Saturday, October 15, 2011

リバプールを数字から変えるダミアン・コモッリ

大型補強で話題を呼んだリバプールを裏から取り仕切るのがフットボール・ディレクターのダミアン・コモッリ。データを重視するポリシーやこれまでの経緯、ケニー・ダルグリッシュとの関係などに触れるコラム。これが出たのはイギリスではなくアメリカのスポーツ雑誌『スポーツ・イラストレイテッド』。


++(以下、要訳)++

イギリスのフットボール雑誌である『Four Four Two』が毎年恒例のフットボール長者番付を発表したが、そこでリバプールを所有するフェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)のオーナー、ジョン・W・ヘンリーは20位にランクされた。そして記事は、これまでに獲得した勝ち点と費やした金額から、勝ち点1あたりの金額を750万ポンドと算出した。

この計算がいい加減なのもので、ちょっとした遊びであることは『Four Four Two』も認めているが、『マネーボール』もしくは『サッカーノミクス』の具体的な適用例としては興味深いだろう。『マネーボール』はブラッド・ピット主演で映画化されたマイケル・ルイスの本で、オークランド・アスレチックスのGMビリー・ビーンが統計を駆使して評価を軽んじられてきた選手たちを発掘し、チームがチャンピオンになるのを助けた、という話だ。サイモン・クーパーらが著した『サッカーノミクス』は、フットボール版のそれとも言えるもので、データの分析がチームに競争力と違いをもたらすという話で、これは選手のスカウトだけでなく、契約管理からPK、ケガの予防まで着眼点は多岐にわたっている。

『Four Four Two』がデータが示すもの全てが役に立つわけではないと言っている、この点にはリバプールでディレクターを務めるダミアン・コモッリが反論するはずだ。

彼はフットボールにおけるデータの活用の福音的存在で、クラブにおける重要な決断が数字を見ずに行われることはもはや無い、と語っている。これが上手く機能する時には、大きな成功につながる。アンフィールドの新たな英雄となったルイス・スアレスの移籍金2,300万ポンドは、今ではバーゲン価格として広く認知されている。

今年初め、コモッリは『フランス・フットボール』誌に以下のように語っていた。「ルイスについては、過去3年間の数字に着目した。特に何試合プレーしたかという点が重要だった。怪我をしない選手を獲得したいからだ。それに、アシスト数やビッグクラブ相手のパフォーマンス、小さなクラブ相手のパフォーマンス、ヨーロッパでの戦いぶり、ホームとアウェーでのゴール数の違いなども考慮する」

左サイドバックのホセ・エンリケもデータで獲得を決めた例のひとつだ。リバプールはガエル・クリシー(カンヌで何試合か経験したのみの17歳当時の彼を発掘し、アーセナルに推薦したのは他ならぬコモッリだ)の獲得に失敗した後、コモッリがリストの選手をチェックしていた時にホセ・エンリケの数字がレポートの内容以上に印象的であることに気付いた。そして移籍金や給与の面でもクリシーより安かった。今季ここまで、ホセ・エンリケがリバプールで際立ったパフォーマンスを見せているひとりであることは、コモッリの手法が機能している更なる証左だろう。

話がそんなに簡単であれば良いのだが、そうでないケースもある。少なくとも現在のところは、1月に3,500万ポンドを費やしたアンディ・キャロルの例がそうだと言わざるを得ないだろう。加入以来17試合で4ゴールという数字で、全てが批判にさらされる。元々はキャロルでなくフェルナンド・トーレスをスアレスと並べてプレーさせることを想定していたコモッリは、この文脈からキャロルについて言及されることには大分苛立っているようだ。問題は、ある選手で上手く行くことが、他の選手ではそうとは限らない、ということだ。

さる5月に行われたインタビューでのコモッリの言葉を拾ってみよう。「これまで我々が着目してきたのは才能で、それ以上のものではなかった。しかし、我々が欲しいのは才能に正しい態度と知性が伴っている選手だ。彼はチームプレーができるか?チームに献身するための知性を兼ね備えているか?我々は、心理的な側面、つまり態度やメンタリティについても、これまで以上に着目する必要がある」。これがスアレスを獲得した理由を説明するとすれば、他クラブのスカウトが獲得を見送った理由として「態度とメンタリティ」を挙げているキャロルの獲得は若干の驚きだ。

オーナーのヘンリーは、キャロルの価値についてトーレス(5,000万ポンド)マイナス1,500万ポンドと見積もっており、コモッリを支持する面々も、スアレスとキャロルを獲得するのにかかったコストは、トーレスとライアン・バベルの放出で得た資金と同じだ、と尤もらしい擁護をする。しかし、これは一貫性に欠けかねない話だ。チェルシーが2,500万ポンドでトーレスを獲得したとしても、ニューカッスルは1,000万ポンドではキャロルを放出しなかっただろう。

ここでの魔法の言葉は「価値(value)」だ。「全ての原理原則は、価値を創り出すことであり、統計と比較して価値が軽んじられている選手たちを見つけ続けることだ」とコモッリはフランスの「ル・スペシャリテ」紙に話していたが、「テレグラフ」紙のポール・ケスコ主幹は「1月の移籍市場締切日にセンターフォワードを買おうとしている時には、そんな価値を明確に見出せるわけではない」と指摘する。

しかし、『マネーボール』の理論においても、巨額の投資を除外してはいない点にも着目すべきだろう(同じくヘンリーが所有するボストン・レッドソックスは、過去10年MLBの中で2番目に多くの資金を費やしている)。コモッリがキャロルとの契約にゴーサインを出したのは、22歳という年齢、イングランド籍、滅多にないフィジカルの強さから、既に重要なターゲットとして狙いを定めていたからだ。

コモッリ本人は、プロの選手としては実績を残せなかった。モナコのユースチームに在籍していたが、その将来はリリアン・テュラムやエマニュエル・プティらによって阻まれた。19歳にしてモナコのU-16のチームを指導し始め、その後当時名古屋グランパスエイトで指揮をとっていたアーセン・ヴェンゲルに説得され、名古屋のU-18でゴールキーパーの指導にあたった。1年後、コモッリはアーセナルでヴェンゲルに仕えることになり、ヨーロッパをカバーするスカウトとなった。

コモッリの統計への情熱に火をつけたのは、他ならぬヴェンゲルだった。ヴェンゲルがマンチェスター・ユナイテッドが相手陣内で一番のパス成功率を誇り、ロイ・キーンがプレミアで一番の1対1で勝てる選手であることに気付くと、コモッリに「それがどうしてか、お前なら分かるだろう」と伝えた。

「答えは『マネーボール』にあった。まさに全てはそこにつながっていた」と『フランス・フットボール』誌に語った。「知人のお陰で、その本のヒーローであるビリー・ビーンとも友人になり、2005年以降はまさにこの仕事にどっぷりだ」ビーンとの友情が深まる中、2005年9月にコモッリはスパーズのフットボール・ディレクターに就任した。ホワイト・ハート・レーンでの3年間でコモッリは26人の選手を獲得し、そのうち8人は現在もスパーズにいる。この成功例には、ギャレス・ベイル、ルカ・モドリッチ、ベノワ・アス・エコトが含まれ、失敗と言えそうなのは、デイビッド・ベントリー、ジルベルト、そしてホッサム・ガリーなどだ。

『Pay as You Play』の著者であるポール・トムキンスは、著書の中でスパーズでのコモッリの選手獲得を分析し、30%が大きな利益を生み、25%は大損、残りはその中間と結論付け、「全体として2,650万ポンドの純利益を生んだ」と見ている。このコモッリのホワイト・ハート・レーンでの実績と、ビーン本人からの推薦で、ヘンリーは彼を雇うことに確信を得た。

『サッカーノミクス』の著者であるサイモン・クーパーは、監督のケニー・ダルグリッシュとの間に軋轢があると指摘するが、これをコモッリは否定している。クーパーは先週『The Score』誌に「コモッリはビーンに非常に近く、マネーボールをフットボールの世界に持ち込んでいるが、ダルグリッシュは直感に優れた監督だ」と述べている。

当然ながら、コモッリは2人の関係が悪ければこの夏の選手獲得はほとんど実現しなかったハズだ、と主張している。選手たちを獲得した上で、リバプールは14人を売却し、9人をローンに出した。クリスティアン・ポウルセンやミラン・ヨバノビッチのように保有権を手放したケースも、ジョー・コールのように依然として給与を支払っている場合もある。

コモッリをよく知るフランスの記者は、この夏の契約は高価な妥協だと見ている。コモッリは価値の向上が見込める若い選手が欲しかった一方で、ダルグリッシュは英国籍の選手を望んだ。結果はおよそ5,000万ポンドをジョーダン・ヘンダーソン、チャーリー・アダム、スチュワート・ダウニングに費やすことになった。

いずれにしても、コモッリは権力的な苦しみは理解している。以前のサンテティエンヌでの仕事でも、コモッリは共同オーナーたちの間に挟まって身動きが取れなくなった。ベルナール・カイアッゾは有名選手を呼ぶことで集まる注目を喜ぶビジネスマン、ローラン・ロメイエは努力を惜しまない選手が好みで、サポーターのような口ぶりで裏方に徹するタイプだった。2人は口論を続け、危うく降格するところまで落ちてしまった。コモッリが去った後にクラブは体制を改め、結果も改善していった。

トッテナム・ホットスパーの監督だったマルティン・ヨルも彼のスパーズでの失敗はコモッリのせいだと糾弾している。「責任はコモッリにあり、フットボールに関する大半の権限は彼が握っていた」フラムの監督に就任する際の会見でヨルはこう述べていた。ヨルの意思に反してコモッリがダレン・ベントやディエィエ・ゾコラを買ったのは事実だが、クラブはそれでも2シーズン続けて5位で終えた。2007年の10月にヨルが解任されたのは、ディミタール・ベルバトフと騒動になり、開幕10試合で1勝という過去19年で最低のスタートの後だ。コモッリが後任に選んだのはファンデ・ラモス(ヨル時代のスパーズで苦しんでいたフレデリック・カヌーテをセビージャに呼んだ過去がある)で、カーリングカップのタイトルを獲りはしたものの、13ヶ月後にラモスもコモッリもクラブを去った。

もうひとつの教訓はヴェンゲル時代のもので、同じく「サッカーノミクス」に関わるものだ。それは、ベストな選手は、その選手がいる間に代わりを連れてくる、というものだ(実際、ヴェンゲルはティエリ・アンリが去る前にエマニュエル・アデバヨル、デニス・ベルカンプが去る前にロビン・ファン・ペルシ、パトリック・ヴィエラが去る前にマシュー・フラミニを獲得した。同様にセスク・ファブレガスが出て行く前に、ジャック・ウィルシャーを起用し始めた)。トーレスの放出はその意味で早過ぎたが、ヘンダーソンがスティーブン・ジェラードの、セバスチャン・コアテスがジェイミー・キャラガーの後釜になれるかは、これから次第だろう。

仮にスチュワート・ダウニングを成功例としてスアレスやホセ・エンリケに加えるなら、失敗例としてキャロルの話を持ち出される毎のコモッリの反応には同情を覚えるだろう。しかし、彼が好む好まざるに関わらず、失敗で記憶に残ってしまうのがスポーツ・ディレクターの運命であることはコモッリ自身も分かっている。

そしてたとえキャロルが実力を証明するのに苦しんでいるとしても、コモッリはピッチの内外でリバプールに利益をもたらしている。FSGがクラブを買収して1年となるこの土曜日、リバプールはアンフィールドにマンチェスター・ユナイテッドを迎える。1年が過ぎ、クラブのムードは改善し、メンバーは整備され、将来は明るい。コモッリは彼の役割を果たしているのだ。

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前にサイモン・クーパーの似たような記事をピックアップしてたんだけど、コモッリに焦点が当たってるのも面白いと思って、ユナイテッド戦前にガガっとまとめ。彼がヴェンゲルに呼ばれて日本にいたのは知らなかった。

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