++(以下、要訳)++
新しくスマートなオックスフォードとケンブリッジの濃淡の青を身にまとって現れた彼らは、金曜の夜の試験を何のトラブルもなくやり過ごした。遂に実現したモダンで合理的な4-2-3-1への適応は、信頼性のある守備と柔軟性のある攻撃をもたらし、いつもと変わらぬ平凡な相手から常時主導権を握り続けた。
スタジアムでは発煙筒や花火が焚かれ、ブルガリア人をオスマン・トルコから解放した19世紀の英雄をあしらった横断幕が掲げられたが、数千にのぼる空席が実際の熱狂度を語っていた。ローター・マテウスのチームは、1年前にウェンブリーで敗れたスタニミル・ストイロフ時代から何の改善も見せなかった。
ソフィアのヴァシル・レフスキスタジアムには、フリードリヒ・シラーの語録である「戦う時こそ真の男」という言葉が、元々のドイツ語と翻訳のブルガリア語で掲げられている。おそらく、この18世紀の哲学者の言葉でファビオ・カペッロ率いるイングランドにより関連があるのは、「暴君の権力には限界がある」の方だろう。
カペッロは、どちらかというと各イベントを仕切るよりも、そこに雇われるタイプの人間だが、3年半前のイングランド代表就任時に求められていたのは、仕切り屋だった。現在の才能ある若手登用の流れは、彼が強いられた類のものであるが、金曜の夜を見る限り、彼はそれを最大限利用したように思われる。
彼が選んだメンバーは興味深いものだった。伝統的なセンターフォワードや守備的な中盤は置かず、先発にフランク・ランパードの名前は無かった。徐々に、徐々に、ではあるが、古い世代は陰へと追いやられ始めているのだ。リオ・ファーディナンドの背番号5はギャリー・ケーヒルが着け、このボルトン・ワンダラーズ所属のディフェンダーは、4キャップ目をセットプレー後に混乱する相手ディフェンスを尻目にゴールキーパーの股を抜く自身のゴールで祝った。
そしてセンターフォワード無しとは一体何だったのか?ケーヒルのゴールの6分後にはウェイン・ルーニーが、代表での1年ぶりのゴールを右コーナーキックからのヘディングで決めた。こんな荒らしい場面は今では伝統的なものだが、おそらくナット・ロフトハウスは誇りに思うだろう。前半終了間際にはイングランドの3ゴール目を奪った。
3点をリードしたイングランドのパフォーマンスの中で戦術的に興味を引いたのは、テオ・ウォルコット、アシュリー・ヤング、そしてスチュワート・ダウニングがルーニーの後ろのラインで自由なポジションチェンジを許されていたことだろう。ピッチを駆け回るように、3つのポジションを順々に入れ替わっていた。ギャレス・バリーとスコット・パーカーが後ろに控えていたことで、このクリエイティブなトリオは、ディフェンスのことを気にかける必要はほとんどなかったし、バリーとパーカーの2人は創造性を発揮する負担を感じずに済んだのだ。
3点目は、ウォルコットが右サイドから中に切り込み、外のヤングに開いたパスを、ヤングが絶妙なクロスでルーニーに折り返したものだが、これはブルガリアのディフェンスの欠陥を更に曝すことになった。しかし、自信に満ちた滑らかな展開は印象的で、イングランドはかなり前掛かりだった。
ブルガリアを下した昨年の代表デビューからの1周年を翌日に控えていたケーヒルは、ハーフタイム前にはいくつかの決定的なディフェンスで貢献したが、この日のチーム最年少だった21歳のクリス・スモーリングは、いくつかの不安定さと右サイドバックでの経験不足を露呈し、逆サイドからのクロスがマルティン・ペトロフに渡って危険な場面を招いた。
後半のイングランドはいつもの効率性の問題が顔を出し、集中していればスコアを倍にもできたはずだったが、それでもこの日のイングランド代表はアウェーの地でホームではできないようなポジティブなフットボールを展開した。ウェンブレーで迎えるウェールズ戦は、このムードを維持できるかどうか、もっと言えばカペッロの影響力の深さの興味深いテストとなるだろう。
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