今回ピックアップしたのは、地元の復興に力を貸すスパーズのレドリー・キングが、地元の人々向けに講演した話から始まる「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター氏の記事。少し前の記事なのだけど、スパーズというチームの描写に深みが出てて面白い。
++(以下、要訳)++
夏にロンドンで暴動が起きた時、それはまずトッテナムから始まり、より激しくなっていった。石油爆弾が投げ込まれ、略奪が横行し、警察が行く手を阻む期間が長く続いた。
その暗黒の8月以来、コミュニティのどのセクションも再建に忙しくしているが、それは街の中心でもあるトッテナム・ホットスパーも同じだ。
スパーズのキャプテンであるレドリー・キングは、「暴動はこのエリアに大きなダメージを与えたね。何の罪もない数多くの人々が影響を受けたんだ。クラブがここでそうした人へのサポートをするのは大事なことで、選手たちもコミュニティでできることをしているんだ。僕自身、地元だからね」
キングはピッチでそうであるのと同じように、周囲の手本となっている。トッテナム・ホットスパー基金とプレミアリーグ・グローバル起業家週間をサポートして、地元の人々が自ら起業するのを支援しているのだ。「新しいビジネスを始めてみよう、って話さ。困難に負けて諦めるんじゃなくて、それを跳ね返すのさ」そうキングは説明した。
起業家のアラン・シュガーのようになりたいと願ってホワイト・ハート・レーンの会議場に集まった聴衆たちに、キングはフットボールを例えに語りかけた。「業界」の特色や発見、チームとして働くこと。スパーズには間違いなくこれらの特性を見て取ることができる。
月曜日のアストン・ヴィラ戦を前に、ハリー・レドナップのチームはブラッド・フリーデルやスコット・パーカー、エマニュエル・アデバヨルといった抜け目なく補強された選手たちと共に活気に満ちていた。「ブラッドの経験には言葉で言い表せない価値がある。皆を落ち着かせられるんだ」キングはそう語った。
「スコットには驚かされるよ。この間フィットネスのコーチと、ある試合で俺の運動量が40%も落ちた話で冗談を言ってたんだ。俺は『そりゃスコットのせいだ』って言ったよ。アイツがヘトヘトになってピッチから下がってるのに、俺はピンピンしてたんだからな!」
「スコットは最高の形でディフェンスラインの4人を守ってくれるんだ。ダヴィド・シルバやロビン・ファンペルシはディフェンスと中盤の嫌な場所を狙ってプレーしてくるだろ?ディフェンダーにはやりづらいんだ。それでも俺が1、2秒時間を稼げれば、スコットはいつだって戻って来てくれて、俺がポジションを大きく崩す前にボールを奪いに行ってくれる。全然戻ってこない選手だっているけど、スコットは違うんだよ」
「それにスコットはロッカールームでも最高だよ。静かなヤツなんだけど、ヤツが話す時はみんな聞くんだ」
キングはアデバヨルに対しても同様の印象を持っている。「シティから来たとなれば、何か突っかかって来るのか、意気消沈してるかと思う人間もいるだろう。でもマヌは初日から凄くはしゃいでたんだ。トレーニングに来ればいつだって一生懸命だし、チームに活気をもたらしてくれるんだ」
スパーズのゴールが生まれるのはそこからだけではない。「30ヤードの距離なら、ジャメイン(デフォー)がイングランドで一番だね。ボールをちょっと動かしてズドンさ。深く考えてない時が一番良いんだよ。信じられないレベルのフィニッシャーだし、いつだってゴールを上げることだけを考えているからね」
「彼も29歳で年齢を重ねてきてるけど、子供みたいなんだ。トレーニングが終われば『さっきの俺のハットトリック見た?』なんて言ってきてね。自分がどれだけ凄いか示したいだけなんだけどさ」
スパーズは、デフォー、アデバヨル、ルカ・モドリッチ、ラファエル・ファン・デル・ファールト、ギャレス・ベイル、そしてアーロン・レノン、と皆攻める気持ちを持っている。
「トレーニングで彼らが小さなトライアングルでプレーするのを見れば、そこにあるのは試合で見るあのテンポさ。マヌ、ルカ、ファン・デル・ファールトのような選手とウィングのあの速さを考えれば、このメンバーは俺がトッテナムでプレーしてきた中でも最強だよ」
キングはクラブがモドリッチをチェルシーに奪われずにキープしたことに喜びを見せる。
「チームとしては、俺らが皆彼に残って欲しい、一緒に戦って最高のシーズンにしたいと思ってる、と伝えたよ。ルカは本当にいいヤツで、クラブの誰とも上手くやってるよ。凄く難しい立場にあったと思うけど、やるべきことに集中して最高のフットボールを見せている。もう終わったことだと思いたいけど、結局は僕らが今シーズンをどう戦うかに懸かってるんだ。良い選手がいれば、他のクラブへの噂話に巻き込まれるのは避けられないし、次はギャレスに同じことが起きると思っている」
「長距離だったらギャレスはクラブで一番の早さだよ。10mから15mの初速だったらアーロンの方が速いと思うけど、ギャレスほどコンスタントにペースを維持できる奴を見たことがないね。ピッチの長い距離を同じ速さで走り続けられるんだ。フットボーラーには稀有な能力だよ。普通は瞬間的だからね」
「ギャレスは俺が見てきた中で一番のアスリートさ。フィットしてるし、速くてあの左足は魔法だね。完璧な選手を作りたいと思えば、ギャレスがそこにかなり近いと思う」
「ウチには本物のスピードがあると思う。バックラインを見てみろよ。カイル(ウォーカー)、ユネス(カブール)にベノワ(アス・エコト)。俺が一番遅いな!昔は一番スピードがあったのに!カイルも最高のアスリートで素晴らしいディフェンダーだと思う。ポジション面でも随分改善してきてるしね。アイツは前に行くのが好きなんだよ」
「そういうタイプの選手に多いのは、逆サイドで待ってるだけ、ってパターンなんだけど、今季の彼は適切なポジションが取れている。カバーも凄く良いんだ。ユーロの頃には、イングランド代表のレギュラーになっていると思うね」
レドナップはこうした才能を見事にブレンドしている。「中には難しい性格で知られる選手もいるけど、彼らも皆ハリーのためにプレーできるのさ。ハリーは人の心を掴むのが本当に上手いね。ハリーはたまに俺達がいかに凄いかを思い出させてくれる。素晴らしいチームで、どんな相手にでも勝てるんだ、とね」
「俺達が8試合無敗をキープできてるのは、俺達には本当に良いメンバーが揃ってる、と信じられるようになったからさ。ベストメンバーが組んだら、どこにだって肩を並べられるはずだ」
レドナップはキングを上手に起用している。膝への負担を考慮してトレーニングを免除することもある。そしてキングはファビオ・カペッロも同様の理由で称賛する。
「ワールドカップでファビオとは素晴らしい関係を築けたと思う。ファビオは俺がトッテナムでしているのと同じようにさせてくれたんだ。別に隔離されたわけじゃなくて、話し合ったんだ。俺には本当に良くしてくれて、色々助けてくれようとしてね。ケガをしてしまったのは本当に不運だったけど、それはよくあることさ」
アメリカ戦でグロインを痛めたキングは、それ以来代表でプレーしていない。「俺にとっても代表にとっても難しい問題だよ。もちろん気持ちは今でも持っているけど、どんどん遠ざかってはいるね。代表について言えば、俺にはピッチで馴染む時間が必要だ。もし俺がジム通いでチームのみんなと一緒にいないのだったら、ますます難しい。ワールドカップでやってみたけど、タフな経験だった」
「毎試合ピッチに出ては、怪我をしなかったことに安心する。痛みは感じてないけど、いつも違和感と制約を感じながらプレーしているんだ。もうそれには慣れる方法を学んだけどね。そんなには走らないし、前にもできるだけ出ない。俺、ピラティスやってるんだ」
ケガに対する苛立ちは、ピッチ外での軽率な行動にもつながった。既に謝罪をしていることだが、2009年にはロンドンのナイトクラブで不祥事を起こしている。
「この4年間は人生の中でも一番の試練の期間だった。落ち込んだよ。誰もがするように、俺だって過ちを犯した。ネガティブなことがこの4年間に起こっていて、それらは普段の練習ができずに、チームのみんなといられなかったことも原因だった。俺は強くならなきゃいけなかった」
31歳となったキングは、息子のコビーが草サッカーをしたがることに当惑することがある。
「時には膝に負担をかけられないから一緒にできない、と言うこともある。俺がゴールキーパーを務めることもね。息子は分かってくれるよ。この膝と共に育ったようなものだからね。俺のことを誇りに思ってくれてると思うし、俺がプレーしてたことを忘れないように、できるだけ長くプレーしたいと思っているよ」
「アイツ、俺にレノンのシャツをくれって言ってきたんだ。あげようかどうか迷ったね。キングのシャツは既に大量に持ってるよ。フットボールが大好きなんだ。トッテナムと同じくらいマンチェスター・ユナイテッドが好きなんだけどね…」
スパーズ一筋のキングも契約が来年の夏で切れるが、本人はここで続けたいと考えている。
「来シーズンだってプレーできるさ。どんな選手だって、自分の体のことは分かってるし、いつが辞め時かも理解している。俺の場合はそれはまだ、ってことさ。コーチの講習は受けてるけどね」
「バルセロナがトレーニングをしているのを見るのは楽しいよ。自分のプラスになるからね。もちろん、いつの日か監督かコーチになってみたいと思っている。でも俺にはまだまだこなせる試合が残ってるからね」
++++
ということで、チームメイトのことから自分のことまで、幅広くキングが語った記事。こんな選手がキャプテンやっててくれるのは嬉しいし、何より今シーズンはちゃんと試合に出て、しっかり守備を締めてくれている。来シーズン以降もドーンと構えてて欲しいところ。
Wednesday, November 30, 2011
Saturday, November 26, 2011
道を誤ったチェルシーに降りかかる危機
ホームでアーセナル、リバプールに連敗、不安定なディフェンスと噛み合わない戦術からチェルシーのアンドレ・ヴィラス・ボアスに吹き付ける逆風が一気に強まっている印象。これを「テレグラフ」紙のジェイソン・バート記者が各ポイントごとに指摘。さて、アブラノビッチの思いは…。
++(以下、要訳)++
不発気味のストライカーに規律の無さ、監督交代、チームの高齢化。チェルシーは下降期に直面していて、ここ7試合で4敗を喫している。
チーム
チェルシーは高齢化している。言い方を変えるなら、依然としてチームの核を30歳を超えるベテランに依存していて、その中には急速な衰えを見せている選手もいる。そして、それはモウリーニョ時代に「アンタッチャブル」で、今もチームに残って根幹を形成している選手たちに起きているのだ。
彼らは、当時以来そのままクラブに残っているが、時間の経過は世代と共に進み、アシュリー・コールやペトル・チェフにも衰えは出始めているのだ。例えば、存在感を下げているフランク・ランパードをどう使っていくか、出ていくであろうニコラ・アネルカやディディエ・ドログバの場合はどうか、そういう問題だ。
問題のひとつは、30代の選手たちが依然として大型契約で居座っていることだ。彼らはロンドンが大好きで、それを変えるのが難しいことはこの夏に実証済みだ。
ティボ・クルトワ、オリオール・ロメウ、ロメル・ルカクといった若い選手たちが加入し、監督はプロセスを加速させることを求められている。しかし、このうち何人がトップで通用するだろうか?この問題はカルロ・アンチェロッティが指摘した点で、23~27歳という世代に主力選手がいないことを個人的に懸念していた。
チェルシーは、フェルナンド・トーレスやダヴィド・ルイスの獲得によってこのギャップを埋めようとしたもの、今のところ機能してるとは言えず、ルカ・モドリッチやアルバロ・ペレイラについては獲得に失敗した。ベテランへの依存度を下げるには、この冬と来夏にまたトライする必要がある。
フェルナンド・トーレス
チェルシーの問題点を議論する時にトーレス個人を上げるのはアンフェアに感じられるが、彼の苦悩と5,000万ポンドの値札がクラブへのインパクトに直結し、ヴィラス・ボアスの首すら左右しかねない状況だ。同時に、クラブの無計画さをそのまま示してもいる。
ロマン・アブラモビッチは、それほど長くフェルナンド・トーレスを追っていたわけではなく、失敗を派手に帳消しにするために、あれだけの大金をつぎ込んだのだ。チェルシーの監督を誰が務めるにせよ、このスペイン人ストライカーのベストを引き出さねばならず、少なくともその努力をしなければならない。
フアン・マタがやって来て、彼が活きる形のフットボールを展開し始めてはいるものの、トーレスは未だに居心地悪そうに見える。トーレスに合わせるというのは、チェルシーの取っては磨耗の大きいプロセスで、トーレスの調子が監督の未来を左右してしまうのだ。
移籍
金を使ってくれない、とアブラモビッチを責める者はチェルシーにはいないだろう。しかし、アプローチはしばしば場当たり的で、お祭りだったり大飢饉だったり不可解なものだ。むしろ、クラブの真ん中に、戦略の重大な欠陥があるのだろう。そして、クラウディオ・ラニエリの時代以来、一体誰がどういう理由で選手を獲得しているのか、良く分からないのだ。
確かにヴィラス・ボアスには前任者よりも強い権限があると言われているが、結果的には優柔不断のレッテルを貼られているし、そもそもこれまでチェルシーには、アブラモビッチ買収時のティエリ・アンリに始まり、この夏のルカ・モドリッチに至るまで、本命を獲得できないという認めたくない現実がある。
規律
今季のチェルシーは、イエローカードとレッドカードで苦しんでいる。昨季はリーグで4番目にクリーンなチームだった(イエローとレッド計59枚)が、今季は5枚のレッドカードを含め、最もダーティーなクラブとなってしまった。そして、ヴィラス・ボアス自身も、レフェリーについてのコメントでFAから罰則を受け、それに抗議しているところだ。
戦術
当時のCEOだったピーター・ケニオンが言ってから誰もが知るように、アブラモビッチは、ペナルティエリアの角からのスペクタクルなボレーシュートが決まって5-0で勝つような、ファンタジー溢れるフットボールを観たがっている。
アブラモビッチはスリルとゴール、トロフィーを望んでいる。モウリーニョが勝っている間は彼を気に入っていたが、トロフィーを勝ち取れなくなると、フットボールが仰々しいものになった。
ヴィラス・ボアスが持ち込んだのは、まったく新しい一面だ。しかし、これまでのところ、彼は「新しい」エキサイティングな何かを築くのに必要な骨格を作れていない。彼は守備陣に、より厳しいプレスとボールを奪ってのカウンター攻撃をするために高いラインを敷くように要求している。
その結果、これまで12試合で17失点、アラン・ハンセンには「ナイーブ」との批判を受け、これを続けられるのか、疑問符を付けられた。今のところ、ヴィラス・ボアスはそれを続けている。
監督
弱冠34歳、ヴィラス・ボアスは、アブラモビッチが魅力に感じるであろう監督の基準を満たしている。彼は昨季ポルトで全てを勝ち取り、新しいモウリーニョのようだった。ただ、自信の持ち方は共通していても、気性やアプローチは異なっている。
アブラモビッチが望んでいたのは、勝者のメンタリティを持ちつつ、対立的な側面が薄らいだモウリーニョであり、その気持ちから、来夏まで待てばフリーであったにも関わらず、ヴィラス・ボアスを監督として引き抜くために1,330万ポンドの違約金を支払ったのだ。
ヴィラス・ボアスには厳しい職業倫理がある。時に練習場で眠るほど良く働き、完璧な英語を話し、優れたコミュニケーターとして選手たちとも「良好な関係」を築いている。と同時に、彼が取るのはバルセロナのペップ・グァルディオラをモデルにした単一のアプローチであり、また常に几帳面なほどにフェアに見られようとしている。考えてみれば、全ての決断が選手たちに説明されてきたわけではなく、何人かの選手たちは良い気分ではないようだ。
オーナー
アブラモビッチ体制下で成功できる監督はいるだろうか?いや、長く成功できる監督はいるだろうか?彼は、誰とでも上手くやっているかと思えば、長期間不在になり、時には異常にクラブに厳しく関わってくる。
判断はしばしば迅速に下される。
朝起きた時に、単純に変化が必要だ、と考えることもあるだろう。周囲の人間たちともすぐに仲良くなったと思えば対立し、驚くほどグループの仲間に影響されたりもする。
アブラモビッチの「黄金のサークル」が全てを握っている限り、アブラモビッチのチームの監督が誰であれ、その監督の助けにはならないだろう。
++++
開幕前にスパーズがトップ4に返り咲くにはどうなれば良いのだろうと考えていた時に、一番イメージしやすかったのが、チェルシーがコケることだった。やっぱ新監督って難しいのよね。
++(以下、要訳)++
不発気味のストライカーに規律の無さ、監督交代、チームの高齢化。チェルシーは下降期に直面していて、ここ7試合で4敗を喫している。
チーム
チェルシーは高齢化している。言い方を変えるなら、依然としてチームの核を30歳を超えるベテランに依存していて、その中には急速な衰えを見せている選手もいる。そして、それはモウリーニョ時代に「アンタッチャブル」で、今もチームに残って根幹を形成している選手たちに起きているのだ。
彼らは、当時以来そのままクラブに残っているが、時間の経過は世代と共に進み、アシュリー・コールやペトル・チェフにも衰えは出始めているのだ。例えば、存在感を下げているフランク・ランパードをどう使っていくか、出ていくであろうニコラ・アネルカやディディエ・ドログバの場合はどうか、そういう問題だ。
問題のひとつは、30代の選手たちが依然として大型契約で居座っていることだ。彼らはロンドンが大好きで、それを変えるのが難しいことはこの夏に実証済みだ。
ティボ・クルトワ、オリオール・ロメウ、ロメル・ルカクといった若い選手たちが加入し、監督はプロセスを加速させることを求められている。しかし、このうち何人がトップで通用するだろうか?この問題はカルロ・アンチェロッティが指摘した点で、23~27歳という世代に主力選手がいないことを個人的に懸念していた。
チェルシーは、フェルナンド・トーレスやダヴィド・ルイスの獲得によってこのギャップを埋めようとしたもの、今のところ機能してるとは言えず、ルカ・モドリッチやアルバロ・ペレイラについては獲得に失敗した。ベテランへの依存度を下げるには、この冬と来夏にまたトライする必要がある。
フェルナンド・トーレス
チェルシーの問題点を議論する時にトーレス個人を上げるのはアンフェアに感じられるが、彼の苦悩と5,000万ポンドの値札がクラブへのインパクトに直結し、ヴィラス・ボアスの首すら左右しかねない状況だ。同時に、クラブの無計画さをそのまま示してもいる。
ロマン・アブラモビッチは、それほど長くフェルナンド・トーレスを追っていたわけではなく、失敗を派手に帳消しにするために、あれだけの大金をつぎ込んだのだ。チェルシーの監督を誰が務めるにせよ、このスペイン人ストライカーのベストを引き出さねばならず、少なくともその努力をしなければならない。
フアン・マタがやって来て、彼が活きる形のフットボールを展開し始めてはいるものの、トーレスは未だに居心地悪そうに見える。トーレスに合わせるというのは、チェルシーの取っては磨耗の大きいプロセスで、トーレスの調子が監督の未来を左右してしまうのだ。
移籍
金を使ってくれない、とアブラモビッチを責める者はチェルシーにはいないだろう。しかし、アプローチはしばしば場当たり的で、お祭りだったり大飢饉だったり不可解なものだ。むしろ、クラブの真ん中に、戦略の重大な欠陥があるのだろう。そして、クラウディオ・ラニエリの時代以来、一体誰がどういう理由で選手を獲得しているのか、良く分からないのだ。
確かにヴィラス・ボアスには前任者よりも強い権限があると言われているが、結果的には優柔不断のレッテルを貼られているし、そもそもこれまでチェルシーには、アブラモビッチ買収時のティエリ・アンリに始まり、この夏のルカ・モドリッチに至るまで、本命を獲得できないという認めたくない現実がある。
規律
今季のチェルシーは、イエローカードとレッドカードで苦しんでいる。昨季はリーグで4番目にクリーンなチームだった(イエローとレッド計59枚)が、今季は5枚のレッドカードを含め、最もダーティーなクラブとなってしまった。そして、ヴィラス・ボアス自身も、レフェリーについてのコメントでFAから罰則を受け、それに抗議しているところだ。
戦術
当時のCEOだったピーター・ケニオンが言ってから誰もが知るように、アブラモビッチは、ペナルティエリアの角からのスペクタクルなボレーシュートが決まって5-0で勝つような、ファンタジー溢れるフットボールを観たがっている。
アブラモビッチはスリルとゴール、トロフィーを望んでいる。モウリーニョが勝っている間は彼を気に入っていたが、トロフィーを勝ち取れなくなると、フットボールが仰々しいものになった。
ヴィラス・ボアスが持ち込んだのは、まったく新しい一面だ。しかし、これまでのところ、彼は「新しい」エキサイティングな何かを築くのに必要な骨格を作れていない。彼は守備陣に、より厳しいプレスとボールを奪ってのカウンター攻撃をするために高いラインを敷くように要求している。
その結果、これまで12試合で17失点、アラン・ハンセンには「ナイーブ」との批判を受け、これを続けられるのか、疑問符を付けられた。今のところ、ヴィラス・ボアスはそれを続けている。
監督
弱冠34歳、ヴィラス・ボアスは、アブラモビッチが魅力に感じるであろう監督の基準を満たしている。彼は昨季ポルトで全てを勝ち取り、新しいモウリーニョのようだった。ただ、自信の持ち方は共通していても、気性やアプローチは異なっている。
アブラモビッチが望んでいたのは、勝者のメンタリティを持ちつつ、対立的な側面が薄らいだモウリーニョであり、その気持ちから、来夏まで待てばフリーであったにも関わらず、ヴィラス・ボアスを監督として引き抜くために1,330万ポンドの違約金を支払ったのだ。
ヴィラス・ボアスには厳しい職業倫理がある。時に練習場で眠るほど良く働き、完璧な英語を話し、優れたコミュニケーターとして選手たちとも「良好な関係」を築いている。と同時に、彼が取るのはバルセロナのペップ・グァルディオラをモデルにした単一のアプローチであり、また常に几帳面なほどにフェアに見られようとしている。考えてみれば、全ての決断が選手たちに説明されてきたわけではなく、何人かの選手たちは良い気分ではないようだ。
オーナー
アブラモビッチ体制下で成功できる監督はいるだろうか?いや、長く成功できる監督はいるだろうか?彼は、誰とでも上手くやっているかと思えば、長期間不在になり、時には異常にクラブに厳しく関わってくる。
判断はしばしば迅速に下される。
朝起きた時に、単純に変化が必要だ、と考えることもあるだろう。周囲の人間たちともすぐに仲良くなったと思えば対立し、驚くほどグループの仲間に影響されたりもする。
アブラモビッチの「黄金のサークル」が全てを握っている限り、アブラモビッチのチームの監督が誰であれ、その監督の助けにはならないだろう。
++++
開幕前にスパーズがトップ4に返り咲くにはどうなれば良いのだろうと考えていた時に、一番イメージしやすかったのが、チェルシーがコケることだった。やっぱ新監督って難しいのよね。
Saturday, November 12, 2011
サー・アレックス・ファーガソンが四半世紀で築き上げたもの
アレックス・ファーガソンの就任25周年については多くの記事が出た。今回選んだのは、「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター記者によるもの。ウィンター氏は今回、このメインの記事だけでなく、データや過去の名試合の特集などにも関わっていて、思い入れも強いのかもしれないと感じた。しかし25年、本当に凄い。
++(以下、要訳)++
25年の時を経た今でさえ、サー・アレックス・ファーガソンは屈辱を忘れてはいない。37のトロフィーを獲っても記憶には残るのだ。
「もちろん最初の日のことは憶えている。我々は負けたんだ、0-2でね」
オックスフォード・ユナイテッド戦の敗戦は、ファーガソンが1986年の11月6日にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任してほどなく訪れた。当時のチームは、現在の格調には程遠かった。
ファーガソンはこの時、「なんてこった。私はこの仕事を求めていたんだ」とつぶやいた。
それが、ファーガソンの最初の敗北に対する決意であり、この後、チームに蔓延していた酒飲みの習慣を改めてフィットネスを上げ、スティーブ・ブルースのようなリーダーを連れてきて、ベッカム世代のような自家育成に着手した。それらは皆、現在の彼が勝ちとった地位へとつながって行った。
指揮を執った1,409試合のうち、勝ったのが843、引き分けが314、敗戦は252、2,578ゴールを決め、失点は1,189だ。
彼のライバルたちを悩ませるのは、彼がまだまだ健在で引退する気配もないことだ。彼は次の世代、次の25年のために熱心に働いている。
カーリントンのアカデミーのビルの椅子に腰かけながら、ファーガソンはティーンエイジャーだったデイビッド・ベッカムやライアン・ギッグス、ニッキー・バット、ポール・スコールズらの写真に目をやった。そこにはロビー・サヴェージすらいた。サヴェージはトップに上がれなかったが、この若き収穫物たちは、ファーガソンのために重要な働きをして見せた。
「一回きりのものだったか?答はノーだ。これはまた起きるもので、マンチェスター・ユナイテッドにはひとサイクル分の人材しかいないとは考えられないだろう。我々は常に夢を追い続けるし、この先何度でもそれを実現する。そうしなければいけないんだよ」
「アカデミーがあるべき姿になれば、また一度に5、6人上がってくることだってあるだろう。その意味では前進が見られる。2011年という時代に、オールド・トラフォードから1時間~1時間半以内の場所の少年しか指導できないなんてバカげた話だ。実にバカげている。バルセロナを見てみろ。中国から一人、日本からも一人、アカデミーに連れてきた。それが全てを物語っている」
若き才能の荒野の中で、ファーガソンは今も黄金を探し続けている。今もひとつの宝石、まだ原石のラヴェル・モリソンがいる。モリソンは才能溢れる選手だが、我儘なキャラクターが成長を妨げてもきた。
彼を一人前に仕立てられるのはファーガソンしかいないだろう。選手たちはみな彼のオーラにインスパイアされ、彼のためにプレーしたいと考えるのだ。
中には彼の申し出を断った面々もいる。グレン・ヒーセン、ポール・ガスコイン、ジョン・バーンズ、アラン・シアラーそしてウェスリー・スナイデルがこれにあたり、ファーガソン自身も移籍市場では過ちを犯してきた。
期待外れに終わったエリック・ジェンバ・ジェンバのような選手がいる一方で、ピーター・シュマイケルを50万ポンド、エリック・カントナを100万ポンド、クリスティアーノ・ロナウドを1,200万ポンド(売値は8,000万ポンドだった)、スティーブ・ブルースにしても80万ポンドで連れてきた。
土曜日にサンダーランドを率いてオールド・トラフォードに戻るスティーブ・ブルースは、ファーガソンにノリッジから引き抜いたこのセンターバックがいかに重要な役割を果たしたかを思い出させるだろう。
「スティーブがメディカル・チェックを受けた時、ドクターは彼を通すか迷っていた。私はリザーブチームを見ながらその結果を待っていたが、やがてマーティン・エドワーズがディレクターズ・ボックスにやってきて『アイツの膝は思ったより悪いぞ』と言ってきた」
「私は『頼むよ。アイツは5年間休まずプレーできてたはずだ』と言ったんだ。時にこうしたメディカルチェックの結果は無視すべき時もあるんだ」
ブルースはリーダーであり、チームメイトに最高のパフォーマンスを求め続けたが、厳しい逆境の風が吹くこともしばしばあった。それでも、ブルースにとって痛みとは敗者のコンセプトだった。
「彼はよく膝をケガしたままプレーしてたし、リバプールに試合に行った時には前の週にハムストリングをやっていた。練習場で金曜日にチームのメンバーを決めようという時に、あいつが駆け寄って来て言うんだ、『大丈夫だから』とね」
「私は『バカを言うんじゃない。どう考えてもそれじゃ無理だろう』と言っても、彼は『こんなの平気です。気にしないでください、プレーしますから』と言って、結局そのアンフィールドでのリバプール戦はハムストリングのケガを抱えたままプレーした。本当に驚きだった。そういうキャラクターが、他のメンバーよりも彼を際立たせるんだよ」
ファーガソンはこうした強烈なキャラクターを尊重した。後に、ファーガソンはサー・ボビー・ロブソンを監督のアイコンとして持ち上げるようになるが、これはロブソンのフットボールへの情熱からだ。
「フットボールに注ぐ愛情を見れば、ボビーが実に素晴らしい人間であることが分かる。長い間健康に問題を抱えながら、それが彼を止めることは無かった。ガンによる発作も何度かあったしね。大抵の人はそれを克服して安らかな生活が送れれば満足だが、ボビーは最後の最後まで監督業の現場に戻りたがっていた」
「ニューカッスルでの仕事が終わっても、彼は現場に戻りたいと思っていたが、その情熱は信じられないほどで、天賦の才とも言える。みんな、70になってもあの情熱を持って努力するのが簡単でないことを分かっていないと思う」
来月70歳を迎えるファーガソンは、その意欲を失ってはいない。彼は心臓の手術を終えたばかりの64歳のハリー・レドナップを称賛している。「何試合か勝ってるうちにすっかり元気になって、また鼻歌でも歌ってるさ。心配することはない」と笑った。「私は健康に恵まれたと思っているし、長年に渡って幸運だった。いつだってエネルギーに満ち溢れてるというのは、監督として重要なことだ」
記者としてこれまで何度となくインタビューをしてきて、ファーガソンのエネルギッシュさには驚くばかりだった。5つの小さな思い出のスナップショットが、様々な色合いを持つこの男のちょっとしたイメージを描き出せよう。
1つ目、マンチェスター空港の駐車場から一緒に歩いていた時。あとでイーベイで売るためのサインをねらう中年の男たちの集団に近づくと、歩くペースが上がるのが分かった。ファーガソンは走らんばかりの早さで彼らを振り切った。彼らはこれで金を稼ぐことはできなかっただろう。ノーチャンスだ。
2つ目、1999年にライアン・ギッグスのアーセナル戦でのスラロームのような華麗なドリブルについて話していた時。FAカップ準決勝再試合でのこのゴールを、彼は興奮しながらディエゴ・マラドーナのイングランド戦のドリブルになぞらえた。ファーガソンがフットボールの魔法使いに抱く愛情はいつだって輝いていた。
3つ目、本の前書きについて議論するために朝7時に電話を貰った時。仕事に行こうとバタバタしてる時に、ファーガソンの電話と雲雀のさえずりのゴールは写真判定モノだった。
4つ目、子供たちと行くためにグラスゴーでお勧めの博物館を3つ尋ねた時。ファーガソンはそのうち2つに寄付をしていた。フットボールに限らず、彼の好奇心は無限大だ。
5つ目、メスタージャでキックオフ90分前にアウェー側ロッカールームの外で出くわした時。「先発メンバーを当ててみろ」と挑戦された。8つしか当てられず、「俺の気持ちを読もうなんて向こう見ず」と散々バカにされた。
ファーガソンは複雑だ。彼はレフェリーを信じ、メディアは彼の失墜を書き立てるが、それでも何かあれば彼らが一番に電話をするのもファーガソンだ。彼は怒りっぽく、気前がよく、頑固で愛想がよい。総じて言うならば、彼は勝利者なのだ。
リバプールからリーズ・ユナイテッド、ブラックバーン・ローバーズ、そしてアーセナルとチェルシー、マンチェスター・シティ。この25年に受けてきた挑戦の数々を振り返って熟考しながらファーガソンは肩をすくめた。
「ここにいれば挑戦はいつだってある。誰を相手にしているかの問題ではない」
かかって来い。ファーガソンは十分に話した。
「よし、またな」彼はそう言って立ち上がった。トレーニングの時間だ。勝ち取るべきトロフィーもまだある。あの日オックスフォードに流れたブルースの余韻は今も残っている。
++++
ファーガソンのインタビューはいつも聞きとるのが大変。
このサンダーランド戦の前の会見では、あまり自分を褒めないファーガソンが「おとぎ話のようだ」と語って、普段彼の言葉を聞くメディアを驚かせたというけど、25年を振り返ってそう言えることを成し遂げたんだから、ある意味重みのあるおとぎ話だよな。
++(以下、要訳)++
25年の時を経た今でさえ、サー・アレックス・ファーガソンは屈辱を忘れてはいない。37のトロフィーを獲っても記憶には残るのだ。
「もちろん最初の日のことは憶えている。我々は負けたんだ、0-2でね」
オックスフォード・ユナイテッド戦の敗戦は、ファーガソンが1986年の11月6日にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任してほどなく訪れた。当時のチームは、現在の格調には程遠かった。
ファーガソンはこの時、「なんてこった。私はこの仕事を求めていたんだ」とつぶやいた。
それが、ファーガソンの最初の敗北に対する決意であり、この後、チームに蔓延していた酒飲みの習慣を改めてフィットネスを上げ、スティーブ・ブルースのようなリーダーを連れてきて、ベッカム世代のような自家育成に着手した。それらは皆、現在の彼が勝ちとった地位へとつながって行った。
指揮を執った1,409試合のうち、勝ったのが843、引き分けが314、敗戦は252、2,578ゴールを決め、失点は1,189だ。
彼のライバルたちを悩ませるのは、彼がまだまだ健在で引退する気配もないことだ。彼は次の世代、次の25年のために熱心に働いている。
カーリントンのアカデミーのビルの椅子に腰かけながら、ファーガソンはティーンエイジャーだったデイビッド・ベッカムやライアン・ギッグス、ニッキー・バット、ポール・スコールズらの写真に目をやった。そこにはロビー・サヴェージすらいた。サヴェージはトップに上がれなかったが、この若き収穫物たちは、ファーガソンのために重要な働きをして見せた。
「一回きりのものだったか?答はノーだ。これはまた起きるもので、マンチェスター・ユナイテッドにはひとサイクル分の人材しかいないとは考えられないだろう。我々は常に夢を追い続けるし、この先何度でもそれを実現する。そうしなければいけないんだよ」
「アカデミーがあるべき姿になれば、また一度に5、6人上がってくることだってあるだろう。その意味では前進が見られる。2011年という時代に、オールド・トラフォードから1時間~1時間半以内の場所の少年しか指導できないなんてバカげた話だ。実にバカげている。バルセロナを見てみろ。中国から一人、日本からも一人、アカデミーに連れてきた。それが全てを物語っている」
若き才能の荒野の中で、ファーガソンは今も黄金を探し続けている。今もひとつの宝石、まだ原石のラヴェル・モリソンがいる。モリソンは才能溢れる選手だが、我儘なキャラクターが成長を妨げてもきた。
彼を一人前に仕立てられるのはファーガソンしかいないだろう。選手たちはみな彼のオーラにインスパイアされ、彼のためにプレーしたいと考えるのだ。
中には彼の申し出を断った面々もいる。グレン・ヒーセン、ポール・ガスコイン、ジョン・バーンズ、アラン・シアラーそしてウェスリー・スナイデルがこれにあたり、ファーガソン自身も移籍市場では過ちを犯してきた。
期待外れに終わったエリック・ジェンバ・ジェンバのような選手がいる一方で、ピーター・シュマイケルを50万ポンド、エリック・カントナを100万ポンド、クリスティアーノ・ロナウドを1,200万ポンド(売値は8,000万ポンドだった)、スティーブ・ブルースにしても80万ポンドで連れてきた。
土曜日にサンダーランドを率いてオールド・トラフォードに戻るスティーブ・ブルースは、ファーガソンにノリッジから引き抜いたこのセンターバックがいかに重要な役割を果たしたかを思い出させるだろう。
「スティーブがメディカル・チェックを受けた時、ドクターは彼を通すか迷っていた。私はリザーブチームを見ながらその結果を待っていたが、やがてマーティン・エドワーズがディレクターズ・ボックスにやってきて『アイツの膝は思ったより悪いぞ』と言ってきた」
「私は『頼むよ。アイツは5年間休まずプレーできてたはずだ』と言ったんだ。時にこうしたメディカルチェックの結果は無視すべき時もあるんだ」
ブルースはリーダーであり、チームメイトに最高のパフォーマンスを求め続けたが、厳しい逆境の風が吹くこともしばしばあった。それでも、ブルースにとって痛みとは敗者のコンセプトだった。
「彼はよく膝をケガしたままプレーしてたし、リバプールに試合に行った時には前の週にハムストリングをやっていた。練習場で金曜日にチームのメンバーを決めようという時に、あいつが駆け寄って来て言うんだ、『大丈夫だから』とね」
「私は『バカを言うんじゃない。どう考えてもそれじゃ無理だろう』と言っても、彼は『こんなの平気です。気にしないでください、プレーしますから』と言って、結局そのアンフィールドでのリバプール戦はハムストリングのケガを抱えたままプレーした。本当に驚きだった。そういうキャラクターが、他のメンバーよりも彼を際立たせるんだよ」
ファーガソンはこうした強烈なキャラクターを尊重した。後に、ファーガソンはサー・ボビー・ロブソンを監督のアイコンとして持ち上げるようになるが、これはロブソンのフットボールへの情熱からだ。
「フットボールに注ぐ愛情を見れば、ボビーが実に素晴らしい人間であることが分かる。長い間健康に問題を抱えながら、それが彼を止めることは無かった。ガンによる発作も何度かあったしね。大抵の人はそれを克服して安らかな生活が送れれば満足だが、ボビーは最後の最後まで監督業の現場に戻りたがっていた」
「ニューカッスルでの仕事が終わっても、彼は現場に戻りたいと思っていたが、その情熱は信じられないほどで、天賦の才とも言える。みんな、70になってもあの情熱を持って努力するのが簡単でないことを分かっていないと思う」
来月70歳を迎えるファーガソンは、その意欲を失ってはいない。彼は心臓の手術を終えたばかりの64歳のハリー・レドナップを称賛している。「何試合か勝ってるうちにすっかり元気になって、また鼻歌でも歌ってるさ。心配することはない」と笑った。「私は健康に恵まれたと思っているし、長年に渡って幸運だった。いつだってエネルギーに満ち溢れてるというのは、監督として重要なことだ」
記者としてこれまで何度となくインタビューをしてきて、ファーガソンのエネルギッシュさには驚くばかりだった。5つの小さな思い出のスナップショットが、様々な色合いを持つこの男のちょっとしたイメージを描き出せよう。
1つ目、マンチェスター空港の駐車場から一緒に歩いていた時。あとでイーベイで売るためのサインをねらう中年の男たちの集団に近づくと、歩くペースが上がるのが分かった。ファーガソンは走らんばかりの早さで彼らを振り切った。彼らはこれで金を稼ぐことはできなかっただろう。ノーチャンスだ。
2つ目、1999年にライアン・ギッグスのアーセナル戦でのスラロームのような華麗なドリブルについて話していた時。FAカップ準決勝再試合でのこのゴールを、彼は興奮しながらディエゴ・マラドーナのイングランド戦のドリブルになぞらえた。ファーガソンがフットボールの魔法使いに抱く愛情はいつだって輝いていた。
3つ目、本の前書きについて議論するために朝7時に電話を貰った時。仕事に行こうとバタバタしてる時に、ファーガソンの電話と雲雀のさえずりのゴールは写真判定モノだった。
4つ目、子供たちと行くためにグラスゴーでお勧めの博物館を3つ尋ねた時。ファーガソンはそのうち2つに寄付をしていた。フットボールに限らず、彼の好奇心は無限大だ。
5つ目、メスタージャでキックオフ90分前にアウェー側ロッカールームの外で出くわした時。「先発メンバーを当ててみろ」と挑戦された。8つしか当てられず、「俺の気持ちを読もうなんて向こう見ず」と散々バカにされた。
ファーガソンは複雑だ。彼はレフェリーを信じ、メディアは彼の失墜を書き立てるが、それでも何かあれば彼らが一番に電話をするのもファーガソンだ。彼は怒りっぽく、気前がよく、頑固で愛想がよい。総じて言うならば、彼は勝利者なのだ。
リバプールからリーズ・ユナイテッド、ブラックバーン・ローバーズ、そしてアーセナルとチェルシー、マンチェスター・シティ。この25年に受けてきた挑戦の数々を振り返って熟考しながらファーガソンは肩をすくめた。
「ここにいれば挑戦はいつだってある。誰を相手にしているかの問題ではない」
かかって来い。ファーガソンは十分に話した。
「よし、またな」彼はそう言って立ち上がった。トレーニングの時間だ。勝ち取るべきトロフィーもまだある。あの日オックスフォードに流れたブルースの余韻は今も残っている。
++++
ファーガソンのインタビューはいつも聞きとるのが大変。
このサンダーランド戦の前の会見では、あまり自分を褒めないファーガソンが「おとぎ話のようだ」と語って、普段彼の言葉を聞くメディアを驚かせたというけど、25年を振り返ってそう言えることを成し遂げたんだから、ある意味重みのあるおとぎ話だよな。
Tuesday, November 1, 2011
リールでの生活を謳歌するジョー・コール
移籍市場の締切間際にリバプールからフランスのリールにローン移籍したジョー・コールは、リーグ・アンとチャンピオンズリーグでの活躍でイングランド代表に返り咲くことを夢見ている。一時はロンドンからの電車通勤が噂されたが、本人はしっかりとフランスに根を下ろして新しい生活を満喫している様子。チャンピオンズリーグでは、かつての指揮官でもあるクラウディオ・ラニエリが率いるインテルとの対戦を控えている。
++(以下、要訳)++
ジョー・コールはフランスに移り、生きる喜びを再発見して人生を謳歌している。それは学校に通ってフランス語を学ぶ気になるほど充実したものだ。この日の午後はトレーニングがあり、その後、彼と妻のカーリーは学生時代以来のフランス語のレッスンに通っている。
「こっちに来てからなかなか落ち着かなかったけど、ゆっくりだけど少しずつ慣れてきてるよ。学校通いもそのひとつさ。時間がある時にいはカフェに座って『レキップ』(フランスの新聞)を読んでるんだ。綺麗な街でね。何を期待したら良いのか分からずに来たけど、ここでの生活は悪くないよ。ここでは『北フランスに来たら人は泣く。しかし、そこを去る時にはいっそう泣く』って諺があるくらい、みんなこの場所と仲間意識を愛してるんだ。良かったと思うね」
コールがここまでポジティブでいるのを見るのは新鮮だ。この29歳のキャリアは航路を外れたかのように見えた。チェルシーとの契約が2010年に切れた時には、南アフリカで不名誉なワールドカップを戦うイングランド代表の一員に何とか踏みとどまっていた。リバプールへの移籍金無しでの移籍はキャリアを蘇らせるきっかけになるはずで、当初はリバプールに馴染むかに見えた。しかし、退場や数々の小さなケガ、監督の交代や経営陣の混乱が次第に彼を蚊帳の外へと追いやって行った。しかし本当の驚きは、それが代表クラスとしては22年前にクリス・ワドルがマルセイユに移籍した時以来となるリーグ・アンへのクラブへのローン移籍へとつながったことだった。
リールでプレーした国内リーグの数試合で、コールは既に称賛を浴びている。このインタビューの最中も、サインを求める多くの人々が我々の会話を遮り、「サンキュー」も言わずに去っていく。シミー(ダンスの一種)とダーツ、交代出場でデビューしたサンテティエンヌ戦のアシストが、コールのリズムを作り出している。それが本格化したのは、25ヤードのシュートでロリアンのファビアン・オダールを抜いた時だった。チームは潤沢な資金で大型補強をしたパリ・サンジェルマンから6ポイント差の3位、火曜日にはチェルシー時代のコールの指揮官だったクラウディオ・ラニエリ率いるインテルとチャンピオンズリーグで対戦する。リールはヨーロッパで最もテクニックに秀でたリーグのひとつであるリーグ・アンで輝き、来年の夏には55,000人収容のスタジアムに居を移すクラブである。コールが運が自分に向いてきたと感じるには理由があるのだ。
「イングランド人が海外に行くと言うと、ビールを10パイント飲んでカラオケを壊しているイメージだろうが、フットボールとは関係なく、僕と妻にとっては違う国に住むチャンスだった。僕はカムデン・タウン(ロンドン北部)の出身で、フランスに住んだり、フランスでフットボールをする機会に恵まれるとは夢にも思わなかった。イングランドの選手には海外に行かない、とネガティブなイメージがある。僕は自分がその認識を変える助けになれると思いたいね。自分を試しているようなものさ。僕は多くの外国人がイングランドにやってきて皆と交わり、チームメイトと夜な夜な出かけてイングランドのメンタリティに馴染んでいったのを見てきたし、逆にためらいがちだったり、シャイで苦しむ奴らもね。だから、僕もできるだけ自分から溶け込もうとして
そのひとつ。水晶玉で未来を予期でいていたら、学生の頃のフランス語の授業をもっと頑張ったけど、その頃は単に興味がなかった。今はセロから始めてるようなものさ。ミシェル・トーマスのオーディオ・ブックを聞いて、毎週クラスでのレッスンにも行ってるよ。自分でコーヒーや水くらいはオーダーできるし、小さなことを少しずつ覚えているところだね。今日は。『練習は何時から?』ってチームメイトに聞いて『午後からだよ』と教わった。そういうところからね」
「9カ月で流暢に話すのは難しいだろうけど、うまくやって行きたいんだ。すこし大きな文脈で考える必要があるね。ウェストハムではリチャード・ガルシアと育ったけど、彼は15歳でオーストラリアからイングランドにやってきた。それは本当に国を出る、ということだ。僕のキャリアは、と言えば、東ロンドンから西ロンドン、そしてリバプール。今だってユーロスターに乗ればすぐにロンドンに行ける。まぁ、もうイングランドに家は無いし、滅多にしないけどね。時に自分の地平線を拡げる必要があるってことさ。今までと違う経験をしてね。この間、初めてカエルの足を食べたけど、脂の乗ったチキンみたいで本当に美味しかった。素晴らしいよ。街の真ん中に店があるから行ってみなよ」
そう含み笑いで言ったが、コールはこうして新しい生活にピッチの内外で挑戦している。いまリールで見せているプレーは、彼の才能を垣間見せているだけだったのかもしれないとリバプールのファンを苛立たせるかもしれない。
「単に十分なプレーができなかったんだ。退場になったし、戻ってきてもチームはロイと共に難しい時期にあった。戦術も僕には合わなかったしね。ロイは凄く難しい仕事に直面してたし、彼を批判しようとは思わない。でも、チームのプレーが良くなければ、最初に外されるのは若い選手や感覚でプレーする選手なのさ。そういうものなんだ」
「監督がケニーに代わってからは、僕がケガをしている間にチームが固まっていた。ウェストハムやチェルシーにいた頃はパッと入ってすぐにインパクトを残して、そのままチームに居座れた。リバプールではまた若手の一人に戻った感覚で、チャンスを掴むにはいつも何か特別なことをする必要があった。そしてそれが起こることは無かった。リバプールが好きだし、誰を批判するつもりもない。クラブの考えがあることも分かるよ。でも、僕はここにきて再びプレーする必要があった。今まで、選手が新しい国に来れば慣れるのには時間が掛かった。ルイス・スアレスみたいにすぐにインパクトを残せるのは稀だよ。僕には慣れている時間は無い。4年契約で来たわけじゃなく、ここに9ヶ月の予定で来た」
インパクトのあるデビューは、レフェリーがプレミアリーグよりも選手を守るリーグ・アンが彼に向いていることを示唆している。試合のペースも大慌てというよりは正確だ。リュディ・ガルシア率いる攻撃的なリールはコールにも合っているし、彼の横には才能溢れるエデン・アザールもいる。唯一ショッキングだったことと言えば、自分のスパイクを自分で磨く必要があったことだ。「イングランドじゃ一度プロになったら全部放ったらかしさ」とコールは語る。「国内の試合は、戦術的にはチャンピオンズリーグの試合をやってる感じだよ。今まで対戦した相手は、みんなしっかりしたフットボールをプレーしようとするし、ヨーロッパのレフェリーはテクニカルな選手を輝かせようとしてくれるね」
「アタッキング・サードまで行けばディフェンスもしっかり詰めてくるし、テンポは変わらない。でも、いったん引けば我慢強くビルドアップする時間もある。クレバーに動く必要があるよ。今まで必要のない動きも沢山してきたし、プレミアリーグじゃサイドバックにプレッシャーを掛けにも行ってた。イングランドじゃ、「前から行け」って後ろから叫び声がするからね。でも、ここでそうやって後ろを見てみると、「何やってんだ、力を残しておけ」って言われるんだ。学んでる最中だけど、これは予想していたことさ。学ぶのをやめたらプレーする意味は無いからね。マスターした気になるかもしれないけど、フットボールをマスターした奴なんて一人もいないよ」
この序盤の高まりを維持できるなら、フランスでの長い将来が訪れ、ワドルと並ぶカルト的な人気を勝ち取るかもしれない。リーグの上位とヨーロッパでの活躍が、ファビオ・カペッロにあのドイツ戦で今のところ最後となる56キャップ目を刻んだ選手がいることを思い出させることは確かだ。「代表でのプレーは懐かしいよ。10年レギュラーを張ってきて、そこにいるのが当たり枚に感じていたのかもしれない。いまこうして1年も呼ばれなくなって、11月には30歳になる。若手もどんどん入ってきているから、まだ僕のことを見てくれてるのかな、って気にはなるよね」
「気付いてもらえたらいいと思ってるよ。イングランドの人々の多くは、何で僕がフランスに来たのか不思議に思っているし、きっと忘れてしまうだろう。まだ完全には終わってないと思ってくれているかもしれない。彼らが間違っていることを証明したいわけじゃないんだ。それは誤ったモチベーションだよ。でも、僕は自分がまだトップクラスの選手だと証明したい。今の環境ならそれができると思ってるんだ。この間、ジョン・テリーが、僕と南アフリカでサメと泳ぎに行きたがった、って話をしていたのを見たよ。カゴに入ってるんだよ、もちろん。結局ダメって言われたけど、僕はそうして違ったことを試してみたいんだ。サメと泳いだりね。フランスに住むってのもそういうことさ」
このイングランド人は、海外ですっかり我が家の気分を味わっている。
++++
ロンドンに住んでた頃、他の留学生と「地元の奴らはチャレンジしないよな。旅行に行っても結局フィッシュ・アンド・チップかマクドナルド探してるし」って話してたのを思い出した。僕らが思ってる以上に内向き志向なんだよな。
++(以下、要訳)++
ジョー・コールはフランスに移り、生きる喜びを再発見して人生を謳歌している。それは学校に通ってフランス語を学ぶ気になるほど充実したものだ。この日の午後はトレーニングがあり、その後、彼と妻のカーリーは学生時代以来のフランス語のレッスンに通っている。
「こっちに来てからなかなか落ち着かなかったけど、ゆっくりだけど少しずつ慣れてきてるよ。学校通いもそのひとつさ。時間がある時にいはカフェに座って『レキップ』(フランスの新聞)を読んでるんだ。綺麗な街でね。何を期待したら良いのか分からずに来たけど、ここでの生活は悪くないよ。ここでは『北フランスに来たら人は泣く。しかし、そこを去る時にはいっそう泣く』って諺があるくらい、みんなこの場所と仲間意識を愛してるんだ。良かったと思うね」
コールがここまでポジティブでいるのを見るのは新鮮だ。この29歳のキャリアは航路を外れたかのように見えた。チェルシーとの契約が2010年に切れた時には、南アフリカで不名誉なワールドカップを戦うイングランド代表の一員に何とか踏みとどまっていた。リバプールへの移籍金無しでの移籍はキャリアを蘇らせるきっかけになるはずで、当初はリバプールに馴染むかに見えた。しかし、退場や数々の小さなケガ、監督の交代や経営陣の混乱が次第に彼を蚊帳の外へと追いやって行った。しかし本当の驚きは、それが代表クラスとしては22年前にクリス・ワドルがマルセイユに移籍した時以来となるリーグ・アンへのクラブへのローン移籍へとつながったことだった。
リールでプレーした国内リーグの数試合で、コールは既に称賛を浴びている。このインタビューの最中も、サインを求める多くの人々が我々の会話を遮り、「サンキュー」も言わずに去っていく。シミー(ダンスの一種)とダーツ、交代出場でデビューしたサンテティエンヌ戦のアシストが、コールのリズムを作り出している。それが本格化したのは、25ヤードのシュートでロリアンのファビアン・オダールを抜いた時だった。チームは潤沢な資金で大型補強をしたパリ・サンジェルマンから6ポイント差の3位、火曜日にはチェルシー時代のコールの指揮官だったクラウディオ・ラニエリ率いるインテルとチャンピオンズリーグで対戦する。リールはヨーロッパで最もテクニックに秀でたリーグのひとつであるリーグ・アンで輝き、来年の夏には55,000人収容のスタジアムに居を移すクラブである。コールが運が自分に向いてきたと感じるには理由があるのだ。
「イングランド人が海外に行くと言うと、ビールを10パイント飲んでカラオケを壊しているイメージだろうが、フットボールとは関係なく、僕と妻にとっては違う国に住むチャンスだった。僕はカムデン・タウン(ロンドン北部)の出身で、フランスに住んだり、フランスでフットボールをする機会に恵まれるとは夢にも思わなかった。イングランドの選手には海外に行かない、とネガティブなイメージがある。僕は自分がその認識を変える助けになれると思いたいね。自分を試しているようなものさ。僕は多くの外国人がイングランドにやってきて皆と交わり、チームメイトと夜な夜な出かけてイングランドのメンタリティに馴染んでいったのを見てきたし、逆にためらいがちだったり、シャイで苦しむ奴らもね。だから、僕もできるだけ自分から溶け込もうとして
そのひとつ。水晶玉で未来を予期でいていたら、学生の頃のフランス語の授業をもっと頑張ったけど、その頃は単に興味がなかった。今はセロから始めてるようなものさ。ミシェル・トーマスのオーディオ・ブックを聞いて、毎週クラスでのレッスンにも行ってるよ。自分でコーヒーや水くらいはオーダーできるし、小さなことを少しずつ覚えているところだね。今日は。『練習は何時から?』ってチームメイトに聞いて『午後からだよ』と教わった。そういうところからね」
「9カ月で流暢に話すのは難しいだろうけど、うまくやって行きたいんだ。すこし大きな文脈で考える必要があるね。ウェストハムではリチャード・ガルシアと育ったけど、彼は15歳でオーストラリアからイングランドにやってきた。それは本当に国を出る、ということだ。僕のキャリアは、と言えば、東ロンドンから西ロンドン、そしてリバプール。今だってユーロスターに乗ればすぐにロンドンに行ける。まぁ、もうイングランドに家は無いし、滅多にしないけどね。時に自分の地平線を拡げる必要があるってことさ。今までと違う経験をしてね。この間、初めてカエルの足を食べたけど、脂の乗ったチキンみたいで本当に美味しかった。素晴らしいよ。街の真ん中に店があるから行ってみなよ」
そう含み笑いで言ったが、コールはこうして新しい生活にピッチの内外で挑戦している。いまリールで見せているプレーは、彼の才能を垣間見せているだけだったのかもしれないとリバプールのファンを苛立たせるかもしれない。
「単に十分なプレーができなかったんだ。退場になったし、戻ってきてもチームはロイと共に難しい時期にあった。戦術も僕には合わなかったしね。ロイは凄く難しい仕事に直面してたし、彼を批判しようとは思わない。でも、チームのプレーが良くなければ、最初に外されるのは若い選手や感覚でプレーする選手なのさ。そういうものなんだ」
「監督がケニーに代わってからは、僕がケガをしている間にチームが固まっていた。ウェストハムやチェルシーにいた頃はパッと入ってすぐにインパクトを残して、そのままチームに居座れた。リバプールではまた若手の一人に戻った感覚で、チャンスを掴むにはいつも何か特別なことをする必要があった。そしてそれが起こることは無かった。リバプールが好きだし、誰を批判するつもりもない。クラブの考えがあることも分かるよ。でも、僕はここにきて再びプレーする必要があった。今まで、選手が新しい国に来れば慣れるのには時間が掛かった。ルイス・スアレスみたいにすぐにインパクトを残せるのは稀だよ。僕には慣れている時間は無い。4年契約で来たわけじゃなく、ここに9ヶ月の予定で来た」
インパクトのあるデビューは、レフェリーがプレミアリーグよりも選手を守るリーグ・アンが彼に向いていることを示唆している。試合のペースも大慌てというよりは正確だ。リュディ・ガルシア率いる攻撃的なリールはコールにも合っているし、彼の横には才能溢れるエデン・アザールもいる。唯一ショッキングだったことと言えば、自分のスパイクを自分で磨く必要があったことだ。「イングランドじゃ一度プロになったら全部放ったらかしさ」とコールは語る。「国内の試合は、戦術的にはチャンピオンズリーグの試合をやってる感じだよ。今まで対戦した相手は、みんなしっかりしたフットボールをプレーしようとするし、ヨーロッパのレフェリーはテクニカルな選手を輝かせようとしてくれるね」
「アタッキング・サードまで行けばディフェンスもしっかり詰めてくるし、テンポは変わらない。でも、いったん引けば我慢強くビルドアップする時間もある。クレバーに動く必要があるよ。今まで必要のない動きも沢山してきたし、プレミアリーグじゃサイドバックにプレッシャーを掛けにも行ってた。イングランドじゃ、「前から行け」って後ろから叫び声がするからね。でも、ここでそうやって後ろを見てみると、「何やってんだ、力を残しておけ」って言われるんだ。学んでる最中だけど、これは予想していたことさ。学ぶのをやめたらプレーする意味は無いからね。マスターした気になるかもしれないけど、フットボールをマスターした奴なんて一人もいないよ」
この序盤の高まりを維持できるなら、フランスでの長い将来が訪れ、ワドルと並ぶカルト的な人気を勝ち取るかもしれない。リーグの上位とヨーロッパでの活躍が、ファビオ・カペッロにあのドイツ戦で今のところ最後となる56キャップ目を刻んだ選手がいることを思い出させることは確かだ。「代表でのプレーは懐かしいよ。10年レギュラーを張ってきて、そこにいるのが当たり枚に感じていたのかもしれない。いまこうして1年も呼ばれなくなって、11月には30歳になる。若手もどんどん入ってきているから、まだ僕のことを見てくれてるのかな、って気にはなるよね」
「気付いてもらえたらいいと思ってるよ。イングランドの人々の多くは、何で僕がフランスに来たのか不思議に思っているし、きっと忘れてしまうだろう。まだ完全には終わってないと思ってくれているかもしれない。彼らが間違っていることを証明したいわけじゃないんだ。それは誤ったモチベーションだよ。でも、僕は自分がまだトップクラスの選手だと証明したい。今の環境ならそれができると思ってるんだ。この間、ジョン・テリーが、僕と南アフリカでサメと泳ぎに行きたがった、って話をしていたのを見たよ。カゴに入ってるんだよ、もちろん。結局ダメって言われたけど、僕はそうして違ったことを試してみたいんだ。サメと泳いだりね。フランスに住むってのもそういうことさ」
このイングランド人は、海外ですっかり我が家の気分を味わっている。
++++
ロンドンに住んでた頃、他の留学生と「地元の奴らはチャレンジしないよな。旅行に行っても結局フィッシュ・アンド・チップかマクドナルド探してるし」って話してたのを思い出した。僕らが思ってる以上に内向き志向なんだよな。
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