Thursday, November 29, 2012

AFCウィンブルドン・ファンには受け入れ難きMKドンズ戦

今から10年ほど前、ウィンブルドンFCがミルトン・キーンズへの移転によってMKドンズとなる際に騒動になっていたのは、ウェブを通じてではあるが、リアルタイムで知っていた。サポートしてしていたクラブが財政難から他のオーナーの手に渡り、名前を変えて他の街へ移転してしまう、という状況の当事者であったら、その喪失感というか、当て場のない怒りや悲しみは計り知れないだろう、とも思った。(日本にも、クラブ自体がなくなったフリューゲルスのような事例もあるけど)

そんな命運を分けた2クラブの対戦が、日曜のFAカップで「実現してしまう」ことになった。1つは、ウィンブルドンFCがミルトン・キーンズに移転してできたMKドンズ。もう一方はその移転に反発したサポーターたちが創設したAFCウィンブルドンだ。

この巡り合わせを当事者たちの 言葉とともに、「ガーディアン」紙のデイビッド・コン記者がエッセイにしている。


++(以下、要約)++

南ロンドンには、今でもミルトン・キーンへのクラブの移転に対する怒りは残っており、多くのファンは彼らが「フランチャイズFC」と呼び捨てるチームとの対戦のために駆け付けたいとは考えていない。

そして、遂に、運命的に、自分たちのクラブの移転に拒絶したサポーターたちが2002年に設立したAFCウィンブルドンが、かつてのウィンブルドンが論争とともに姿を変えた、リーグワンのミルトン・キーンズ・ドンズと対戦することとなった。

12月最初の週末の、ミルトン・キーンズでのこのFAカップの2回戦を指して、人々は「怨念の試合」、だとか単に「ドンズ・ダービー」呼ぶ人々は、早々にAFCウィンブルドンのファンに考えを正されていた。多くはすでにこの「フランチャイズ」と呼ぶクラブとの試合には行かないことを明言していて、もちろん中にはチームをサポートしに行く面々もいるが、彼らもこの試合が実現してほしくはなかった。

AFCウィンブルドンのCEOであるエリック・サミュエルソンは、こう語る。「我々の多くがこれを楽しめないことは分かっているが、やらねばならないことでもあるし、プロフェッショナルに我々の評判を傷つけないようにやるまでだ」

南ロンドンでは、フットボールの歴史の中でも並外れて苦々しいエピソードは人々の傷跡として今でも残っており、それはFAカップのドローが決まった時には生々しくかきむしられた。AFCウィンブルドンのサポーターたちには、今でも自分たちのクラブが奪われたことに対する激しい抗議の念が生きている。そして、現在はフットボール・リーグに所属する彼らのクラブが、ゼロからスタートして10年でここまで到達しているというプライドもある。

彼らが言うには、「怨念の試合」というのは短絡的過ぎて、AFCウィンブルドンの感情の深さを誤解している。これはライバル関係や共有できる歴史を持つ同等レベルのクラブ同士のダービーとは異なるのだ。かつてのウィンブルドンは、破綻してホームレスとなり、FAが開催した3人の評議員からなる独立委員会によってミルトン・キーンズへの移転を認められた。しかしAFCウィンブルドンのファンは、今でも自分たちのクラブは盗まれた、と話している。

サポーターたちは、その独立委員会で2-1で決まった決定を今でも覚えている。期待がかなわず、ピーター・ウィンケルマンのミルトン・キーンズ・プロジェクトにウィンブルドンとフットボール・リーグの地位が与えられるのであれば、ファンがそこから離れて、自分たちのクラブを作るまでだった。

賛成に票を投じた2人の評議員は、FAの商業弁護士を務めていたラジ・パーカーと当時アストン・ヴィラでオペレーションを仕切っていたスティーブ・ストライドだった。2人は当時の動きについて、「クラブを墓場から再生するのは、クラブが113年前に設立された場所に戻したいと考えるそのクラブのサポーターの問題で、広くフットボールの利益のためではない」と語っていた。

これに反発したAFCウィンブルドンのファンは、やがて決意と楽しみを以って新たなファンの手によるクラブでフットボールのピラミッドの最下層のコンバインド・カウンティ・リーグから参入する頃には、「広くフットボールの利益のためでなく」とのフレーズが入ったTシャツを着用するようになった。

このFAカップでの対戦は「怨念の試合」というより、むしろ、モダン・フットボールの2つの相反する化身の衝突と考えた方が分かりやすいだろうミルトン・キーンズの疲れを知らないセールスマンでもあるウィンケルマンは、ノンリーグのチームであったミルトン・キーンズ・シティを買収してフットボールリーグまで我慢強く上げていくことはできないと主張していた。フットボールリーグやFAは移転に反対であったが、ひとたび委員会が移転を認めると、スーパーマーケットのアスダ(ASDA)が店舗とともにスタジアムの建設をすることになった。当初クラブはウィンブルドンとしてミルトン・キーンズでプレーしたが、2004年に「ドンズ」というウィンブルドンの愛称だけを残して名前を改めた。この点については、サミュエルソンやAFCウィンブルドンのファンは、今でもその名前を正式に返して欲しいと願っている。

2006年の降格でMKドンズがフットボールリーグのチームとなり、2年後に再度リーグ・ワンに復帰している間に、AFCウィンブルドンのファンは、クラブを新たな形にし、ファンが民主的に運営し、依然中立の基金によって維持されるようになった。彼らは自分達を1889年に設立され、1988年には「クレイジー・ギャング」と呼ばれたチームでFAカップを制した古きウィンブルドンと定義し、新たなチームはノンリーグの階段を昇格を重ねて一気に駆け上がっていった。その中には、独立委員会で移転に反対したメンバーだったアラン・タービーがトップを務めるライマンリーグも含まれていた。

昨年、ルートン・タウンとのカンファレンスでのプレーオフを制してフットボールリーグの地位を勝ち取ったが、これはファン所有のもたらす価値を追求するサポーター基金と当時の会長であるデイブ・ボイルにとって、自分達の忠実さ、屈強な決意と大勝利を正当に証明するものだった。

この歴史こそ、多くのAFCウィンブルドンのファンにとって何故MKドンズとの対戦が実現してほしくなかったのか、そして何故多くのファンがそれを観に行きたいとは思わないのかを説明するだろう。

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フリューゲルス解散とフリエ設立の流れも裏事情を完全に理解してるわけじゃなかったけど、「F」が残るのとかは微妙だったもんな。アメリカのプロスポーツだとよくあるけど、イギリスはこんなの初めてだったらしく、大きな論争になって、今回の対戦も「実現してしまった」っていうニュアンスになっているわけだね。そりゃ、自分達のクラブを「盗んで」フットボールリーグへと近道したクラブと、一番下から上がって正当性を示す自分達との対戦なら、もうただのフットボールじゃないよね。

Monday, November 26, 2012

アブラモビッチへの批判を肩代わりするベニテス

ファンをも驚かせたロベルト・ディ・マテオの解任。それ以上に驚いたのが、ラファエル・ベニテスが後任の「暫定」監督だということ。お気づきの方も多いだろうが、ベニテスに集中している批判は、結果的にそれがオーナーのロマン・アブラモビッチに向くことをいくらかでも避けさせることにもなっている。そんな視点からBBCのフィル・マクナルティ主幹が描く、チェルシーとベニテスの現在。


 ++(以下、要訳)++

チェルシー・ファンがオーナーのロマン・アブラモビッチと交わした沈黙と従属の約束は、ラファエル・ベニテスを憎悪に包まれたスタンフォード・ブリッジへと直行させることとなった。

チャンピオンズリーグを制した6ヶ月後にロベルト・ディ・マテオを解任するというアブラモビッチの決断は、多くのチェルシー・ファンを傷つけた。しかし、それはその後任にベニテスを選ぶという判断に比べれば、ごく普通のことのように思えた。

ベニテスのリバプール時代は、チェルシーのファンにとっては嘲笑と憎しみの対象だった。それはジョゼ・モウリーニョとの辛辣なライバル関係の産物でもあり、ベニテスがチェルシー・ファンにとっての「スペシャル・ワン」を2005年、2007年のチャンピオンズリーグ準決勝、そして2006年のFAカップ準決勝で出し抜き続け、サポーターたちが忘れないベニテスの手厳しい言葉をよく覚えているからでもある。

これらの歴史は、暫定監督してのベニテスの就任と、日曜のマンチェスター・シティ戦のスタンフォード・ブリッジで彼がファンと初めて出会う場が、どれだけ場違いなものになることを意味していた。

いかにベニテスがその罵声には耳を傾けなかったと主張しようが、キックオフ前にトンネルを抜けてテクニカル・エリアに向かう彼を襲う大音量の怒りに対処する方法など無かったはずだ。チェルシーの面々にもう驚く力など残っていなかっただろうが、せいぜい冷たい歓迎だろうと予想していた彼らにも、これだけの敵意はショッキングだっただろう。

ベニテスはマンチェスター・シティの面々からはチェルシー・ファンからに比べれば温かい挨拶を受けたが、その一方でアブラモビッチに向けては何の声も上がってはいなかった。このロシア人富豪が歓迎されないという横断幕やチャントには遭遇しなかった。一切無かったのだ。

したがって、スコアレスドローに終わったマンチェスター・シティ戦を通じて、スタンフォード・ブリッジにはこれまでにない程の憎悪が充満しながら、アブラモビッチへの怒りは聞かれずじまいだった。全ての罵りは、痛々しいまでにベニテスにのしかかったのだ。

厳然たる事実は、多くのチェルシー・サポーターたちは、アブラモビッチの金がもたらすものを、チャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、FAカップを通じてエンジョイし過ぎてきており、単純に彼のアプローチが受け入れられてしまっているのだ。そして、多くの他クラブのサポーターたちがそこに非難と軽蔑をぶつけることも同様であることにあなたも気付いているだろう。

状況によってはベニテスも面の皮の厚い所を見せる。しかし、彼がテクニカルエリアで浴びせられていたものの内容は理解していなかったという、単純な反対から辛辣な嘲りに至る様々なチャントは、彼がこの先歩む、居心地の悪いことこの上ない仕事を体現しているものだろう。 これだけの個人攻撃を受けるとなると、石からでも生まれていない限り、何のインパクトも受けないというのは無理だ。

スタンフォード・ブリッジの雑音があまりに大き過ぎて、場内アナウンスが亡き元監督のデイブ・セクストンに1分間の拍手を捧げる案内を伝えるのにも一苦労していた。実際、セクストンに対する敬意は、場内の注意がひと時でもこの歓迎されない新監督から偉大な古きスタンフォード・ブリッジの奉仕者へと移ったことで、ベニテスを救いもした。

アブラモビッチは微動もせずにその様子を眺めていた。仮に彼が目撃した場面を気にしようが、彼の取り巻き以外は誰も気付きはしないし、いずれにしてもベニテスが彼の盾となっているのだ。

ベニテスは嬉々としてクリーンシートのポジティブさや王者相手の1ポイントなどを強調したが、今やマイナスになっている評判を挽回するために必要なことを説明したのは、相手のロベルト・マンチーニだった。「勝利、勝利、勝利、勝利、勝利・・・毎試合だ」

別にベニテスへの中傷を確かなものにするために多くの金を使う者などいないだろう。監督が就任当初から時間を与えられず、これだけの大音量と悪意に満ちた形で自分のチームのサポーターからの不支持を知らされれば、アブラモビッチに「暫定」の肩書を外すよう説得する前にファンの支持を得ようにもやれることが見当たらなくなってしまう。

シェッド・スタンドの横断幕には「ラファは出て行け - 動かぬ事実」と掲げられ、「俺たちが信じて愛したロベルト、決して信じないラファ。動かぬ事実」というポスター、他にも沢山の横断幕があった。

もうひとつの事実は、アブラモビッチがこの監督を選んだのであり、いかに反対の声が大きかろうが、そして好むと好まざると、この監督とやっていくしかないのだ。彼が他の決断をするまで。これがスタンフォード・ブリッジの掟なのだ。

若干マンチェスター・シティが優勢ではあったが、この凡戦の中で、ベニテスが施した戦術的な修正で組織的になったチームに喜びは見出せるのかもしれないが、他にこの楽しみに欠ける1日を救うものは見当たらなかった。

そして、ベニテスならかつてのリバプールの狙撃手であるフェルナンド・トーレスを即座に再生できると考えた者たちは失望することになるだろう。おそらく最初の疑問はこうだろう。「フェルナンド、どうしてそんなに悲しそうなんだ?」

トーレスは意気消沈して惨めな存在に映り、それは何故彼から活力も脅威も無くなってしまったのかを考えるまでもなく明らかだ。ベニテスのチェルシーでは、より長いボールでより素早くトーレスにボールを渡す、という指示が出ているのはすぐに分かる。しかし、それはこのストライカーよりもマンチェスター・シティのキャプテンであるヴァンサン・コンパニに喜ばれる策略となった。

ベニテスは最初のうちはチームの中での約束事の浸透に時間を費やすだろう。チームに信頼性と我慢強さを植え付けるためには、ディ・マテオ時代の艶やかさの一部は喜んで切り捨てるだろう。

そして、1月に1つか2つの修正を施した後は、マンチーニが主張する「勝利、勝利、勝利、勝利、勝利・・・毎試合だ」という言葉を追いかけていることだろう。

これがベニテスがアブラモビッチと交わした取引だ。そして、チェルシーのファンが成功のためにアブラモビッチと交わした取引なのだ。

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※シティ戦後の「スカイ」でのインタビュー。聞き手のジェフ・シュリーヴスも厳しい・・・。
「アンタは聞こえてなかっただろうけど、酷いブーイングでしたぜ。この先どうする?」


アブラモビッチの資金力に飼いならされるのも、チェルシーをアブラモビッチの乗り物、金満クラブと揶揄するのも同じこと、という一節にハッとさせられてしまった。その通りだよな。

それでも、このコラムを書いたマクナルティ氏も思う所があるんだろうな。興奮してたんだろうか、似たことを何度も繰り返してる感もあったけど、ひとまずそのまま訳出。昨日、一昨日あたりはこんな記事ばっか。ホント、メディアもアブラモビッチを必要としているね。

Sunday, November 25, 2012

スターリングに続く若き才能たち

ここでは初めて取り上げるが、「Life's a Pitch」は、今季からプレミアの放映権を得ている通信企業であるBTが運営するポータルサイトで、よくメディア各紙の記者を集めた座談会を収録して公開したりしている。その司会者を務めるマイク・カルヴィン氏は、業界ではベテランの部類に入るが、このポータルのコラムニストのひとりでもあり、今回取り上げるのは彼が選んだ、ラヒム・スターリング(リバプール)に続くプレミアの新星たちに関する記事。



++(以下、要訳)++

ラヒム・スターリングは夢の世界を生きている。彼はリバプールの未来の象徴で、若手のポテンシャルに賭けるクラブの信念を体現している。彼の年齢の多くの少年たちが最低限のサラリーの奴隷か半ば休暇のような状態でアイドリングをする中、彼はプレミアのフットボールの世界でレギュラーを張っている。今日はアンフィールド、明日には世界だ。

最初にスターリングを見た時は公園で冷やかし半分だった。しかし、それは予期もせず忘れられぬ、 発見の瞬間だった。しかし、彼だけが最高レベルで輝く準備ができている才能なわけではなく、我々が選ぶ「フェイマス・ファイブ」 -最高のキャリアのスタート地点にいる若き選手たち- の1人もリバプールにいる。

ジェローム・シンクレア(リバプール)

リバプールのアカデミーから出てくる次世代のスターについて訊ねられれば、 2人の名前が出てくるだろう。MKドンズからやってきた15歳のミッドフィルダー、セイ・オジョと、ウェストブロムから引き抜かれたスピード豊かでテクニックにも長けたジェローム・シンクレア(写真)だろう。

シンクレアは既に大きな飛躍を遂げている。彼は16歳の誕生日から6日後の9月26日にホーソンズでのリーグカップに交代出場し、リバプール史上最も若い選手となった。彼は常時トップチームでトレーニングを重ねており、同年代レベルでは抜きん出た存在であり続けている。

ジェームス・ワード=プロウス(サウサンプトン)

君は17歳。君は新たなプレミア王者であるマンチェスター・シティとのアウェーの試合でデビューの機会を得た。何のプレッシャーもない。君が成功に彩られたサウサンプトンのアカデミーの最新作であるジェームス・ワード=プロウスだろうが、何の問題もない。彼はトップチームに最低5人は地元出身の選手を含めるというクラブの戦略的な決意を体現する存在なのだ。

ポール・スコールズとの比較は大げさだろうが、理解できるものだし、つい比較してしまうだろう。彼のパスのレンジや動きの賢さ、スペースの嗅覚は不気味なほど似ているのだ。彼をよく見てみるといい。彼の頭が止まっていることはない。彼は常に2つ先のプレーを考えているのだ。

ニック・パウエル(マンチェスター・ユナイテッド)

素晴らしい点があることは、クルー・アレクサンドラのアカデミーでは当然のことだ。しかし、スターダムの駆け上がり方を理解する組織にあっても、ニック・パウエルは特別な存在だと認められていた。彼をオールド・トラフォードに連れてくるために要した400万ポンドは、ユナイテッドに最高のバーゲンのひとつに数えられることになるだろう。

パウエルのボール捌きの軽やかさ、プレッシャーのある場面でのプレー、そしてシュートの正確さは、クルーの育成コーチたちが重ねてきた素晴らしい習慣を物語るものだろう。しかし、彼らに規律を教え込むことはできない。今の彼は自分が世界で最もビッグなクラブに属していることを理解している。我々にもやがて分かるだろう。


ロス・バークリー(エヴァートン)

デイビッド・モイーズは、監督して滅多にはクオリティを持ち、その我慢強さは特筆ものだ。そのパワーと早熟さですぐに認知されたウェイン・ルーニーという例外を除いて、彼は若手に息継ぎをする時間を与え、この世界の雰囲気を学ばせている。

ロス・バークリーは彼の足で考える。 彼の視点の鋭さとフィジカル面での強さは、彼をモダンな中盤の選手のあるべき姿にしている。モイーズは彼をシェフィールド・ウェンズデイにローンに出すことでプレッシャーを和らげさせたが、シーズン後半はエヴァートンの一員としての彼の活躍を期待できそうだ。

カリム・フレイ(フラム)

カーディフは、フラムをコスモポリタンなチームにする典型とも言うべき彼を双方にとってメリットとなる短期ローンで獲得した。彼はモロッコ人の母を持つオーストリア生まれで、スイスで育った。U-21代表はスイス代表としてプレーしたが、フル代表では父の出身地であるトルコ代表を選択した。

彼は古いタイプのウィンガーで、そのスピードとダイレクトなプレーは、昨季マン・オブ・ザ・マッチに輝いたチェルシー戦で見事に体現されていた。ここまで見せている以上のものが約束されていたとしても、彼はフラムの次の大事な収入源でもあるのだ。

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という5人を紹介しているが、正直マトモにプレーを見たのはフレイくらいで、しかも自分が見た時はパッとしない感じだったから何とも言えないけど、こうやってまとめて取り上げてくれると、注目するポイントも増えるしありがたいのは確かよね。ただ、スパーズ・ファンとしては、ここにトム・キャロルを入れて欲しかった、というのが本音。