++(以下、要訳)++
既に、日曜のアーセナル戦でアウェー用に割り当てられたチケットのうち900枚を、62ポンドという料金が高すぎると考えたマンチェスター・シティがアーセナルに返した、という話はご存じだろう。この件は、イングランドでのチケット代の狂ったような高騰が分水嶺もしくは転換点になっておかしくない、と思わせるには十分だった。
同様に2,000人弱のシティのファンが喜んで -いや、おそらく喜んでではないだろうが。いずれにしても彼らはチケットを買った- 62ポンドのチケット代を払い、シティのファンが買わなかった分はアーセナルのファンが喜んで買うだろうから、アーセナルは困ることもないだろう。62ポンドというのは、エミレーツでのカテゴリーAの試合のチケット料金だ。特にビッグクラブ同士の対戦の場合には、ホームのクラブはアウェー側で不要となったチケットについては簡単に買い手を見つけることができてしまう。ということは、これはチケット代高騰に対する抵抗の流れなのか、それともアウェーのサポーターにはより少ない枚数のチケットを割り当てる、という流れの始まりなのだろうか?
ひとつ確かなのは、クラブはチケットを得ることしか考えていない、ということだ。彼らは、スチュワードに追加コストがかかることやサポーター同士を隔離する必要があることことから、実際のところ誰がチケットを買おうがさほど気にしてはいないし、アウェーのファンの数を可能な限り少なくするためにアウェー席のチケット代を高く留めておこうとしても、それはさほど大きな驚きではない。そうしてるクラブは既にある、と主張する者もいるだろう。交通費をはじめとするその他の必要コストも値上がりする中、アウェーのサポーターが支払わねばならない追加料金がアンフェアな重荷となるのは当然だ。
例えばニューカッスルがアウェー席をどこに割り当てるかを見てみれば、数多くのホームのファンを抱える彼らが、アウェーに駆け付ける相手クラブのファンを居心地悪くしようとしている、と思うのはたやすいことだ。逆にウィガンのようなクラブは、入場料を払ってくれる全員に感謝し、アウェーのファンであろうが、喜んでゴール裏全体を開放している。
ここで言いたいことは、アウェーのファンがしばしば酷い仕打ちを受けるということではなく、各クラブは彼らを好きなように扱えるということだ。存在しているべき規定は無いのだろう。アーセナルの求める62ポンドという料金の支払いの拒否についてコメントしたマンチェスター・シティの広報の1人は、「多くのファンは支払うこともできたが、ロンドンのクラブがおちょくってきていると感じて、多額の金を払うことを拒否したのだろう」と語った。文句は無い。アーセナルのファンは、エミレーツでのチケット代がシーズン平均で言えば37ポンド程度だ、と指摘するだろうが、彼らにしたってカテゴリーAに区分される強敵との試合では60ポンドを支払うのだから。
ロンドンの上位クラブたちのチケット代の高さは悪評高いが、これはマンチェスター・シティのようなクラブに選手が流出しないように巨額のサラリーを支払わざるを得なくなった結果として、年俸総額が非常に高くなっているからであり、最も必死になっているのがアーセナルだ。シティはロビーニョやアデバヨルにバカげた金の使い方をしてサラリーのインフレを生む前に、キチンと自分たちのファンベースを認識していなかった。したがって、高いチケット代への責をシティのサポーターに浴びせるのは誤りなのだろうが、昨季タイトルを獲ったことで、自分たちは区分上の最高レベル、カテゴリーAであり、それに合わせた料金設定となってしまうのだ。
一般的に言えば、大部分のアーセナル・ファンが日曜日の試合に60ポンド程度を払っているのであれば、シティが異論を唱える余地はなくなる。彼らとて、身も凍る北部からやってきた恵まれない従兄弟たち、というわけではないのだ。より興味深い質問は、試合を観るためにこれだけ高い金額を支払っているアーセナルのファンたちはどう感じているのか、ということだ。リーグで最も高価なスタジアムから値段に見合う価値を得ているとは思っていないというのは明らかな中、TV放映権からの追加収入は来季からクラブの更なる収入源になる。アーセナルのファンは、スタジアムに通うサポーターに正当なチケット料金を設定して欲しい、と各クラブに嘆願する活動では先頭に立っている。
彼らの主張はこうだ。プレミアリーグのクラブはすべての席を20ポンド(高くない席であれば3分の1)を値下げしても、追加のテレビ放映権収入で利益を生めるはずだ。そうすることで、観客たちもスタジアムに帰ってきて、皆にメリットがある。そして、ヒルスボロの悲劇の後の報告書でテイラー判事が「全席指定のスタジアムであっても観客にそのコスト増を転嫁する必要はない」とした精神を引き継ぐことができる、というものだ。もちろん、そんなことは起こりやしない。各クラブは追加の収入があるのであれば、それは将来を考えてサポートの継続のためにいくらか投資をするよりも、選手や代理人に資金をつぎ込んでいくのだ。
少し脱線する。アウェー・チケットの料金は、アーセナルが62ポンドに設定し始める前から議論の中心だった。今シーズンはまだ半分が経過したところではあるが、私は不道徳なチケット代に不満を持つアウェーのファンの声を数え切れなくなっている。「ウチはあいつらを20ポンドで入れてやったのに、ウチには35ポンドも払わせやがる」、「自分たちのチケットを値上げしないで、俺たちの分だけあげやがった」といった具合だ。高過ぎると言ってシティがアーセナルに返した900枚のチケットは、自分たちでさばけてしまうのであればアーセナルには問題にならないだろう。証明されてしまってるようなものだが、需要と供給の関係は狂った形で成り立っていて、その意味でチケット代は高過ぎないのだ。62ポンドで900枚ということは5万6000ポンドくらいの収入にあたる。アーセナルやシティにとってははした金だろうが、大半のフットボールクラブには5万6000ポンドと言えば多くの使い道がある。全部で7,500ポンドの移籍金でできているブラッドフォード・シティ(現在4部ながら、リーグカップでアーセナルやアストン・ヴィラを破って話題になっている)がその7倍の金額を手にしたら、どれだけ良いチームになるだろうか?
トップクラブは、アウェーのファンが貢献する利益に無関心なだけでなく、彼らが試合当日にもたらす雰囲気も軽んじているようだ。両チームのサポーターがいないのであれば適切なフットボールの試合とは言えないし、飾りだけのようになりつつあるプレミアリーグでのアウェーのファンの存在感は、より多くの人数が駆け付けてより良い雰囲気を醸し出すカップ戦のそれとは比べるべくもなくなった。
ウェストハムは、オールド・トラフォードでのFAカップ再試合の彼らの割り当て分を既に完売した。1枚45ポンドだ。これは反対方向に旅をすることになるシティがチケット代を払いたがらないことと矛盾するようにも思えるだろうが、アイアンズ(訳注「ハマーズ」と同様のウェストハムの愛称)のファンは、歴史的な「俺はあそこにいた」という瞬間の可能性を逃したくないのだ。おそらく将来にわたって自慢できることであり、そのために自分たちは喜んで努力をするのだ。
これこそ現在のプレミアリーグが欠いてしまっているアウェー・サポーターの質だ。いまや観客はすっかり大人しくなり、彼らは呆れるような扱いで高い料金を課されている。フットボールにおいてユニークな存在であり続けてきた存在を守るという意味では、アウェーのファン向けの「ファイナンシャル・フェア・プレー」を導入すべきなのではないだろうか。プレミアリーグの試合のアウェーチケットは、ホームのファン向けの最安のチケットよりも高くなるべきではない。いつも同じであるべきなのだ。一番観にくい場所ではあるだろうが、アウェーのファンは最も安い席を割り当てられれば良い。しかし、今はそこにいるために、必要以上の金を支払わされているのだ。アウェーのファンは必要だし、価値があり、最近は暴れることもない。プレミアリーグには彼らをもっと尊重する財力があるはずだ。
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雰囲気を作り出す、という意味でのアウェー・サポーターのことにはいろいろと思うことがある。ホワイト・ハート・レーン通いしていた時には、相手がニューカッスル(ボロ負けしててもずっと歌ってる)とフラム(そもそも来ない)じゃ全然違ったし、チャンピオンズリーグでブレーメンのファンが来た時は、そりゃいつもと違う雰囲気だった。
お前らの応援なんて大したことないな、と少人数のアウェーのファンとしてホーム側に言える時なんて気分が良いものだし、そう言われるホームのファンが一層盛り上げる、なんてこともあって、イングランドの「あの」雰囲気は作られてもいる。それができにくいレベルにまでチケット代が上がってきているのも事実なんだろうけど。62ポンドって、今のレートで8,500円超えだし。
オマケ。いずれもホワイト・ハート・レーンでのスパーズvsアーセナル。
最初のはアーセナル・ファンが「(お前らの声が聞こえないから)代わりに歌ってやろうか?」ってチャントで、次はスパーズ・ファンが「お前らのサポートはクソだな」とふっかけているもの。前者は2010年のカーリングカップの試合で、アーセナルのファンがゴール裏まで来てるけど、プレミアの試合の時にはこんなに割り当ては無くて、後者のように角に追いやられてる。
どのチーム同士の試合でも、こんなやり合いは常にあって、楽しい雰囲気作りにも一役買ってるんだよね。
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