Saturday, February 9, 2013

リバプールを去るジェイミー・キャラガー

先日、今シーズン限りの引退を発表したジェイミー・キャラガーは、最近では数少なくなった、クラブ一筋の選手。リバプールの下部組織で育ち、97年のデビューから700試合以上に出場してきた。そんな彼の引退を寂しく思うのは、リバプールのファンだけではないだろう。

ここで紹介するのは、BBCのフットボール主幹を務めるフィル・マクナルティ氏の手記。


++(以下、要訳)++

コップは「キャラガーたちのチーム」という夢を歌にしてしまったが、今シーズンが終わればリバプールは彼らの唯一の存在がいない日々に慣れていかねばならない。

世界のレッズのサポーターたちがキャプテンのスティーブン・ジェラードを代えの利かない存在だと考えているのなら、監督のブレンダン・ロジャースは、キャラガーが今季限りで引退した後には、この35歳が残す穴を埋めるのは如何に難しいかを実感するだろう。

ジェラードとキャラガーはこのコスモポリタンなご時世に、リバプールにおけるリバプール出身の双子のシンボルともいうべき存在であり続け、アンフィールドの波乱と変革、そして輝かしい成功の時代のチームとテラス席との直接的なつながりであった。

ディレクターのイアン・エアの言葉を借りるなら、キャラガーの「リバプール・フットボール・クラブの壮大なる象徴」という地位には、彼が狂信的なエヴァートン・ファンとして育ち、1994年にアンフィールドの育成組織にやってきた、という皮肉の意味合いが込められている。

しかし、このモデルとなるプロフェッショナルで、際立った存在のディフェンダーは永遠にリバプールのものであり、クラブも彼にプレミアリーグ以外の全てのタイトルをもたらしてきた。

キャラガーによる引退の発表は、彼のやり方通り、典型的に利他的なもので、自分の将来を明確にすることにより、ブレンダン・ロジャースに次の手を常時考えられる時間を与えることになった。ロジックは単純明快で、決断したのなら、なぜタイミングをはかるのだ、ということだ。

その発表は、キャラガーが最近のリバプールにもたらしてきた価値を再度示した1週間後だった。FAカップでリーグ・ワンのオールダムに敗れた大混乱の後、アーセナル戦とマンチェスター・シティ戦で戦列に加わって安定感と秩序を回復させたが、それはキャラガーがキャリアを通じてしてきたことでもあった。

この両試合でリバプールは引き分けたが、彼は組織と厳しい決意、そしてピッチ内外で蓄積してきた処世術を持ち込み、ロジャースの最早キャラガーを使わずにはおれない、という主張も実証することとなった。それは、過小評価(アンフィールドではそうでない、と強調したい)されてきたこの選手とその個性がリバプールにもたらしてきたものの新たな実例でもある。

キャラガーはしばしば気のない褒められ方をしてきた。2005年のイスタンブールでハーフタイムに0-3とされながらPK戦の末ACミランを下して勝ち取ったチャンピオンズリーグの試合の輝かしい瞬間に代表される、汗をかき、叫び声を上げながら最後の1枚のタックルに身を投げ出す姿は、彼の守備の時の準備や申し分のない試合を読む力、完璧なタイミングのタックル、そして彼が示してきた威厳を決して隠すことはしない。もしかすると、最も重要なことは、彼がエリア内や付近での危険を察知する能力に非常に長けていたことなのかもしれない。その能力は値段のつけようもない。

キャラガーにとって、リバプールでのキャリアの始まりは簡単なものではなかったかもしれない。1997年3月にホーム・デビューとなったアストン・ヴィラ戦で珍しいヘディングでのゴールをコップの前で決めたとはいえ、アンフィールドのサポーターの厳しい一面も感じたこともあっただろう。

彼が真に花開いたのは、彼の完璧なメンターで、フットボールの理解への渇望を満たし、キャリアを通じて活きたプロ意識を植え付けたジェラール・ウリエの下でだった。その理解への意欲は現在でも生きていて、それは解説者への道を広げるだろうし、メディアのそうしたポストも彼のデータベースを欲しがっている。その物言いは典型的にダイレクトであり、かつ鋭い洞察と分析を伴ったものになるはずだ。

ウリエは、キャラガーがやがてセンターバックとしての地位を確立するまで、左右のサイドバックとしてしばしば起用した。そして、リバプールがワージントンカップ、FAカップ、UEFAカップを制してトレブルを達成した2001年シーズンのように、名誉はやがて付いて来始めた。

リバプールが、2007年2月のカンプ・ノウでのバルセロナ戦、2008年3月のサン・シーロでのインター・ミラン戦、2009年2月のベルナベウでのレアル・マドリッド戦など、海外での偉大なる勝利を挙げる時には、キャラガーは常にその中心にいた。

キャラガーはラファエル・ベニテスのプランの中心であり、昨シーズン2度目の監督就任となったケニー・ダルグリッシュにも重用された。彼の1年間の契約延長を望んでいたロジャースも、当初はダニエル・アッガーとマルティン・シュクルテルを好んで使っていたが、キャラガーを呼ばずにいるのは不可能だと気付いた。

キャラガーが他の場所でフットボールを可能性はこれまで皆無だった。驚きがあるとすれば、彼がリバプールのコーチング・スタッフに加わらないことくらいだろう。彼自身が今はそのタイミングではない、と判断したようだが、やがてはその時がくるはずで、リバプールのメルウッドのトレーニング本部にも両腕を広げての歓迎を受けることだろう。

キャラガーのイングランド代表でのキャリアは、ジョン・テリー、リオ・ファーディナンド、ソル・キャンベルといったディフェンダーたちの陰に隠れがちだったが、それでも38キャップを刻んでおり、前監督のファビオ・カペッロにも高く評価されていたことは、代表を引退していた2010年に南アフリカでのワールドカップのために復帰を説得されたことからも分かる。そして、キャラガーへの信頼感や彼の能力が、前述の3人を上回った時期があってもおかしくなかった、という意見は数多くある。

引退の発表以降、彼の仲間からの賞賛や尊敬の言葉が相次ぎ、イアン・キャラガンに次ぐリバプールでの出場試合数723は、タイトルを獲得する以前からの彼の能力の何よりもの証明だ。

5月19日のアンフィールドでの最終戦となるQPR戦までのキャラガーのセンチメンタルなお別れツアーを期待している者は、もう一度考えるべきだろう。キャラガーは、自分の今後についての発表をいったん忘れ、トップ4入りの可能性を上げることと、恐らく最後のひとつのトロフィー、ヨーロッパローグを勝ち取ることに集中しているはずだ。

良いことにも全て終わりがある。そして、ジェイミー・キャラガーは、リバプール・フットボール・クラブにとっても、フットボールそのものにとっても非常に良き存在であった。

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サイドバックの印象が強かったキャラガーがこうした形でセンターバックとしてレジェンドになるとは全然思ってなかったけど、こういう選手の存在は、結びにもある通り、フットボールにとっても良き存在だと思う。

だからこそ、リバプールのファンも「キャラガーたちのチーム」を夢見たんだろうな、と。以下は、出だしに記述のあった、その"We All Dream of a team of Carraghers"のチャント。



We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
Number 1 is Carragher, Number 2 is Carragher, Number 3 is Carragher, Number 4 is Carragher,
Carragher!!

We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
Number 5 is Carragher, Number 6 is Carragher, Number 7 is Carragher, Number 8 is Carragher,
Carragher!!

We all dream of...

・・・延々続くわけですね。
チーム全員キャラガー!!それを夢見てもらえるってのは、やっぱレジェンドよね。