなるだろう。
Thursday, September 1, 2011
締切間際のアーセナル本部
セスク・ファブレガスとサミ・ナスリの移籍と、週末のマンチェスター・ユナイテッド戦の歴史的な大敗を受け、プレッシャーに満ちた移籍市場の締切を迎えたアーセナル。本部の混乱ぶりをBBCのダン・ローン記者が克明に描いている。
++(以下、要訳)++
時計は21時を回り、ハイバリー・ハウスにあるアーセナルの本部とスタッフたちは、トランスファー・ウィンドウ史に残る狂乱状態となった数時間を経て、皆くたびれ果てていた。
社長室では、イヴァン・ガジディスが一日中代理人や他クラブのスタッフに電話をかけまくっていた。彼は、セスク・ファブレガスとサミ・ナスリの売却で可能となり、2-8で敗れたマンチェスター・ユナイテッド戦で必須となった投資を実現させるために必死だった。
そこから数ヤード離れると、クラブの秘書であるデイヴィッド・ミルズ、会計責任者のスチュワート・ワイズリー、トップ弁護士のスヴェニャ・ガイスマーらが怒り狂ったかのように登録文書を埋め、プレミアリーグに念を入れてメールしていた。クラブの財務・法務部門の約20人のスタッフは、かつて記憶にないほど懸命に働いた。
メディカルチェックが済むと、マーク・ゴネラ率いるクラブの広報部門が呼ばれ、ウェブサイト用のインタビューがクラブのロンドン・コルニー練習場で収録された。そこから100ヤード離れた道路には、BBC、ITN、スカイの報道担当が新情報を生中継している。
火曜日の韓国人パク・チュヨンに続いて、ドイツ人のペア・メルテザッカー、ブラジル人のアンドレ・サントスの獲得が決まり、次に放出の話が進んでいた。出口に向かうのはジル・スヌとジョエル・キャンベルがともにロリアン、交渉が長引いたヘンリ・ランスベリーがウェストハムに加わることになった。ニクラス・ベントナーのサンダーランド行きとチェルシーからのヨッシ・べナユンのローンはまだ決まっていなかったが、光明は見えていて、どちらもやがてサインにこぎつけるはずだった。
興奮状態の残り数時間を迎えながらも、ハイバリー・ハウスにはフラストレーションがたまっていた。ファンが求める中盤の看板選手の補強が、アーセナルの手から滑り落ちていた。ミケル・アルテタへの500万ポンド、1,000万ポンドのオファーはエヴァートンに拒絶され、ファブレガスとナスリによって空いた中盤の穴は埋まらないままだった。
そこに突然希望の光が射した。アルテタがエヴァートンの監督であるデイヴィッド・モイーズに明確にアーセナルへの移籍志願を表明したのだ。エヴァートンはこれを妨げない決断をし、23時が近づく中、動きが再開したのだ。時間に間に合うだろうか?
元スカウトのリチャード・ローが中心となって移籍を取り仕切る運営チームも、急いで仕事に戻った。ガジディスもすぐにアーセン・ヴェンゲルに電話をかけ、吉報を伝えた。ヴェンゲルはUEFAの監督会議に出るためにスイスにいたが、常にガジディスとコンタクトはとっていた。この段階では、まだクラブのメイン株主であるスタン・クロエンケもクラブの役員たちも関わっていない。意見を聞いている時間は無く、決断を迅速に下す必要があったのだ。23時過ぎ、アーセナルはアルテタの獲得をアナウンスした。しかし、この最後のスクランブルが、見劣りするメンバーを活性化できただろうか?
ファンサイトの「Le Grove」を運営するピート・ウッドは、この最終日は、クラブの本気度が試された日だったと考えている。「結果的に自分たちで課した時間制限に対して、アーセナルは格段の進歩を見せた。昨日で、トップ4がまた現実的だと思えるようになったが、この夏が成功だったかといえば答は『ノー』だし、クラブが進歩したかといえば、それも『ノー』だ」
「しかしながら、マンチェスター・シティやチェルシーのような何億ポンドも投資できるクラブが出てきて、リーグ優勝争いはもうアーセナルのファンが期待する基準ではない、ということを認める時なのかもしれない。別にこれは誰も口にしたくないような話ではないけどね。この夏、アーセナルもアーセン・ヴェンゲルも怠慢だった。最後の2日間でやった仕事は、6月に済ませておくべきだったんだ」
アーセナル・サポーター基金のティム・パイソンは、より批判的だ。「ミケル・アルテタとペア・メルテザッカーはいい取引だが、真実はより好ましかった2人、フアン・マタとフィル・ジャギエルカを獲れなかったということだ。疑問は、クラブはチケット代を6.5%上げ、450万ポンドの純利益があるのに、なぜそれが使われないのかということだ」。アーセナルのファンは確かに「なぜ、世界でも有数の金持ちであるクロエンケとアリシャー・ウスマノフが大株主にいるのに、移籍金や給与で他クラブに競り負けるのか」を聞く権利がある。
締切日のアーセナルは、間違いなくエキサイティングで、トラウマを持つファンに恵みをもたらし、確かな才能でチームを補強した。アルテタ、ベナユン、ジャック・ウィルシャー、アーロン・ラムジー、ロビン・ファン・ペルシー、そしてテオ・ウォルコットが織りなす攻撃は脅威だろう。しかし、ハイバリー・ハウスのスタッフの頑張りも、ファンの期待の大きさ、失った選手たちのインパクトから判断するに、まだまだ小さく、遅すぎるのだ。
++++
個人的にアルテタの「チャンピオンズリーグなんてエヴァートンで出るさ」ってスタンス、好きだったけど。減給呑んだらしいけど、あとで上げてやれよな、アーセナル。
++(以下、要訳)++
時計は21時を回り、ハイバリー・ハウスにあるアーセナルの本部とスタッフたちは、トランスファー・ウィンドウ史に残る狂乱状態となった数時間を経て、皆くたびれ果てていた。
社長室では、イヴァン・ガジディスが一日中代理人や他クラブのスタッフに電話をかけまくっていた。彼は、セスク・ファブレガスとサミ・ナスリの売却で可能となり、2-8で敗れたマンチェスター・ユナイテッド戦で必須となった投資を実現させるために必死だった。
そこから数ヤード離れると、クラブの秘書であるデイヴィッド・ミルズ、会計責任者のスチュワート・ワイズリー、トップ弁護士のスヴェニャ・ガイスマーらが怒り狂ったかのように登録文書を埋め、プレミアリーグに念を入れてメールしていた。クラブの財務・法務部門の約20人のスタッフは、かつて記憶にないほど懸命に働いた。
メディカルチェックが済むと、マーク・ゴネラ率いるクラブの広報部門が呼ばれ、ウェブサイト用のインタビューがクラブのロンドン・コルニー練習場で収録された。そこから100ヤード離れた道路には、BBC、ITN、スカイの報道担当が新情報を生中継している。
火曜日の韓国人パク・チュヨンに続いて、ドイツ人のペア・メルテザッカー、ブラジル人のアンドレ・サントスの獲得が決まり、次に放出の話が進んでいた。出口に向かうのはジル・スヌとジョエル・キャンベルがともにロリアン、交渉が長引いたヘンリ・ランスベリーがウェストハムに加わることになった。ニクラス・ベントナーのサンダーランド行きとチェルシーからのヨッシ・べナユンのローンはまだ決まっていなかったが、光明は見えていて、どちらもやがてサインにこぎつけるはずだった。
興奮状態の残り数時間を迎えながらも、ハイバリー・ハウスにはフラストレーションがたまっていた。ファンが求める中盤の看板選手の補強が、アーセナルの手から滑り落ちていた。ミケル・アルテタへの500万ポンド、1,000万ポンドのオファーはエヴァートンに拒絶され、ファブレガスとナスリによって空いた中盤の穴は埋まらないままだった。
そこに突然希望の光が射した。アルテタがエヴァートンの監督であるデイヴィッド・モイーズに明確にアーセナルへの移籍志願を表明したのだ。エヴァートンはこれを妨げない決断をし、23時が近づく中、動きが再開したのだ。時間に間に合うだろうか?
元スカウトのリチャード・ローが中心となって移籍を取り仕切る運営チームも、急いで仕事に戻った。ガジディスもすぐにアーセン・ヴェンゲルに電話をかけ、吉報を伝えた。ヴェンゲルはUEFAの監督会議に出るためにスイスにいたが、常にガジディスとコンタクトはとっていた。この段階では、まだクラブのメイン株主であるスタン・クロエンケもクラブの役員たちも関わっていない。意見を聞いている時間は無く、決断を迅速に下す必要があったのだ。23時過ぎ、アーセナルはアルテタの獲得をアナウンスした。しかし、この最後のスクランブルが、見劣りするメンバーを活性化できただろうか?
ファンサイトの「Le Grove」を運営するピート・ウッドは、この最終日は、クラブの本気度が試された日だったと考えている。「結果的に自分たちで課した時間制限に対して、アーセナルは格段の進歩を見せた。昨日で、トップ4がまた現実的だと思えるようになったが、この夏が成功だったかといえば答は『ノー』だし、クラブが進歩したかといえば、それも『ノー』だ」
「しかしながら、マンチェスター・シティやチェルシーのような何億ポンドも投資できるクラブが出てきて、リーグ優勝争いはもうアーセナルのファンが期待する基準ではない、ということを認める時なのかもしれない。別にこれは誰も口にしたくないような話ではないけどね。この夏、アーセナルもアーセン・ヴェンゲルも怠慢だった。最後の2日間でやった仕事は、6月に済ませておくべきだったんだ」
アーセナル・サポーター基金のティム・パイソンは、より批判的だ。「ミケル・アルテタとペア・メルテザッカーはいい取引だが、真実はより好ましかった2人、フアン・マタとフィル・ジャギエルカを獲れなかったということだ。疑問は、クラブはチケット代を6.5%上げ、450万ポンドの純利益があるのに、なぜそれが使われないのかということだ」。アーセナルのファンは確かに「なぜ、世界でも有数の金持ちであるクロエンケとアリシャー・ウスマノフが大株主にいるのに、移籍金や給与で他クラブに競り負けるのか」を聞く権利がある。
締切日のアーセナルは、間違いなくエキサイティングで、トラウマを持つファンに恵みをもたらし、確かな才能でチームを補強した。アルテタ、ベナユン、ジャック・ウィルシャー、アーロン・ラムジー、ロビン・ファン・ペルシー、そしてテオ・ウォルコットが織りなす攻撃は脅威だろう。しかし、ハイバリー・ハウスのスタッフの頑張りも、ファンの期待の大きさ、失った選手たちのインパクトから判断するに、まだまだ小さく、遅すぎるのだ。
++++
個人的にアルテタの「チャンピオンズリーグなんてエヴァートンで出るさ」ってスタンス、好きだったけど。減給呑んだらしいけど、あとで上げてやれよな、アーセナル。
Tuesday, August 30, 2011
ダニエル・リヴィ会長の瀬戸際戦略がスパーズにもたらすリスク
スパーズのダニエル・リヴィ会長の補強戦略に関する記事。移籍市場の締切も近くて、賞味期限の短い記事になるかもだから取り上げるか迷ったけど、珍しいから勢いで。昨年はトランスファー・ウィンドウ締切直前に大幅な割引価格でラファエル・ファン・デル・ファールトを獲得し、サポーターがリヴィ会長に感謝するチャントまで作るなど、手腕が話題になるが、その「瀬戸際戦略」が落とし穴になるのでは?というのが「ガーディアン」紙の指摘。(※日曜にシティに1-5で敗れる前の記事)
++(以下、要訳)++
この夏もまた、トッテナム・ホットスパーの武闘派会長であるダニエル・リヴィが、瀬戸際戦略が大きなスリルをもたらす長く、大金のかかったポーカーでフットボール界を混乱させている。
スパーズのファンは、クラブの役員たちの戦いを、両面性をもって見ていることだろう。ルカ・モドリッチをホワイト・ハート・レーンにキープすべくチェルシーにジャブを繰り出している一方で、トッテナムの移籍市場に臨む戦略は、不必要に長引いていて、またエゴイスティックであり、クラブに不利益をもたらし得るものだ。
ひとつ確実に言えるのは、アーセナルのサポーターは、リヴィのような会長を望むだろう、ということだ。移籍市場において、アーセナルの動きは遅過ぎ、本気でメジャーなターゲットを狙ってはいない。最近でも、例えばボルトンのギャリー・ケーヒルを狙った低価格でのオファーは、移籍市場の初期ならともかく、このタイミングでは的外れだ。高給に怯えて動揺が走っているアーセナルと真逆なのが隣町のターミネーター、ダニエル・リヴィだ。他クラブに狙われるトッテナムの選手たちの値段を吊り上げ、売りたいクラブが提示する値段は大いに叩く。
金に男意気が伴えば当然活気は出てくるのだが、カウボーイ・ブーツを履いたポーカーの達人たちとラスベガスで延々競い合っているような会長を持つことにはリスクも伴う。そのひとつは確実性の無さだ。最後の最後まで交渉で粘り続ける傾向を持つならば、選手や監督・コーチングスタッフは、9月1日に夜が明けるまで、どんなスタメンになるのか、不安なまま過ごすことになる。
エマニュエル・アデバヨールでの獲得は、人々に示すことができる最低限の成果だ。それでも、これはローン移籍であり、アデバヨールの態度にもまだ疑念がある。彼がトッテナムを大陸のトップ5クラブへの移籍の手段として使うのであれば、トッテナムにとってもメリットとなるような輝きを放つ必要がある。この種の契約は、トップクラスのセンターフォワードを求めるハリー・レドナップにとっては一時的な解決策でしかない。他は今のところ、頑張ってブラジル人のレアンドロ・ダミアンに1,100万ポンドのオファーを出したと報じられているくらいだ。
モドリッチは必ず残ると固い意志を表明しているクラブにしては、その代役のリストアップは順調すぎるくらいだ。ジョー・コール、ラッサナ・ディアラ、スコット・パーカーはいずれもハリー・レドナップが熱望する選手たちで、ユヴェントスからは既にローンで若きアタッカーのファルケを獲得している。ここには、モドリッチの穴を新たな中盤の選手で埋めようというレドナップと、チェルシーに「クソッタレ」と言い続けるリヴィという構図がある。
背景には、スパーズのヨーロッパ・リーグへの参戦がある。昨年の素晴らしいチャンピオンズリーグでの冒険の後、スパーズはシティに打ち負かされ、ワンランク下の大会に降格することになった。スパーズの最終的な選手リストがまだ未確定である一方、セルヒオ・アグエロとサミ・ナスリを既に加えたシティの方が強いのは明らかだ。したがって、日曜日、ユナイテッドに敗れた6日後に対戦するシティとの一戦は、リヴィのサイのような交渉スタイルが成功するのか否か、良い判断材料になるはずだ。
ポジティブな要員も多々ある。最もダイナミックなギャレス・ベイルを残すことには成功しているし、若手選手の育成も強みとなっている。右サイドのカイル・ウォーカーは将来を嘱望され、ジェイク・リバモアはファビオ・カペッロの目にも留まった。先週半ばのハーツとの一戦では、ハリー・ケイン、トム・キャロル、ライアン・フレデリクス、ジェイク・ニコルソンといった計6人のアカデミー出身選手がプレーした。アンドロス・タウンセンドも未来ある選手の一人だ。
しかし、チームの一番表側では、チャンピオンズリーグ出場権奪回の必要があり、その意味ではキザな態度を取っている場合ではない。リヴィは、ラファエル・ファン・デル・ファールトは、移籍市場の最後の最後にやってきた、と指摘するかもしれないし、瀬戸際戦略は必ずしもカオスを意味するわけでもない。それでも、スパーズはトップクラブの中でも解決すべき問題が多いほうだ。
リバプールは、スチュワート・ダウニング、ジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダムの獲得に迅速に動いたし、シティはターゲットを定めては獲得した。ユナイテッドは余計な考えは無しにして、フィル・ジョーンズ、ダヴィド・デ・ヘア、アシュリー・ヤング等を補強してきた。チェルシーがモドリッチを追うのはトッテナムの誤りではないが、スパーズの夏は、ひとりのスター選手を確保し、万が一彼が移籍した場合の代替手段をあれこれ考える、非常に長い苦闘の夏となったようだ。
我々も知るように、レドナップは直感で動く。彼はかつて指導したコールやディアラを知っているし、いつでも良いタレントをチームに加えようとしている。しかし、生まれながらの才能発掘者の本能は、交渉から喜びを得る会長の強固なビジネス倫理とは衝突する。トッテナムの移転問題(オリンピック・スタジアムかノーサンバーランドか)でさえ、その衝突の場となった。
チームの選手のひとりの値段を提示されれば、リヴィは決まって「もっと値段を上げるべきだ」と言ってきた。リスクを取るべき世界において、それは何ら間違ってはいない。結果が下降線をたどらない限りは。
++++
リヴィ会長については、特にスタジアムの問題に対するスタンスを見ているとビジネスマンとして深いなーと感じるし、戦う会長って感じがする場面も多い。他クラブが割と現場のことは放任するのに対して、リヴィの移籍市場でのコミットぶりは見てて興味深い。ただ、クラブとして一枚岩であってほしい。
++(以下、要訳)++
この夏もまた、トッテナム・ホットスパーの武闘派会長であるダニエル・リヴィが、瀬戸際戦略が大きなスリルをもたらす長く、大金のかかったポーカーでフットボール界を混乱させている。
スパーズのファンは、クラブの役員たちの戦いを、両面性をもって見ていることだろう。ルカ・モドリッチをホワイト・ハート・レーンにキープすべくチェルシーにジャブを繰り出している一方で、トッテナムの移籍市場に臨む戦略は、不必要に長引いていて、またエゴイスティックであり、クラブに不利益をもたらし得るものだ。
ひとつ確実に言えるのは、アーセナルのサポーターは、リヴィのような会長を望むだろう、ということだ。移籍市場において、アーセナルの動きは遅過ぎ、本気でメジャーなターゲットを狙ってはいない。最近でも、例えばボルトンのギャリー・ケーヒルを狙った低価格でのオファーは、移籍市場の初期ならともかく、このタイミングでは的外れだ。高給に怯えて動揺が走っているアーセナルと真逆なのが隣町のターミネーター、ダニエル・リヴィだ。他クラブに狙われるトッテナムの選手たちの値段を吊り上げ、売りたいクラブが提示する値段は大いに叩く。
金に男意気が伴えば当然活気は出てくるのだが、カウボーイ・ブーツを履いたポーカーの達人たちとラスベガスで延々競い合っているような会長を持つことにはリスクも伴う。そのひとつは確実性の無さだ。最後の最後まで交渉で粘り続ける傾向を持つならば、選手や監督・コーチングスタッフは、9月1日に夜が明けるまで、どんなスタメンになるのか、不安なまま過ごすことになる。
エマニュエル・アデバヨールでの獲得は、人々に示すことができる最低限の成果だ。それでも、これはローン移籍であり、アデバヨールの態度にもまだ疑念がある。彼がトッテナムを大陸のトップ5クラブへの移籍の手段として使うのであれば、トッテナムにとってもメリットとなるような輝きを放つ必要がある。この種の契約は、トップクラスのセンターフォワードを求めるハリー・レドナップにとっては一時的な解決策でしかない。他は今のところ、頑張ってブラジル人のレアンドロ・ダミアンに1,100万ポンドのオファーを出したと報じられているくらいだ。
モドリッチは必ず残ると固い意志を表明しているクラブにしては、その代役のリストアップは順調すぎるくらいだ。ジョー・コール、ラッサナ・ディアラ、スコット・パーカーはいずれもハリー・レドナップが熱望する選手たちで、ユヴェントスからは既にローンで若きアタッカーのファルケを獲得している。ここには、モドリッチの穴を新たな中盤の選手で埋めようというレドナップと、チェルシーに「クソッタレ」と言い続けるリヴィという構図がある。
背景には、スパーズのヨーロッパ・リーグへの参戦がある。昨年の素晴らしいチャンピオンズリーグでの冒険の後、スパーズはシティに打ち負かされ、ワンランク下の大会に降格することになった。スパーズの最終的な選手リストがまだ未確定である一方、セルヒオ・アグエロとサミ・ナスリを既に加えたシティの方が強いのは明らかだ。したがって、日曜日、ユナイテッドに敗れた6日後に対戦するシティとの一戦は、リヴィのサイのような交渉スタイルが成功するのか否か、良い判断材料になるはずだ。
ポジティブな要員も多々ある。最もダイナミックなギャレス・ベイルを残すことには成功しているし、若手選手の育成も強みとなっている。右サイドのカイル・ウォーカーは将来を嘱望され、ジェイク・リバモアはファビオ・カペッロの目にも留まった。先週半ばのハーツとの一戦では、ハリー・ケイン、トム・キャロル、ライアン・フレデリクス、ジェイク・ニコルソンといった計6人のアカデミー出身選手がプレーした。アンドロス・タウンセンドも未来ある選手の一人だ。
しかし、チームの一番表側では、チャンピオンズリーグ出場権奪回の必要があり、その意味ではキザな態度を取っている場合ではない。リヴィは、ラファエル・ファン・デル・ファールトは、移籍市場の最後の最後にやってきた、と指摘するかもしれないし、瀬戸際戦略は必ずしもカオスを意味するわけでもない。それでも、スパーズはトップクラブの中でも解決すべき問題が多いほうだ。
リバプールは、スチュワート・ダウニング、ジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダムの獲得に迅速に動いたし、シティはターゲットを定めては獲得した。ユナイテッドは余計な考えは無しにして、フィル・ジョーンズ、ダヴィド・デ・ヘア、アシュリー・ヤング等を補強してきた。チェルシーがモドリッチを追うのはトッテナムの誤りではないが、スパーズの夏は、ひとりのスター選手を確保し、万が一彼が移籍した場合の代替手段をあれこれ考える、非常に長い苦闘の夏となったようだ。
我々も知るように、レドナップは直感で動く。彼はかつて指導したコールやディアラを知っているし、いつでも良いタレントをチームに加えようとしている。しかし、生まれながらの才能発掘者の本能は、交渉から喜びを得る会長の強固なビジネス倫理とは衝突する。トッテナムの移転問題(オリンピック・スタジアムかノーサンバーランドか)でさえ、その衝突の場となった。
チームの選手のひとりの値段を提示されれば、リヴィは決まって「もっと値段を上げるべきだ」と言ってきた。リスクを取るべき世界において、それは何ら間違ってはいない。結果が下降線をたどらない限りは。
++++
リヴィ会長については、特にスタジアムの問題に対するスタンスを見ているとビジネスマンとして深いなーと感じるし、戦う会長って感じがする場面も多い。他クラブが割と現場のことは放任するのに対して、リヴィの移籍市場でのコミットぶりは見てて興味深い。ただ、クラブとして一枚岩であってほしい。
Monday, August 29, 2011
シェイ・ギヴンの静かなる安定感
この間のジョナサン・ウッドゲイトのコラムで僕の心を揺さぶってくれた「ニューヨーク・タイムズ」紙のコラムには、アメリカのメディアの割に、結構読み応えがあるものが多い。今回は、不遇を囲ったマンチェスター・シティからアストン・ヴィラに活躍の場を移した、アイルランド代表シェイ・ギヴンについて。
++(以下、要訳)++
マンチェスター・ユナイテッドの引退するエドウィン・ファン・デル・サールの後継者探しは、ゴールキーパー・コーチのエリック・スティールがチーフ・スカウトとなり、何カ国ものリーグから幾多の候補者の名が挙がる中、1年以上かけられた。最終的に、20歳のダヴィド・デ・ヘアが選ばれ、ユナイテッドはアドレティコ・マドリーに1,800万ポンドを支払った。デ・ヘアは歴史上2番目に高価なゴールキーパーとなった。
しかし、新たなゴールキーパーを求めていたのは、ユナイテッドだけではなかった。アストン・ヴィラは、不動のスタメンだったアメリカ人のブラッド・フリーデルがトッテナムに移籍し、新たに監督に就任したアレックス・マクリーシュには代役を探す時間があまり無かった。しかし、マクリーシュ就任の1ヵ月後、シェイ・ギヴンが静かにヴィラ・パークにやってきた。
事実、ギヴィンが漂わせていたのは、控えめな態度だけだった。プレミアリーグで最も安定感があり信頼が置ける選手とみなされながら、ギヴンは真のワールドクラスへと正しい評価に近づくことを避け続ける、摩訶不思議な能力を発揮し続けてきた。
キャリアをスタートさせたのは、ケニー・ダルグリッシュが率い、プレミアを制したブラックバーン・ローバーズだったが、そこではティム・フラワーズからポジションを奪うことはできなかった。それでも、ダルグリッシュがニューカッスルの監督に就任すると、彼は再びギヴンと契約した。ギヴンのキャリアが花開いたのはここだった。このアイルランド人は、ダルグリッシュとその後任のルート・フリットのファースト・チョイスとなり、太腿の負傷でポジションを明け渡す時期があったにせよ、ニューカッスルで10年以上先発の座をキープした。
ギヴンは、ピーター・シュマイケルの引退後、ゴールキーパー問題に頭を悩ませていたマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソンに見落とされていた。チェルシーやリバプール、アーセナルもギヴンをバイパスし、海外の高価な代替品を選んでいた。しかし、2009年のミッドシーズンに700万ポンドでマンチェスター・シティに移籍すると、彼もついに大きな決断をしたように見えた。ギヴンはそれまでのキャリア通りのプレーを続け、シティ・オブ・マンチェスター・スタジアムで輝いた。「テレグラフ」紙の選ぶ、この10年のベスト・ゴールキーパーにも選ばれた。
しかし、ギヴンが額面通りの活躍をしていると、シティからバーミンガムにローンで出ていたジョー・ハートがリーグで最も素晴らしい若手ゴールキーパーという評価を受け、ファビオ・カペッロのイングランド代表にも名を連ねるようになった。そして、ハートがローンから戻ると、ギヴンがベンチに座ることになり、プレーの場はほぼカーリング・カップに限られてしまった。十分な金額のサラリーを受け取れるのであればベンチに座り続けても満足、というのはでたらめな話で、ギヴンの場合もまさにそうだった。シティで、週給8万ポンドを受け取っていたにも関わらず、35歳のギヴンは大幅な減給を受け入れてヴィラに加わった。この補強は、退団していったフリーデルですら賞賛していた。
ボビー・サモラの2つの決定機を止めたフルハム戦でヴィラでのデビューを飾ると、3-1でブラックバーンを下したゲームでホームでもデビューした。ここで見ることができたのは、静かにかつての「安定感と信頼を併せ持つ」キーパーに戻ったギヴンだった。ユナイテッドでは、デ・ヘアのプレーは今のところ冒険に等しく、ファーガソンはシュマイケルやファン・デル・サールのような経験ある選手と契約しなかったことを後悔していることだろう。その一方で、ヴィラではギヴンがこれまで何年もしてきたように、静かに好セーブを続けている。
++(以下、要訳)++
マンチェスター・ユナイテッドの引退するエドウィン・ファン・デル・サールの後継者探しは、ゴールキーパー・コーチのエリック・スティールがチーフ・スカウトとなり、何カ国ものリーグから幾多の候補者の名が挙がる中、1年以上かけられた。最終的に、20歳のダヴィド・デ・ヘアが選ばれ、ユナイテッドはアドレティコ・マドリーに1,800万ポンドを支払った。デ・ヘアは歴史上2番目に高価なゴールキーパーとなった。
しかし、新たなゴールキーパーを求めていたのは、ユナイテッドだけではなかった。アストン・ヴィラは、不動のスタメンだったアメリカ人のブラッド・フリーデルがトッテナムに移籍し、新たに監督に就任したアレックス・マクリーシュには代役を探す時間があまり無かった。しかし、マクリーシュ就任の1ヵ月後、シェイ・ギヴンが静かにヴィラ・パークにやってきた。
事実、ギヴィンが漂わせていたのは、控えめな態度だけだった。プレミアリーグで最も安定感があり信頼が置ける選手とみなされながら、ギヴンは真のワールドクラスへと正しい評価に近づくことを避け続ける、摩訶不思議な能力を発揮し続けてきた。
キャリアをスタートさせたのは、ケニー・ダルグリッシュが率い、プレミアを制したブラックバーン・ローバーズだったが、そこではティム・フラワーズからポジションを奪うことはできなかった。それでも、ダルグリッシュがニューカッスルの監督に就任すると、彼は再びギヴンと契約した。ギヴンのキャリアが花開いたのはここだった。このアイルランド人は、ダルグリッシュとその後任のルート・フリットのファースト・チョイスとなり、太腿の負傷でポジションを明け渡す時期があったにせよ、ニューカッスルで10年以上先発の座をキープした。
ギヴンは、ピーター・シュマイケルの引退後、ゴールキーパー問題に頭を悩ませていたマンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソンに見落とされていた。チェルシーやリバプール、アーセナルもギヴンをバイパスし、海外の高価な代替品を選んでいた。しかし、2009年のミッドシーズンに700万ポンドでマンチェスター・シティに移籍すると、彼もついに大きな決断をしたように見えた。ギヴンはそれまでのキャリア通りのプレーを続け、シティ・オブ・マンチェスター・スタジアムで輝いた。「テレグラフ」紙の選ぶ、この10年のベスト・ゴールキーパーにも選ばれた。
しかし、ギヴンが額面通りの活躍をしていると、シティからバーミンガムにローンで出ていたジョー・ハートがリーグで最も素晴らしい若手ゴールキーパーという評価を受け、ファビオ・カペッロのイングランド代表にも名を連ねるようになった。そして、ハートがローンから戻ると、ギヴンがベンチに座ることになり、プレーの場はほぼカーリング・カップに限られてしまった。十分な金額のサラリーを受け取れるのであればベンチに座り続けても満足、というのはでたらめな話で、ギヴンの場合もまさにそうだった。シティで、週給8万ポンドを受け取っていたにも関わらず、35歳のギヴンは大幅な減給を受け入れてヴィラに加わった。この補強は、退団していったフリーデルですら賞賛していた。
ボビー・サモラの2つの決定機を止めたフルハム戦でヴィラでのデビューを飾ると、3-1でブラックバーンを下したゲームでホームでもデビューした。ここで見ることができたのは、静かにかつての「安定感と信頼を併せ持つ」キーパーに戻ったギヴンだった。ユナイテッドでは、デ・ヘアのプレーは今のところ冒険に等しく、ファーガソンはシュマイケルやファン・デル・サールのような経験ある選手と契約しなかったことを後悔していることだろう。その一方で、ヴィラではギヴンがこれまで何年もしてきたように、静かに好セーブを続けている。
Friday, August 26, 2011
ファーガソンの第4世代
若手主体のチームで結果を出しつつあるマンチェスター・ユナイテッド。「インディペンデント」紙のグレン・ムーア記者は、これをファーガソンの「第4世代」と表現している。
++(以下、要訳)++
それは完全にカーリング・カップ向けのチームというわけではなかったが、月曜日に対戦したトッテナムのハリー・レドナップは、メンバーを見て「勝機あり」と踏んだだろう。
ウェイン・ルーニー、ナニ、そしてパトリス・エヴラはプレーしたが、昨シーズンの栄冠をもたらしたメンバーの多くはそこにはいなかった。ファーディナンド、ヴィディッチ、ギッグス、スコールズ、ファン・デル・サール、キャリック、フレッチャー、エルナンデス、ベルバトフの誰ひとりとしていなかった。ゴールマウスにはルーキー、ディフェンスは半分以上がリザーブ、中盤とアタッカーのひとりずつも控えだった。
90分後。アレックス・ファーガソンは、またしても素晴らしいチームを作り上げていることが分かった。過去と同じように、イングランド人によるコアは4人の若いライオンが固めた。フィル・ジョーンズ、ダニー・ウェルベック、クリス・スモーリングにトム・クレバリがチームの心臓だった。彼らの年齢はそれぞれ、19、20、21、22だ。そこに加わるのは、20歳のダヴィド・デ・ヘア、21歳の双子ファビオとラファエル、23歳のアンデルソン、24歳のナニだが、ある意味、アーセン・ヴェンゲルよりもヴェンゲルらしく新参者でハイクラスなチームを作り上げた。そしてウェイン・ルーニーもまだ25歳であり、アントニオ・ヴァレンシアとアシュリー・ヤングが26歳だ。サラリーやトロフィーの数においてたいていの選手の要求に応えられるとすれば、このチームこそが、何年にもわたってユナイテッドをトップに保つチームであろう。
この先には波もあるだろう。若い選手は下降線を描きがちだし、そのまま消えてしまう者もいるだろう。しかし、ファーガソンにはチームを成熟させてきた経験がある。以下は、これまでに彼が作り上げてきた歴史だ。
1988-93:雛鳥から王者へ
1986年にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した時、チームには才能があったが、頭打ちになっていた。他の多くのクラブと同様に、チームにはアルコールが蔓延していた。それでも、彼はFAユースカップで2度ファイナルに進出していた若手選手たちを引き継いでいた。1989年の元旦、彼はあるカルテットをピッチに送り込んだ。まだ10代だったリー・シャープ、マーク・ロビンスと20歳のリー・マーティン、ラッセル・ビアーズモアだ。この4人を含むチームは、スリリングな試合でユナイテッドの3-1の勝利に貢献した。
それは夜明け前の微かな光だった。若きスターたちは、そこまで素晴らしくは無いか、マーティンのようにケガに苦しんだ。ファーガソンには、ブライアン・ロブソン、ブライアン・マクレアー、ジム・レイトン、スティーブ・ブルースといったプロを抱えてはいたものの、まだ標準レベルには達していなかったのだ。ユナイテッドは、11位、そして13位でシーズンを終える。
それでも、この雛鳥たちは現代のユナイテッドを作り上げるのに貢献したと言える。1990年の1月には、ロビンスは、FAカップの3回戦でノッティンガム・フォレスト相手に伝説的なゴールを決め、さらには残留争いに苦しむ中イースターの日にもゴールを決めた。マーティンはFAカップのファイナル、クリスタル・パレスとの再試合で勝利を決めるゴールを決めた。これらが、ファーガソンに必要だった時間を稼いだ。
若きスターたちはドロップアウトしていったが、選手獲得のための多額の投資がファーガソンに強力なチームを作ることを可能にした。1991年には、デニス・アーウィン、ギャリー・パリスター、ポール・インスがやってきて、ユナイテッドはカップ・ウィナーズ・カップで優勝した。
ファーガソンはこの道をさらに進んだ。彼はここにピーター・シュマイケル、ポール・パーカー、そしてアンドレイ・カンチェルスキスを加え、タイトルの獲得に手を伸ばした。この年は2位に終わったが、1年後、エリック・カントナを加えたチームは、遂に1967年以来となるリーグタイトルを獲得したのだ。
1995-2003:「ガキじゃ何も勝ち取れない」
当時そう言ったアラン・ハンセンが、後の冷やかしにウンザリしてしばしば口にするように、彼は完全に誤っていたわけではなかった。1995-96年にダブルを勝ち取った「ガキ」のチームは、単にプレミアリーグに送り出された子供のチームではなかった。このチームにはカントナ、パリスター、アーウィン、シュマイケルにブルース、そして若いが既にダイナミックだったロイ・キーンがいて骨格とノウハウがあり、若者が育つのを助けていた。
事実、ファーガソンはブラックバーンに次いで2位でフィニッシュし、FAカップではエヴァートンに敗れたた1994-95年のチームを解体しようとしていたわけではなかった。彼はキーンがリーダシップを学んだポール・インスを外そうとは思っていたが、契約の取り決め上、契約を解消することもできたマーク・ヒューズを失いたくはなかった。キース・ギレスピーはアンディ・コールを獲得するための取引の一部として放出しており、アンドレイ・カンチェルスキスもキープしたかったが、代理人は移籍を強行した。このためセントラルのミッドフィルダーに仕立て上げられていたデイヴィッド・ベッカムは右サイドでプレーし、そこでの出来が素晴らしかったため、以降のキャリアの大半もそのポジションで過ごすことになった。
ベッカムの早い出現が偶発的であったとしても、ファーガソンはライアン・ギッグスが既に輝きを放っていたチームに、ベッカム、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、そしてギャリーとフィルのネヴィル兄弟を入れることを長く予期していた。これらの「ガキ」たちのチームは、ドワイト・ヨークやヤープ・スタムといった抜け目のない補強にも支えられ、1999年に三冠を達成する鉄壁のチームとなり、以降、5年間に4つのリーグ・タイトルを勝ち取った。
2004-2011:チェルシーの挑戦を受けて
ロマン・アブラモビッチによるチェルシー買収は、ゲームのルールを変えた。それまでは、ユナイテッドはどんなクラブよりも高い条件を提示することができた。2,900万ポンドでのリオ・ファーディナンド獲得は、ファーガソンによる6度目のイギリス記録更新だった。それ以降、彼が移籍金額の記録を更新することは無くなった。アーセナルの無配優勝の後、チェルシーが2004年から06年にかけて連覇をした時には、オールド・トラフォードには不支持の声が渦巻き、ファーガソンの将来も公に議論された。
ファーガソンは既に反攻の準備を整えており、ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドなど、急成長中の才能を世界中から探していた。彼らをパトリス・エヴラやネマニャ・ヴィディッチといった経験ある即戦力と遅れてやってきたエドウィン・ファン・デルサールで補った。これに続くのは、4つの国内リーグタイトルと、ひとつのチャンピオンズリーグ制覇であった。
しかしながら、5月にウェンブリーで対戦したバルセロナの優位は明らかだった。これを受けてファーガソンはチームの再構築に着手し、これまでの枠組みに、経験を積んだ若手や海外か連れてきた才能を移植していった。これまでの実績を見て、彼が良いチームを作れないと賭けるものなどいるだろうか?
++(以下、要訳)++
それは完全にカーリング・カップ向けのチームというわけではなかったが、月曜日に対戦したトッテナムのハリー・レドナップは、メンバーを見て「勝機あり」と踏んだだろう。
ウェイン・ルーニー、ナニ、そしてパトリス・エヴラはプレーしたが、昨シーズンの栄冠をもたらしたメンバーの多くはそこにはいなかった。ファーディナンド、ヴィディッチ、ギッグス、スコールズ、ファン・デル・サール、キャリック、フレッチャー、エルナンデス、ベルバトフの誰ひとりとしていなかった。ゴールマウスにはルーキー、ディフェンスは半分以上がリザーブ、中盤とアタッカーのひとりずつも控えだった。
90分後。アレックス・ファーガソンは、またしても素晴らしいチームを作り上げていることが分かった。過去と同じように、イングランド人によるコアは4人の若いライオンが固めた。フィル・ジョーンズ、ダニー・ウェルベック、クリス・スモーリングにトム・クレバリがチームの心臓だった。彼らの年齢はそれぞれ、19、20、21、22だ。そこに加わるのは、20歳のダヴィド・デ・ヘア、21歳の双子ファビオとラファエル、23歳のアンデルソン、24歳のナニだが、ある意味、アーセン・ヴェンゲルよりもヴェンゲルらしく新参者でハイクラスなチームを作り上げた。そしてウェイン・ルーニーもまだ25歳であり、アントニオ・ヴァレンシアとアシュリー・ヤングが26歳だ。サラリーやトロフィーの数においてたいていの選手の要求に応えられるとすれば、このチームこそが、何年にもわたってユナイテッドをトップに保つチームであろう。
この先には波もあるだろう。若い選手は下降線を描きがちだし、そのまま消えてしまう者もいるだろう。しかし、ファーガソンにはチームを成熟させてきた経験がある。以下は、これまでに彼が作り上げてきた歴史だ。
1988-93:雛鳥から王者へ
1986年にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任した時、チームには才能があったが、頭打ちになっていた。他の多くのクラブと同様に、チームにはアルコールが蔓延していた。それでも、彼はFAユースカップで2度ファイナルに進出していた若手選手たちを引き継いでいた。1989年の元旦、彼はあるカルテットをピッチに送り込んだ。まだ10代だったリー・シャープ、マーク・ロビンスと20歳のリー・マーティン、ラッセル・ビアーズモアだ。この4人を含むチームは、スリリングな試合でユナイテッドの3-1の勝利に貢献した。
それは夜明け前の微かな光だった。若きスターたちは、そこまで素晴らしくは無いか、マーティンのようにケガに苦しんだ。ファーガソンには、ブライアン・ロブソン、ブライアン・マクレアー、ジム・レイトン、スティーブ・ブルースといったプロを抱えてはいたものの、まだ標準レベルには達していなかったのだ。ユナイテッドは、11位、そして13位でシーズンを終える。
それでも、この雛鳥たちは現代のユナイテッドを作り上げるのに貢献したと言える。1990年の1月には、ロビンスは、FAカップの3回戦でノッティンガム・フォレスト相手に伝説的なゴールを決め、さらには残留争いに苦しむ中イースターの日にもゴールを決めた。マーティンはFAカップのファイナル、クリスタル・パレスとの再試合で勝利を決めるゴールを決めた。これらが、ファーガソンに必要だった時間を稼いだ。
若きスターたちはドロップアウトしていったが、選手獲得のための多額の投資がファーガソンに強力なチームを作ることを可能にした。1991年には、デニス・アーウィン、ギャリー・パリスター、ポール・インスがやってきて、ユナイテッドはカップ・ウィナーズ・カップで優勝した。
ファーガソンはこの道をさらに進んだ。彼はここにピーター・シュマイケル、ポール・パーカー、そしてアンドレイ・カンチェルスキスを加え、タイトルの獲得に手を伸ばした。この年は2位に終わったが、1年後、エリック・カントナを加えたチームは、遂に1967年以来となるリーグタイトルを獲得したのだ。
1995-2003:「ガキじゃ何も勝ち取れない」
当時そう言ったアラン・ハンセンが、後の冷やかしにウンザリしてしばしば口にするように、彼は完全に誤っていたわけではなかった。1995-96年にダブルを勝ち取った「ガキ」のチームは、単にプレミアリーグに送り出された子供のチームではなかった。このチームにはカントナ、パリスター、アーウィン、シュマイケルにブルース、そして若いが既にダイナミックだったロイ・キーンがいて骨格とノウハウがあり、若者が育つのを助けていた。
事実、ファーガソンはブラックバーンに次いで2位でフィニッシュし、FAカップではエヴァートンに敗れたた1994-95年のチームを解体しようとしていたわけではなかった。彼はキーンがリーダシップを学んだポール・インスを外そうとは思っていたが、契約の取り決め上、契約を解消することもできたマーク・ヒューズを失いたくはなかった。キース・ギレスピーはアンディ・コールを獲得するための取引の一部として放出しており、アンドレイ・カンチェルスキスもキープしたかったが、代理人は移籍を強行した。このためセントラルのミッドフィルダーに仕立て上げられていたデイヴィッド・ベッカムは右サイドでプレーし、そこでの出来が素晴らしかったため、以降のキャリアの大半もそのポジションで過ごすことになった。
ベッカムの早い出現が偶発的であったとしても、ファーガソンはライアン・ギッグスが既に輝きを放っていたチームに、ベッカム、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、そしてギャリーとフィルのネヴィル兄弟を入れることを長く予期していた。これらの「ガキ」たちのチームは、ドワイト・ヨークやヤープ・スタムといった抜け目のない補強にも支えられ、1999年に三冠を達成する鉄壁のチームとなり、以降、5年間に4つのリーグ・タイトルを勝ち取った。
2004-2011:チェルシーの挑戦を受けて
ロマン・アブラモビッチによるチェルシー買収は、ゲームのルールを変えた。それまでは、ユナイテッドはどんなクラブよりも高い条件を提示することができた。2,900万ポンドでのリオ・ファーディナンド獲得は、ファーガソンによる6度目のイギリス記録更新だった。それ以降、彼が移籍金額の記録を更新することは無くなった。アーセナルの無配優勝の後、チェルシーが2004年から06年にかけて連覇をした時には、オールド・トラフォードには不支持の声が渦巻き、ファーガソンの将来も公に議論された。
ファーガソンは既に反攻の準備を整えており、ウェイン・ルーニーやクリスティアーノ・ロナウドなど、急成長中の才能を世界中から探していた。彼らをパトリス・エヴラやネマニャ・ヴィディッチといった経験ある即戦力と遅れてやってきたエドウィン・ファン・デルサールで補った。これに続くのは、4つの国内リーグタイトルと、ひとつのチャンピオンズリーグ制覇であった。
しかしながら、5月にウェンブリーで対戦したバルセロナの優位は明らかだった。これを受けてファーガソンはチームの再構築に着手し、これまでの枠組みに、経験を積んだ若手や海外か連れてきた才能を移植していった。これまでの実績を見て、彼が良いチームを作れないと賭けるものなどいるだろうか?
Wednesday, August 24, 2011
尊重されるべきブラックバーンの遺産
日本の『Footballista』にも寄稿していることから、その名を知る人も多いであろう「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター記者。いくらかでもフットボールに理解のある者であれば、こんな形でこれまで適切な経営で好感をもたれてきたクラブがズタズタにされるのは見たくないであろう、と語る。
++(以下、要訳)++
ローヴァーズを買収したインド企業のヴェンキーズは、どんな宣伝もそれは良い宣伝だ、という信念でクラブを運営しているのだろう。選手たちをチキンのCMに起用したり、カカやロナウジーニョ、デイヴィッド・ベッカムへのオファーを公言したりしているが、フットボールリーグとプレミアリーグ、双方の創設メンバーでもあるこの古豪クラブは、もっと尊敬をもって扱われるべきだ。
ヴェンキーズは、いくつかの良い決断をしていて、ユニフォームに若者を支援する皇室の慈善団体「Prince's Trust」のロゴを入れたのはその一つだ。しかし、クラブを率いるデサイ氏が懸念を強めるローヴァーズのファンから受け入れられるには、フットボールのサイクルを考慮するのはもちろんのこと、サポーターともっとコミュニケーションを取り、ダウアウトの明らかな問題に取り組むことが必要で、非現実的なオファー話に関わるのでなく、1875年以来の歴史を誇るクラブの経営に相応しい人物であることを証明することが必要だ。デサイ氏には、イングランドの伝統とサポーターの感情に向き合う役割があるのだ。
それは、ブラックバーンの選手たちがヴェンキーズのチキンを喜んでむさぼり食う、あの派手な広告で見る者を困惑させることでは決してない。そして、深刻に警鐘を鳴らすのはダグアウトや幹部からの人材の流出だ。
サム・アラーダイスは、限られたリソースの中で良い仕事をしていた。フィル・ジョーンズのような若手を登用し、ローヴァーズが常に良く組織された競争力あるチームであるよう気にかけていた。彼は大きな当惑をもって追い出され、同様の驚きとともにスティーブ・キーンがその後を継いだ。
単にキーンがグラスゴーの出身だからといって、それがすなわちサー・アレックス・ファーガソンと同様の魔力を持つ一員であることは意味しない。イーウッド・パークでの暗雲への不安感に苛まれるポール・ロビンソンや、ミチェル・サルガド、ライアン・ネルセン、デイヴィッド・ダン、そしてジェイソン・ロバーツといったベテラン選手には、もっと良い処遇があって然るべきとの同情が集まるだろう。
確実に言えることは、彼らにはもっと経験のある監督が相応しいということだ。チームがキーンの下で今後もプレミアリーグで苦闘を続けるとしたら、デイヴィッド・ホイレットのような才能がフィル・ジョーンズを追うまでの時間はどれだけだろうか?
ヴェンキーズは、クラブでの戦略、特にキーンのサポートについて、サポーターに明らかにする必要がある。一部のサポーターは、この新たな経営陣への苛立ちからシーズンチケットを更新していない。この先悪い結果と失望が続けば、クラブへの不支持がより強烈になっていくだけだ。
ダグアウトでの一体感に問題が出始めた一方で、運営側でも人材を失った。ジョン・ウィリアムスは高い尊敬を受けてきた会長だったが、マンチェスター・シティに引き抜かれてしまい、ファンの支持を集めていた役員のトム・フィンも辞任した。監督のポジションに応募しながら、不合格通知を受け取った筋金入りのローヴァーズ好きたちは、その礼儀正しい手紙を誇りをもって保管している。フィンは、そうした筋金入りたちを人間として扱った。彼はローヴァーズのハートであり、魂だった。
ウィリアムスとフィンが去ると、地元紙「ランカシャー・イーブニング・テレグラフ」のウェブサイトには、これだけ献身的だった2人の辞任に対する怒りの投稿が渦巻いた。ブラックバーンの選手たち同様、このサポーターたちにももっと相応しい扱いがあるのだ。例えばウィリアムスであれば、ファンからのメールに返信をし、クラブの決断を説明し、シンプルにブラックバーンは良い状態にあることを伝えるはずだ。実際そうだった。
きのうひとりのサポーターがヴェンキーズにメールを送った。多くが共感する涙を伴う叫びで、彼が愛したローヴァーズは「鮮烈な空中分解に向かっている」と声を上げた。そして「ヴェンキーズはファンの前に出てきて、クラブを一番に想っている、ということを確信させるべきだ。キーンがやっていることは週を追うごとに理解不能になっている」と続けた。
オーナーたちは耳を傾けているだろうか?商業界でのデサイ氏の実績は、彼女がバカなどではなく、ビジネスをどう回していくか、理解しているように見える。しかし、フットボールクラブ、特にブラックバーンのようなクラブは単なるビジネスではない。人々の生活の試金石なのであり、サポーターを無視することは愚の骨頂だ。なぜ、ジャック・ウォーカー(元会長)のような人物がクラブの守護神的存在になっているのか、ヴェンキーズはローヴァーズの歴史をまず学ぶ必要がある。イーウッド・パークは、クラブを愛し、鉄鋼で財を成し、1995年にプレミアリーグのタイトルを獲った時に涙を浮かべ、トロフィーを初めて授かった子供のように抱いていたジャックによって再建されたホームだ。
ウォーカーにとっては、それは栄光であり、地元のクラブの誇りであり、都会のビッグクラブと相まみえてそれを打ち負かすことだった。ウォーカーがローヴァーズに誇りをもたらしたのだ。彼は際立った手腕を見せ、意義ある投資をした。マネジメントにケニー・ダルグリッシュ、選手にはアラン・シアラーを引き入れ、スタジアムも改修した。
イーウッド・パークは、ウォーカーから贈られた遺産で、それはブロックホール・ヴィレッジにあるトレーニング・センターとアカデミーも同様だ。ウォーカーの記憶をもって、ヴェンキーズを叩くのはたやすいことだが、ヴェンキーズはまずウォーカーの繊細な先導から学ぶ必要があるだろう。
++++
テレビでプレミアリーグを観るようになったのは、1994-95シーズンが最初だった。カントナのカンフーキックのシーズン。ワールドカップでクリンスマンが活躍し、彼が移籍したスパーズというクラブが気になり始めた頃、NHKの衛星放送で何試合かずつ放送があった。ケニー・ダルグリッシュが指揮し、後にスパーズに移籍するティム・シャーウッド(現コーチ)がキャプテンを務めるブラックバーンは、アラン・シアラーとクリス・サットンの2トップがゴールを量産して優勝した。僕はてっきり強いクラブ なんだと思ったが、以後はまた降格したり中位をさまよって現在に至っている。しかし、このCMは本当に酷い。確かにズタズタ。
++(以下、要訳)++
ローヴァーズを買収したインド企業のヴェンキーズは、どんな宣伝もそれは良い宣伝だ、という信念でクラブを運営しているのだろう。選手たちをチキンのCMに起用したり、カカやロナウジーニョ、デイヴィッド・ベッカムへのオファーを公言したりしているが、フットボールリーグとプレミアリーグ、双方の創設メンバーでもあるこの古豪クラブは、もっと尊敬をもって扱われるべきだ。
ヴェンキーズは、いくつかの良い決断をしていて、ユニフォームに若者を支援する皇室の慈善団体「Prince's Trust」のロゴを入れたのはその一つだ。しかし、クラブを率いるデサイ氏が懸念を強めるローヴァーズのファンから受け入れられるには、フットボールのサイクルを考慮するのはもちろんのこと、サポーターともっとコミュニケーションを取り、ダウアウトの明らかな問題に取り組むことが必要で、非現実的なオファー話に関わるのでなく、1875年以来の歴史を誇るクラブの経営に相応しい人物であることを証明することが必要だ。デサイ氏には、イングランドの伝統とサポーターの感情に向き合う役割があるのだ。
それは、ブラックバーンの選手たちがヴェンキーズのチキンを喜んでむさぼり食う、あの派手な広告で見る者を困惑させることでは決してない。そして、深刻に警鐘を鳴らすのはダグアウトや幹部からの人材の流出だ。
サム・アラーダイスは、限られたリソースの中で良い仕事をしていた。フィル・ジョーンズのような若手を登用し、ローヴァーズが常に良く組織された競争力あるチームであるよう気にかけていた。彼は大きな当惑をもって追い出され、同様の驚きとともにスティーブ・キーンがその後を継いだ。
単にキーンがグラスゴーの出身だからといって、それがすなわちサー・アレックス・ファーガソンと同様の魔力を持つ一員であることは意味しない。イーウッド・パークでの暗雲への不安感に苛まれるポール・ロビンソンや、ミチェル・サルガド、ライアン・ネルセン、デイヴィッド・ダン、そしてジェイソン・ロバーツといったベテラン選手には、もっと良い処遇があって然るべきとの同情が集まるだろう。
確実に言えることは、彼らにはもっと経験のある監督が相応しいということだ。チームがキーンの下で今後もプレミアリーグで苦闘を続けるとしたら、デイヴィッド・ホイレットのような才能がフィル・ジョーンズを追うまでの時間はどれだけだろうか?
ヴェンキーズは、クラブでの戦略、特にキーンのサポートについて、サポーターに明らかにする必要がある。一部のサポーターは、この新たな経営陣への苛立ちからシーズンチケットを更新していない。この先悪い結果と失望が続けば、クラブへの不支持がより強烈になっていくだけだ。
ダグアウトでの一体感に問題が出始めた一方で、運営側でも人材を失った。ジョン・ウィリアムスは高い尊敬を受けてきた会長だったが、マンチェスター・シティに引き抜かれてしまい、ファンの支持を集めていた役員のトム・フィンも辞任した。監督のポジションに応募しながら、不合格通知を受け取った筋金入りのローヴァーズ好きたちは、その礼儀正しい手紙を誇りをもって保管している。フィンは、そうした筋金入りたちを人間として扱った。彼はローヴァーズのハートであり、魂だった。
ウィリアムスとフィンが去ると、地元紙「ランカシャー・イーブニング・テレグラフ」のウェブサイトには、これだけ献身的だった2人の辞任に対する怒りの投稿が渦巻いた。ブラックバーンの選手たち同様、このサポーターたちにももっと相応しい扱いがあるのだ。例えばウィリアムスであれば、ファンからのメールに返信をし、クラブの決断を説明し、シンプルにブラックバーンは良い状態にあることを伝えるはずだ。実際そうだった。
きのうひとりのサポーターがヴェンキーズにメールを送った。多くが共感する涙を伴う叫びで、彼が愛したローヴァーズは「鮮烈な空中分解に向かっている」と声を上げた。そして「ヴェンキーズはファンの前に出てきて、クラブを一番に想っている、ということを確信させるべきだ。キーンがやっていることは週を追うごとに理解不能になっている」と続けた。
オーナーたちは耳を傾けているだろうか?商業界でのデサイ氏の実績は、彼女がバカなどではなく、ビジネスをどう回していくか、理解しているように見える。しかし、フットボールクラブ、特にブラックバーンのようなクラブは単なるビジネスではない。人々の生活の試金石なのであり、サポーターを無視することは愚の骨頂だ。なぜ、ジャック・ウォーカー(元会長)のような人物がクラブの守護神的存在になっているのか、ヴェンキーズはローヴァーズの歴史をまず学ぶ必要がある。イーウッド・パークは、クラブを愛し、鉄鋼で財を成し、1995年にプレミアリーグのタイトルを獲った時に涙を浮かべ、トロフィーを初めて授かった子供のように抱いていたジャックによって再建されたホームだ。
ウォーカーにとっては、それは栄光であり、地元のクラブの誇りであり、都会のビッグクラブと相まみえてそれを打ち負かすことだった。ウォーカーがローヴァーズに誇りをもたらしたのだ。彼は際立った手腕を見せ、意義ある投資をした。マネジメントにケニー・ダルグリッシュ、選手にはアラン・シアラーを引き入れ、スタジアムも改修した。
イーウッド・パークは、ウォーカーから贈られた遺産で、それはブロックホール・ヴィレッジにあるトレーニング・センターとアカデミーも同様だ。ウォーカーの記憶をもって、ヴェンキーズを叩くのはたやすいことだが、ヴェンキーズはまずウォーカーの繊細な先導から学ぶ必要があるだろう。
++++
テレビでプレミアリーグを観るようになったのは、1994-95シーズンが最初だった。カントナのカンフーキックのシーズン。ワールドカップでクリンスマンが活躍し、彼が移籍したスパーズというクラブが気になり始めた頃、NHKの衛星放送で何試合かずつ放送があった。ケニー・ダルグリッシュが指揮し、後にスパーズに移籍するティム・シャーウッド(現コーチ)がキャプテンを務めるブラックバーンは、アラン・シアラーとクリス・サットンの2トップがゴールを量産して優勝した。僕はてっきり強いクラブ なんだと思ったが、以後はまた降格したり中位をさまよって現在に至っている。しかし、このCMは本当に酷い。確かにズタズタ。
Monday, August 22, 2011
分岐点にあるトッテナムの鍵はモドリッチ
スパーズの今期についての記事が無いものかとずっとアンテナを張ってたものの、基本的にモドリッチの騒動にまつわるものが多くて、手が出なかったのだけど、この「テレグラフ」紙のダンカン・ホワイト記者のまとめ記事は、モドリッチの件にも触れつつ、比較的引いた目線で好感が持てた。
++(以下、要訳)++
2度目のチャンピオンズリーグ出場とオリンピック・スタジアムの使用権確保を逃し、クラブは前のめりになって他の大枚をはたくビッグクラブと競い合うのか、そもそも現在の位置にたどり着くのを助けた持続可能で慎ましいクラブ経営にこだわり続けるのか、板ばさみの状態になっているようだ。
この先、移籍市場が閉まるまでの間に起こることが、スパーズがチャンピオンズリーグに相応しいのかを決め、この先3ヶ月でスタジアム問題に起こることが、長期的にクラブがヨーロッパのエリートと競っていけるのか決めることになるだろう。昨シーズンのような活気はないかもしれないが、トッテナムの未来に向けては重要なシーズンなのだ。
新加入選手
使える資金が手元にあるのは確実だ。クラブの1月の動きは活発で、ディエゴ・フォルランやジュセッペ・ロッシ、アンディ・キャロル、フェルナンド・ジョレンテ、そしてセルヒオ・アグエロさえ獲得を狙っていた。ハリー・レドナップは、ダニエル・リヴィ会長は確かな選手には3,000万ポンドでも支払う気があった、と言っている。クラブはチャンピオンズリーグから2,700万ポンドの収入を得ており、ある程度の選手獲得が可能な状態なのだ。
1月の候補リストからも明らかなのは、優先順位が高いのが、4-5-1でワントップを務められるストライカーだ。ジャメイン・デフォーとピーター・クラウチはパートナーがいた方が活きるタイプで、一番適正があるロマン・パヴリュチェンコは安定感に欠ける。短期的な解決策はエマニュエル・アデバヨールのローンだろうが、長期的にはレアンドロ・ダミアンの獲得が望ましい。トッテナムは夏の初めにこの22歳のブラジル人ストライカーを獲得しようとしたが、3,000万ポンド以上を求める所属のインテルナシオナルと条件で合意できなかった。スパーズはすでにサンドロを獲得しているインテルナシオナルと良い関係を持っているが、バルセロナとインテル・ミラノも獲得に動いており、これを実現するのは困難な挑戦となるかもしれない。
レドナップは中盤とセンターバックも強化したいと考えており、スコット・パーカーはその候補だったが、現在はレアル・マドリードのラッサナ・ディアラとの契約が近づいている。ディフェンスでは、レドナップはマンチェスター・ユナイテッドに移籍したフィル・ジョーンズの獲得を狙って失敗したことを明かしたが、そのブラックバーンのクリス・サンバを好んでいる。
「我々は今もディアラやアデバヨールの話を進めているが、どんな進捗があるのかは分からない。それに獲得したとしても、彼らがどの程度プレーする準備ができているかは、今の所属クラブでのトレーニング次第だからね」とレドナップは語った。
モドリッチの状況
仮にモドリッチが売られれば、すべてが変わるはずだ。レドナップはこの夏初めて、クラブの鋼の抵抗に壁にはヒビが入っていることを示した。先週「ルカについては2つのオプションがあり、素晴らしい選手を確保するか、資金を得て4人補強し、良いチームを作るということもできる」とレドナップは述べた。
これは会長のリヴィに対する、事態を先延ばしにするなという明瞭なメッセージだ。レドナップはチームには使える選手が足りないと見ていて、彼が必要と考える選手を獲得するためにはモドリッチを犠牲にすることもできるのだ。チェルシーはまだ金額を上げたオファーを出しておらず、リヴィは依然売却を拒否する姿勢を示し、モドリッチの残留に自分の信用を懸けている。3,500万~4,000万ポンドともなればリヴィも態度を軟化させこともあるかもしれないが、オファーが殺到でもしない限り、モドリッチ放出は自爆に等しい。
レドナップは、「会長がモドリッチは売らないと言った以上、それが決断だ」と述べている。
過剰な人員
モドリッチを売って3、4人の選手を獲得したとして、それはトッテナムのもうひとつの問題を増大させるだけだ。過剰な選手数だ。トッテナムはこの夏、選手の売却に苦しんできており、登録できる以上の人員を抱えることになりかねない。トッテナムは良い給料を支払っており、それが移籍先を見つけるのを難しくしている。
ジョナサン・ウッドゲイトはリリースされ、ジェイミー・オハラは500万ポンドでウルヴズ、ロビー・キーンは350万ポンドでLAギャラクシーに加入した。そしてスパーズはジョヴァンニ・ドス・サントス、アラン・ハットン、デイヴィッド・ベントレーを売ろうとしていて、ジャメイン・ジーナス、ニコ・クラニチャル、セバスチャン・バソング、ウィルソン・パラシオス、そして3人のストライカーのうちの一人も、適正なオファーがあれば取引に応じる構えだ。
プレミアリーグの規約では、ファースト・チームには25人の選手しか登録できず、これを超えては21歳以下の選手しか加えられない。昨シーズン最大の25人を登録し、スティーブン・ピーナールを獲得、そしてギャレス・ベイルとジョヴァンニ・ドス・サントスは22歳になった。この点が、スパーズは売る前には買いたがらない理由だ。9月2日に選手登録を行う時には、余計な選手に給料を支払っていたくはないのだ。現在のところ、スパーズには27人の21歳以上の選手がいる。
新スタジアム
トッテナムにはクラブの成長を維持するためのスタジアムが必要で、仮にこの4、5年を上手く運ぶことができれば、ヨーロッパのエリート・クラブに挑戦し続けるクラブへと脱皮できるはずだ。今シーズンの終わりにはチャンピオンズリーグの常連クラブに肩を並べる施設を誇るのブルズ・クロスの練習場がオープンするが、ノーザンバーランド開発プロジェクトを進めることができなければ、結局ホワイト・ハート・レーンにとどまることになる。
オリンピック・スタジアムの入札に敗れ、クラブは再びトッテナム地区でのノーザンバーランド開発プロジェクトに集中しているが、この実現の可能性はトッテナムが自治体の支援金を得られるかに左右される。すでに地域成長基金(RGF)助成金には申請を行っており、最終的には副首相のニック・クレッグによる閣僚会議で決定されるが、その前に、ロード・ヘセルティンが率いる独立諮問会議に持ち込まれる。助成金を受けられることになった場合は、その資金はスタジアム自体ではなく鉄道・駅の改良や近辺の公共の場所、その他インフラの改良に充てられる。
最近起きた最悪の暴動はこのエリアで起こっており、スパーズは地元の自治体と、プロジェクトがどのようにこの地域の高く増大している失業率の改善に役立つことができるか、議論を重ねている。
トッテナムのそもそもの動機は、より大きな収入を得るために大きなスタジアムを持つことであるが、地元の再開発はロンドン市長のボリス・ジョンソンにとっては嬉しい副産物であろう。地元のサポートが無ければ、トッテナムはまた振り出しに戻ることになる。クラブはピッチの中でも外でも、これ以上現状維持を続けることはできないのだ。
++++
ということで、モドリッチの件はそのうち決着するだろうけど、他はこれからしばらくずっとついて回る話。サラリーキャップも含め、スパーズは良くも悪くも持続可能かどうかを凄く重視する。アイデンティティの再定義が必要な時期なんだよな、ホント。
++(以下、要訳)++
2度目のチャンピオンズリーグ出場とオリンピック・スタジアムの使用権確保を逃し、クラブは前のめりになって他の大枚をはたくビッグクラブと競い合うのか、そもそも現在の位置にたどり着くのを助けた持続可能で慎ましいクラブ経営にこだわり続けるのか、板ばさみの状態になっているようだ。
この先、移籍市場が閉まるまでの間に起こることが、スパーズがチャンピオンズリーグに相応しいのかを決め、この先3ヶ月でスタジアム問題に起こることが、長期的にクラブがヨーロッパのエリートと競っていけるのか決めることになるだろう。昨シーズンのような活気はないかもしれないが、トッテナムの未来に向けては重要なシーズンなのだ。
新加入選手
使える資金が手元にあるのは確実だ。クラブの1月の動きは活発で、ディエゴ・フォルランやジュセッペ・ロッシ、アンディ・キャロル、フェルナンド・ジョレンテ、そしてセルヒオ・アグエロさえ獲得を狙っていた。ハリー・レドナップは、ダニエル・リヴィ会長は確かな選手には3,000万ポンドでも支払う気があった、と言っている。クラブはチャンピオンズリーグから2,700万ポンドの収入を得ており、ある程度の選手獲得が可能な状態なのだ。
1月の候補リストからも明らかなのは、優先順位が高いのが、4-5-1でワントップを務められるストライカーだ。ジャメイン・デフォーとピーター・クラウチはパートナーがいた方が活きるタイプで、一番適正があるロマン・パヴリュチェンコは安定感に欠ける。短期的な解決策はエマニュエル・アデバヨールのローンだろうが、長期的にはレアンドロ・ダミアンの獲得が望ましい。トッテナムは夏の初めにこの22歳のブラジル人ストライカーを獲得しようとしたが、3,000万ポンド以上を求める所属のインテルナシオナルと条件で合意できなかった。スパーズはすでにサンドロを獲得しているインテルナシオナルと良い関係を持っているが、バルセロナとインテル・ミラノも獲得に動いており、これを実現するのは困難な挑戦となるかもしれない。
レドナップは中盤とセンターバックも強化したいと考えており、スコット・パーカーはその候補だったが、現在はレアル・マドリードのラッサナ・ディアラとの契約が近づいている。ディフェンスでは、レドナップはマンチェスター・ユナイテッドに移籍したフィル・ジョーンズの獲得を狙って失敗したことを明かしたが、そのブラックバーンのクリス・サンバを好んでいる。
「我々は今もディアラやアデバヨールの話を進めているが、どんな進捗があるのかは分からない。それに獲得したとしても、彼らがどの程度プレーする準備ができているかは、今の所属クラブでのトレーニング次第だからね」とレドナップは語った。
モドリッチの状況
仮にモドリッチが売られれば、すべてが変わるはずだ。レドナップはこの夏初めて、クラブの鋼の抵抗に壁にはヒビが入っていることを示した。先週「ルカについては2つのオプションがあり、素晴らしい選手を確保するか、資金を得て4人補強し、良いチームを作るということもできる」とレドナップは述べた。
これは会長のリヴィに対する、事態を先延ばしにするなという明瞭なメッセージだ。レドナップはチームには使える選手が足りないと見ていて、彼が必要と考える選手を獲得するためにはモドリッチを犠牲にすることもできるのだ。チェルシーはまだ金額を上げたオファーを出しておらず、リヴィは依然売却を拒否する姿勢を示し、モドリッチの残留に自分の信用を懸けている。3,500万~4,000万ポンドともなればリヴィも態度を軟化させこともあるかもしれないが、オファーが殺到でもしない限り、モドリッチ放出は自爆に等しい。
レドナップは、「会長がモドリッチは売らないと言った以上、それが決断だ」と述べている。
過剰な人員
モドリッチを売って3、4人の選手を獲得したとして、それはトッテナムのもうひとつの問題を増大させるだけだ。過剰な選手数だ。トッテナムはこの夏、選手の売却に苦しんできており、登録できる以上の人員を抱えることになりかねない。トッテナムは良い給料を支払っており、それが移籍先を見つけるのを難しくしている。
ジョナサン・ウッドゲイトはリリースされ、ジェイミー・オハラは500万ポンドでウルヴズ、ロビー・キーンは350万ポンドでLAギャラクシーに加入した。そしてスパーズはジョヴァンニ・ドス・サントス、アラン・ハットン、デイヴィッド・ベントレーを売ろうとしていて、ジャメイン・ジーナス、ニコ・クラニチャル、セバスチャン・バソング、ウィルソン・パラシオス、そして3人のストライカーのうちの一人も、適正なオファーがあれば取引に応じる構えだ。
プレミアリーグの規約では、ファースト・チームには25人の選手しか登録できず、これを超えては21歳以下の選手しか加えられない。昨シーズン最大の25人を登録し、スティーブン・ピーナールを獲得、そしてギャレス・ベイルとジョヴァンニ・ドス・サントスは22歳になった。この点が、スパーズは売る前には買いたがらない理由だ。9月2日に選手登録を行う時には、余計な選手に給料を支払っていたくはないのだ。現在のところ、スパーズには27人の21歳以上の選手がいる。
新スタジアム
トッテナムにはクラブの成長を維持するためのスタジアムが必要で、仮にこの4、5年を上手く運ぶことができれば、ヨーロッパのエリート・クラブに挑戦し続けるクラブへと脱皮できるはずだ。今シーズンの終わりにはチャンピオンズリーグの常連クラブに肩を並べる施設を誇るのブルズ・クロスの練習場がオープンするが、ノーザンバーランド開発プロジェクトを進めることができなければ、結局ホワイト・ハート・レーンにとどまることになる。
オリンピック・スタジアムの入札に敗れ、クラブは再びトッテナム地区でのノーザンバーランド開発プロジェクトに集中しているが、この実現の可能性はトッテナムが自治体の支援金を得られるかに左右される。すでに地域成長基金(RGF)助成金には申請を行っており、最終的には副首相のニック・クレッグによる閣僚会議で決定されるが、その前に、ロード・ヘセルティンが率いる独立諮問会議に持ち込まれる。助成金を受けられることになった場合は、その資金はスタジアム自体ではなく鉄道・駅の改良や近辺の公共の場所、その他インフラの改良に充てられる。
最近起きた最悪の暴動はこのエリアで起こっており、スパーズは地元の自治体と、プロジェクトがどのようにこの地域の高く増大している失業率の改善に役立つことができるか、議論を重ねている。
トッテナムのそもそもの動機は、より大きな収入を得るために大きなスタジアムを持つことであるが、地元の再開発はロンドン市長のボリス・ジョンソンにとっては嬉しい副産物であろう。地元のサポートが無ければ、トッテナムはまた振り出しに戻ることになる。クラブはピッチの中でも外でも、これ以上現状維持を続けることはできないのだ。
++++
ということで、モドリッチの件はそのうち決着するだろうけど、他はこれからしばらくずっとついて回る話。サラリーキャップも含め、スパーズは良くも悪くも持続可能かどうかを凄く重視する。アイデンティティの再定義が必要な時期なんだよな、ホント。
Sunday, August 21, 2011
莫大な収入と寄付についてのアス・エコトの提案
トッテナム・ホットスパーの左サイドバック、カメルーン代表のベノワ・アス・エコトは、その飄々とした立ち振る舞いとしなやかな守備、正確なフィード、休まない鉄人ぶりと適度なポカで、スパーズファンの間では隠れた人気だ。そんなエコトが、ロンドンでの暴動の後にした意外な提案とは。「テレグラフ」紙のオリヴァー・ブラウン記者のエッセイ。
++(以下、要訳)++
ハリー・レドナップは、気取って気ままに振る舞うこのカメルーン人に苛立つこともあるが、そんなレドナップでさえ、暴動の時にはアス・エコトの神経も張り詰めていたんじゃないか、と認める。
緊急事態は過ぎ去ったものの、臆面もない気取り屋の彼も現実に目を向けている。先週、トッテナム・ハイロード近辺を破壊して回った暴徒たちの温床とも言われるブロードウォーター・ファーム一帯を訪れたアス・エコトは、クラブと地元に向けられる同情を良い意味で裏切って見せた。そして、プレミアリーグの選手たちは、収入の1%か2%くらいを地元のコミュニティに還元してはどうか、とジェスチャー混じりに彼が強調するとは、誰も予測できなかっただろう。
彼の無私無欲ぶりを称賛する前に、彼は矛盾しがちなキャラクターの持ち主だと強調しておいた方が良いだろう。トッテナム・ホットスパーに加入して間もない頃、彼はチームメイトの偽善ぶりを一刀両断にして、自分の唯一のモチベーションは金だ、と説明し、「世界にひとりでもクラブのために契約して、『このシャツを愛してる』なんて言う奴がいるのかよ」と雄弁に問うていた。「人が第一に話すこと言えば金のことだ。だから俺が金のためにプレーするんだ、って言った時にみんなが『奴は金目当ての傭兵だ』ってショックを受けてたのが信じられなかった。どの選手も同じさ」
彼の欲が、クラブのバッジにキスする他の選手と同じだとして、我々は彼を称賛する人々が、並外れて彼のことを支持することを記しておかなければならないだろう。
彼は喜んでN17(トッテナム近辺)のレストランで食事をするし、オイスター・カード(日本のSuica等と同じICカード)すら持っている。これらは、うつろな目でヘッドフォンをかけているアンドロイドのような選手たちの振る舞いとはまったく異なる。アス・エコトにとって、フットボール選手というのはどこかに密閉されているような存在ではないし、彼はフットボール選手という偏屈な種族を解放する存在になるかもしれない。
それでも、彼や彼のチームメイトが収入の一部を寄付すべきという主張は、彼の最も特筆すべき発言だ。デロイトのフットボール財務に関する年刊レポートによれば、プレミアリーグの選手は合計で140億ポンドを稼いでいる。アス・エコトに主張を最大化して、2%をここから取ると、2,800万ポンドになる。破壊されたセブン・シスターズ・ロードのいくつかの建物を修復するには十分な金額だ。
収入の一部をチャリティに、というのは盛んに論じられるコンセプトだ。2007年には看護婦たちによる似たような取組があり、トップクラスの選手たちの一日分のサラリーを求めた。これに同意したのがギャリー・ネヴィルとライアン・ギッグスの二人だけだった時にはもっともな怒りの声が上がった。
批評家たちは、ケチな奴らだと糾弾した。擁護するする側は、何がおかしいのかと言い返した。結局のところ、そこには資本主義の稼いだものは取っておくべき、という教えがある。私がハイゲートの地下鉄の駅を降りてからすべての募金箱に金を入れることはできないのと同じことで、フランク・ランパードや他の選手たちは、こうしたすべての要求に黙って応え続けるようなことはしないのだ。この話とは別に、ランパードはガン研究への寄付で称賛を受けている。
しかし、トッテナムがこの25年で最悪の暴動によって荒らされた現在、アス・エコトの言うように「多くを稼ぐ地域の代表としてもっとできないか」と疑問を持つことがおかしなことだろうか?
私が論理の飛躍で矛盾をきたす前に、フットボールも理解しがたい根深き社会の病によって荒らされているスポーツなのだ、ということを認めておきたい。
ゴルフの世界でもケン・グリーンやタイガー・ウッズのように、この議論で論争を呼んできた例があるが、最後に私は日本の石川遼という逆の例を引き合いに出したい。石川は、2011シーズンに稼ぎ出す賞金のすべてを3月の津波の被害者に差し出すことを申し出た。荒廃した仙台の様子に影響を受けたこの19歳は「これが一番のお金の使い方だ、と信じている」と語っている。
ひとシーズンで彼は100万ポンド以上を稼ぎ出す。これだけ若い青年による謙虚な取り組みと比べてみれば、プレミアリーグの選手たちの莫大な収入の2%を集めるコンセプトは、さして大げさな利他主義ではないし、最低限彼らができるレベルのことであるように思える。
++++
最後に石川遼まで出てきたけど、元々伝えたかったのはエコトの不思議だけど愛されるキャラクターなんだよな。『Footballista』で山中忍さんが、ワースト11の左サイドバックに選んでたけど、それは無いだろ、と微妙に憤ってしまった。あの飄々とした立ち振る舞いの中には、実は熱いものが…、とか思わせてやっぱ飄々、ナイスなキャラ。
++(以下、要訳)++
ハリー・レドナップは、気取って気ままに振る舞うこのカメルーン人に苛立つこともあるが、そんなレドナップでさえ、暴動の時にはアス・エコトの神経も張り詰めていたんじゃないか、と認める。
緊急事態は過ぎ去ったものの、臆面もない気取り屋の彼も現実に目を向けている。先週、トッテナム・ハイロード近辺を破壊して回った暴徒たちの温床とも言われるブロードウォーター・ファーム一帯を訪れたアス・エコトは、クラブと地元に向けられる同情を良い意味で裏切って見せた。そして、プレミアリーグの選手たちは、収入の1%か2%くらいを地元のコミュニティに還元してはどうか、とジェスチャー混じりに彼が強調するとは、誰も予測できなかっただろう。
彼の無私無欲ぶりを称賛する前に、彼は矛盾しがちなキャラクターの持ち主だと強調しておいた方が良いだろう。トッテナム・ホットスパーに加入して間もない頃、彼はチームメイトの偽善ぶりを一刀両断にして、自分の唯一のモチベーションは金だ、と説明し、「世界にひとりでもクラブのために契約して、『このシャツを愛してる』なんて言う奴がいるのかよ」と雄弁に問うていた。「人が第一に話すこと言えば金のことだ。だから俺が金のためにプレーするんだ、って言った時にみんなが『奴は金目当ての傭兵だ』ってショックを受けてたのが信じられなかった。どの選手も同じさ」
彼の欲が、クラブのバッジにキスする他の選手と同じだとして、我々は彼を称賛する人々が、並外れて彼のことを支持することを記しておかなければならないだろう。
彼は喜んでN17(トッテナム近辺)のレストランで食事をするし、オイスター・カード(日本のSuica等と同じICカード)すら持っている。これらは、うつろな目でヘッドフォンをかけているアンドロイドのような選手たちの振る舞いとはまったく異なる。アス・エコトにとって、フットボール選手というのはどこかに密閉されているような存在ではないし、彼はフットボール選手という偏屈な種族を解放する存在になるかもしれない。
それでも、彼や彼のチームメイトが収入の一部を寄付すべきという主張は、彼の最も特筆すべき発言だ。デロイトのフットボール財務に関する年刊レポートによれば、プレミアリーグの選手は合計で140億ポンドを稼いでいる。アス・エコトに主張を最大化して、2%をここから取ると、2,800万ポンドになる。破壊されたセブン・シスターズ・ロードのいくつかの建物を修復するには十分な金額だ。
収入の一部をチャリティに、というのは盛んに論じられるコンセプトだ。2007年には看護婦たちによる似たような取組があり、トップクラスの選手たちの一日分のサラリーを求めた。これに同意したのがギャリー・ネヴィルとライアン・ギッグスの二人だけだった時にはもっともな怒りの声が上がった。
批評家たちは、ケチな奴らだと糾弾した。擁護するする側は、何がおかしいのかと言い返した。結局のところ、そこには資本主義の稼いだものは取っておくべき、という教えがある。私がハイゲートの地下鉄の駅を降りてからすべての募金箱に金を入れることはできないのと同じことで、フランク・ランパードや他の選手たちは、こうしたすべての要求に黙って応え続けるようなことはしないのだ。この話とは別に、ランパードはガン研究への寄付で称賛を受けている。
しかし、トッテナムがこの25年で最悪の暴動によって荒らされた現在、アス・エコトの言うように「多くを稼ぐ地域の代表としてもっとできないか」と疑問を持つことがおかしなことだろうか?
私が論理の飛躍で矛盾をきたす前に、フットボールも理解しがたい根深き社会の病によって荒らされているスポーツなのだ、ということを認めておきたい。
ゴルフの世界でもケン・グリーンやタイガー・ウッズのように、この議論で論争を呼んできた例があるが、最後に私は日本の石川遼という逆の例を引き合いに出したい。石川は、2011シーズンに稼ぎ出す賞金のすべてを3月の津波の被害者に差し出すことを申し出た。荒廃した仙台の様子に影響を受けたこの19歳は「これが一番のお金の使い方だ、と信じている」と語っている。
ひとシーズンで彼は100万ポンド以上を稼ぎ出す。これだけ若い青年による謙虚な取り組みと比べてみれば、プレミアリーグの選手たちの莫大な収入の2%を集めるコンセプトは、さして大げさな利他主義ではないし、最低限彼らができるレベルのことであるように思える。
++++
最後に石川遼まで出てきたけど、元々伝えたかったのはエコトの不思議だけど愛されるキャラクターなんだよな。『Footballista』で山中忍さんが、ワースト11の左サイドバックに選んでたけど、それは無いだろ、と微妙に憤ってしまった。あの飄々とした立ち振る舞いの中には、実は熱いものが…、とか思わせてやっぱ飄々、ナイスなキャラ。
Saturday, August 20, 2011
ジョナサン・ウッドゲイトの終わりなき上昇気流
相次ぐケガに悩まされ続け、契約満了に伴い昨シーズン限りでスパーズからリリースとなったジョナサン・ウッドゲイトは、今季からトニー・ピューリス率いるストーク・シティに籍を置くこととなった。才能に恵まれながら、ケガとの戦いで何度も躓いてきた彼の挑戦が、アメリカは「ニューヨーク・タイムス」のコラムに描かれている。
++(以下、要訳)++
「もし」というのは、誰にとっても大きな質問だ。
ストーク・シティのジョナサン・ウッドゲイトにとって、彼のサッカー人生の中で唯一と言ってもいい質問だろう。選手として必要な要素をほぼすべて持ちながら、それが彼に何ももたらさないというのはある意味残酷なことでもある(それはウッドゲイトに限ったことではない。現在QPRに所属するキーロン・ダイアーも同様の例だ)。ただし、ダイアーの才能には限りがある一方で、ウッドゲイトはケガさえなければボビー・ムーア以来最高のセンターバックになっていたはずだった。
これは大胆な言い方で、誰も断言などできないのだが、もし完璧な守備陣を構築しようとしているのであれば、31歳のウッドゲイトが4人のバックラインにもたらす要素は、まず第一に考えるべき素晴らしいものだ。フィジカル面では彼は大型で屈強だし、スピードと敏捷性を兼ね備え、ゲームを読む力を持っている。それに、ボール捌きも優れたもので、シンプルな配給で見事に仲間を動かして見せる。ウッドゲイトはすべてを持っているのだ。
不運なことに彼には最もタフな敵がいて、この敵にだけは彼も手を焼き続けた。リーズ・ユナイテッドに所属していた頃、彼は6シーズンで104試合に出場したにとどまったが、彼の才能をもってすれば本来到達できるであろうレベルに達するには、フィットしていた時間が短すぎた。デイヴィッド・オレアリーの若いチームが、30年前のドン・リヴィの偉大なリーズに近づき始めると、彼もようやく一人前になり始めた。
役員たちは新監督のテリー・ベナブルズに対して、彼の「王冠の宝石」であるウッドゲイトは売らないと約束していたにも関わらず、その後の財政危機によって、ウッドゲイトも緊急に現金が必要だったクラブのために売られる要員のひとりとなった。クラブのためになることが、選手のためにもなると判断されたのだ。ニューカッスルは1,470万ドルを支払う代わりに将来のスターを手に入れた。
やがてウッドゲイトはリーズで見せていた才能を開花させ、タインサイドでもファンのお気に入りの選手となった。2004年4月にニューカッスルがUEFAカップ・マルセイユ戦で0-0と引き分けた時の彼のパフォーマンスは、ヨーロッパのプレスの間では語り草だ。若き日のディディエ・ドログバを誰も見たこともないような流儀で完璧に抑えた。それは、そのシーズンのあらゆる選手の中でも際立つデフィエンスのプレーであり、相手のマルセイユの監督だったジョセ・アニゴもこの若きデフィンダーが目立っていたことを認めている。「ウッドゲイトの印象は強烈だった。彼は本物のクオリティを持ったディフェンダーだ」。同様に、アーセナルやPSVアイントホーフェンを向こうに回しても同じレベルのパフォーマンスを見せつけ、イングランド代表のセンターバックとなるのは時間の問題だった。彼は24歳にしてその座をつかんだ。
そして、冒頭の2語「もし(What if?)」が出てくるのだ。もし彼が出場28試合に終わったニューカッスルでケガと戦わずに済んでいたら?もしレアル・マドリーに売られた時によりフィットすることができて、2シーズンで9試合以上プレーできていたら?そしてミドルスブラに戻り、3年以上ぶりに代表に呼ばれた時に、ケガでこれを断念せずに済んでいたら?
ウッドゲイトは、2008年の1月にトッテナムに加入し、チェルシーとのカーリングカップのファイナルでは決勝ゴールを決めたが、またすぐに彼のキャリアはケガによって荒廃させられ、その後2シーズンで4ゲームしかプレーすることができなかった。彼のキャリアはいま再び危機に瀕しているのだ。
彼のピッチ外での行いに目をやれば、同情をするのは難しいかもしれない -14歳にして彼の行った暴行に対する警察からの警告を受けると、その後も複数の事件に関与して顎の骨を折ることすらあった。そして、2000年の3月には当時リーズでチームメイトだったリー・ボウヤーと共にリーズのナイトクラブの外で学生を襲撃した罪で起訴された。彼の罪は軽めのものであったが、クラブからはサラリー8週間分の罰金を科され、加えて100時間のボランティア活動と代表チームでのプレー禁止 - 代表監督であったスヴェン・ゴラン・エリクソンの希望には反していたが - が言い渡され、2002年の日本と韓国でのワールドカップ出場を逃すことになった。これらすべてをもってしても、ウッドゲイトの並外れた才能を考えると、どこか不当な扱いを受けてしまったと感じざるを得ない。
ピッチ外で大人の振る舞いができるようになり、ケガの苦しみから脱しつつあるように見える中、ウッドゲイトはシーズンの終わりにスパーズからリリースされると、ストーク・シティの監督、トニー・ピューリスに新たなチャンスを貰った。彼の契約は試合に出場するごとに支払われる仕組み(pay as you play)で、シーズンの終わりに1年間の契約延長オプションが付いているが、これはこのオフで最も抜け目のない契約となる可能性がある。彼は、ライアン・ショークロス、ロベルト・フート、最近加入が決まったマシュー・アップソンからなる鉄壁のストーク・ディフェンスに加わった。スコアレス・ドローに終わった日曜日のブリタニア・スタジアムでのチェルシー戦では、シャープな動きを見せていたフェルナンド・トーレスを巧妙に封じ込め、その圧倒的な才能を垣間見せた。
当然ピューリスはウッドゲイトの出場時間とフィットネスを注意深く管理するだろうし、この先の道はまだ長い。それでも、もしシーズンで合計30試合出場することができ、1年間の延長契約にサインすることができたとしたら、彼は十分にやったと言えるだろうし、プレミアリーグは再びジョナサン・ウッドゲイトの類稀なる才能を堪能する幸運にめぐりあえるだろう。
まさに、「もし」なのだ。
++++
記者はイギリスの人なのかもしれないけど、こんなコラムがアメリカのメディアにしか出ないんだったら勿体ない。スパーズでのキャリアの終わりは本当に惜しいもので、チャンピオンズリーグのミラン戦での途中出場が最後、(少なくともスパーズでのキャリアって意味では)線香花火みたいになっちまった。この途中出場も本当に久しぶりで、スカイの実況が起用への驚きと共に「ジョナサン・ウッドゲイト、フットボールの世界におかえり」と興奮気味に伝えてたのが印象的だった。まだ31、やれるはず。
++(以下、要訳)++
「もし」というのは、誰にとっても大きな質問だ。
ストーク・シティのジョナサン・ウッドゲイトにとって、彼のサッカー人生の中で唯一と言ってもいい質問だろう。選手として必要な要素をほぼすべて持ちながら、それが彼に何ももたらさないというのはある意味残酷なことでもある(それはウッドゲイトに限ったことではない。現在QPRに所属するキーロン・ダイアーも同様の例だ)。ただし、ダイアーの才能には限りがある一方で、ウッドゲイトはケガさえなければボビー・ムーア以来最高のセンターバックになっていたはずだった。
これは大胆な言い方で、誰も断言などできないのだが、もし完璧な守備陣を構築しようとしているのであれば、31歳のウッドゲイトが4人のバックラインにもたらす要素は、まず第一に考えるべき素晴らしいものだ。フィジカル面では彼は大型で屈強だし、スピードと敏捷性を兼ね備え、ゲームを読む力を持っている。それに、ボール捌きも優れたもので、シンプルな配給で見事に仲間を動かして見せる。ウッドゲイトはすべてを持っているのだ。
不運なことに彼には最もタフな敵がいて、この敵にだけは彼も手を焼き続けた。リーズ・ユナイテッドに所属していた頃、彼は6シーズンで104試合に出場したにとどまったが、彼の才能をもってすれば本来到達できるであろうレベルに達するには、フィットしていた時間が短すぎた。デイヴィッド・オレアリーの若いチームが、30年前のドン・リヴィの偉大なリーズに近づき始めると、彼もようやく一人前になり始めた。
役員たちは新監督のテリー・ベナブルズに対して、彼の「王冠の宝石」であるウッドゲイトは売らないと約束していたにも関わらず、その後の財政危機によって、ウッドゲイトも緊急に現金が必要だったクラブのために売られる要員のひとりとなった。クラブのためになることが、選手のためにもなると判断されたのだ。ニューカッスルは1,470万ドルを支払う代わりに将来のスターを手に入れた。
やがてウッドゲイトはリーズで見せていた才能を開花させ、タインサイドでもファンのお気に入りの選手となった。2004年4月にニューカッスルがUEFAカップ・マルセイユ戦で0-0と引き分けた時の彼のパフォーマンスは、ヨーロッパのプレスの間では語り草だ。若き日のディディエ・ドログバを誰も見たこともないような流儀で完璧に抑えた。それは、そのシーズンのあらゆる選手の中でも際立つデフィエンスのプレーであり、相手のマルセイユの監督だったジョセ・アニゴもこの若きデフィンダーが目立っていたことを認めている。「ウッドゲイトの印象は強烈だった。彼は本物のクオリティを持ったディフェンダーだ」。同様に、アーセナルやPSVアイントホーフェンを向こうに回しても同じレベルのパフォーマンスを見せつけ、イングランド代表のセンターバックとなるのは時間の問題だった。彼は24歳にしてその座をつかんだ。
そして、冒頭の2語「もし(What if?)」が出てくるのだ。もし彼が出場28試合に終わったニューカッスルでケガと戦わずに済んでいたら?もしレアル・マドリーに売られた時によりフィットすることができて、2シーズンで9試合以上プレーできていたら?そしてミドルスブラに戻り、3年以上ぶりに代表に呼ばれた時に、ケガでこれを断念せずに済んでいたら?
ウッドゲイトは、2008年の1月にトッテナムに加入し、チェルシーとのカーリングカップのファイナルでは決勝ゴールを決めたが、またすぐに彼のキャリアはケガによって荒廃させられ、その後2シーズンで4ゲームしかプレーすることができなかった。彼のキャリアはいま再び危機に瀕しているのだ。
彼のピッチ外での行いに目をやれば、同情をするのは難しいかもしれない -14歳にして彼の行った暴行に対する警察からの警告を受けると、その後も複数の事件に関与して顎の骨を折ることすらあった。そして、2000年の3月には当時リーズでチームメイトだったリー・ボウヤーと共にリーズのナイトクラブの外で学生を襲撃した罪で起訴された。彼の罪は軽めのものであったが、クラブからはサラリー8週間分の罰金を科され、加えて100時間のボランティア活動と代表チームでのプレー禁止 - 代表監督であったスヴェン・ゴラン・エリクソンの希望には反していたが - が言い渡され、2002年の日本と韓国でのワールドカップ出場を逃すことになった。これらすべてをもってしても、ウッドゲイトの並外れた才能を考えると、どこか不当な扱いを受けてしまったと感じざるを得ない。
ピッチ外で大人の振る舞いができるようになり、ケガの苦しみから脱しつつあるように見える中、ウッドゲイトはシーズンの終わりにスパーズからリリースされると、ストーク・シティの監督、トニー・ピューリスに新たなチャンスを貰った。彼の契約は試合に出場するごとに支払われる仕組み(pay as you play)で、シーズンの終わりに1年間の契約延長オプションが付いているが、これはこのオフで最も抜け目のない契約となる可能性がある。彼は、ライアン・ショークロス、ロベルト・フート、最近加入が決まったマシュー・アップソンからなる鉄壁のストーク・ディフェンスに加わった。スコアレス・ドローに終わった日曜日のブリタニア・スタジアムでのチェルシー戦では、シャープな動きを見せていたフェルナンド・トーレスを巧妙に封じ込め、その圧倒的な才能を垣間見せた。
当然ピューリスはウッドゲイトの出場時間とフィットネスを注意深く管理するだろうし、この先の道はまだ長い。それでも、もしシーズンで合計30試合出場することができ、1年間の延長契約にサインすることができたとしたら、彼は十分にやったと言えるだろうし、プレミアリーグは再びジョナサン・ウッドゲイトの類稀なる才能を堪能する幸運にめぐりあえるだろう。
まさに、「もし」なのだ。
++++
記者はイギリスの人なのかもしれないけど、こんなコラムがアメリカのメディアにしか出ないんだったら勿体ない。スパーズでのキャリアの終わりは本当に惜しいもので、チャンピオンズリーグのミラン戦での途中出場が最後、(少なくともスパーズでのキャリアって意味では)線香花火みたいになっちまった。この途中出場も本当に久しぶりで、スカイの実況が起用への驚きと共に「ジョナサン・ウッドゲイト、フットボールの世界におかえり」と興奮気味に伝えてたのが印象的だった。まだ31、やれるはず。
Subscribe to:
Posts (Atom)









