++(以下、要訳)++
アンブロは過去60年間に渡って、イングランド代表の大半の象徴的なシーンにそのシャツを提供してきた - しかし、それももう終わりだ。ナイキはどのようにこの斜陽の国産ブランドを追い込んで行ったのだろうか。
新たにオープンしたセント・ジョージ・パークのフットボール・センターの照明に満たされたアトリウムには、150体のマネキンがあり、皆アンブロがデザインしたジャージを身にまとって来年に迫ったFAの創設150周年を祝う準備をしている。いくつかはクラシックなアンブロで、他もイングランド代表の歴史から、良く知られたシーンや選手を描き出している。
ものの数週間のうちに、これらは皆はがされてしまうだろう。まるで企業の一揆かのようにナイキが代表チームのキット・サプライヤーになることが決まり、88年前にチェシャーのウィルムスロウにあるパブの奥の小部屋で産声を上げた古き英国ブランドは、今は実権を握るアメリカの親会社に道をあけるために、横に下がるよう礼儀正しく求められている。
英国のスポーツ用品ブランドのアンブロは、生き残りのために戦っている。ナイキは5月にアンブロを売却する方針を発表しており、一番あり得る未来は、ライセンスモデルでブランドとしてのみ生き残る形だ。英国本社の経験やノウハウがあるにも関わらず、そのクリエイティブな頭脳は活かされずに、製造業者がアンブロに費用を払って製品を販売する。ここまで多くの資産を失ってきた企業の最後の価値を絞り出す、というわけだ。
ハロルドとウォレスのハンフリーズ兄弟によって1924年に設立されたアンブロには輝かしい歴史がある。これまでにも1962年のブラジルのワールドカップ制覇、1967年のセルティック、1977年のリバプール、1999年のマンチェスター・ユナイテッド、そして何より1966年のイングランドの栄冠と共にあった。ブランドが最も近い関係にあったのが1954年に着用を始めたイングランド代表であり、1974年から84年を除いて(訳注:アドミラルがサプライヤー)、それは続いてきた。
ダンカン・エドワーズはアンブロのシャツで代表デビューをした。ボビー・ムーアがジュールス・リメ杯(訳注:ワールドカップの初代のトロフィー)を掲げ、テリー・ブッチャーが血まみれになり(上写真)、ポール・ガスコインが涙したのもアンブロのシャツだ。デイビッド・ベッカムもこれで退場して行った。それが、これからはそこで愛情を注がれるのは、ナイキのスウーシュのロゴであり、ナイキの最初のメッセージはおそらく火曜日にウィリアム王子がセント・ジョージ・パークのオープン時に大胆に宣言した「イングランドのフットボール、未来」だろう。
しかし、その過去というのはどんなものだっただろうか?アンブロの衰退には、複雑な要素が絡み合っている。2008年の3.77億ポンドでのナイキによる買収は上手く行かなかった。社内事情に近い関係者によると、ナイキはこの小さくニッチな会社に、自社の製造・販売網を押しつけようとしたようだ。伝統的に、アンブロは小さな単位でのオーダーの工場との交渉も販売店との親密な関係の構築ももっと戦術的に行ってきた。
販売店にどの程度その商品が必要なのか、などと聞くことのないナイキのような巨大企業には、アンブロは違った種類の生き物に思えた。ナイキによるより小さなブランドの買収の結果はまちまちだ。アイスホッケー関連ブランドのバウアーは買収したものの、やがて売却された。逆にコンバースとはここまで上手く行っているようだ。しかし、アンブロに影響を及ぼしたのはナイキによる買収だけではない。
2004年から06年の間、アンブロはホーム、アウェー合わせて約300万着のイングランド代表のレプリカを販売した。 2009年にFAと9年契約の交渉に臨んだが、その頃には2008年のユーロ予選敗退による本大会吹出場もあり、イングランド代表のシャツの人気は急落していた。販売店のスポーツ・ダイレクトとJJBスポーツとの間の競争も、レプリカ・シャツの値下げを容易なものへとしていった。状況悪化の一途をたどる経済状況も一部は影響しているだろう。
年間2,000万ポンドと言われるFAとの契約は元が取れるとは考えられず、アンブロには重荷になっていった。ナイキが引き継いだのはこの契約であり、FA側からも何の抵抗もないまま、来年からイングランド代表のシャツのナイキへの移行は始まる。
ナイキやアディダスのようなグローバルなメガブランドは、代表のシャツでの赤字などマーケティング費用として処理できてしまう。ナイキは元々「パフォーマンス」と呼ばれる商品ラインに注力しており、アンブロの買収は「フットボール・ライフスタイル」や「ファンのファッション」といった市場に切り込むためだった。これらのビジネスは必ずしも交わるわけではないが、やがてナイキはアンブロの偉大な資産を切り裂いていった。
アンブロの抱えるもう一つの宝石は、マンチェスター・シティとのシャツの契約だが、これも来季にはナイキに引き継がれることになるだろう。こうした要素に敏感な者であれば、エティハド・スタジアムのピッチ脇の看板は、もうナイキに入れ替わっている、と言うだろう。現在もアンブロのスパイクを着用する数少ないスター選手のジョー・ハートも、ほどなくナイキになっているだろう。ダレン・ベント、アンディ・キャロル、マイケル・オーウェンも依然アンブロと契約している。ジョン・テリーの契約は6月に 切れたが、彼も依然としてアンブロのスパイクを着用している。
数々のビッグクラブや代表チームのユニフォームを提供してきたブランド、そして言うまでも無く最初の子供用レプリカシャツを出したブランドは、来年にはイングランドではノッティンガム・フォレスト、ハダースフィールド・タウン、そしてブラックバーン・ローヴァーズにしか契約が無い状態になる。
ハンフリーズ兄弟の実家から数マイル、南マンチェスターのチードルにあるアンブロの本社では、約200人の社員が働き、ナイキによる買収時にはオフィスの拡大もしたが、最近ではアンブロの社員がブランドの将来について知らされるのを待っている様子は、廃墟の街のようだ、と語られていた。
グローバル化した世界にあって、イングランド代表が少なくともイングランドにルーツがある会社のシャツを着なくなったとして問題だろうか?フランスだってル・コックでなく、結局はナイキを着用している。スペイン、ブラジル、アルゼンチン、オランダといった代表の強豪は、いずれもアディダスかナイキと契約している。それでも、ドイツ代表がドイツのブランドであるアディダスかプーマ以外のシャツを着用しているのは想像しがたい。
1994年のワールドカップ優勝時のブラジルのユニフォームや、1997年のフランス戦で見せたロベルト・カルロスの有名なフリーキックの時のスパイクなど、アンブロにはフットボールの遺産の中に一定の存在感があることは誰にも否定できない。文化の中にも浸透していったのも確かだ。リアム・ギャラガーは1995年の「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時には、シティ色のアンブロのコートを身にまとっていた。
1966年ワールドカップの決勝トーナメントでは、 16チーム中15チームがアンブロ製のシャツを着ていた。近年では、それはナイキとアディダスによる世界の覇権を戦いの場となってしまった。アンブロは今後もフットボールの市場での居場所があると望んでいるが、イングランド代表という大きな勲章を失ってしまい、歴史はそれを2度と取り戻すことはできないと示唆している。
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何年か前のナイキによる買収の話の時は驚きつつも時の流れと感じてたけど(実際、その前にアディダス傘下にリーボックが入ったりって流れもあったし)、イングランド代表のユニフォームがアンブロからナイキになってしまう違和感はかなりのもの。
個人的に、現行のアウェー・モデルは結構好きだから、買っとこうかな、と。
(↓は、そのアウェー・モデルがデビューした去年のブルガリア戦)
日本代表の今のサプライヤーはアディダスになって長いけど、昔は結構ローテーションしてたよね。
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