昨日8試合の出場停止と4万ポンドの罰金との裁定が下ったユナイテッド戦でのパトリス・エヴラとのいざこざや、先日のフラム戦での相手サポーターに対する振る舞いからダーティーなイメージが付きまとうリバプールのルイス・スアレス。裁定の前のものだけど、そんな彼を別の角度から捉えようとする記事を出したのは「インディペンデント」紙のロリー・スミス記者。つい最近まで「テレグラフ」紙に在籍していたはずが、いつの間にか"移籍"していたのだが、彼の記事はいつもしっかり書かれていて好感が持てるから、どこの所属でも良いから骨太に書き続けて欲しい。
++(以下、要訳)++
レフェリーたち、対戦相手、ファン、そして敵たちの全てがルイス・スアレスのことは分かっていると考えている。スアレスはアヤックスの共食い野郎で、アフリカン・ドリームを幾度となくコケにする男だ。
直近ではフラムのファンに対して明らかな怒りの感情と共に指を立て、より深刻にはパトリス・エヴラに対する直接の人種差別的な発言を責められている。彼はイカサマ師で悪党、そして災難のもとなのだ。
しかし、彼と共に育ち、彼の人格を形成し、彼と遊び、彼とチームメイトとなり、友達となった彼をよく知る人々に話を聞いてみると、そのイメージは崩れ始める。スアレスを描写するために使われてきた、様々な軽蔑的な悪口は、ほぼ全て覆されてしまう。
ナシオナルのユース時代からの仲間で今でも親友のマティアス・カルダシオは、誰もが共感したごく初期のスーパースターだったスアレスを思い出す。子供だったスアレスをスカウトしたディレクターのアレシャンドロ・バルビは、彼がヨーロッパで「理解し難い」と形容された評判に理解を示す。2人ともスアレスは「謙虚で親切、静か」だったし、今でもそうだという点で意見が一致している。
「彼との思い出の全ては優しさに包まれたものだ」と語るのはかつてマンチェスター・ユナイテッドでプレーし、スアレスのヨーロッパで最初のクラブとなったオランダのフローニンヘンでコンビを組んでゴールを量産したエリック・ネヴランドだ。「最初はそもそも言葉ができなかったし、落ち着くまではもうひとりのウルグアイ人のブルーノ・シルバと過ごすことが多かった。彼には難しい時期だったけど、ロッカールームではいつも笑ってたよ。凄く良い意味でルイスを忘れるってのは難しいことだね」
スアレスの一番最近の騒動の場を提供してしまったフラムで監督務めるマルティン・ヨルも意見は同様だ。アヤックス時代にスアレスを守る立場だったヨルは、スアレスを「本物のキャプテン」だった、と振り返る。
スアレスと共にスタメンに名を連ねるリバプールの面々も、これには同意するだろう。スアレスは長くスタメンに定着しているが、それは単に彼のイングランドへの適応を助けた南米人の仲間がクラブにいたからではない。彼や彼の家族は確かにマキシ・ロドリゲスやルーカス・レイバ、最近加入したセバスチャン・コアテスと過ごす時間が長いが、クラブにはスティーブン・ジェラードやジェイミー・キャラガー、ペペ・レイナといったアンフィールドの影響力ある強者たちがいるのだ。ダルグリッシュが「ルイーズ」と形容するこのストライカーへの愛情は本物だ。ダルグリッシュは、スアレスが初めてメルウッドのトレーニング場を娘たちと共に訪れた時の喜びの表情をよく覚えていて、それ以来ずっと笑顔を保ち続けていると信じている。
しかし、彼は常に笑顔なわけではない。フラム戦の後には、主審のケヴィン・フレンドから適切に守られなかったことや90分間にわたって彼に向けられた野次、敗戦の痛みなどから来る苛立ちから我慢の限界を超え、手袋をした手でクレイヴン・コテージにジェスチャーを作った。
彼はエヴラに人種差別的な発言を行ったとして責められているアンフィールドでのマンチェスター・ユナイテッドとの対戦の時には、不機嫌に相手と衝突しており、笑顔ではなかった。そして、FAからの調査を受け、「スペイン語の"negrito"のニュアンス」をもって自己弁護をしようとしている時には、全く笑顔ではないだろう。
もちろん、フットボールの選手がひとたびピッチに上がるとプライベートとは全く異なる、ということに驚きは無いし、スアレス本人もそれは認めている。「妻のソフィアは、僕が家でもピッチでプレーしている時と同じだったら、もう妻ではいないつもり、って言ってるよ」と笑う。しかし、その差が大き過ぎることがより詳細な調査へとつながってしまってもいる。
前出のネヴランドは「色々な人があれこれ言っている人間と、僕がプレーしたルイスが同一人物とはちょっと思えないね」と語るが、ひとつ明確な説明が続いた。「彼にとっては勝つことこそ全てなんだ」
これは、スアレスに出会ってきた人々に共通するテーマだ。ミランにも所属したカルダシオは「ウルグアイ人は決して敗北を受け入れない。それでもルイスは誰とも違っていたよ。14歳にして失ったボールは決してあきらめずに取り返しに行ってたよ。ある試合で、俺たち21-0で勝って、ルイスは17ゴール決めたんだけど、それでも一瞬たりとも止まらなかったね。彼は勝ったとは考えないんだ。いつだってより多くを求めるんだよ」
その点にしても、エリートのスポーツマンとしては決して珍しいことではない。スアレスの際立った特質を示す唯一の方法なのだ。あるオランダ人心理学者が、昨年11月にPSVアイントホーフェンのオットマン・バッカルに噛み付いた事件を調査し、原因は敗北への失望にあるのではないかと考えた。バルビは、フラム戦でのジェスチャーと同様、彼がそれをいかに真剣に受け止めているかということ、と見ている。
バルビは続ける。「ルイスは試合を感じ取るんだよ。こんなことはウルグアイじゃ起きなかった。アイツが退場になったことだって記憶にないね。いつも礼儀正しくて丁寧な男だった。でも、ワールドカップでジダンに起きたことを見れば、最高の選手でも時には我を失うこともあり得るんだろうね」
ジダンのマテラッツィへのヘッドバットは、スアレスに突き付けられている人種差別への責めに比べれば些細なことだ。スアレスに処分が下るようであれば、彼のイメージは一気に墜ち、イングランドでのキャリアすら危ういものになるだろう。リバプールのオーナーたちも、評決がクラブの評判にもたらす影響を懸念している。
カルダシオは、「小さな頃から凄く礼儀正しいし、エヴラを侮辱するだなんて信じられないよ」と語る。バルビも考えうる一番の強い言葉でこれに同意した。「今かけられている人種差別の疑いは、決してルイスがどういう人物か、という話と同じではないと保証できる」
ひとつの懸念は、勝つためには何でもするという男であれば、そういう手段に頼ることも考えられる、ということだ。カルダシオも、スアレスの絶え間ない衝動が時として「すべきでないことをする」ことにつながることは認めている。しかし、それはむしろシミュレーション -南米人はそれを狡猾さや抜け目の無さと表現したがるが- に当てはまると考えており、スアレスがそうした差別的発言での侮辱をするとは想像できない、と言う。
しかし、スアレスを見るイングランドの観客たちにとっては、彼は腹いっぱいのシミュレーションをする悪党であり、状況が異なる。友人には謙虚で礼儀正しいと言われる男が、プレミアリーグでは手に負えない子供扱いされているのだ。このような文脈の下では、ワールドカップでああした形でガーナを下したことを喜ぶ男が、先天的な狡猾さを見せた所でスキャンダルに巻き込まれるのは簡単に想像できよう。
スアレスは、そうした評判を受けてしまった最初の選手というわけではない。エリック・カントナ、クリスティアーノ・ロナウド、ディディエ・ドログバ…、彼らは皆、スアレスに集まってしまう視線とどう対処したら良いかアドバイスできるだろう。マリオ・バロテッリはスアレスの前に注目を集めたが、彼は試合と関係ない話に関心を持たれることへの当惑を雄弁に語り、それがピッチ上での彼への視線が他の選手と異なっていることの原因だと信じている。
ネヴランドは「イングランドはまた違うところで、外国人選手にとっては馴染むのが凄く難しいこともある」と語り、バルビはやがてそれはスアレスにイングランドから出ていくこと考えさせるだろうと続けた。「彼は繊細なんだ。周りの人が彼をどう見てるか、凄く心配していると思う」
ここでも考え方は二分されるだろう。スアレスをプレミアリーグに蔓延する疫病と考える面々にとっては、彼に処分が下るなら追放する良い機会だと考えるだろうし、これに反対するのは難しい。処分が無かったとしても、彼の評判に付きまとう汚点は、彼を追い出してしまうには十分なものだ。もちろん、逆の考えで、彼が出ていくとなれば取り乱す人もいるだろうし、それは彼が熱愛するアンフィールドだけではないだろう。
そして彼の友人たちにとっては、尽きることのない無念だ。カルダシオは「俺はルイスとプレーした8年間を忘れることはないよ。俺たちにとって、アイツは最も愛されて、皆心酔してきた選手なんだ。国全体にとっての偉大なる誇りさ」 ウルグアイにおいても、"シミュレーションする手に負えない子供"とは全く異なるスアレスがいて、人々はスアレスを知っていると考えている。彼らが知っているスアレスは、我々が知るに至ったスアレスとは別人なのだ。
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基本的には皆メディアを通じてしか分からないことだと思うんだよな。咀嚼の仕方なんだろうけど、結局今のイングランドのメディアが一気に叩きにかかってるところを見ると、そうじゃないだろ、と感じるところも出てきて…。擁護しようとか、そういう話じゃないんだけど。