アレックス・ファーガソンの就任25周年については多くの記事が出た。今回選んだのは、「テレグラフ」紙のヘンリー・ウィンター記者によるもの。ウィンター氏は今回、このメインの記事だけでなく、データや過去の名試合の特集などにも関わっていて、思い入れも強いのかもしれないと感じた。しかし25年、本当に凄い。
++(以下、要訳)++
25年の時を経た今でさえ、サー・アレックス・ファーガソンは屈辱を忘れてはいない。37のトロフィーを獲っても記憶には残るのだ。
「もちろん最初の日のことは憶えている。我々は負けたんだ、0-2でね」
オックスフォード・ユナイテッド戦の敗戦は、ファーガソンが1986年の11月6日にマンチェスター・ユナイテッドの監督に就任してほどなく訪れた。当時のチームは、現在の格調には程遠かった。
ファーガソンはこの時、「なんてこった。私はこの仕事を求めていたんだ」とつぶやいた。
それが、ファーガソンの最初の敗北に対する決意であり、この後、チームに蔓延していた酒飲みの習慣を改めてフィットネスを上げ、スティーブ・ブルースのようなリーダーを連れてきて、ベッカム世代のような自家育成に着手した。それらは皆、現在の彼が勝ちとった地位へとつながって行った。
指揮を執った1,409試合のうち、勝ったのが843、引き分けが314、敗戦は252、2,578ゴールを決め、失点は1,189だ。
彼のライバルたちを悩ませるのは、彼がまだまだ健在で引退する気配もないことだ。彼は次の世代、次の25年のために熱心に働いている。
カーリントンのアカデミーのビルの椅子に腰かけながら、ファーガソンはティーンエイジャーだったデイビッド・ベッカムやライアン・ギッグス、ニッキー・バット、ポール・スコールズらの写真に目をやった。そこにはロビー・サヴェージすらいた。サヴェージはトップに上がれなかったが、この若き収穫物たちは、ファーガソンのために重要な働きをして見せた。
「一回きりのものだったか?答はノーだ。これはまた起きるもので、マンチェスター・ユナイテッドにはひとサイクル分の人材しかいないとは考えられないだろう。我々は常に夢を追い続けるし、この先何度でもそれを実現する。そうしなければいけないんだよ」
「アカデミーがあるべき姿になれば、また一度に5、6人上がってくることだってあるだろう。その意味では前進が見られる。2011年という時代に、オールド・トラフォードから1時間~1時間半以内の場所の少年しか指導できないなんてバカげた話だ。実にバカげている。バルセロナを見てみろ。中国から一人、日本からも一人、アカデミーに連れてきた。それが全てを物語っている」
若き才能の荒野の中で、ファーガソンは今も黄金を探し続けている。今もひとつの宝石、まだ原石のラヴェル・モリソンがいる。モリソンは才能溢れる選手だが、我儘なキャラクターが成長を妨げてもきた。
彼を一人前に仕立てられるのはファーガソンしかいないだろう。選手たちはみな彼のオーラにインスパイアされ、彼のためにプレーしたいと考えるのだ。
中には彼の申し出を断った面々もいる。グレン・ヒーセン、ポール・ガスコイン、ジョン・バーンズ、アラン・シアラーそしてウェスリー・スナイデルがこれにあたり、ファーガソン自身も移籍市場では過ちを犯してきた。
期待外れに終わったエリック・ジェンバ・ジェンバのような選手がいる一方で、ピーター・シュマイケルを50万ポンド、エリック・カントナを100万ポンド、クリスティアーノ・ロナウドを1,200万ポンド(売値は8,000万ポンドだった)、スティーブ・ブルースにしても80万ポンドで連れてきた。
土曜日にサンダーランドを率いてオールド・トラフォードに戻るスティーブ・ブルースは、ファーガソンにノリッジから引き抜いたこのセンターバックがいかに重要な役割を果たしたかを思い出させるだろう。
「スティーブがメディカル・チェックを受けた時、ドクターは彼を通すか迷っていた。私はリザーブチームを見ながらその結果を待っていたが、やがてマーティン・エドワーズがディレクターズ・ボックスにやってきて『アイツの膝は思ったより悪いぞ』と言ってきた」
「私は『頼むよ。アイツは5年間休まずプレーできてたはずだ』と言ったんだ。時にこうしたメディカルチェックの結果は無視すべき時もあるんだ」
ブルースはリーダーであり、チームメイトに最高のパフォーマンスを求め続けたが、厳しい逆境の風が吹くこともしばしばあった。それでも、ブルースにとって痛みとは敗者のコンセプトだった。
「彼はよく膝をケガしたままプレーしてたし、リバプールに試合に行った時には前の週にハムストリングをやっていた。練習場で金曜日にチームのメンバーを決めようという時に、あいつが駆け寄って来て言うんだ、『大丈夫だから』とね」
「私は『バカを言うんじゃない。どう考えてもそれじゃ無理だろう』と言っても、彼は『こんなの平気です。気にしないでください、プレーしますから』と言って、結局そのアンフィールドでのリバプール戦はハムストリングのケガを抱えたままプレーした。本当に驚きだった。そういうキャラクターが、他のメンバーよりも彼を際立たせるんだよ」
ファーガソンはこうした強烈なキャラクターを尊重した。後に、ファーガソンはサー・ボビー・ロブソンを監督のアイコンとして持ち上げるようになるが、これはロブソンのフットボールへの情熱からだ。
「フットボールに注ぐ愛情を見れば、ボビーが実に素晴らしい人間であることが分かる。長い間健康に問題を抱えながら、それが彼を止めることは無かった。ガンによる発作も何度かあったしね。大抵の人はそれを克服して安らかな生活が送れれば満足だが、ボビーは最後の最後まで監督業の現場に戻りたがっていた」
「ニューカッスルでの仕事が終わっても、彼は現場に戻りたいと思っていたが、その情熱は信じられないほどで、天賦の才とも言える。みんな、70になってもあの情熱を持って努力するのが簡単でないことを分かっていないと思う」
来月70歳を迎えるファーガソンは、その意欲を失ってはいない。彼は心臓の手術を終えたばかりの64歳のハリー・レドナップを称賛している。「何試合か勝ってるうちにすっかり元気になって、また鼻歌でも歌ってるさ。心配することはない」と笑った。「私は健康に恵まれたと思っているし、長年に渡って幸運だった。いつだってエネルギーに満ち溢れてるというのは、監督として重要なことだ」
記者としてこれまで何度となくインタビューをしてきて、ファーガソンのエネルギッシュさには驚くばかりだった。5つの小さな思い出のスナップショットが、様々な色合いを持つこの男のちょっとしたイメージを描き出せよう。
1つ目、マンチェスター空港の駐車場から一緒に歩いていた時。あとでイーベイで売るためのサインをねらう中年の男たちの集団に近づくと、歩くペースが上がるのが分かった。ファーガソンは走らんばかりの早さで彼らを振り切った。彼らはこれで金を稼ぐことはできなかっただろう。ノーチャンスだ。
2つ目、1999年にライアン・ギッグスのアーセナル戦でのスラロームのような華麗なドリブルについて話していた時。FAカップ準決勝再試合でのこのゴールを、彼は興奮しながらディエゴ・マラドーナのイングランド戦のドリブルになぞらえた。ファーガソンがフットボールの魔法使いに抱く愛情はいつだって輝いていた。
3つ目、本の前書きについて議論するために朝7時に電話を貰った時。仕事に行こうとバタバタしてる時に、ファーガソンの電話と雲雀のさえずりのゴールは写真判定モノだった。
4つ目、子供たちと行くためにグラスゴーでお勧めの博物館を3つ尋ねた時。ファーガソンはそのうち2つに寄付をしていた。フットボールに限らず、彼の好奇心は無限大だ。
5つ目、メスタージャでキックオフ90分前にアウェー側ロッカールームの外で出くわした時。「先発メンバーを当ててみろ」と挑戦された。8つしか当てられず、「俺の気持ちを読もうなんて向こう見ず」と散々バカにされた。
ファーガソンは複雑だ。彼はレフェリーを信じ、メディアは彼の失墜を書き立てるが、それでも何かあれば彼らが一番に電話をするのもファーガソンだ。彼は怒りっぽく、気前がよく、頑固で愛想がよい。総じて言うならば、彼は勝利者なのだ。
リバプールからリーズ・ユナイテッド、ブラックバーン・ローバーズ、そしてアーセナルとチェルシー、マンチェスター・シティ。この25年に受けてきた挑戦の数々を振り返って熟考しながらファーガソンは肩をすくめた。
「ここにいれば挑戦はいつだってある。誰を相手にしているかの問題ではない」
かかって来い。ファーガソンは十分に話した。
「よし、またな」彼はそう言って立ち上がった。トレーニングの時間だ。勝ち取るべきトロフィーもまだある。あの日オックスフォードに流れたブルースの余韻は今も残っている。
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ファーガソンのインタビューはいつも聞きとるのが大変。
このサンダーランド戦の前の会見では、あまり自分を褒めないファーガソンが「おとぎ話のようだ」と語って、普段彼の言葉を聞くメディアを驚かせたというけど、25年を振り返ってそう言えることを成し遂げたんだから、ある意味重みのあるおとぎ話だよな。
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