++(以下、要訳)++
1. スカイで中継されたプレミアリーグ最初のゴール:8/17, 1992
キックオフ2時間前。リチャード・キーズが進行をして、アンディ・グレイが私とジェフ・シュリーヴスと共にいた。他に仕事を持っていた我々にとって、スカイに加わるのはギャンブルだった。自分の役割は他の人間が担っていて、それを取って代わるには何らかの確信を与える必要があった。我々はFAカップや代表のゲームの中継はしていたが、それだけだった。しかし、スカイがプレミアリーグの中継をすることになると、私はオフィスに呼ばれ、このチームと一緒になった。私はテディ・シェリンガムのゴール(↓0:30~)を"a peach"と表現したが、そんな言い方はそれ以来していない。リバプールのデイヴィッド・ジェームスの横を抜ける、素晴らしいゴールだった。最初の生中継を勝ち取ることができたのは意義深いことだった。
2. ファーガソンに初タイトルをもたらしたブルースの2ゴール:4/10, 1993
スティーブ・ブルースが2ゴールを決め、ブライアン・キッドがピッチを走り回って祝福を表したことで知られる試合。ブルースが決めた時、我々はタイトルはユナイテッドのものだと確信した。そういう瞬間があるものだ。最近では、数年前にフェデリコ・マケダがアストン・ヴィラ相手にゴールを決めた時がそういう時だ。そして、アンディの伝説が生まれたのがこの後だ。リーグタイトルが決まっている試合で、彼は「このフリーキックはギャリー・パリスターに蹴らせると思う」とコメントした。フィールド・プレーヤーで唯一得点していなかったからだ。すると、本当にパリスターがゴールを決め、我々のディレクターはスタンドにいるサー・マット・バズビーの美しい姿を捉えていた。
3. ブラックバーンのリーグ優勝:5/14, 1995
私は(下部リーグの)ワーキングFCのファンで、プレミアリーグの最終日と同じ日に、私の愛するクラブはFAトロフィーのファイナルをウェンブリーで戦っていた。家族は皆ウェンブリーにいて、私も自分の前のモニターで戦況は追えたが、試合は延長になり、私は自分の仕事に集中しなくてはいけなかった。ワークングは120分にゴールを決めて試合に勝った。私は完全に興奮してしまい、アンディにハグとキスをした。彼は私と2度と仕事をしたくない、と言っていたが。私はフットボールがもたらす幸福に一日中幸せだったが、この日の中心はブラックバーンでありアラン・シアラーだった。おかしかったのは、同僚のニック・コリンズがドレッシング・ルームのケニー・ダルグリッシュにインタビューをしに行ったのだが、ケニーはマイクを取ると、ニックにインタビューを始めたんだ。散々素っ気ない受け答えをしてはいたものの、ニックには好印象を持ってたんだ。
4. リバプール 4 - 3 ニューカッスル:4/30, 1996
今までに中継した中でベストのゲーム。90分の中に全てがあり、タイトルを狙うエンターテイナーのニューカッスルとフルメンバーのリバプールが作り出す素晴らしい雰囲気がそこにはあった。リバプールは開始2分でリードしたが、それ以降、92分のコリモアのゴールまでリードすることは無かった。私はケヴィン・キーガンが「Carlsberg」の看板の後ろに頭を落としている姿が忘れられないね。
5. ベッカムのウィンブルドン戦でのハーフウェイラインからのゴール:8/17, 1996
ボールが宙を舞っている時間が長かったから、何を言ったら良いか考えるには十分だったが、アンディが先に「take a bow/拍手に応えるがいい」と言った。セルハースト・パークの放送席からの眺望は素晴らしく、これは入るだろうとすぐに分かった。こことアンフィールドは私のお気に入りだ。歴史が目の前で作られるのが、まずはその大胆さと技術、そしてベッカムという人物から分かったはずだ。特別な存在になる階段を上っている選手による特別なゴールだった。
6.フィリップ・アルバートのチップキック:10/20, 1996
ユナイテッドにとってはツキの無い日であり、ニューカッスルは聖杯を掴みつつあるように見えた。アルバートがあの位置に上がっている(1:30~)こと自体不合理で、4-0の展開だからこそだ。あの頃のニューカッスルは、エンターテイナーとして最高だった。「何点取られようが、それ以上決める」という展開のニューカッスル戦を割り当てられるのが本当に嬉しかった。ニューカッスルのオーナーのサー・ジョン・ホールは、我々に「今日はチャンピオンを目にすることになる」と言ったが、その通りになった。それは、この日0-5で敗れたマンチェスター・ユナイテッドだったが。
7. エヴァートン戦でのトニー・アダムスのゴール:5/3, 1998
誰にも知られていなかったアーセン・ヴェンゲルは苦しいスタートを味わったが、やがて素晴らしい監督として知られるようになった。ヴェンゲルが初めてのタイトルを勝ち取る上でのキープレーヤーだった2人の忠実なセンターバックは、シーズンの終わりになってようやく自己表現をすることにした。ボウルドのパスに抜け出したのは、アダムスだった。出せたコメントに私も満足していた。「決めたのはスティーブ・ボウルドのパスに抜け出したトニー・アダムス、信じられるか?これがすべてを表している」このコメントは、今ではエミレーツ・スタジアムに掲げられていると聞いた。私の活躍の場が、彼らのためにもなったというのは嬉しい限りだ。
8. ブラッドフォードの残留:5/14, 2000
彼らはデイヴィッド・ウェザーウォールのヘディングで、勝てばチャンピオンズリーグに出られたリヴァプールを下し、残留を決めたウェザーウォールは地元の選手で、ポール・ジュウェルは聡明な若手監督だった。誰もブラッドフォードにチャンスがあるとは思っていなかったが、彼らの勝利は、サウザンプトンに敗れたウィンブルドンを降格させることになった。
9. ボールを手でキャッチしたディカニオ:12/16, 2000
パオロ・ディカニオがウィンブルドン戦で素晴らしいボレーを決めた時も、彼がポール・アルコックを押し倒した時も私は実況席にいた。彼には色々な側面があるが、エヴァートン戦でボールをキャッチしたシーンは特別だ。私はスポーツマンシップの世代だが、同時にこの業界で生きてきて、試合に勝つことの難しさも理解しているつもりだ。どんな幸運であれ活かすべきであろう。彼は、ゴールキーパーのボール・ジェラードがけがをした時に、本能的に正しいことをした。素晴らしい人間味ある瞬間で、我々はこれを忘れるべきではない。彼のスウィンドンでの幸運を祈りたい。
こちら(↓)はウィンブルドン戦の素晴らしいゴール
10. ちょっとした番外をいくつか
・昨シーズンピーター・ウォルトンがカードを忘れた時、バーミンガムのジョードン・ムッチに見えないカードを提示した。それはいい。面白かったのは、その見えないカードをポケットに戻したことだ。
・もうひとつ、マット・マティアスがうっかりロビー・サヴェージにヒジ鉄した場面もおかしかった。
・アストン・ビラのゴールキーパーだったピーター・エンケルマンが、スローインのボールを受けるのに失敗して許してしまったオウンゴール。
11. ルーニーの初ゴール:10/21, 2002
それは、その後起きる事の前兆だった。ルーニーの噂を聞いて、初めて彼を見たのはFAのユースカップのトッテナム戦だった。私が翌朝の朝食で「センセーショナルな存在になる奴を見た」と家族に言ったため、家族はその後3年間に渡って私がルーニーを発掘したと思い込んでいた。そこにはデイヴィッド・モイーズとコリン・ハーヴェイがいた。エヴァートンは若手を使うのが上手いクラブであるが、ハーヴェイは「今まで見てきた中で最高」と言い、モイーズは「金を払ってでも見たい」と表現していた。そして16歳と360日にしてチャンピオン相手にセンス溢れるスタイルで決勝ゴールを決め、「俺はここにいる」とアピールして見せ、才能を開花させた。彼はフットボールをするために生まれてきたんだ。
12. アーセナルの無敗優勝:5/16, 2004
最も重要な瞬間は、最後のホイッスルだった。シーズンを無敗で切り抜けるというのは驚くべきことだった。シーズン最後のその日はレスター相手にリードを許したが、結局勝って見せた。皆、これは2度とないことだと思っていたし、おそらく今でも思っている。最も敗戦に近づいたのはマンチェスター・ユナイテッド戦で、ルート・ファン・ニステルローイが終了間際にPKを得た時だった。そうしたギリギリの戦いの結果だが、プレミアリーグの競争の厳しさが、この偉業の価値を高めている。すべての試合がカップ・ファイナルのようで、3連勝や6戦無敗だって今では信じられないくらいだ。それだけアーセナルがしたことは驚嘆に値する。それから彼らがタイトルを一度も獲れないとは、誰が想像しただろうか?
13. チェルシーのプレミア初タイトル:4/20, 2005
かつてのリーグ・タイトルからちょうど50年でプレミア初戴冠とは信じられない流れだ。ロマン・アブラモイッチがクラブを買収してから2年足らずのことだった。数週間前にアジアに行った時、チェルシーの取材でアジアに飛んだ2003年を思い出した。ウェイン・ブリッジ、デイミアン・ダフと共に飛行機に乗ったが、そこで何が起こるのか、誰も分かってはいなかった。皆が不安に思っていたし、確かなことなどひとつもなかっただけに、こうしてタイトルを獲れたことに、皆が胸をなでおろしたはずだ。
14. ブライアン・ロブソン率いるウェスト・ブロミッジの奇跡の残留:5/16, 2005
運命の日曜日に残留の可能性があったのは、他にノーリッジ、クリスタル・パレス、ウェスト・ブロミッジ、サウザンプトンだった。クリスマスに最下位だったクラブは残留できない、と言われる中、ウェスト・ブロミッジはクリスマスに最下位だった。しかし、ジェフ・ホースフィールドとキーラン・リチャードソンのゴールで勝利し、素晴らしい日に花を添えた。昨シーズンの残留争いもエキサイティングだったが、この残留劇こそファンの記憶に最も残るものだろう。私はプレミアリーグの重要さから、残留こそ成功だといつも言っている。バーミンガムはカーリング・カップのタイトルと残留を引き換えるだろうか?
15. マンチェスター・シティのミュンヘンへの哀悼:2/10, 2008
ミュンヘンの悲劇から50周年の日にマンチェスター・ダービーが行われたのは特別な日だった。マンチェスター・シティが示した振る舞いと敬意は申し分の無いものだった。私は飛行機事故が起きた時の記憶があるし、それは大きな事故だった。私は、ファンが不適切な振る舞いをしたら何と言うべきか、どんなトーンで語るべきか、心配していた。私は畏敬の念を感じたが、それは皆がそうだったからだ。試合はシティがベンジャニとダリウス・ヴァッセルのゴールで勝ったが、プレミアリーグの尊厳という意味で素晴らしい時だったと思っている。シティが愛すべきクラブであり、勝利は素晴らしい振る舞いのご褒美のようだった。
16. トッテナムの8ゴールのスリル:3/20, 2008
ハリー・レドナップ率いるトッテナムは、ここ数年観るのには一番のチームで、クレイジーな試合をいくつも演じている。アストン・ヴィラ、チェルシー、そしてアーセナル相手の4-4の試合などだ。その中でも一番のゲームはチェルシー相手のものだが、当時チェルシーのゴールキーパーだったカルロ・クディチーニは、終盤にディミタール・ベルバトフに決められていたらトットナムが勝っていたと感じていただろう。アーセナル戦では、デイヴィッド・ベントリーのゴールがあり、多くのスパーズ・ファンがスタジアムを去った後のアーロン・レノンの終盤の同点ゴールがあった。
17. ニューカッスル 4 - 4 アーセナル:2/5, 2011
0-4とリードされてからの挽回と、チェイク・ティオテのゴールのクオリティがランクインの理由だ。この週は、他の試合でもゴールがたくさん生まれていた。4点ビハインドからの同点劇は、プレミアでは初のことだった。
18. ユナイテッドの19度目のタイトル:5/14, 2011
プレミアリーグが始まるまでのマンチェスター・ユナイテッドのタイトルは7つ、リバプールは18だった。それが、今では19のプレミアリーグタイトルのうち、12をユナイテッドが勝ち取った。サー・アレックス・ファーガソンの功績によって。こんなタイプのマネジメントにお目にかかることは2度とないだろう - 長さにおいても管理においても。彼の下でキチンと振る舞わねばならないことは分かるだろうが、私が魅了されるのは人々のリーダーとしての彼だ。外国人選手が数多く流れ込み、クラブは地球規模で拡大し、クラブの幹部も変わったが、それらすべてを通じても彼のチームは上手くやってきている。いまでは監督は25カ月も続けば上手く行ってる方だが、ファーガソンは11月には任期25年を迎える。
19. スウォンジーの昇格:5/30, 2011
プレミアリーグの開始時には、所詮トップのクラブが恩恵を受け、同じ上位4クラブでのタイトル争いを見るだけだ、という感覚もあったが、20年経ってみると、スウォンジーがプレミアに入る45クラブ目となった。つまり、元々のフットボールリーグの92クラブのおよそ半分がプレミアの舞台に立ったことになる。ウェールズのクラブはずっとフットボールリーグに貢献してきたし、そこには深いルーツがある。スウォンジーにとってはウェールズを代表するチャンスであり、私もウェールズでプレミアリーグの中継をすることを長年夢見てきた。私が本当にそれを楽しみにしているのは、母が言うには、私にもウェールズ人の血がいくばくか流れているからだ。
20. グローバルな力
アジアから戻ってみて、プレミアリーグがいかに広がっているかを痛感させられた。最近、ファンがいかに凄い方法でプレミアリーグを観ているか、というコンテストの審査員をしたのだが、アフリカでは毎週末テレビを観に行くために20マイルを走っている人々がいた。人々をそれだけ駆り立てるものの一部になっていることを考えると、本当に卑屈な気分になってしまう。素晴らしい選手や監督たちが我々の元へやってきたが、代わりに我々は素晴らしいフットボールを世界中に届けているのだ。私は、フットボールはポジティブな力になると感じるし、香港でブラックバーン、チェルシー、そしてアストン・ヴィラのコーチがしていたことは、私を喜ばしい気持ちにさせた。それは、1990年代に流行った国際的なスター選手たちが世界中を回る「The Hurricanes」というサッカー漫画を思い出させる。まさにそれが実現すると予期していたようなものだ。
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