Saturday, August 17, 2013

2013/14シーズンのプレミアリーグも魅力溢れるものになるか?

新シーズンの開幕も目前。今季の変わった所と言えば、昨季の上位3クラブが、それぞれ事情は異なるものの、いずれも新監督を迎えているところ。そうした背景が、今季のプレミアリーグを面白くするかどうか、という観点から、「BBC」のフットボール主幹であるフィル・マクナルティ氏が記事にしている。


++(以下、要訳)++

プレミアリーグの序列は、昨季マンチェスター・ユナイテッドがマンチェスター・シティから王座を奪い返し、チェルシーが3位に入った形で固いものになったと思われた。

仮にいつもの順番が戻ってきていたのだとしても、プレミアの裏舞台での力関係の入れ替わりは、新たなシーズンで順位表の上位側に広がる巨大な不確定要素をもたらしている。

上位3クラブすべてが新監督を迎えている、という状況が、プレミアの歴史の中でも最もシーズンの行方の予想を難しいものにしている。

賢明な投資は、慣れ親しんだ面々が上位に来ることを予想するだろうが、オールド・トラフォード、エティハド・スタジアム、スタンフォード・ブリッジの全てに「新監督」の看板がかか

っている状況では、最終的にどこに賭けるかを決めるには、危険が付きまとうだろう。

マンチェスター・ユナイテッドの13度目のプレミア制覇での大騒ぎは、ほどなく26年の任期を経てのサー・アレックス・ファーガソン衝撃の退任で影を落とした。自らが同郷のスコットランド人であるデイビッド・モイーズを後任にエヴァートンから引き抜いたことから、一定の影響力が続くとしてもだ。

この刷新された監督勢力図に加わるのがマヌエル・ペジェグリーニだ。彼は、ロベルト・マンチーニの嵐が去った静かなマンチェスター・シティに招かれた。この舞台は、ジョゼ・モウリーニョがチェルシーに復帰したことで、一層の輝きが増している。

蓋を開けてみなければ分からない運気に加え、カギとなるのは彼ら新監督がいかに早く新たな環境に適応できるかだ。チェルシーに復帰したモウリーニョの場合には、かつて成功した古巣でどれだけ上手くチームを掌握するか、ということになる。

近づいている新シーズンで、これらのライバル関係はどんな様相を呈すだろうか?ファーガソンという要素の消失には、どれだけのインパクトがあるだろうか?

モイーズは同業の他の監督たちにもその働きを認められている。グッディソン・パークで11年の長きにわたってふるった敏腕で、エヴァートンをトップ10クラブに定着させた。

トロフィーは勝ち取れず、ヨーロッパでの成功にも縁遠かったかもしれないが、彼が抱えていた財政面での制約を考えれば、仕事は上出来だったとみなせるだろう。

オールド・トラフォードでは6年契約という期間を与えられたとはいえ、どれだけエヴァートンでの仕事で準備を重ねたとしても、モイーズにはマンチェスター・ユナイテッドでの圧倒的なスケール、そして即座の要求に応えるための準備はできなかったはずだ。

ファーガソンは、不満を抱えたウェイン・ルーニーという毒の杯を残していった。そして、ユナイテッドが長年抱える中盤真ん中の脆弱さも克服しなければならない。

日程的にもモイーズにはタフなスタートとなりそうだ。スウォンジー・シティとの開幕戦の後には、オールド・トラフォードにモウリーニョのチェルシーを迎え、そこにアウェーでのリバプール戦が続く。アウェーのリバプール戦というのは、彼が一度も結果を出せず、エヴァートン時代にはほぼ毎回惨めな思いをしてきた。

しかしながら、逆にこれは彼が、彼以上の名将を偉大なファーガソンの後任に望んだあらゆるユナイテッド・ファンに良い第一印象を与えるチャンスでもある。

過去長年にわたって、モイーズはモウリーニョと良好な関係を維持してきており、チェルシーのあからさまなルーニー獲得に向けた動きがあるとはいえ、それは維持されてきていると思われる。

しかし、今季ユナイテッドとチェルシーが持つであろうライバル関係は、それぞれのパーソナリティにも奇妙な影響を与えるかもしれない。

アーセナルがやがて脅威でなくなるまでの間のファーガソンとアーセン・ヴェンゲルとの間の憎悪を覚えているだろうか?ラファエル・ベニテスの下でリバプールが厄介な存在になる前の、ファーガソンとベニテスの短い親愛の時期を覚えているだろうか?

モイーズとモウリーニョの間には何の憎悪も生まれないかもしれないが、それでも激しい戦いになることは間違いない。

モイーズにユナイテッドで挑戦が待ち受けるとすれば、それはここまで穏やかなチェルシーでのモウリーニョも同様だ。

かつての「スペシャル・ワン」は若く好戦的なスタイルでチェルシーにタイトルをもたらし、やがてオーナーのロマン・アブラモヴィッチとの関係を冷え込ませていったかつての自分自身と比べて、より賢明で成熟した存在に自分を見せようと躍起になっているようだ。

彼は、前回の任期後のインター・ミラン、レアル・マドリッドでの経験が、彼をより融和的でチェルシーでの仕事に集中する存在にしてプレミアリーグに戻した、と世界に知らしめたいのだ。

しかし、今のモウリーニョには怒りの材料も無く、論争を呼ぶ決断を下す場面も訪れてはいない。静かなモウリーニョは、嵐のモウリーニョの前の姿に過ぎないのだろう。

この誇り高い、敢えて言うなら自惚れの強いモウリーニョは、2度目のチェルシー時代も、最初の任期並みに成功できなければ気が済まないだろう。もちろん、チェルシーも彼の不在時にFAカップ、チャンピオンズリーグ、ヨーロッパリーグ、と軽視できないタイトルを獲得してきており、モウリーニョともいえど、クラブが膝を付いて迎え入れたわけではないのだ。

ユナイテッドでのモイーズ、チェルシーでのモウリーニョとは違った形でこの舞台に招かれたのが、温和で落ち着きのあるマヌエル・ペジェグリーニだ。来月60歳になるこのチリ人が、マンチェスター・シティの新監督だ。

ペジェグリーニは、何かと対立を呼ぶマンチーニを44年ぶりのタイトルをもたらした12ヵ月後に解任したシティが取り組む「総括的な」新政策の象徴だ。

マンチーニ時代の難点は、落ち着きの無いドレッシング・ルーム、そして常にチームを覆っていたネガティブな雰囲気だった。それでも、多くのシティ・ファンは、マンチーニの退団を残念に思う気持ちを明確にしていた。マンチーニは、彼らにとってはトロフィー、誇り、信頼を取り戻した存在であり、もっと良い扱いを受けて然るべきだと考えたのだ。

しかしながら、ペジェグリーニは冷静で威厳のあるキャラクターであり、その名手と言われたファーガソンでも大げさだと後に認めた激しい舌戦、所謂「駆け引き」に巻き込まれるような可能性はほとんど無いだろう。

彼には既に9,000万ポンドの資金が支援され、アルバロ・ネグレド、ヘスス・ナヴァス、フェルナンジーニョ、そしてステファン・ヨヴェティッチを獲得している。

また、シティはマンチーニのタフな物言いに不満を抱いていたゴールキーパーのジョー・ハートやキャプテンのヴァンサン・コンパニらの復活にも期待を寄せている。

中にはペジェグリーニがスペインで主要なトロフィーを勝ち取れなかったことを指摘する向きもあるが、指導者の世界でこれだけの尊敬を集める男に対しては不当なものだといえる。

2006年にヴィジャレアルをチャンピオンズリーグの準決勝に導き(アーセナルに敗れた)、昨季はマラガを率い、終盤の2ゴールでボルシア・ドルトムントに敗れたものの、同じ舞台にあと一歩まで到達していた。いずれも深刻な財政難の中での偉業だった。

ペジェグリーニが志向するのは、魅力的な攻撃フットボールだ。レアル・マドリッドでの任期は僅か1年で終わったが、内情を知るものに言わせれば、彼に不足があったのではなく、クラブの絶え間ない「ギャラクティコ」政策の被害者だったのだ。彼がカカやカリム・ベンゼマの獲得を求めるようなことは決して無かった。

彼の経歴を評価するのであれば、こうした文脈を理解しなければならない。

ペジェグリーニはモイーズやモウリーニョの挑戦から逃げるようなことは無いだろうし、またも無冠に終わったアーセン・ヴェンゲルも巻き返しを期している。

深謀は他の場所にもある。アンドレ・ヴィラス・ボアスは、チャンピオンズリーグ出場権を逃したとはいえ、スパーズでの最初のシーズンで残した好印象に上乗せができるだろうか?リバプールのブレンダン・ロジャースは、FAカップをウィガン・アスレティックで制したロベルト・マルティネスを新監督に迎え入れた地元のライバル、エヴァートンを上回れるのか?

それでも、全ての目線は、頂上での争い、そしてオールド・トラフォード、エティハド・スタジアム、そしてスタンフォード・ブリッジで監督室の席に着く男たちに向けられることだろう。

Friday, August 16, 2013

アレックス・ファーガソンからイングランド・フットボールへのラブレター

昨季限りで勇退した、前マンチェスター・ユナイテッド監督のアレックス・ファーガソンが、プレミアリーグ開幕を控え、彼が感じているイングランドのフットボールへの愛情を語る公開書簡を綴った。記事にしているのは、ファーガソンに関するエッセイも数多い、「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター記者。


++(以下、要訳)++

サー・アレックス・ファーガソンが、イングランドのフットボールへの示唆に富んだ惜別のラブレターを書き上げ、プレミアリーグによって公開された

ファーガソンは、27年の任期で13のプレミアリーグタイトルを獲得した後に引退し、その発表は1時間の間に140万ものツイッターでの書き込みを呼び込んだ。

ソーシャル・メディアからスタジアム、そしてマーケティングからグッズ販売、そしてコスモポリタンなドレッシング・ルームから膨らみ続ける放映権収入・・・、フットボールの世界は、1986年11月6日のファーガソンの就任以来、その認知を大きく変えてきている。

92年以降、プレミアリーグの見出しが他を圧倒するようになるのを助けた。91/92シーズンのオールド・トラフォードの平均観客数は42,061人だったが、これが昨季には当時比80%増の75,530まで増えている。

トップリーグの平均観客数は91/92シーズンよりも66%も増えているが(21,622人⇒35,606人)、これは同時に現代フットボールが多国籍になっていることも反映している。ファーガソンは、33か国、211人の選手と契約を結び、うち100人がイングランド人だった。

ファーガソンがプレミアリーグに注ぎ込んできた情熱を考えれば、昨季のタイトル争いは最もつまらないもののひとつであったと言わざるを得ないし、1986年にはまだバルセロナ移籍前のギャリー・リネカーやクライヴ・アレンといった才能がいたことにも触れておくべきだろう。その年、マット・ル・ティシエがデビューし、ウォルヴズがスティーブ・ブルの獲得のためにウェストブロムに払った移籍金は3万5,000ポンドだった。

そこでは多くの才能溢れるイギリス人がプレーしていたが、フーリガンの恐怖は否定できなかったし、ヘーゼルの悲劇後にヨーロッパの舞台から締め出され、イングランドは国際的には孤立していた。

「イングランドのフットボールは、27年前と比べれば見違える素晴らしさだ」 とファーガソンはプレミアリーグの2012/13シーズンの64ページのレビューに掲載された手記で述べている。

「リーグ全体を見渡しても、スタジアムはどこも本来あるべき姿にはなかったし、選手の育成も今とは比べるべくもなく、TVの放映権も行き渡らず、ファンも適切な扱いを受けてはいなかったし、何より、政府が持っているフットボールへの印象がネガティブなものだった」

ファーガソンは古きロマンを否定する。

「中にはかつてのフットボールは良かったと楽観する者もいるが、それはノスタルジーがそうさせてるだけだ。当時のイングランドにおけるフットボールの役割は下降の一途を辿っていた。残念なことだよ」

ファーガソンによれば、ユナイテッドは「プレミアリーグの時代のイングランドのフットボールの変革を象徴していた」彼らの言う夢の劇場は、眩いばかりのトロフィーと収入源の舞台となった。

「クラブはあらゆるレベルに必死に投資した。トップクラスの選手は補強からも育成からも出てきたし、選手やファンのためのオールド・トラフォードやカーリントンといった素晴らしい設備、そして各種のコミュニティ・プログラムは地元からさらに遠くへと広がっていった。クラブは、他のクラブが改善のために見習うプレミアリーグのスタンダードを確立したのだよ」

「時にライバルたちだって、食らい付いてきた。毎シーズンやってくるそうした挑戦が、我々を改善のためにベストの状態へと駆り立てていった」

そうしてユナイテッドに挑戦していったのは、リーズ・ユナイテッド、ブラックバーン・ローヴァーズ、ニューカッスル・ユナイテッド、アーセナル、チェルシー、リバプール、そしてマンチェスター・シティだった。

「競争は非常に健全なもので、それこそプレミアをヨーロッパの他のリーグとは違ったものにしている要因だ」

「プレミアリーグが織り成すフットボールのエンターテインメントとしての質は、年々上がっていくばかりだ。タイトルを獲るのも、良い選手層、若手、経験やアティテュードを維持するのも毎年難しくなっていった」

「国内、そしてヨーロッパでの数々のトロフィーに次いで誇りに思う業績は、マット・バズビーが描いたクラブのビジョンの伝統に則って作り上げたユース世代の育成だ」

「ライアン・ギッグス、ポール・スコールズ、ギャリー・ネヴィルといった素晴らしい選手たちが規範となったが、この先にもそうした選手はこれまで以上に出てくるはずだ。私のどのチームにもアカデミー上がりの選手がいたものだ」

ユナイテッドは昨季のU-21プレミアリーグをオールド・トラフォードから21マイル以内の出身の選手8人を擁して制した。マンチェスターから2人、ベリー、ロッチデイル、オールダム、ストックポート、マクルスフィールド、ワリントンから各1人ずつだ。

「こうした懸命な取り組みこそ、(プレミアリーグが標榜する)エリート選手パフォーマンス計画が生み出そうとしているホームグロウン選手の輩出につながるものだ」

「才能溢れる少年たちがイングランド中にいるし、彼らが適切なトレーニングと環境、チャンスを得られるなら、クラブの真摯な取り組みと投資によってイングランドのフットボールが恩恵を得られない理由など無い」

ロイ・ホジソンは勿論そう願うだろうが、ファーガソンの言葉のポイントは「チャンス」だ。重圧にさらされる監督たちが、1ポイントでも多く積み重ねなければならないトップチームでアカデミーからの才能に賭けることができるだろうか?

手紙の中でファーガソンは、ユナイテッドにもメッセージを送っている。選手たちの「決して諦めない」姿勢に拍手を贈り、シーズン最終戦のホーソンズ、そして特に、その前のオールド・トラフォードでのホーム最終戦でのエモーショナルな惜別に感謝を述べた。「私も私の家族も決して忘れることはないだろう」

そしてファーガソンはライバルを称えた。

「プレミアリーグが世界に知れ渡っているのは、その情熱とファンの知見、そしてスタジアムの雰囲気からだ。オールド・トラフォードに限ったことでなく、特にグッディソン・パーク、セント・ジェームズ・パーク、アンフィールド、そしてホワイト・ハート・レーンなどではファンタスティックな雰囲気が作られる」

「それはイングランドの歴史と伝統の一部であり、それが今日の成功につながっている。私はその全てを懐かしく思うだろう」

Friday, June 14, 2013

アンドレイ・アルシャヴィンの才能を浪費したのは本人か、それともヴェンゲルか

最後は不遇の時を過ごしてアーセナルでのキャリアを終えたアンドレイ・アルシャヴィン。次の移籍先は決まっていないが、移籍前のヨーロッパ選手権や、移籍後にアンフィールドで4ゴールを叩き込んだプレーが記憶に残っている方も多いのではないだろうか。

今回取り上げるのは、退団に際して、なぜアルシャヴィンがアーセナルで輝けなかったのかを考える、「インディペンデント」紙のコラム。 マンチェスター・シティ入りするヘスス・ナヴァスとの対比が興味深いですね。


++(以下、要訳)++

昨年の夏には、移籍締切日にブリストル・ローヴァーズのお茶汲み係とセルタ・デ・ヴィーゴの用務員しか補強してくれかなったかつての雇い主が、今年は6月の第1週には5,000万ポンドをかけて2人の銀河系を獲得した、という知らせを聞いたときのロベルト・マンチーニの顔を見てみたいと思うだろう。

たとえ、その新戦力たちのひとりの表情への注目ではないにしてもだ。我々の多くが日々の生活に血眼になる中で、マンチェスターにやってきたヘスス・ナヴァスの目は、どこまでもミステリーに包まれていた。

マンチェスターの冬が、若い頃には繰り返しのホームシックに苦しんだこのアンダルシア人の繊細なセラピーになり得るかはまだ分からない。それでも不屈の精神が、27歳のナヴァスがその素晴らしい才能をフルに発揮させるのを助けると願うこととしよう。そして、彼がヒースロー空港に降り立った時に、アンドレイ・アルシャヴィンに出くわさないことを。

アルシャヴィンは、2009年にクラブ記録の1,500万ポンドでアーセナル入りした時、現在のナヴァスと同じ年齢だった。先日、彼の契約は更新されない、とアーセナルから正式に発表があった。多くのアーセナル・ファンは、この発表を喜んだようだった。多くのファンは、アルシャヴィンを、ボールを奪い返すことはナイトクラブの用心棒をすり抜けるようなもの、と考える薄っぺらで怠惰な傭兵とみなしていた。しかし、彼との良い別れを望んでいたファンにしても、どこで運命がおかしくなってしまったのかだけでなく、上手く行く方法があったのかどうかを尋ねたいところだろう。

アルシャヴィンにとってのアーセナルでの時間は、心の痛む浪費の日々となった。逆説的ではあるが、彼の最も悲しい時間はちょうど1年前、ヨーロッパ選手権の開幕戦でやってきた。突如、ワールドクラスのプレーメーカーとして輝きを放ち、4年前の同じ大会でアーセン・ヴェンゲルを魅了したのと同じ姿を見せたのだ。

喜び、そして、ゼニト・サンクトペテルブルクをUEFAカップの頂点へと導き、バーゼルでオランダを大会から葬り去った才能と機知が戻ってきたのだ。アーセナル入りして間もなく、あのアンフィールドでのドローで4ゴール全てを決めたこの頬の赤い小さな妖精はどこに行っていたのだろうか?どのようなスキャンダラスともいえる職務放棄 -それが彼自身であれ、彼の監督であれ- があって、ヴェンゲルをベンチから眺め続ける流刑に処されていたのだろうか?


アルシャヴィンが契約にサインした日、ロンドンには雪が積もっていた。ロシアから同時に地中深くの永久凍土層がロンドンに入ってきていたことに気付いていた者はほとんどいなかっただろう。最後のシーズンとなった今季は、生きた屍も同然で、無情なほどに動きは遅く、11試合の限られた出番しかなかった。1月以降はプレミアリーグでは起用されていない。

目下のところ、彼はその才能の浪費に週給85,000ポンドを得ている。彼の幻滅はトレーニングの場でも態度の面でも疑いなく明白になっているし、そこに驚きもない。それは、アーセナル・ファンからの罵声と正に一致するものであり、プレミアリーグを悩ませる活躍に見合わぬ高給を得る外国人選手に向けられる罵声と同じだ。今にしてみれば、人差し指を唇に当てるゴール時のパフォーマンスは、32歳にして彼自身のキャリアが静められることを予期していたことになる。

しかし、仮に状況がアルシャヴィンにとって最悪なものとなっていたのだとすれば、それは彼の監督にとっても同じことだ。頑固な性格で知られるヴェンゲルも、批判に耳を貸し、実際に投資をすれば何が起きていたか示されれば、それには密かに感謝するだろう。最高の選手をキープするために必要な僅かな資金を惜しむ彼だが、実際彼が評価しない選手に多くの給与を支払っているのだ。

アルシャヴィンが脆い気性の持ち主だったとすれば、ヴェンゲル以外の監督が、アルシャヴィンにより良いプレーをさせることができなかったと信じるのは不可能だ。ピッチ内外の両面で。以前から彼が常にストライカーの機敏な引き立て役として輝いてきたのは確かだ。アンフィールドでの4ゴールは、全て中盤から切り込んでのものだった。それでも、セスク・ファブレガスが出て行った後でさえ、ヴェンゲルは彼をウィングに置くことにこだわった。

相手ディフェンスに向けられるアルシャヴィンの軽妙な動きとその才能は、観る者にはそれは贅沢なものだった。ボゼッション型のフットボールは、その言葉が内包する魅力よりも保守的なものだ。彼の守備面での欠陥は、それを表向き「代わりにこなした」ガエル・クリシーによってことさら強調されてしまった。覚えておいた方がいい - アルシャヴィンは、アーセナルに最も欠けていたプレーのパーソナリティをもたらすためにやってきて、ジェルヴィーニョ、アーロン・ラムジーの下の序列で去っていくのだ。

ナヴァスは典型的なウィングの選手だ。ヴェンゲルだったら、彼により自由を与えるだろうか?アルシャヴィンは、長らくその精神面での繊細さで知られてきた。両親は離婚し、父親は若くして亡くなった。ナヴァス同様、地元で育ち、7歳で地元のクラブのアカデミーに入った。それでも、そこではもう十分、となった時は規律の無さや怠惰を責められていた。

恐らく、イタリアやスペインであれば、彼のことをもっと賢明に甘やかすことができたのだろう - ピッチ内ではトップ下のトレクワリスタとして、ピッチ外でも女性との密会を含むファッションのセンスは、彼のより広い芸術性の一部として受け入れられたかもしれない。見たように、プレミアリーグは彼に胸を突き出して、彼を無駄で恥知らずな存在として吹き消してしまった。プレミアは、彼よりも劣ろうが、誇りと教義でより良い存在に見せてくれる選手を好むのだ。そう考えた時に、アルシャヴィンが先に関心と自信のどちらを失ったかなど、誰に想像できようか?そして、いずれであったにせよ、それを誰が責めることができるのだろうか?

++++

端的に言えば「プレミアには合わなかった」ということなのかもしれないけど、こう使われていれば、とか、このチームだったら、というような想像は絶えない感じ。リバプール戦は本当に凄いインパクトだったし、それを考えるとブーイングされてばっかりの最近は可哀想だったな、と。

同様の惜別記事は、「ガーディアン」紙にも。 皆、才能をフルには発揮できてなかったのでは、って部分には、思う所はあるんだろうな。

Friday, May 31, 2013

低調なシーズン、偉大なる記憶 - プレミア 2012-13

多くの別れがあった2012/13シーズンのプレミアだが、最終節に優勝にも降格にもドラマがあった昨季と異なり、今季は早々にマンチェスター・ユナイテッドの優勝が決まると、降格クラブも最終節を待たずに決まり、見所はアーセナルとスパーズのトップ4争いの行方しか残らなかった。

そんなシーズンに散りばめられていた見所を拾って振り返るコラムをアップしたのが、「テレグラフ」紙の看板的存在のヘンリー・ウィンター記者。



++(以下、要訳)++

今シーズンのプレミアリーグは忘れ去られてもおかしくないが、ロビン・ファン・ペルシやミチュのボレー、豚耳の守備、そしてロッカーの豚の頭で忘れ得ぬシーズンになったと広く揶揄されている。

今季は狂ったかのような、7-3、0-6、そして5-5といったスコアラインでの刺激があり、多くのスターも「サウンド・オブ・ミュージック」のような退場ではなく、さよならの別れの挨拶をしていった。

悪党の代表格となったルイス・スアレスでさえも、ブラニスラフ・イヴァノビッチに噛み付いて出場停止となる前に、10ゴール目と20ゴール目をリーグで最初に決める活躍ぶりだった。ありふれていて、少々害もあり、攻撃的で、しばしば素晴らしい混乱のシーズンは、部分的には悪いものではなかった。

タイトル争いという視点で言えば、 ヴィンテージよりもハウスワインの赤だった。マンチェスター・ユナイテッドも、過去の優勝チームの高みに到達したわけではないし、そうする必要もなかった。ユナイテッドにはファン・ペルシのゴールの数々があり、シティのタイトル防衛は、エティハドでの一戦で壁から消えたサミ・サスリのように無気力だった。

重圧のかかるチャンピオンズリーグでのプレミアリーグ勢の苦労は、プレミアのレベルの低下を露呈した。ブンデスリーガがその強さを見せつけ、ウェンブリーを乗っ取ることになった。ユナイテッド、シティ、チェルシー、アーセナル、スパーズの面々も、ブンデスリーガとプレミアのオールスター・チームを組んだなら、ほとんどメンバー入りできないだろう。せいぜいギャレス・ベイル、場合によってはファン・ペルシ、もしかするとフアン・マタくらいか。

降格クラブのうち2つは、早々に候補になり、QPRはまるでサーカスの様相だった。気の狂ったようなシーズンを送ったレディングでは、ブライアン・マクダーモットが1月に月間最優秀監督賞に選ばれ、3月に解任された。

ソープオペラ的観点で言えば、ドラマチックさのレベルは高かった。50億ポンドの放映権料は気まぐれではない。プレミアは、そのファンの情熱、3-0でも見せる選手の懸命さ、先の読めない筋書、そしてミスの数々が魅力で世界が観たいと思うリーグなのであり、スリルは満載だ。ケガ人にも苛まれたウィガンのディフェンスにはコミカルさと自滅の要素が同居し、それはスウォンジー戦、アーセナル戦でも体現されていた。その攻撃の鋭さを思えば、ウィガンが降格して寂しく感じることだろう。

今季は興味深いテーマが盛り沢山だった。ラファエル・ベニテスのチェルシー・ファンとの冷戦と微かな雪解け、スティーブ・クラークによる見事なウェスト・ブロミッジ・アルビオンの牽引、ミカエル・ラウドルップがスウォンジーにもたらした更なる鋭さ。ロベルト・マンチーニはゴールデングローブのジョー・ハートを酷く叱りつけた。ブレンダン・ロジャースの下で静かに復活をはじめたリバプールでは、決定力を見せたダニエル・スタルリッジと機敏なパサーであるコウチーニョの獲得がチームを特に勢い付かせた。

記憶に残る試合が生まれたシーズンでもあった。 一番のインパクトは、マンチェスター・ユナイテッドがエティハドでマンチェスター・シティを3-2で破った試合だろう。この試合の決着はファン・ペルシのフリーキックでついたが、アシストは直前まで壁にいながら、最後に姿を消したナスリのいつもの動きだった。これに対抗するのが、スパーズがオールド・トラフォードでユナイテッドを下した試合で、ブラッド・フリーデルが見せた決意溢れるセーブだろう。スウォンジーは観る者を楽しませたが、彼らを敵に回して喜んだのは、リバティに乗り込んでスワンズを4-3で下したノリッジだった。そして、テオ・ウォルコットのハットトリックは、アーセナルのニューカッスル戦の7-3での勝利に花を添えた。


ゴミ箱行きが相応しい光景もプレミアにお目見えした。 レディングがQPRと引き分けた試合は実に不毛で、後半にはボールまでもが階段の吹き抜けを通って脱出を試みたほどだった。いくつかのことは予想もできた。ポール・スコールズが自身の最後の試合でイエローカードを貰ったように。何人かの選手は、自身の行動で信頼を失いかけた。スパーズのためにゴールを決めたエマニュエル・アデバヨルは、サンティ・カソルラを宙に舞わせて退場していた。これは高くつくというものだ。

イエローカードやレッドカードと同様、パオロ・ディ・カーニオの跳躍から、アップトンパークで2度ボールを失ったウェイン・ルーニーを見た時のサー・アレックス・ファーガソンの表情まで、カラフルな側面も多数あった。そして、ニキツァ・イェラビッチがシティ戦でゴールを決めて2-0とした時には、グラディス・ストリートには信じ難い歓声が響き渡り、アストン・ヴィラがディ・カーニオのサンダーランドを八つ裂きにすると、ホルト・エンドには「7点決めろ(“we want seven”)」のチャントが飛び交った。

スウォンジーのサポーターは、ファーガソンのオールド・トラフォードでの最後の指揮となった試合でミチュが同点ゴールを決めると、「明日の朝にゃクビ!(“you’re getting sacked in the morning”)」のチャントを面白おかしく贈った。 また、彼らはファーガソンが「アシュリー・ウィリアムスのクリアでファン・ペルシは死んでもおかしくなかった」と以前コメントしていたことにかけ、ファン・ペルシが姿を現したことに驚きの意を示すべく、「ファン・ペルシ、死んだんじゃなかったのか(“Robin van Persie – we thought you were dead,’’)」ともチャントした。フットボール・サポーター連盟がアウェー・ファンのチケット代の値下げのために展開した「20ポンドで十分」のキャンペーンを、クラブは受け入れるべきだろう。莫大な放映権料で金庫は潤っているのだから尚更だ。

偉大なシーズンには程遠いが、それでも偉大なゴールが数多く生まれた。簡単に出るレッドカードと正直でないアタッカーたちのせいで積極的に行けない守備陣には受難の時代で、逆にゴールスコアラーたちは輝きやすくなった。スアレスが器用にボールをコントロールし、ファブリシオ・コロッチーニ、続いてティム・クルルを大歓声のコップの前でかわして決めたゴールは、月桂樹ものだ。アップトン・パークで冴えわたっていたユッシ・ヤースケライネンを破ったベイル一撃も同様だ。







フランク・ランパードがボビー・タンブリングのチェルシーでのゴール数記録を塗り替えたように、幾つかのゴールには、歴史的な意味があった。非常に大きな重要性を持つゴールは、終盤数か月のアーセナルで際立っていた、センターバックのロラン・コシェルニーから生まれた。高い運動能力が発揮されたセント・ジェームズ・パークでのゴールが、アーセナルのトップ4の座を確保した。しかし、より純粋にタイミング、テクニック、美しさという観点で言えば、ヴィラ戦のファン・ペルシのボレーが今シーズン最も甘美な一撃だった。


影を落とす場面には苛立たせられた。人種差別者扱いをしてマーク・クラッテンバーグを脅そうとしたチェルシーの振る舞いは恥ずべきものであった。そして、クレイグ・ガードナーのチャーリー・アダムへの、そしてカラム・マクマナマンのマサディオ・アイダラへのタックルは目にしたくない類のものだった。

エモーショナルな響きはシーズンを通じて鳴り渡っていた。スティリャン・ペトロフを支えたヴィラ・ファン、ファブリス・ムアンバのホワイト・ハート・レーンへの帰還、そしてそれが最も力強く意義深かったのは、警察の虚偽が遂に明らかになり、ヒルスボロの悲劇の遺族たちが真実にひとつ近づいた時だった。



シーズンが終わり、多くの引退があった。レフェリーのマーク・ハルシー、ジェイミー・キャラガー、マイケル・オーウェン、スコールズ、スティーブ・ハーパー、そしてファーガソン。しかし、今は前を向く時だ。プレミアが後退しているとみくびっている者は、このオフにはその対処に大金がつぎこまれることを知らないのだ。次のシーズンは悪くない優勝争いがあるだろう。

8月よ、早く来い。

++++

正にその通り、8月が早く来てほしいもの。

Thursday, May 2, 2013

降格するしかなかったQPR

先週末にQPRとレディングが対戦し、スコアレスドローに終わったことで両チームの来季のチャンピオンシップへの降格が決まった。中でも開幕から全く勝てず、シーズン途中に監督をマーク・ヒューズからハリー・レドナップに代えたQPRは、大型補強が残留に全く結びつかなかった。そんなQPRを、「インディペンデント」紙のスティーブ・タン記者が、かつて出版された本に準えつつ取り上げている。


++(以下、要訳)++

元北アイルランド代表で、プロ選手協会(PFA)の会長も務めたデレク・ドーガンは、かつて『How Not To Run Football(訳注:"run"は「経営」の意味で、「誤ったフットボール経営」的なニュアンス)』という本を書いた。彼は2007年に亡くなっているが、生きていればアップデート版の出版にはクイーンズ・パーク・レンジャーズが興味深いケースとなっただろう。リーズ・ユナイテッド、ポーツマスといったクラブと並び、分不相応の野望を抱いてそれが悪夢だと気付く新たなクラブとなった。

QPRとレディングは降格するが、来季はプレミアリーグ史上最も高額な放映権契約が開始されるシーズンだが、逆にフットボールリーグはより厳しい財務ルールを導入し、年間400万ポンド以上の損失を計上することができなくなる。したがって、良い財務状況で降格することが非常に重要なのだ。

ミニ・アブラモビッチを目論むロシア人のアントン・ジンガレビッチに経営権が移るまで、サー・ジョン・マディスキによって手堅く経営されてきたレディングは大丈夫だろう。給与総額をコントロールし、スター選手の獲得は行わずに、契約には降格時の解除条項をしっかり含めている。レディングは財務的には比較的健全であろう。マディスキが「我々はレンガをひとつずつ積み上げてきたし、荒療治を考えたことはない。QPRが選んできているのは荒療治の数々、もしくはそう思われるものだ」と語る通りだ。

レンジャーズはリーズとポーツマスの全ての最悪の過ちを繰り返してきたようにも見え、ファンは同様の状況に陥る恐怖を抱いている。単に降格するだけでなく、管財人の管理下に置かれ、やがて忘れ去られてしまうという恐れだ。

フットボール財務に詳しいリバプール大学教授のトム・キャノンは、降格(最近9クラブで、1年でプレミアに戻れたのはウェストハムのみ)はプレミアとチャンピオンシップの両方の苦しみを味わうことになる、と語る。「フットボールリーグの(財務面での)規制は一層厳しくなり、QPRはプレミアに留まるためにかなりの資金を使っている。降格クラブに提供されるパラシュート・マネーで補えるバランスではない」

「チャンピオンシップではプレミアリーグでのようなチケット料金は設定できず入場料や試合当日の収入が減るし、多くのCM契約にも降格時の解除条項があると思われる。そして長期契約を結んでしまった選手がいるわけで、QPRは彼らを売るのにも苦労するだろう」

資金が豊富なオーナーのクラブに来る新監督は、新たな選手を欲しがるものだ。ニール・ウォーノック、マーク・ヒューズ、ハリー・レドナップのいずれも例外ではなかったし、2011年8月にトニー・フェルナンデスがオーナーとなってから4つの移籍ウィンドウで24人が新たに契約、代理人たちのビジネスは大繁盛だった。 最新のデータでは、QPRよりも多くの代理人費用を支払ったのは、マンチェスター・シティとリバプールだけだった。

2012年の移籍金で比べても、レンジャーズは3番目に高い。この数字に今年の初めのクリストファー・サンバとロイク・レミーに費やした2,000万ポンドは含まれていない。また、他の有名選手たちにしても、フリー・トランスファーで来た選手であれば、より高額なサラリーを求めることができたはずだし、違約金を受け取らなければ出て行くことにも同意しないだろう。

注目度が上がると、昇格クラブは難しいバランスに直面する。昨季共に昇格してきたノリッジ・シティとスウォンジー・シティは、それが実現可能であることを示したし、以下に示す通り、クラブ運営でもQPRと比べればあらゆる面で健全だ。さらに重要なのは、共に監督交代を経ても生き残っているという点だ。

クラブの財務的な健全性を示す指標のひとつに、サラリーと収入の比率がある。ノリッジの数値は50%を下回っており、プレミアでも最も低い水準だ。これは他クラブに比べて高いケータリング・スタッフの給与を含んでいるため、純粋に選手だけであればもっと低くなる。53%のスウォンジーにしても、トロフィーを勝ち取れる選手たちを連れてくることができるのだ。

チャンピオンシップで優勝したシーズン、QPRは3,000万ポンド近くをサラリーに費やした。 収入はその半分程度であり、比率にするとサラリーは収入の183%だった。昨シーズン、それは「たったの」91%まで抑えられたが、収入がプレミアで17番目であるにも関わらず、サラリーの総額は12番目となっていた。

フェルナンデスが、僅か19,000の収容人員であるロフタス・ロードが問題だ、とすぐに気が付いたが、既に新練習場の建設にも取り組んでいることから、スタジアムの問題は更なる投資でしかない。最近バークレーズ銀行から1,500万ポンドの資金を調達したが、クラブの負債総額は1億ポンド近くに達している。

フェルナンデスが経営権を掌握し、資金のあるミッタル一家を再び迎え入れた時には安堵が広がった。プレミアリーグ創設時のメンバーで、当初は順調だったクラブも、2001年までには3部相当に落ちぶれ、管財人の管理下に置かれていた。フラヴィオ・ブリアトーレとバーニー・エクレストンの混乱の時代は、「The Four Year Plan/4年計画」というドキュメンタリーにすらなった - その4年間を計6人の監督が率いた。

収益性と長期的なクラブの持続性について、フェルナンデスは正論を繰り返しているし、格安航空会社のエアー・アジアやF1チームのロータス(現在のケータハム)など、比較的小さなビジネスについては理想的な経歴の持ち主だ。それでも、彼もCEOのフィル・ベアードにしても、フットボールや契約関係での経験が無い。

前出のキャノン教授は、「成功している起業家は、たいていフットボールなど簡単だと考えがちだ。自分たちならよりよくできると考えるし、それはニューカッスルで起きていることにもあてはまる。トニー・フェルナンデスのプランは、QPRをメジャークラブにすることだが、ロンドンには国内の5つのビッグクラブのうち3つが存在している」 と指摘する。

一点ポジティブな要素があるとすれば、それは幹部が既に長期的にコミットすることを明らかにしていて、新練習場の計画についても先日認可が下りていることだ。キャノン教授はこう付け加えている。「彼らには、新たに厳しくなった財務条件に従っている限り、クラブの面倒を見続けられるだけの資金力はある。ポケットから資金を出し続けていれば、QPRが新たなポーツマスになることは無いが、それが短期的な解決策になることはないだろう」


【参考】:昨季同時に昇格してきた3クラブの財務比較

(全項目共通で、順に):QPR/ノリッジ/スウォンジー
スタジアム収容人員数:18,680/26,840/20,650
総収入(ポンド):6,400万/7,460万/6,520万
サラリー総額(ポンド):5,840万/3,680万/3,460万
収入/サラリー比率:91.2%/49.3%/53.1%
総利益(ポンド):▲2,300万/1,600万/1,700万
負債(ポンド):8,900万/ 無し / 無し


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ということで、これから先、QPRのチーム編成がどうなって行くのかには注目。サラリーの高い選手や契約解除条項の無い選手が「残って昇格に貢献したい」とか言ってると、クラブとしては苦々しいのかもしれないし。

Friday, April 5, 2013

ブレンダン・ロジャースはリバプールを改善したのか?

昨年の6月に「ブレンダン・ロジャース、リバプールでの挑戦に準備万端 」というBBCの記事を紹介した。リバプール監督就任を目前に控え、彼の指導者としてバックグラウンドや特長を描いた興味深いものだったが、それを発揮して、チームをどこまで導いてきたのだろうか。シーズンも終盤に差し掛かり、当初躓きも多かったチームは次第に質の高いプレーも時折見せるようになってきた。その6月の記事を書いたベン・スミス記者が、ここまでを振り返る特集記事を良いタイミングで書いていたのでピックアップ。


++(以下、要訳)++

プレシーズンの時点で、ブレンダン・ロジャースはオーナーのジョン・W・ヘンリーに180ページに及ぶマニフェストを手渡していた。その文書は、「魅力的な攻撃フットボール」をプレーするための意欲が事細かく記され、この40歳の監督が抱くリバプールのビジョンが描かれていた。

彼のフットボールのイデオロギー、トロフィーを勝ち取るための詳細なコミットメント、そしてクラブが正しい方向に進んでいくために、スタートとなる新シーズンから「可能な限り多くの若手選手を引き上げる」意欲について説明していた。

8か月が経ったが、リバプールの謎は今も街を覆っている。絶好調だったトッテナムに競り勝ったかと思えば、次にはサウサンプトンに敗れているのだ。ロジャースの下でのリバプールが未だに議論になる理由は、この一貫した不安定さが全てを説明している。

彼を中傷する者は、 重圧に打ち勝つチームを作るための血統書や能力を疑っている。彼を賞賛する者は、敗戦の時でも良いプレーをしている、と良い時も悪い時も変わらないビジョンと哲学について語る。

67歳のビル・ジェイミソンは、生涯追いかけてきたクラブで今までに何度も起きてきたことだ、と語る。彼は、ボールド・ストリートにあるセント・ルーク教会の階段に座り、脇の下に「リバプール・エコー」紙を抱えつつ、紅茶を飲んでいた。「そうした希望を持つと大変なんだ。上がって行けばやがて落ちるし、下降しても上向きになる。ブレンダン・ロジャースがやってることは好きだよ。でも、今季が教えてくれたことは、それには時間がかかる、ということだ」

スウォンジー、ノリッジ、ウィガンに勝った後のスパーズとの接戦をモノにした時には、ヨーロッパの舞台に滑り込むためのラストスパートを思わせ、多くの人々にリバプールは良い方向に変わって行ってると確信させている。勝利を重ねることによって各々が発揮するパフォーマンスにも粘りが出てきて、元来持っていたポテンシャルが戻ってきた。

しかし、サウサンプトン戦の成す術も無い敗北は、その楽観を消し去ってしまった。それはクラブの不安定な進歩の典型であり、スタイリッシュであるが本質を欠き、美しいが逞しさを欠き、威勢は良くとも深くはえぐれない。

ウィリアム・ストリートにあるクラブ・ショップの外で、トニー・ウィリアムソンは、リバプールのスカーフを首に巻いた7歳の息子のスティーブンと共にいた。トニーは「今シーズンは、自分たちで難しくしてしまったようなものだ。メンタル面での脆さでバラバラだった時もあったしね。アウェーのサウサンプトン戦、ホームのヴィラ戦、FAカップでのオールダム戦、リーグカップでのスウォンジー戦・・・、ダメだった時はあるさ。それでもロジャースはウチを前進させてると思うけどね」

数字の上では興味深い点もある。監督に就任したその日に、ロジャースは早速「ゴール数」という重大な欠陥を把握していた。

それが今季のゴール数は、過去20年間ほど無かったレベルに達している。リーグ戦8試合を残して、1995-96シーズン以来最高のゴール数なのだ。プレミアリーグでのゴール数は2位、30試合で57ゴールというのは、昨季38試合の合計よりも既に多いし、マンチェスター・ユナイテッドに次ぐ2位でフィニッシュした2008-09シーズンの同時期と比べても8ゴール上だ。

このゴール数増加については、ルイス・スアレスによる貢献が大きい。決定率が9%上がり、ゴール数は12から22にまで増加している。それだけでなく、他にも13人もの選手がゴールを決めているのだ。しかも、話はこれだけで終わらない。

昨シーズン、ファイナルサードでのプレー率がリバプールより高かったのは、バルセロナくらいだった。それでもレッズは、ノリッジ・シティにも降格したブラックバーン・ローヴァーズにも敗れた。

ロジャースのリバプールは同様にボールを前に運んではいるが、その手法はより入念だ。彼のやり方がリバプールのやり方であり、その逆もまた然りなのは、ケニー・ダルグリッシュ時代と同じだ。しかし、この新監督は、最悪とも言える夏の移籍マーケットを経ながらも、徐々にチームを改善していった。

リバプールについてのブログ、「Anfield Road」を書くジム・ボードマンは、「最悪の夏のマーケットは大きなダメージだったが、それは金銭の問題だけでなく、監督に対するクラブ上層部からの信頼が欠けているという点でもだった」

8月にクリント・デンプシーの獲得失敗という誤りがあったことから、1月のリバプールでは皆がより慎重だった。8月にも獲得できたはずだったダニエル・スタルリッジを冬に移籍マーケット開始直後に獲得し、これに、長きに渡ってターゲットだったフィリップ・コウチーニョが続いた。

ボードマンはこう続ける。「冬の移籍マーケットは、ロジャースの考えを理解し、彼が喜んで使う選手を獲ることに主眼があった。それがどれだけの違いをもたらしたことか」

再びフィットしたルーカス・レイバの存在もカギだった。12月に彼がケガから復帰して以来、得点率は倍増しており、彼の存在は、例えばこの14試合で7ゴールを決めているスティーブン・ジェラードのような選手が自由にプレーするのを助けている。

それでも、この先の困難を予期して、このブラジル人は以下のように語っている。「ここまではキツいシーズンだよね。2つのカップ戦もヨーロッパリーグも敗退して、プレミアでの順位だって良いとは言えない。ウチはようやく安定感を見せ始めている時期で、終盤にかけてそれを確実なものにして来シーズンに繋げたいんだよ」

2度目のダルグリッシュ時代は志半ばに終わってしまったかもしれないが、オーナーたちは2つのカップで決勝に進出、そのうち1つで優勝しようが、リーグでの8位フィニッシュを容認はしなかった。シーズン残り8試合で、現在のリバプールは両カップ戦で敗退し、リーグの順位も昨季よりひとつ下だが、多くはそれは短絡的な見方だと考えている。

ボードマンはこの点については「現在のリーグ戦での順位を去年の最終的な順位と比べて進歩がないと断ずるのは簡単だが、それは誤った見方だ。進歩は確かにしているが、よくやったと言うにはまだまだすべきことがある。そして、ロジャースにはそれをやり切る能力があると思う」と語っている。

街には、ロジャースは自分のビジョンを植え付けるための時間を与えるべきだという感覚がある。結局のところ、これは長期計画の1年目なのだ。約束通りロジャースは若手選手を登用しているし、クラブが夏に売却しようとさえしていたジョーダン・ヘンダーソンやスチュワート・ダウニングからも持っている力を全て引き出している。

ロジャースはこのように語っている。「私はマジシャンではない。しかし、私は選手を改善することはできる。今までとは違うプレーの仕方をしようとしていたわけで、シーズン当初は難しさがあった。それでも私は常に成功できるという信念を持ってきたし、それはやがて大きくなっていくものなのだ」

年明け以来、ロジャースはクラブの新たに拡大しているスカウト網と緊密に仕事をしている。ターゲットを明らかにしてチェックし、彼らが如何にチームにフィットするかを議論するのだ。来シーズンのリバプールには、さらに「ロジャース的な」選手が増えるだろう。リバプールが何位でフィニッシュしようが、次の夏はロジャースにとっても、オーナーたちの彼への信頼の面からも、重要な試練となるのだ。

ターゲットには、スウォンジーのディフェンダーであるアシュリー・ウィリアムスや、ニューカッスルのハテム・ベナルファなどが含まれ、パルチザン・ベオグラードの19歳のフォワードのラザール・マルコヴィッチ、アヤックスのクリスティアン・エリクセン、フェイエノールトのブルーノ・マルティンスらもチェックしている。しかし、4シーズン続けてチャンピオンズリーグを逃すことになる中で、ロジャースが基盤を固めるにも資金の使い方には注意が必要だろう。

マルティン・シュクルテルにロジャースが全幅の信頼は置けず、ジェイミー・キャラガーが引退する中で、守備の優先順は高い。新チームの基礎を固めるには、リバプールには新たな守備の要が必要なのだ。

ロジャースは、「役員たちは素晴らしいよ。彼らは結果が必ずしも伴ってはいないのに、進歩を認識してくれている。私にとっては大きな励みだ。今シーズンは常に移り変わりのシーズンで、何人かの選手を加えもしたが、同様のことを夏にもしたいと思っている。可能であれば、今のチームにいる選手に近い選手をもっと加えていくことになるだろうが、既に我々が必要とする資質は明らかになっている。コントロール、支配力、そして若干の強さだ」と語っている。

他の弱点についても議論はされている。ロジャースは、リバプールにはボール・ポゼッションでより効果的で、コントロールにも長け、クリエイティブであって欲しいと考えている。しかし同様に、技術面、戦術面での精度を、今季選手たちが欠いているメンタル面での強さ、信念の向上と一体化させようとしている。

これは、イギリスの自転車競技に革命をもたらした1人として知られるスティーブ・ピータース博士の貢献が活きる分野だろう。リバプールの面々は、イースト・ランクス・ロードから見下ろせば、決して敗れることなど無い、と信じる監督の下で、こうした側面がフットボールの世界で如何に重要になったかを理解できるはずだ。

リバプールで調子に乗っている者など誰もいない。安定感の欠如に苛立たされる部分はあるにせよ、ロジャースには信頼と信念が根付き始めている。本人はといえば、シャンクリー、ペイズリー、ファガン、ダルグリッシュといった過去の亡霊の模倣を求められる責任の重さを重々承知しており、「このクラブは、成功すれば長く留まることができるクラブなんだ」と語っている。

年数の話で言うなら、何十年だとか時代を語るにはまだ時間が必要だろうが、街のムードは極めて楽観的なのだ - それが長く続こうが続くまいが。

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実際、安定感はさておき、やっているフットボールについては面白いものがあるし、対戦相手としては、そこに段々「怖さ」が出てきてるところではあると思うんだよな。オーナー陣の「我慢」のレベルと、ロジャースの考える「長期」の認識がどこまで合っていられるのか、興味深いところ。

Friday, March 29, 2013

ファーギーは如何にライバルを退けてきたか

今シーズンのプレミアの王者は、マンチェスター・ユナイテッドでほぼ決まり、という状況になってきたが、今シーズンはオフからしてサー・アレックスの気合が違っていた。タイトルを昨シーズンは得失点差で地元の「隣人」、マンチェスター・シティに奪われていただけに、期するものがあったのだろう。

そんな経験は今回が初めてではなく、これまでにもいくつかの屈服と王座奪回を繰り返してきている。ここで紹介するラジオ局「トークスポーツ」ウェブ版のコラムは、そうした「奪回」の歴史に焦点を当てたもの。

++(以下、要訳)++

昨季王者のマンチェスター・シティがエヴァートンに敗れ、マンチェスター・ユナイテッドがレディング戦に勝利したことで、今季のプレミアリーグのタイトルがオールド・トラフォードへと向かうことはほぼ確実になった。 巨額を投じながらも、青きマンチェスターは残り9試合でファーギーのチームの15ポイント後ろを走っており、サー・アレックスはイングランド・フットボール界の王として、また新たな挑戦者を退けることになる。ここでは、これまでにユナイテッドとその監督をプレミアリーグの支配から引きずり降ろしては失敗してきたクラブと監督たちを振り返る。


ブラックバーン・ローヴァーズ

ローヴァーズは当時、今で言うところのマンチェスター・シティのような存在だった。1990年代、プレミアリーグへと昇格し、オーナーのジャック・ウォーカーの巨額の資金を得た。イーウッド・パークを本拠とする彼らも、ケニー・ダルグリッシュが大金を費やしてアラン・シアラー、ポール・ウォルハースト、デイビッド・バッティ、ティム・フラワーズらを獲得し、「タイトルを買った」と揶揄された。 ローヴァーズは1993/94シーズンにユナイテッドに次ぐ2位に入り、タイトルへの挑戦が相応しいものであると証明すると、そのオフには当時の英国最高額となる500万ポンドでノリッジ・シティからクリス・サットンを補強した。シアラーとサットンがゴールを量産し、1994/95シーズンの最終日、 - シティと同じように - ローヴァーズはユナイテッドとの争いを最後の瞬間で制した。これが1914年以来のタイトルだった。

ファーガソンがブラックバーンの栄光への対処として動いたのは、ポール・インス、マーク・ヒューズ、アンドレイ・カンチェルスキスといったベテランの放出によってであり、彼らをデイビッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、そしてギャリーとフィルのネヴィル兄弟といった若手と入れ替え、赤い悪魔は路頭に迷うと予想された。しかしながら、「ファーギーの雛鳥たち」と、95年初めの観客へのカンフー・キックによる9か月出場停止を終えたエリック・カントナの復帰が、批評家が誤っていたことを証明し、ブラックバーンはタイトルの翌年は7位まで順位を落とした。ケニー・ダルグリッシュの辞任後、1999年にはブラックバーンはプレミアから降格していったが、ファーギーには新たな敵が現れていた。


ニューカッスル・ユナイテッド

ブラックバーンの崩壊と時を同じくして、ケヴィン・キーガン率いるニューカッスルが隆盛してきていた。「エンターテイナーズ」と評されたそのエキサイティングなフットボールで、キーガンもタイトルを目指してチームを補強することができた。1993年の昇格を経て、1994/95シーズンには、主力のゴールスコアラーだったアンディ・コールをマンチェスター・ユナイテッドへと放出しながら6位に入っていた。オーナーのジョン・ホールの富により、キーガンはレス・ファーディナンド、ワーナー・バートン、ダヴィド・ジノラ、シャカ・ヒスロップ、後にはファウスティノ・アスプリージャも買うことができた。そして、このエキサイティングなトゥーンの戦士たちは、1996年初頭には、ユナイテッドに12ポイント差をつけてトップに立っていた。しかしながら、次に起きたのは屈辱的な失速であり、崩壊したニューカッスルは、ファーギーの若きユナイテッドにタイトルを献上することとなった。

それでもブラックバーンとは異なり、タイトルをギリギリのところで逃しても、ニューカッスルは移籍マーケットで素早く動いた。ユナイテッドに競り勝って、当時の世界記録である1,500万ポンドでアラン・シアラーの獲得に成功した。プレミア最高のストライカーの獲得は、キーガンのパズルの最後のワンピースになるはずだったが、シアラーの獲得がマグパイズにとって唯一ユナイテッドを上回ることができた瞬間であり、1997年もユナイテッドが順位表のトップに立っていた。シーズン途中のキーガン解任もプラスには働かず、 ファーギーとのライバル関係はケニー・ダルグリッシュが引き継いだものの、トゥーンは再生しつつあったアーセナルを上回る2位につけるのがやっとだった。


アーセナル

1996年10月のアーセン・ヴェンゲルの到来は、イングランドでのフットボールのプレーのされ方に革命ともいうべき何かをもたらした。 知名度が高いとは言えなかったこのフランス人は、新たなコーチング手法を適用し、アーセナルの戦術的なダイナミックさをもたらすにとどまらず、選手たちのコンディショニングにも重きを置くようになった。ガナーズはプレミアリーグを揺り動かし、ユナイテッドに正面から立ち向かっていった。

フランスのフットボールの隆盛と時を同じくして、ヴェンゲルの抜け目ない補強によって彼の母国からエマニュエル・プティ、パトリック・ヴィエラ、二コラ・アネルカといった面々がやってきて、彼がハイバリーにやってきて最初のフルシーズンで、ガナーズはリーグとカップのダブルを達成した。その翌シーズン以降、90年代後半から2000年代の初期にかけて、アーセナルとマン・ユナイテッドはプレミアリーグの覇権をかけて凌ぎを削ることとなった。ユナイテッドはかの有名なトレブルを果たした1998/99シーズンを含む、プレミア3連覇で反撃し、この間アーセナルは2位に甘んじていたが、ティエリ・アンリ、ロベール・ピレスそしてソル・キャンベルによって補強されたガナーズは、オールド・トラフォードでの勝利でタイトルを手繰り寄せ、2001/02シーズンにもダブルを果たした。

ガナーズは 2003年にもダブルを勝ち取っておかしくなかったが、最後の数週間でヴェンゲルたちが首位の座を投げ捨てる状況の中、ファーギーが先にゴールのテープを切った。この失敗が効いたのか、2003/04年は無敗のアーセナルがユナイテッドを置き去りにし、新たに資金が注入されたチェルシーがファーギーのチームを3位へと沈めた。ガナーズと金満ブルーズが先を行き、2004年、2005年にユナイテッドは優勝クラブからそれぞれ15、18ポイント離されてフィニッシュした。まるで、ロンドンがイングランド・フットボールの新たな首都になったかのような様相だった。


チェルシー

多額の資金を得たチェルシーの存在は、プレミアリーグへの投資家たちにも分水嶺だった。これまでにも豊富な資金を持つオーナーたちがタイトル争いに投資をしてきたが、西ロンドンに現れた、潤沢なオイルマネーを持つロマン・アブラモビッチは、イングランドのフットボールでの資金の使われ方を変えてしまった。2003/04シーズンにアーセナルに次ぐ2位に入ると、ジョゼ・モウリーニョと数多くのスター選手の到来で、ブルーズは2005年にタイトルに向かってまい進し、ガナーズはまたもヴェンゲルの下でタイトルを守ることができなかった。また、この年は14年間で初めてファーギーのチームが2年続けて優勝を逃したシーズンでもあった。しかし、翌シーズンもチェルシーは誰にも止められず、ガナーズは4位まで滑り落ちた。ロナウドとルーニーを中心に作り上げられたファーギーの新しいユナイテッドが、チェルシーに最も近い挑戦者となった。

3シーズン続けて優勝を逃しても、ユナイテッドは典型的にファーギーな反撃を見せ、2006/07シーズンはチェルシーの上に立ってみせた。しかし、その翌シーズン早々、ロマン・アブラモビッチはジョゼ・モウリーニョを解任するという自らの足を撃つに等しい行為に出て、結果的にこのあとユナイテッドはリーグを3連覇、そしてチェルシーを下しての2008年のチャンピオンズリーグ制覇は説明の必要もないだろう。アヴラム・グラント、ルイス・フェリペ・スコラーリ、フース・ヒディンクの後にスタンフォード・ブリッジにやってきたのは、カルロ・アンチェロッティで、彼が2010年にファーギーの4連覇を阻止した。それでも、翌年ユナイテッドがタイトルを奪い返してチェルシーが2位となると、アブラモビッチは再び自分の高価な靴に発砲し、アンチェロッティを解任。チェルシーはそれ以来タイトルに近づいてはいない。


マンチェスター・シティ

チェルシー以上に金を使うことなど不可能だと思われたが、それはシェイク・マンスールがユナイテッドの地元のライバルを2008年に買収して資金を注入したことで、マンチェスター・シティによって上回られてしまった。準決勝でユナイテッドを破ってのFAカップ優勝を上回ったのは、最終節の信じがたいロスタイムでの2ゴールで逆転してのリーグ制覇だろう。ユナイテッドのトレードマークとも言うべき「諦めない姿勢」でタイトルを勝ち取ったことで、青きマンチェシターの半分が、遂にファーギーを玉座から引きずり降ろすかと思われた。

しかし、それもオフにはファーガソンが良い手を打ってきて、移籍マーケットでシティが標的にしていたロビン・ファン・ペルシ獲得に成功した。アウェーのシティ戦での決勝ゴールを含む、ファン・ペルシの素晴らしいゴール量産体制は、ファーギーが元の王座に戻るのを大いに助けている。これまでに克服してきたライバルの数々を考えれば、彼は引退するまでトップの座を守り続ける、と賭けない人の方が珍しいだろう。


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「やられたらやり返す」シーズンにあたる今季は、差のつけ方も圧倒的ですよね。ファーガソンには相当期するものがあるんだと思いますけど。

Thursday, March 14, 2013

「大事なのは栄光」を思い出させたトッテナムとヴィラス・ボアス

今回紹介するのは、インテルとのヨーロッパリーグの対戦を控えるトッテナムと監督のアンドレ・ヴィラス・ボアスに関する、「インディペンデント」紙の記事。昨季までチームを率いたハリー・レドナップとは一線を画すスタンスでヨーロッパリーグに臨むヴィラス・ボアスは、グループリーグからほぼメンバーを落とさず、本気でタイトルを獲りに行っている。

そのスタンスが、忘れていた一見当たり前な、栄光に対する欲求を思い出させてくれている、というトーンをホワイト・ハート・レーンのスタンドに掲げられてるモットーのひとつである "The game is about glory"と重ね合わせて、サム・ウォレス記者がエッセイにしている。

ちなみにこのモットーは、 1961年の二冠達成時のキャプテンであるダニー・ブランチフラワーが語った、“The great fallacy is that the game is first and last about winning. It is nothing of the kind. The game is about glory, it is about doing things in style and with a flourish, about going out and beating the other lot, not waiting for them to die of boredom.”(概訳:「(フットボールは)勝ち負けこそ全てというのは誤りで、大事なのは栄光だ。それは、相手が退屈して死ぬのをを待つのではなく、スタイリッシュかつ華麗にプレーで自ら相手を叩きに行くことだ」)という言葉から来ている。


++(以下、要訳)++

ホワイト・ハート・レーンのスタンドの真ん中で声高に宣言されている通り、大事なのは栄光 - The game is about glory - だ。もしくは、この22年で獲得したトロフィーが3つで、最後にリーグを制したのが1961年であるクラブで、彼らはそう伝えられている。

長きに渡って、フットボールは、偉業を成し遂げた1961年のトッテナム・ホットスパーのキャプテンであるダニー・ブランチフラワーがこのエレガントな5語に描き出した - より長い部分ではフットボールがどうあるべきかを語っている一節 - ように、実際に栄光を追い求めてきた。しかし、近年では、好むと好まざるとにかかわらず、フットボールにはより多くの意味が内包されている。

フットボールとは金であり、商業的な収入を伸ばすことであり、収入に占める給与の比率を下げることであり、チャンピオンズリーグ出場権内を確保することである。スパーズの場合には、ハリンゲー・カウンシル(自治体)やセインズベリー(スーパーマーケット)、市長の同意を取り付けて財源を確保し、世界の金持ちが集まるロンドンの中でも最も恵まれないエリアのひとつに新スタジアムを建設することだ。

確かにフットボールでは栄光こそが全てだが、現代で栄光を勝ち取りたければ、そこには計画、予算、認可、そして実際の建設まで必要だが、それでもアーセナルに10年遅れをとっていることに気付くのだ。スパーズを21世紀へと引き込むのは簡単な任務ではない。しかし、実際にそこに辿り着きつつある中で、ひとりの男がこの5語のモットーの重要な要素にしっかりと目を向けている。

その男とはアンドレ・ヴィラス・ボアスだ。他の監督がトップ4でのフィニッシュに注力する中で、今でもヨーロッパリーグを勝ち取ろうとしている。ブラボーだ。週末のアンフィールドでのリバプール戦には3-2で敗れたのは痛手だが、これは12月9日エヴァートンに敗れて以降の初黒星だ。(プレミアとヨーロッパリーグの)2つの大会を戦うことは簡単ではないが、この時点でヨーロッパリーグを諦めるのも愚かな考えだろう。

勝ち上がる意思が無かったわけではないが、リバプールは先月1つ前のラウンドで敗退した。メンバーを揃えて臨んだロシアでのゼニト・サンクトペテルブルクとの1stレグを落とし、ホームでの素晴らしい3-1の勝利も、アウェーゴールの差で敗退するのを止めることはできなかった。しかし、リバプールにとっては、この大会の意味は違っていた。

現在の平凡な姿は別にして、リバプールはこの12年間の間にチャンピオンズリーグもUEFAカップも勝ち取っている。スパーズは131年間の歴史の中で、3つのヨーロッパ・タイトルで、しかもそのどれもヨーロッパ王者ではなく、最後の1984年のUEFAカップから来年でもう30年が経とうとしている。タイトルを獲りに行かないとしたら、どんなエクスキューズがあるというのか?

最も明白なものは、ストーク・シティやアストン・ヴィラといった、近年この大会にメンバーを落として臨んでいたチームのように、リーグ戦への影響、というものがあるだろう。スパーズの手には3位の座も手に届く範囲にあり、クラブの歴史上たった2度目のチャンピオンズリーグに来季も出場できる順位だ。

木曜日のミラノでのインテル戦を勝ち上がれば(ヨーロッパリーグの)準々決勝に勝ち上がり、そこから先の日程は、リーグ戦の日程と相まって多忙なものになるだろう。

ヨーロッパリーグの準々決勝2試合は、スパーズがエヴァートン、同じくヨーロッパリーグに残るであろうチェルシーとのリーグ戦がある週の半ばに開催される。準決勝の1stレグは、ホームでのマンチェスター・シティ戦を戦った後に入るだろうし、アムステルダムでのファイナルに到達すれば、それは5月15日、リーグ最終節であるホームでのサンダーランド戦の4日前だ。ヨーロッパリーグを勝ち取っても、それを祝福するヒマもないだろう。

しかし、それを誰が気にするというのだ?時に、モダン・スポーツの注意深さなど無視して、前に突き進まねばならないのだ。ヴィラス・ボアスの場合には、個人的な理由からもヨーロッパリーグを勝ちたいと考えるだろう、という見方もある。ヨーロッパリーグが、彼を、当時指揮を執っていた小さなリーグからヨーロッパの舞台へと引き上げた。彼が2011年にポルトで勝ち取ったタイトルであり、ポルトガルの外にも彼の名声を轟かせることになった大会で、彼にとって意味するところは大きいのだ。

それがどうした?最後のヨーロッパでのトロフィーが、まだ鉱夫たちがストライキをしていた時代であるクラブにおいて、それが可能であるかは別にして、監督がそのタイトルを欲しいと思うことに、考慮の余地など無いのだ。

ヨーロッパリーグは、その序盤戦は馬鹿げたほどに肥大化した - 最初からトーナメントにすべきだ - 大会で、クリスマス明けのチャンピオンズリーグ敗退クラブの参加は、最初から戦ってきたクラブに対する侮辱でもある。スパーズの場合、既に9試合をプレーしている。しかし、今3月になって、大会は興味深いものになってきている。

別にスパーズが国内リーグと両立しながらヨーロッパのトロフィーを勝ち取る最初のクラブになるわけではないが、チャンプオンズリーグを勝ち取るのは別次元の話だ。相手のレベルが違う?そうだろう。しかし、昨年のチェルシーの成功からスパーズも痛いほど理解しているように、翌シーズンのチャンピオンズリーグへの出場権を得られる上、金銭的もメリットが大きい。UEFAから受け取る賞金は、チャンピオンズリーグが1,050万ユーロ、ヨーロッパリーグは500万ユーロだ。

チャンピオンズリーグでの地位を確立しているクラブは、増大する試合数への対処でも有利で、長年に渡るより多額の収入で選手の補強も可能になる。ヨーロッパリーグを制しつつ、国内でチャンピオンズリーグ圏内を確保することは、比較の面で言っても、壁の高い話だとも考えられるだろう。

しかし何より、ヴィラス・ボアスのスパーズがヨーロッパリーグのタイトルを追い求めることは、クラブとしての彼らが何者であるかを、より深遠に物語っている。スパーズはチャンピオンズリーグ出場権を
欲しいと思っているが、スパーズのような伝統的な意味での「ビッグクラブ」であっても滅多に来ない貴重なチャンスを棒に振るというのは、代償の大きい話だろう。

スパーズと会長のダニエル・リヴィは、この数年で特筆に値する進歩を成し遂げてきたが、今シーズンのヨーロッパリーグを狙いに行って、栄光を勝ち取るというギャンブルには、その価値が十分にある。ヴィラス・ボアスがホームでの毎試合で通り抜けるプレスルームの写真の数々の中で最も目を引くものは、男たちがトロフィーを掲げているものだ。それこそ、ここでのフットボールが意味するところだ。

++++


ひいきのクラブであるスパーズの話であったことを差し引いて、ヨーロッパリーグでの戦い方、もしくはそもそも何のためにプレーをするのか、って視点だけで見ても、改めて考えさせられるコラムだった。去年のハリーが完全にELを捨ててたことに釈然としない気持ちがあったのは事実だし、今年AVBがこうして(当たり前のことだけど)明確にタイトルを狙いに行っていることには爽快さがあるんだよな。

アムステルダムでのファイナル、是非とも辿り着いて欲しい。

Saturday, February 9, 2013

リバプールを去るジェイミー・キャラガー

先日、今シーズン限りの引退を発表したジェイミー・キャラガーは、最近では数少なくなった、クラブ一筋の選手。リバプールの下部組織で育ち、97年のデビューから700試合以上に出場してきた。そんな彼の引退を寂しく思うのは、リバプールのファンだけではないだろう。

ここで紹介するのは、BBCのフットボール主幹を務めるフィル・マクナルティ氏の手記。


++(以下、要訳)++

コップは「キャラガーたちのチーム」という夢を歌にしてしまったが、今シーズンが終わればリバプールは彼らの唯一の存在がいない日々に慣れていかねばならない。

世界のレッズのサポーターたちがキャプテンのスティーブン・ジェラードを代えの利かない存在だと考えているのなら、監督のブレンダン・ロジャースは、キャラガーが今季限りで引退した後には、この35歳が残す穴を埋めるのは如何に難しいかを実感するだろう。

ジェラードとキャラガーはこのコスモポリタンなご時世に、リバプールにおけるリバプール出身の双子のシンボルともいうべき存在であり続け、アンフィールドの波乱と変革、そして輝かしい成功の時代のチームとテラス席との直接的なつながりであった。

ディレクターのイアン・エアの言葉を借りるなら、キャラガーの「リバプール・フットボール・クラブの壮大なる象徴」という地位には、彼が狂信的なエヴァートン・ファンとして育ち、1994年にアンフィールドの育成組織にやってきた、という皮肉の意味合いが込められている。

しかし、このモデルとなるプロフェッショナルで、際立った存在のディフェンダーは永遠にリバプールのものであり、クラブも彼にプレミアリーグ以外の全てのタイトルをもたらしてきた。

キャラガーによる引退の発表は、彼のやり方通り、典型的に利他的なもので、自分の将来を明確にすることにより、ブレンダン・ロジャースに次の手を常時考えられる時間を与えることになった。ロジックは単純明快で、決断したのなら、なぜタイミングをはかるのだ、ということだ。

その発表は、キャラガーが最近のリバプールにもたらしてきた価値を再度示した1週間後だった。FAカップでリーグ・ワンのオールダムに敗れた大混乱の後、アーセナル戦とマンチェスター・シティ戦で戦列に加わって安定感と秩序を回復させたが、それはキャラガーがキャリアを通じてしてきたことでもあった。

この両試合でリバプールは引き分けたが、彼は組織と厳しい決意、そしてピッチ内外で蓄積してきた処世術を持ち込み、ロジャースの最早キャラガーを使わずにはおれない、という主張も実証することとなった。それは、過小評価(アンフィールドではそうでない、と強調したい)されてきたこの選手とその個性がリバプールにもたらしてきたものの新たな実例でもある。

キャラガーはしばしば気のない褒められ方をしてきた。2005年のイスタンブールでハーフタイムに0-3とされながらPK戦の末ACミランを下して勝ち取ったチャンピオンズリーグの試合の輝かしい瞬間に代表される、汗をかき、叫び声を上げながら最後の1枚のタックルに身を投げ出す姿は、彼の守備の時の準備や申し分のない試合を読む力、完璧なタイミングのタックル、そして彼が示してきた威厳を決して隠すことはしない。もしかすると、最も重要なことは、彼がエリア内や付近での危険を察知する能力に非常に長けていたことなのかもしれない。その能力は値段のつけようもない。

キャラガーにとって、リバプールでのキャリアの始まりは簡単なものではなかったかもしれない。1997年3月にホーム・デビューとなったアストン・ヴィラ戦で珍しいヘディングでのゴールをコップの前で決めたとはいえ、アンフィールドのサポーターの厳しい一面も感じたこともあっただろう。

彼が真に花開いたのは、彼の完璧なメンターで、フットボールの理解への渇望を満たし、キャリアを通じて活きたプロ意識を植え付けたジェラール・ウリエの下でだった。その理解への意欲は現在でも生きていて、それは解説者への道を広げるだろうし、メディアのそうしたポストも彼のデータベースを欲しがっている。その物言いは典型的にダイレクトであり、かつ鋭い洞察と分析を伴ったものになるはずだ。

ウリエは、キャラガーがやがてセンターバックとしての地位を確立するまで、左右のサイドバックとしてしばしば起用した。そして、リバプールがワージントンカップ、FAカップ、UEFAカップを制してトレブルを達成した2001年シーズンのように、名誉はやがて付いて来始めた。

リバプールが、2007年2月のカンプ・ノウでのバルセロナ戦、2008年3月のサン・シーロでのインター・ミラン戦、2009年2月のベルナベウでのレアル・マドリッド戦など、海外での偉大なる勝利を挙げる時には、キャラガーは常にその中心にいた。

キャラガーはラファエル・ベニテスのプランの中心であり、昨シーズン2度目の監督就任となったケニー・ダルグリッシュにも重用された。彼の1年間の契約延長を望んでいたロジャースも、当初はダニエル・アッガーとマルティン・シュクルテルを好んで使っていたが、キャラガーを呼ばずにいるのは不可能だと気付いた。

キャラガーが他の場所でフットボールを可能性はこれまで皆無だった。驚きがあるとすれば、彼がリバプールのコーチング・スタッフに加わらないことくらいだろう。彼自身が今はそのタイミングではない、と判断したようだが、やがてはその時がくるはずで、リバプールのメルウッドのトレーニング本部にも両腕を広げての歓迎を受けることだろう。

キャラガーのイングランド代表でのキャリアは、ジョン・テリー、リオ・ファーディナンド、ソル・キャンベルといったディフェンダーたちの陰に隠れがちだったが、それでも38キャップを刻んでおり、前監督のファビオ・カペッロにも高く評価されていたことは、代表を引退していた2010年に南アフリカでのワールドカップのために復帰を説得されたことからも分かる。そして、キャラガーへの信頼感や彼の能力が、前述の3人を上回った時期があってもおかしくなかった、という意見は数多くある。

引退の発表以降、彼の仲間からの賞賛や尊敬の言葉が相次ぎ、イアン・キャラガンに次ぐリバプールでの出場試合数723は、タイトルを獲得する以前からの彼の能力の何よりもの証明だ。

5月19日のアンフィールドでの最終戦となるQPR戦までのキャラガーのセンチメンタルなお別れツアーを期待している者は、もう一度考えるべきだろう。キャラガーは、自分の今後についての発表をいったん忘れ、トップ4入りの可能性を上げることと、恐らく最後のひとつのトロフィー、ヨーロッパローグを勝ち取ることに集中しているはずだ。

良いことにも全て終わりがある。そして、ジェイミー・キャラガーは、リバプール・フットボール・クラブにとっても、フットボールそのものにとっても非常に良き存在であった。

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サイドバックの印象が強かったキャラガーがこうした形でセンターバックとしてレジェンドになるとは全然思ってなかったけど、こういう選手の存在は、結びにもある通り、フットボールにとっても良き存在だと思う。

だからこそ、リバプールのファンも「キャラガーたちのチーム」を夢見たんだろうな、と。以下は、出だしに記述のあった、その"We All Dream of a team of Carraghers"のチャント。



We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
Number 1 is Carragher, Number 2 is Carragher, Number 3 is Carragher, Number 4 is Carragher,
Carragher!!

We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
We all dream of a team of Carraghers, a team of Carraghers, a team of Carraghers,
Number 5 is Carragher, Number 6 is Carragher, Number 7 is Carragher, Number 8 is Carragher,
Carragher!!

We all dream of...

・・・延々続くわけですね。
チーム全員キャラガー!!それを夢見てもらえるってのは、やっぱレジェンドよね。

Saturday, January 26, 2013

リーズ帰還を果たすアーロン・レノンとその才能

今週末はプレミアリーグがお休みで、代わりにFAカップの4回戦が土曜と日曜に分けて開催されるが、このFAカップで久々に古巣に姿を見せる男がいる。アーロン・レノンは、7年半前に当時18歳でリーズからスパーズ入りしたが、この4回戦でリーズとの対戦が決まり、移籍以来初めてエランド・ロードでの試合に臨むことになった。

今回紹介するのは、かつてリーズの育成部門の指導者として、その若き日のレノンを指導したグレッグ・アボットなど、彼に関わってきた数名のコメントを織り交ぜつつ、彼がいかに才能あふれる選手であるかを紹介する、ロンドンの無料夕刊紙「イーブニング・スタンダード」紙の記事。

++(以下、要訳)++

移籍マーケットでこんな話があったらどうだろうか。やがてイングランドで最高のウィンガーの1人になり、26歳前にクラブで300試合以上に出場、2度のワールドカップにも出場することになる選手を、僅かに50万ポンドで獲得する。

そんな話が真実とは信じられないだろうが、日曜のエランド・ロードでのFAカップ4回戦の場にいる者には、それが分かるだろう。リーズを去って7年半、アーロン・レノンはトッテナムに50万ポンドで移籍して以来初めて地元のチームとの対戦に臨む。契約切れであったにも関わらず金銭の支払いが発生したのは、彼が当時18歳だったからだ。

レノンはハリー・レドナップがフル・シーズンを最初に率いた2009年にも素晴らしいシーズンを送ったが、ホワイト・ハート・レーンでの8年目を迎える今季はもっとも印象に残るものになりつつある。

危険な香りを発散し、機敏で破壊力あるそのプレーは、彼が25歳にして今までで最も才能に自信を持っているようにさえ見える。3ゴールと彼が作り上げた多くのチャンスは物語の一部でしかない。守備面での働きと戦術理解は称賛に値する。

複数の関係者も監督のアンドレ・ヴィラス・ボアスとの良好な関係を強調している。レノンはヴィラス・ボアスの明快な指示、実直さ、そして常に会話にオープンな姿勢を称賛しているようだ。同様にレノン本人も「自分の殻を破って」、ドレッシングルームでも、トッテナムでの在籍最澄選手として、より大きな責任を果たすようになっているようだ。彼は5か月前に、クラブとの新たな4年契約にサインしている。

それは今まで常にそうだったわけではない。リーズでユース世代の指導にあたっていたグレッグ・アボットは、2001年にU-14の試合でレノンの才能に気が付くのには「3秒で十分だった」が、ロンドンへの移籍は壁が高いうえに時期尚早なのではないかと感じていた。

現在リーグ・ワンのカーライルを率いるアボットは、スタンダード・スポーツの取材に対して、このように語っている。

「ロンドンに彼を送り込むのは恐らく1年早かった。マンチェスター・ユナイテッドやリバプールも彼を欲しがっていて、その方がリーズの家族の下にも近かったしね。家族を愛するアーロンだけに、ロンドンでの暮らしはタフに感じただろうが、彼は乗り切ったね。リーズでは、彼や彼の家族に問題があれば、私はいつでもそばにいると約束していたよ」

「試合の時には私は彼を家まで迎えに行って、他クラブからの関心にとらわれないように気を付けていたんだ。彼とリーズでのプロ契約にこぎつけて、彼はそこから43試合プレーして移籍した。去年9月にカーリングカップで対戦(訳注:カーライルがスパーズと対戦)した時に、試合前に話をしたけど、今でもしっかり地に足がついていたよ。彼は自分の成功やライフスタイルについて話すのではなく、家族やリーズでの日々について話してくれた。ユニフォームにサインを入れて僕にくれたけど、誇らしい宝物だね」

今季が始まるまでは、レノンは好不調の波が大きかった。今でもそうなのだが、彼の数少ない安定した傾向と言えば、メディアに自分のプレーを語ることを躊躇いがちなことだった。彼を知らないものには、寡黙で不愛想でさえあると見えるだろう。彼をよく知るものでも、レノンはシャイであり、控えめな性格で知られるマンチェスター・ユナイテッドのポール・スコールズのように、注目の的になることに前向きではないのだ。

それでも、レノンのプレーは、周囲から際立ったものであることを証明している。パスと苦手だった左足の向上を見たアボットは、レノンがやがては中央の攻撃的な選手として活躍できると確信している。

レノンをスパーズに連れてきたフランク・アルネセンは、彼との契約を完了させる前にチェルシーへと旅立っていったが、それでも彼の獲得を決めたことを誇りに思っている。現在はハンブルクのスポーツ・ディレクターを務めるアルネセンは、「アーロンの獲得には50万ポンドしかかからなかったし、彼とトム・ハドルストンで当初のコストはたったの110万ポンドだった」と語る。「そんな値段で彼を獲れるなら即決だ。2006年の1月にアーセナルはセオ・ウォルコットを1,200万ポンドで獲得していたが、我々はアーロンを遥かに安い金額で得ていたんだ。リーズ時代にワトフォード相手にプレーする彼を見た時にはベストの調子ではなかったが、スピード、ドリブル、クロスにその素質は十分に見て取れたよ

「私はPSVアイントホーフェンにいた頃には、ロナウド、アリエン・ロッベン、ヤープ・スタム、ルート・ファン・ニステルローイの契約にも関わったが、その中でもアーロンがベストだ。特にかけた費用と得チームにもたらしたものを考えればね」

アルネセンは首都ロンドンでの生活に適応する上でレノンが直面するであろう課題を認識していたが、週末に自身が育ったリーズへの帰還を控えるレノンの次なる挑戦は、彼の才能のすべてを発揮することだ。

ハリー・レドナップ時代のトッテナムでアシスタントを務めていたジョー・ジョーダンも、「未だに本人は、自分のスピードとプレーの質が相手にもたらしている脅威を認識していないと思っている」と語る。

それが実現する時には、レノンは相手にとって大きな脅威となっていて、50万ポンド -最終的に100万ポンドに上がったが- は、スパーズがこれまでに投資した金額の中でも最高の使い道であったように見える。

【レノンについてのコメント】※カッコ内はレノンとの接点


グレッグ・アボット(元リーズ・アカデミー監督)「彼はいつもサイドで選手をかわしていくけど、4-2-3-1のセンターフォワードの後ろで中央でもプレーできると思う。彼が思われているよりも、視野は広いんだよ」

ジョー・ジョーダン(元スパーズ・アシスタント)「彼は今でも成長しているよ。人々は彼がまだ25歳であることを忘れがちだ。ウィンガーだと試合に関わっていくのは難しいことが多いが、様々な方法を見出しているよ」

アンドレ・ヴィラス・ボアス(現スパーズ監督)「凄い選手だよ。陽の当たらないこともあるが、自分のパフォーマンスのレベルがもう一段上げられることも理解している」



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ということで、チームの色があるものとしては自分の好きなスパーズのものが続いてしまったけど、こういうトーンの記事を追ってしまうもんで、また選んでしまった。FAカップの試合もどんどん中継してくれると良いんだけどなー。

Saturday, January 12, 2013

アウェー・チケットにもファイナンシャル・フェア・プレーを

プレミアリーグのチケット代に関する考察は、以前「プレミアリーグの高額チケットが追いやるもの」で紹介した。おとといあたりから話題になっているのは、日曜にエミレーツで行われる試合のアウェー・チケットが売れず、シティが割り当て分の余りをアーセナルに突っ返した、という件。アーセナルのファンもチケット代高騰に反発して行進をするなどしており、メディアはこぞって高騰するチケット代についての問題を記事にしている。ここで選んだのは、「ガーディアン」紙のポール・ウィルソン氏のコラム。(※最近の為替のレートは、1ポンド140円前後)


++(以下、要訳)++

既に、日曜のアーセナル戦でアウェー用に割り当てられたチケットのうち900枚を、62ポンドという料金が高すぎると考えたマンチェスター・シティがアーセナルに返した、という話はご存じだろう。この件は、イングランドでのチケット代の狂ったような高騰が分水嶺もしくは転換点になっておかしくない、と思わせるには十分だった。

同様に2,000人弱のシティのファンが喜んで -いや、おそらく喜んでではないだろうが。いずれにしても彼らはチケットを買った- 62ポンドのチケット代を払い、シティのファンが買わなかった分はアーセナルのファンが喜んで買うだろうから、アーセナルは困ることもないだろう。62ポンドというのは、エミレーツでのカテゴリーAの試合のチケット料金だ。特にビッグクラブ同士の対戦の場合には、ホームのクラブはアウェー側で不要となったチケットについては簡単に買い手を見つけることができてしまう。ということは、これはチケット代高騰に対する抵抗の流れなのか、それともアウェーのサポーターにはより少ない枚数のチケットを割り当てる、という流れの始まりなのだろうか?

ひとつ確かなのは、クラブはチケットを得ることしか考えていない、ということだ。彼らは、スチュワードに追加コストがかかることやサポーター同士を隔離する必要があることことから、実際のところ誰がチケットを買おうがさほど気にしてはいないし、アウェーのファンの数を可能な限り少なくするためにアウェー席のチケット代を高く留めておこうとしても、それはさほど大きな驚きではない。そうしてるクラブは既にある、と主張する者もいるだろう。交通費をはじめとするその他の必要コストも値上がりする中、アウェーのサポーターが支払わねばならない追加料金がアンフェアな重荷となるのは当然だ。

例えばニューカッスルがアウェー席をどこに割り当てるかを見てみれば、数多くのホームのファンを抱える彼らが、アウェーに駆け付ける相手クラブのファンを居心地悪くしようとしている、と思うのはたやすいことだ。逆にウィガンのようなクラブは、入場料を払ってくれる全員に感謝し、アウェーのファンであろうが、喜んでゴール裏全体を開放している。

ここで言いたいことは、アウェーのファンがしばしば酷い仕打ちを受けるということではなく、各クラブは彼らを好きなように扱えるということだ。存在しているべき規定は無いのだろう。アーセナルの求める62ポンドという料金の支払いの拒否についてコメントしたマンチェスター・シティの広報の1人は、「多くのファンは支払うこともできたが、ロンドンのクラブがおちょくってきていると感じて、多額の金を払うことを拒否したのだろう」と語った。文句は無い。アーセナルのファンは、エミレーツでのチケット代がシーズン平均で言えば37ポンド程度だ、と指摘するだろうが、彼らにしたってカテゴリーAに区分される強敵との試合では60ポンドを支払うのだから。


ロンドンの上位クラブたちのチケット代の高さは悪評高いが、これはマンチェスター・シティのようなクラブに選手が流出しないように巨額のサラリーを支払わざるを得なくなった結果として、年俸総額が非常に高くなっているからであり、最も必死になっているのがアーセナルだ。シティはロビーニョやアデバヨルにバカげた金の使い方をしてサラリーのインフレを生む前に、キチンと自分たちのファンベースを認識していなかった。したがって、高いチケット代への責をシティのサポーターに浴びせるのは誤りなのだろうが、昨季タイトルを獲ったことで、自分たちは区分上の最高レベル、カテゴリーAであり、それに合わせた料金設定となってしまうのだ。

一般的に言えば、大部分のアーセナル・ファンが日曜日の試合に60ポンド程度を払っているのであれば、シティが異論を唱える余地はなくなる。彼らとて、身も凍る北部からやってきた恵まれない従兄弟たち、というわけではないのだ。より興味深い質問は、試合を観るためにこれだけ高い金額を支払っているアーセナルのファンたちはどう感じているのか、ということだ。リーグで最も高価なスタジアムから値段に見合う価値を得ているとは思っていないというのは明らかな中、TV放映権からの追加収入は来季からクラブの更なる収入源になる。アーセナルのファンは、スタジアムに通うサポーターに正当なチケット料金を設定して欲しい、と各クラブに嘆願する活動では先頭に立っている。

彼らの主張はこうだ。プレミアリーグのクラブはすべての席を20ポンド(高くない席であれば3分の1)を値下げしても、追加のテレビ放映権収入で利益を生めるはずだ。そうすることで、観客たちもスタジアムに帰ってきて、皆にメリットがある。そして、ヒルスボロの悲劇の後の報告書でテイラー判事が「全席指定のスタジアムであっても観客にそのコスト増を転嫁する必要はない」とした精神を引き継ぐことができる、というものだ。もちろん、そんなことは起こりやしない。各クラブは追加の収入があるのであれば、それは将来を考えてサポートの継続のためにいくらか投資をするよりも、選手や代理人に資金をつぎ込んでいくのだ。

少し脱線する。アウェー・チケットの料金は、アーセナルが62ポンドに設定し始める前から議論の中心だった。今シーズンはまだ半分が経過したところではあるが、私は不道徳なチケット代に不満を持つアウェーのファンの声を数え切れなくなっている。「ウチはあいつらを20ポンドで入れてやったのに、ウチには35ポンドも払わせやがる」、「自分たちのチケットを値上げしないで、俺たちの分だけあげやがった」といった具合だ。高過ぎると言ってシティがアーセナルに返した900枚のチケットは、自分たちでさばけてしまうのであればアーセナルには問題にならないだろう。証明されてしまってるようなものだが、需要と供給の関係は狂った形で成り立っていて、その意味でチケット代は高過ぎないのだ。62ポンドで900枚ということは5万6000ポンドくらいの収入にあたる。アーセナルやシティにとってははした金だろうが、大半のフットボールクラブには5万6000ポンドと言えば多くの使い道がある。全部で7,500ポンドの移籍金でできているブラッドフォード・シティ(現在4部ながら、リーグカップでアーセナルやアストン・ヴィラを破って話題になっている)がその7倍の金額を手にしたら、どれだけ良いチームになるだろうか?


トップクラブは、アウェーのファンが貢献する利益に無関心なだけでなく、彼らが試合当日にもたらす雰囲気も軽んじているようだ。両チームのサポーターがいないのであれば適切なフットボールの試合とは言えないし、飾りだけのようになりつつあるプレミアリーグでのアウェーのファンの存在感は、より多くの人数が駆け付けてより良い雰囲気を醸し出すカップ戦のそれとは比べるべくもなくなった。

ウェストハムは、オールド・トラフォードでのFAカップ再試合の彼らの割り当て分を既に完売した。1枚45ポンドだ。これは反対方向に旅をすることになるシティがチケット代を払いたがらないことと矛盾するようにも思えるだろうが、アイアンズ(訳注「ハマーズ」と同様のウェストハムの愛称)のファンは、歴史的な「俺はあそこにいた」という瞬間の可能性を逃したくないのだ。おそらく将来にわたって自慢できることであり、そのために自分たちは喜んで努力をするのだ。

これこそ現在のプレミアリーグが欠いてしまっているアウェー・サポーターの質だ。いまや観客はすっかり大人しくなり、彼らは呆れるような扱いで高い料金を課されている。フットボールにおいてユニークな存在であり続けてきた存在を守るという意味では、アウェーのファン向けの「ファイナンシャル・フェア・プレー」を導入すべきなのではないだろうか。プレミアリーグの試合のアウェーチケットは、ホームのファン向けの最安のチケットよりも高くなるべきではない。いつも同じであるべきなのだ。一番観にくい場所ではあるだろうが、アウェーのファンは最も安い席を割り当てられれば良い。しかし、今はそこにいるために、必要以上の金を支払わされているのだ。アウェーのファンは必要だし、価値があり、最近は暴れることもない。プレミアリーグには彼らをもっと尊重する財力があるはずだ。

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雰囲気を作り出す、という意味でのアウェー・サポーターのことにはいろいろと思うことがある。ホワイト・ハート・レーン通いしていた時には、相手がニューカッスル(ボロ負けしててもずっと歌ってる)とフラム(そもそも来ない)じゃ全然違ったし、チャンピオンズリーグでブレーメンのファンが来た時は、そりゃいつもと違う雰囲気だった。

お前らの応援なんて大したことないな、と少人数のアウェーのファンとしてホーム側に言える時なんて気分が良いものだし、そう言われるホームのファンが一層盛り上げる、なんてこともあって、イングランドの「あの」雰囲気は作られてもいる。それができにくいレベルにまでチケット代が上がってきているのも事実なんだろうけど。62ポンドって、今のレートで8,500円超えだし。

オマケ。いずれもホワイト・ハート・レーンでのスパーズvsアーセナル。



最初のはアーセナル・ファンが「(お前らの声が聞こえないから)代わりに歌ってやろうか?」ってチャントで、次はスパーズ・ファンが「お前らのサポートはクソだな」とふっかけているもの。前者は2010年のカーリングカップの試合で、アーセナルのファンがゴール裏まで来てるけど、プレミアの試合の時にはこんなに割り当ては無くて、後者のように角に追いやられてる。

どのチーム同士の試合でも、こんなやり合いは常にあって、楽しい雰囲気作りにも一役買ってるんだよね。

Wednesday, January 9, 2013

ムサ・デンベレはいかにルカ・モドリッチの穴を埋めたのか

「FourFourTwo」は、ほんの一時期日本語版も出ていたイギリスのフットボール雑誌。そのウェブ版に、データに特化したコラムが掲載される『Stats Zone』なるコーナーがあるのだけど、そこによく寄稿しているのがフリーライターのマイケル・コックス氏。先日は「ガーディアン」紙に書いていたマンチェスター・ダービーのプレビューを紹介したが、彼がここでピックアップしたのは、トッテナムのムサ・デンベレ。

彼がいかにしてルカ・モドリッチの穴を埋めているのか、というのを、Optaのデータを活用してこの「FourFourTwo」誌がiTunesで提供するアプリ、「Stats Zone」を使って解説している。


++(以下、要訳)++

年末の「デイリー・メール」の素晴らしいインタビューでは、ムサ・デンベレはトッテナム加入後に彼がすんなりと役割を引き継いでみせたルカ・モドリッチとの比較を避けていた。「自分がルカの後を継いでいると考えたことは無いよ。自分では全然違う選手だと思っている。彼のプレーには凄く感銘を受けたけど、彼のスタイルはまた違うよね」

ある意味、デンベレはモドリッチの直接的な代役ではない。アンドレ・ヴィラス・ボアスがハリー・レドナップからチームを引き継いでいる、ということはトッテナムのプレースタイルが大きく変わっていることを意味していて、中盤の構成も違ってきているのだ。

レドナップの下で、スパーズは若干古いイングランドのスタイルを取り入れ、中盤はワイドに開いてスピード溢れる攻撃を見せるウィングたちにボールを散らすことが役割だった。少なくとも就任直後の早い段階では、ヴィラス・ボアスは中盤の3人がコンスタントに入れ替わることによる、選手たちのタテ方向への展開を求めていた。

たまたま最近のスパーズは、ハリー・レドナップがトッテナム時代に好んでいた形に近い4-4-2のシステムに戻してきている。中盤の三角形の頂点で使われるクリント・デンプシーやギルフィ・シグルズソンの調子の波が、ヴィラス・ボアスにジャメイン・デフォーとエマニュエル・アデバヨル -結果的に2-5で敗れたアーセナル戦での退場はあったにせよ- との2トップへとスタイルを変えさせた。

それがデンベレの役割も若干変えることになった。ヴィラス・ボラス就任からから間もない頃、特にリーグ初勝利となったアウェーのレディング戦では、デンベレは中盤のローテーションの触媒となっていた。サンドロよりも低い位置まで引くこともあれば、シグルズソンを追い越しもした。現在は、彼の横にサンドロがいるだけで、トッテナムの中盤はより固定された形になっている。サンドロが後ろに残って相手を止め、デンベレが前に攻撃に出る、という形だ。その意味で、現在のデンベレの役割はモドリッチのそれに近くなっている。フィジカル面では全く異なるが、少なくともピッチ上の役割で言えば、彼らは同様だ。

それでももちろんひとつの重要な例外がある。デンベレは依然として非常にダイレクトな選手で、突然ペースを上げてピッチ中央をドリブルし、相手をスピードで置き去りにすることもできる。モドリッチも相手に勝つことはできるだろうが、デンベレほどの頻度ではない。


それにしてもデンベレのパス能力は素晴らしい。元々ウィングやフォワードとしてプレーし、ボールを一人で前に運ぶことに慣れている選手であることから、パスは気まぐれなものになると思うだろう。しかし、彼はプレーをワイドに広げようというときには、極めて信頼性の高い選手である、ということが、最近の2つの試合でのデータからも分かる。



デンベレのパス展開はモドリッチを思い起こさせるものだ。今季と昨季の同じ、ホームでのストーク戦でデンベレとモドリッチを比較してみよう。デンベレが考えているよりも、多くの共通点が見いだせる。中央左に位置し、パスは大抵横向きだ。


明確な違いはその正確性だ。モドリッチは常に信頼の置けるパサーだと考えられているが、昨季のパス成功率は87.4%だった。今季のデンベレは、91.2%だ。

モドリッチはより野心的なパスを出すことを狙っていて、1試合平均で2.7回の決定機をチームメイトにもたらしていたが、デンベレはそれが2.0回となり、これがモドリッチのパスに失敗が多いことの理由になるだろう。そしてもう一点驚きなのは、デンベレが1試合平均で1.1本しかシュートを打たないというのは、彼が務めてきたポジションの変遷から言っても驚きに値する。モドリッチは平均2.3本だ。デンベレ本人が先に紹介した記事でも説明しているように、彼は幼少時にストリート・サッカーに没頭していた。そこではシュートによるゴールは無く、ドリブルで相手をかわし、街頭にボールを当てることが目的だった。シュートを打つことをためらい、タイトなエリアでもディフェンダーにチャレンジしていく、という彼の好みも理解できるだろう。

それでも、スパーズがモドリッチのレベルと同等のパス能力を持つ選手を何とか後継者として迎え入れることができた、という事実は印象的だ。デンベレは依然選手として成長できるし、ファイナル・サードでの貢献度を高めることができるだろう。それでも純粋に中盤エリアに限って言えば、スパーズはモドリッチの移籍による質の低下には困っていないのだ。

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個人的には、デンベレとサンドロにパーカーが加わった3枚の中盤、って形で機能したら凄いだろうな、と考えてるから2枚でも3枚でもフレキシブルに使えるようになってて欲しいけど、デンベレの適応は早かったね。ちょっと猫背でボール持って上がって、あのネットリしたドリブルしてくれると心躍るし。モドリッチの「いちいち正しい」プレーの選択にもいつも唸らされてたけど、デンベレにも趣があって、見ていて飽きない。