Saturday, June 18, 2011

フットボールにおけるデータ革命

訳書が隠れた人気で日本でも知名度の高いサイモン・クーパーは、イギリスの経済紙『ファイナンシャル・タイムス』のコラムニストで、普段はサッカー以外のコラムも書いている。


この6月17日付の記事のテーマは、フットボール界において、データが果たす役割がいかに大きくなってきたかについて。

++(以下、要訳)++

マンチェスター・シティの練習場を訪れた時に、パフォーマンス分析のトップであるギャビン・フレイグに会った。彼の名前を聞いたことがある人などいないだろうが、彼はフットボール界におけるデータ革命の第一人者である。人々の視線に触れることはないが、こうしたデータは、クラブの決定、特に誰を買い、誰を売るのかという決断に大きな影響を与えている。

この専門チームの手法はさながら投資銀行であるが、シティはプレミアリーグに所属する全選手のデータを獲得している。フレイグは「中盤のアタッカーの獲得を考えているとしたら、どのMFが80%以上のパス成功率を持つか、簡単に調べられる」と語る。検索の結果はどうか。スティーブン・ジェラードやセスク・ファブレガスはデータが無くとも容易に想定できるが、ケヴィン・ノーランという意外な顔も出てくるのだ。これだけですぐに契約しようとは思わないだろうが、注視しようという気にはなるだろう。

他にもフレイグは、「トップ4はアタッキング・サードでのパス成功率が高い。カルロス・デヴェス、ダヴィド・シルヴァ、アダム・ジョンソン、そしてヤヤ・トゥーレの獲得後、直近の半年だけでもシティのこの値は7.7%改善も改善した」と述べている。ちなみに、シルヴァは誰よりもこの値が高い。ただし、同時にフレイグは、必ずしもデータで選手獲得が加速したわけでもない、と念を押してもいる。

PCの到来以来、データを選手の判断に使おうと試みるパイオニアは何人かいたが、それはやがてアーセナルで指揮を執る当時ASモナコのアーセン・ヴェンゲルや、ディナモ・キエフのヴァレリ・ロバノフスキといった監督たちだ。経済学の学位を持つヴェンゲルは、モナコ時代から友人が開発したTop Scoreというシステムを愛用しており、試合の翌朝はほぼ中毒状態で分析をし、エクセルにまとめていた。例えば、2002年にデニス・ベルカンプを試合終盤で交代させるようになり、これに不満を表した時のことをベルカンプはこう振り返っている。「ヴェンゲルは『見ろデニス、70分以降、君の走る距離は短くなり、スピードも落ちているだろう』って言うんだ。彼はフットボールの教授だよ」

ウェストハムの監督に就任するサム・アラーダイスは、その新石器時代的な見かけによらずデータ重視だ。アラーダイスは、選手としてフロリダのタンパ・ベイで1年間プレーしてたことがあり、ここでアメリカのスポーツがいかに科学とデータを活用しているかに魅了された。1999年にボルトンの監督になった際、彼はベストな選手を獲得することはできなかったが、良い統計専門家たちを雇った。そこでは、「1試合の間にボールはチーム間を試合に約400回行き来する」ということが分かった、とアラーダイスのもとでフットボールの分析を始め、現在はチェルシーで辣腕をふるうマイク・フォードは語る。これを受けてアラーダイスは、攻守の切替えの早さに厳格になり、ボールを失ったらすぐにディフェンスのポジションにつくことを強く求めるようになった。

より具体的な例としては、統計を分析した結果、アラーダイスはより簡単にゴールする方法に行き着いた。コーナー、スローイン、フリーキックなどのセットプレーである。同じくアラーダイスの門下生だったフレイグはボルトン時代を思い返し、「当時のボルトンはゴールの45~50%をセットプレーであげていた。リーグ平均は3分の1くらいなのに対してね。ディフェンダーがロングスローをクリアしたら、ボールはどこに行くか。我々はそれを分析して、そこに人を置いたんだ」と語っている。


2003年に出版されたマイケル・ルイスの『マネーボール』は、フットボール界のデータ革命をより推し進めることになった。これは、メジャーリーグのオークランド・アスレチックスのGM、ビリー・ビーンが統計を用いた新たな選手評価手法を描いたものだ。リバプールの新たなオーナーになった、ジョン・ヘンリーが所有するボストン・レッドソックスもこのメソッドを参考に2度ワールドシリーズを制した。

前出のマイク・フォード(元ボルトン、現チェルシーのデータ分析担当)は、ビーンの出身地であるサンディエゴで学んでいた。彼はオークランドに出向いてビーンにデータの使い方についての教えを乞うなど懇意になった。さらには、アーセン・ヴェンゲルの補佐(スカウト)をしていて、2005年にトッテナム・ホットスパーのフットボール・ディレクターに就任するダミアン・コモッリともここで出会っている。

コモッリのスパーズでの3年間は、データ革命初期の苦闘の記録でもある。英国のフットボール界は、いつだって教育された人間を疑いの目をもって見てきた。プロ経験のないフランス人がエクセルの表を片手に何を言おうと、説得するのは簡単ではなかった。実際、ルカ・モドリッチ、ディミタール・ベルバトフ、エウレーリョ・ゴメス、そして当時17歳のギャレス・ベイルを連れて来はしたが、やがて自身はクラブを追われている。

こうした例は、現場の監督自身がデータを信用したクラブ(アーセナルやボルトン)によってこの革命がリードされたことを裏付けている。ボルトンが2004年に34歳になるギャリー・スピードを雇ったのも、「年をとり過ぎているとも言われたが、フィジカルのデータが若手に匹敵していたし長年安定したパフォーマンスをしていたから」とフレイグは語る。実際、彼は38歳までプレーした。

しかし、実際にデータを分析している本人たちは、データは選手に関する決断をサポートこそすれ、決定することはできないことを理解している。2004年にヴェンゲルがパトリック・ヴィエラの後継者を探していた時、ヨーロッパの他リーグのデータをあたり、当時マルセイユに所属していた無名のティーンエイジャーで、1試合に14km走るというマシュー・フラミニを発掘した。ヴェンゲルは、それだけでは足りないと考え、実際のフットボールができるのか、正しい方向に走っているのかをよく吟味した上で、格安でフラミニを獲得した。

逆に、数字でなく直感に頼ったクラブが苦しむケースも出始めている。2003年にレアル・マドリーはクロード・マケレレを1,700万ポンドでチェルシーに売った。これは控え目な30歳のディフェンシブ・ハーフには巨額だとみなされ、会長のフロレンティーノ・ペレスは「マケレレを懐かしく思うことはない。テクニックは平均でスピードも無い。相手に渡ったボールを奪うスキルも無いし、パスの9割はバックパスかサイドへのパスで、3メートル以上のパスなんて稀だ。若手がマケレレの記憶なんて一掃するさ」と言い放った。

ペレスの批評は完全に間違っていたわけではないが、レアルは大きな過ちを犯した。マケレレはチェルシーで素晴らしい5シーズンを過ごし、『マケレレ』という新たなポジションができたほどだった。もしレアルが数字を見ていたならば、何がマケレレを際立たせていたのかを知ることができていたかもしれない。フォードは「大抵の選手は、相手ゴールに向かう時に高負荷の運動をし、反対の選手は少ない。しかし、マケレレの場合、高負荷の運動をしている時間の84パーセントは相手ボールの時であり、この数字はチームの他のメンバーの倍だった」と説明してくれた。試合を見れば、マケレレを懐かしく思うはずだ。データをみれば、彼はそこにいたのだから。

2000年代も半ばにさしかかると、これまで重視されてきたデータが使い物にならないことが分かったりもしてくる。クラブが選手を評価するのに使っていたパス、タックル、走行キロ数などは、今ではテレビでもよく目にするが、ほとんど意味を成さない。フォードはかつてキロ数を追っていたことを思い出しながら、「総走行キロ数と勝利に相関があるかと言えば、答えはいつだってノーだ」と述べている。

同じことはタックル数にも言える。典型的におかしな例が、偉大なイタリア人ディフェンダー、パオロ・マルディーニのケースだ。フォードは「彼は2試合に1度しかタックルをしなかった」としょぼくれた様子で言ったが、つまりはポジショニングが素晴らしくて、タックルをする必要が無かったのだ。

サー・アレックス・ファーガソンが、2001年の8月にヤープ・スタムを突然ラツィオに放出したのは、当時発売されたスタムの自伝が原因ではないかと言われた。真実は自伝が原因でなく、タックル数の減少というデータにも端を発していた。タックル数が減っていたため、当時29歳のスタムは衰え始めていると判断され、売られた。しかし、ファーガソンは、それが誤っていたことを後に認めている。実際のところスタム全く衰えてはおらず、ファーガソンは誤ったデータを分析していたことになる。イタリアでの数年間の素晴らしい活躍はそれを証明するものだ。それでもこの事例は、いかに移籍がデータによって決まってしまうものかを端的に語っていよう。

フォードは「ボルトンでは多くのミーティングに出た。それをいま思い返してみると『うわ、無関係なデータでチームを壊してたものだ』と思う。もっと重要なものに目を向けているべきだった」と回顧している。


同じことがまた起こり始めていて、膨大な統計が着目すべき数字を見えにくくするケースもある。しかし、統計はフットボールの世界の共通言語についての論議を呼ぶこともある。例えば、多くのクラブは総走行距離の代わりにトップスピードで走った距離に着目している。2008年に、ACミランでアスレチック・コーチを務めるダニエレ・トニャチーニは「スプリント回数と勝利には相関がある」と私に語ってくれた。

フレイグが選手の高負荷での結果を重視するのもこのためだ。彼は、「このデータは会社によって解釈が異なる。しかし、これは究極的には秒速7メートルに到達する能力を考慮していれば、ユベントスは1999年にアンリをアーセナルに売る過ちは犯していなかった。アンリにとって、秒速7メートルはお手のもの、走ればいつだってそのスピードに達していた」と語る。同様に大事なのは、繰り返しスプリントを行う能力であり、シティはカルロス・テヴェスにはこれを90分以上にわたってやれると分析している。

昨年の秋に新たに統計を重視するクラブとなったのが、リバプールだ。ボストン・レッドソックスのオーナーであるジョン・ヘンリーは、2002年にビリー・ビーンを雇おうとしたことがあるくらいだが、彼はリバプールを手中に収めると、さっそくビーンの盟友とも言えるコモッリを雇い、「サッカー版マネーボール」をさせようとしている。

アンフィールドに職を得たコモッリは、しばしば5,000キロの彼方にいるマネーボールの父と会話を交わしている。ビーンに言わせれば、「あいつ(コモッリ)にはいつでも電話できるし、メールを送れば向こうが夜中の2時だって起きている。そして返事の中では『いまアスレチックスの試合観てるよ』と言ってくる。彼はPCで観れるからなんだが、要するにコイツは眠らないんだ」ということらしい。コモッリはリバプールで大きな力を持っていて、アンディ・キャロルとルイス・スアレスを合計6,000万ポンドで獲得したのも、データに導き出された結論だという。

アスレチックスでディレクターを務めるファハーン・ザイディはMITの経済学の学位を持つが、彼は野球で起きたデータ革命がもたらしたものを理解しており、同じことがサッカーに起こると考えている。「野球の世界でも、10~15年前には考えもしなかった方法で選手を分析している」


古代の戦いにおいても、アスリートたちに最後に復讐をしたのはオタクたちであった。

Saturday, June 11, 2011

イングリッシュ・プレミアムとリバプールの補強

ジョーダン・ヘンダーソンやフィル・ジョーンズの移籍金高騰は、”イングリッシュ・プレミアム”とも言われ、FIFAによる自国重視を促す決定が、イングランド籍の若手選手の価格高騰を招いている、と「ガーディアン」紙のマット・スコット記者は指摘している。


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マンチェスター・ユナイテッドとリバプールは、FIFAとUEFAの新ルールによって、フィル・ジョーンズとジョーダン・ヘンダーソンへのオファー価格を上げることを強いられた。10年も前であれば、2人を獲得するのにかかった1,600万ポンド、2,000万ポンドという値段は記録破りであったはずだが、今では合計3,600万ポンドでイングランド代表キャップはわずかにひとつだ。

イングランドでは、若手イングランド人選手にはプレミアムが付く。FIFAが「18人のメンバーのうち、9人は自国で育った選手でなければならない」というシステムを適用しようとしているから、というのがその説明だ。FIFAでは、この案が賛成で採決され、今はかつてのFAの会長であるジェフ・トンプソンが各国協会やクラブ協会等と話し合いを進めている。トンプソンは、「6+5コンセプト」(メンバーのうち6人は自国出身の選手を送り出す)をベースに解決策を見出そうとしていたが、これは各クラブの反対、もっと言えば、国籍で選手を規制することを認めないEUの反対で日の目を見なかった。EUとの妥協案は、「25名の登録メンバーのうち、8名を自国育成の選手とする」というものだった。

現在までのところは、FIFAによる若手選手育成のための規制は、各クラブの選手選考に大きなインパクトをもたらしてはいないが、FIFAの考える通りに議論が進むならば影響が出始めるし、数年後には運用される見込みだ。ヘンダーソンやジョーンズの値段が高騰するのも道理だろう。

次に大金でオールド・トラフォードに移るのはアシュリー・ヤングになるだろう(彼は既に25歳で15キャップを持つが)。ヤングがそれを真剣に考えているということは、今日予定されていた結婚式をキャンセルしたことからも窺い知れる。おそらく、今頃メディカル・チェックに臨んでいるのだろう。

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このヘンダーソンの移籍に関連して、同じ「ガーディアン」紙のアンディ・ハンター記者もリバプールの将来的な補強ポリシーが見て取れる、と指摘している。


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6カ月足らずの間に、5,500万ポンドもの大金が、アンディ・キャロルとジョーダン・ヘンダーソンを連れてくるために費やされた。新オーナーのフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)とフットボール・ディレクターのダミアン・コモッリの下で、高価なギャンブルをやめて原石の発掘に動き出そうとしている。

ヘンダーソンの2,000万ポンドという値段は、もうひとつの入札者であるマンチェスター・ユナイテッドには支払える額でなかったが、リバプールはフィル・ジョーンズ、アシュリー・ヤングの獲得でユナイテッドに対して劣勢である以上、支払う必要があった。

リバプールは、FSGがターゲットとする新進気鋭のイングランド人選手を引き付けるチャンピオンズリーグを戦うことができない。ジョー・コール(週給10万ポンド)やミラン・ヨヴァノビッチ(週給12万ポンド)に支払うサラリーを見れば、良い給料を払うことができることは分かるが、移籍マーケットにおいて優先権を持つクラブでないのだ。サー・アレックス・ファーガソンが言うように、80年代はリバプールの時代、今はマンチェスター・ユナイテッドの時代であり、ジョーンズやヤングの選択もそれを証明している。

FSGには、リバプールの将来について明確な戦略があるが、選手が獲得可能な時には移籍金や給料について吟味している余裕はない。近年は、この点についての曖昧なスタンスがクラブに大きなダメージを与えてきた。元監督のラファエル・ベニテスが、ネマヤ・ヴィディッチやフローラン・マルーダへのオファーを用意しながら、より高額な移籍金でそれぞれユナイテッドやチェルシーに加わっていくのを見て、当時のオーナーに対して指摘していた点でもある。

少なくとも、トム・ヒックスとジョージ・ジレットによる負債にまみれた時代を抜け、今のリバプールはFSGのもとで投資をしていく立場にある。イングランド代表のセンター・フォワードと中盤を少なくとも10年早く5,500万ポンドで獲得する方が、投資家からの感謝されるより遥かにマシなのだ。

ヘンダーソン、キャロル、そしてわずか半年で2,280万ポンドの投資の健全さを証明したウルグアイ人ストライカーのルイス・スアレスがアンフィールドにいることは、リバプールが一貫してクラブを再建し、チャンピオンズリーグの舞台に戻る考えをもっていることを示している。ジョーンズやヤングを獲得できないことは、ケニー・ダルグリッシュにとっては後退を意味するが、彼にはバーミンガム・シティのスコット・ダンやアストン・ヴィラのスチュワート・ダウニング、イプスウィッチのコナー・ウィッカム、ブラックプールのチャーリー・アダムといった代替案があり、オーナーたちもこれを支持する姿勢を見せている。

アダムへの関心が再燃する以前から、リバプールの中盤は人員過剰気味だ。クリスティアン・ポウルセンはチームへの残留を希望しているし、ユヴェントスからの600万ポンドでのアルベルト・アクィラーニへのオファーも、真剣には検討されていない。アクィラーニの代理人は、ミランからのアプローチについても否定している。リバプールは、この夏にこの両選手だけでなく多くの選手を売る必要があるだろう。それでも、こうした選手の売却が決まる前に2,000万ポンド級の選手を獲得できるようになったことが、リバプールにとってはひとつの前進なのだと言える。