そんな命運を分けた2クラブの対戦が、日曜のFAカップで「実現してしまう」ことになった。1つは、ウィンブルドンFCがミルトン・キーンズに移転してできたMKドンズ。もう一方はその移転に反発したサポーターたちが創設したAFCウィンブルドンだ。
この巡り合わせを当事者たちの 言葉とともに、「ガーディアン」紙のデイビッド・コン記者がエッセイにしている。
++(以下、要約)++
南ロンドンには、今でもミルトン・キーンへのクラブの移転に対する怒りは残っており、多くのファンは彼らが「フランチャイズFC」と呼び捨てるチームとの対戦のために駆け付けたいとは考えていない。
そして、遂に、運命的に、自分たちのクラブの移転に拒絶したサポーターたちが2002年に設立したAFCウィンブルドンが、かつてのウィンブルドンが論争とともに姿を変えた、リーグワンのミルトン・キーンズ・ドンズと対戦することとなった。
12月最初の週末の、ミルトン・キーンズでのこのFAカップの2回戦を指して、人々は「怨念の試合」、だとか単に「ドンズ・ダービー」呼ぶ人々は、早々にAFCウィンブルドンのファンに考えを正されていた。多くはすでにこの「フランチャイズ」と呼ぶクラブとの試合には行かないことを明言していて、もちろん中にはチームをサポートしに行く面々もいるが、彼らもこの試合が実現してほしくはなかった。
AFCウィンブルドンのCEOであるエリック・サミュエルソンは、こう語る。「我々の多くがこれを楽しめないことは分かっているが、やらねばならないことでもあるし、プロフェッショナルに我々の評判を傷つけないようにやるまでだ」
南ロンドンでは、フットボールの歴史の中でも並外れて苦々しいエピソードは人々の傷跡として今でも残っており、それはFAカップのドローが決まった時には生々しくかきむしられた。AFCウィンブルドンのサポーターたちには、今でも自分たちのクラブが奪われたことに対する激しい抗議の念が生きている。そして、現在はフットボール・リーグに所属する彼らのクラブが、ゼロからスタートして10年でここまで到達しているというプライドもある。
彼らが言うには、「怨念の試合」というのは短絡的過ぎて、AFCウィンブルドンの感情の深さを誤解している。これはライバル関係や共有できる歴史を持つ同等レベルのクラブ同士のダービーとは異なるのだ。かつてのウィンブルドンは、破綻してホームレスとなり、FAが開催した3人の評議員からなる独立委員会によってミルトン・キーンズへの移転を認められた。しかしAFCウィンブルドンのファンは、今でも自分たちのクラブは盗まれた、と話している。
サポーターたちは、その独立委員会で2-1で決まった決定を今でも覚えている。期待がかなわず、ピーター・ウィンケルマンのミルトン・キーンズ・プロジェクトにウィンブルドンとフットボール・リーグの地位が与えられるのであれば、ファンがそこから離れて、自分たちのクラブを作るまでだった。
賛成に票を投じた2人の評議員は、FAの商業弁護士を務めていたラジ・パーカーと当時アストン・ヴィラでオペレーションを仕切っていたスティーブ・ストライドだった。2人は当時の動きについて、「クラブを墓場から再生するのは、クラブが113年前に設立された場所に戻したいと考えるそのクラブのサポーターの問題で、広くフットボールの利益のためではない」と語っていた。
これに反発したAFCウィンブルドンのファンは、やがて決意と楽しみを以って新たなファンの手によるクラブでフットボールのピラミッドの最下層のコンバインド・カウンティ・リーグから参入する頃には、「広くフットボールの利益のためでなく」とのフレーズが入ったTシャツを着用するようになった。
このFAカップでの対戦は「怨念の試合」というより、むしろ、モダン・フットボールの2つの相反する化身の衝突と考えた方が分かりやすいだろうミルトン・キーンズの疲れを知らないセールスマンでもあるウィンケルマンは、ノンリーグのチームであったミルトン・キーンズ・シティを買収してフットボールリーグまで我慢強く上げていくことはできないと主張していた。フットボールリーグやFAは移転に反対であったが、ひとたび委員会が移転を認めると、スーパーマーケットのアスダ(ASDA)が店舗とともにスタジアムの建設をすることになった。当初クラブはウィンブルドンとしてミルトン・キーンズでプレーしたが、2004年に「ドンズ」というウィンブルドンの愛称だけを残して名前を改めた。この点については、サミュエルソンやAFCウィンブルドンのファンは、今でもその名前を正式に返して欲しいと願っている。
2006年の降格でMKドンズがフットボールリーグのチームとなり、2年後に再度リーグ・ワンに復帰している間に、AFCウィンブルドンのファンは、クラブを新たな形にし、ファンが民主的に運営し、依然中立の基金によって維持されるようになった。彼らは自分達を1889年に設立され、1988年には「クレイジー・ギャング」と呼ばれたチームでFAカップを制した古きウィンブルドンと定義し、新たなチームはノンリーグの階段を昇格を重ねて一気に駆け上がっていった。その中には、独立委員会で移転に反対したメンバーだったアラン・タービーがトップを務めるライマンリーグも含まれていた。
昨年、ルートン・タウンとのカンファレンスでのプレーオフを制してフットボールリーグの地位を勝ち取ったが、これはファン所有のもたらす価値を追求するサポーター基金と当時の会長であるデイブ・ボイルにとって、自分達の忠実さ、屈強な決意と大勝利を正当に証明するものだった。
この歴史こそ、多くのAFCウィンブルドンのファンにとって何故MKドンズとの対戦が実現してほしくなかったのか、そして何故多くのファンがそれを観に行きたいとは思わないのかを説明するだろう。
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フリューゲルス解散とフリエ設立の流れも裏事情を完全に理解してるわけじゃなかったけど、「F」が残るのとかは微妙だったもんな。アメリカのプロスポーツだとよくあるけど、イギリスはこんなの初めてだったらしく、大きな論争になって、今回の対戦も「実現してしまった」っていうニュアンスになっているわけだね。そりゃ、自分達のクラブを「盗んで」フットボールリーグへと近道したクラブと、一番下から上がって正当性を示す自分達との対戦なら、もうただのフットボールじゃないよね。