今シーズンのプレミアの王者は、マンチェスター・ユナイテッドでほぼ決まり、という状況になってきたが、今シーズンはオフからしてサー・アレックスの気合が違っていた。タイトルを昨シーズンは得失点差で地元の「隣人」、マンチェスター・シティに奪われていただけに、期するものがあったのだろう。
そんな経験は今回が初めてではなく、これまでにもいくつかの屈服と王座奪回を繰り返してきている。ここで紹介するラジオ局「トークスポーツ」ウェブ版のコラムは、そうした「奪回」の歴史に焦点を当てたもの。
++(以下、要訳)++
昨季王者のマンチェスター・シティがエヴァートンに敗れ、マンチェスター・ユナイテッドがレディング戦に勝利したことで、今季のプレミアリーグのタイトルがオールド・トラフォードへと向かうことはほぼ確実になった。 巨額を投じながらも、青きマンチェスターは残り9試合でファーギーのチームの15ポイント後ろを走っており、サー・アレックスはイングランド・フットボール界の王として、また新たな挑戦者を退けることになる。ここでは、これまでにユナイテッドとその監督をプレミアリーグの支配から引きずり降ろしては失敗してきたクラブと監督たちを振り返る。
ブラックバーン・ローヴァーズ
ローヴァーズは当時、今で言うところのマンチェスター・シティのような存在だった。1990年代、プレミアリーグへと昇格し、オーナーのジャック・ウォーカーの巨額の資金を得た。イーウッド・パークを本拠とする彼らも、ケニー・ダルグリッシュが大金を費やしてアラン・シアラー、ポール・ウォルハースト、デイビッド・バッティ、ティム・フラワーズらを獲得し、「タイトルを買った」と揶揄された。 ローヴァーズは1993/94シーズンにユナイテッドに次ぐ2位に入り、タイトルへの挑戦が相応しいものであると証明すると、そのオフには当時の英国最高額となる500万ポンドでノリッジ・シティからクリス・サットンを補強した。シアラーとサットンがゴールを量産し、1994/95シーズンの最終日、 - シティと同じように - ローヴァーズはユナイテッドとの争いを最後の瞬間で制した。これが1914年以来のタイトルだった。
ファーガソンがブラックバーンの栄光への対処として動いたのは、ポール・インス、マーク・ヒューズ、アンドレイ・カンチェルスキスといったベテランの放出によってであり、彼らをデイビッド・ベッカム、ポール・スコールズ、ニッキー・バット、そしてギャリーとフィルのネヴィル兄弟といった若手と入れ替え、赤い悪魔は路頭に迷うと予想された。しかしながら、「ファーギーの雛鳥たち」と、95年初めの観客へのカンフー・キックによる9か月出場停止を終えたエリック・カントナの復帰が、批評家が誤っていたことを証明し、ブラックバーンはタイトルの翌年は7位まで順位を落とした。ケニー・ダルグリッシュの辞任後、1999年にはブラックバーンはプレミアから降格していったが、ファーギーには新たな敵が現れていた。
ニューカッスル・ユナイテッド
ブラックバーンの崩壊と時を同じくして、ケヴィン・キーガン率いるニューカッスルが隆盛してきていた。「エンターテイナーズ」と評されたそのエキサイティングなフットボールで、キーガンもタイトルを目指してチームを補強することができた。1993年の昇格を経て、1994/95シーズンには、主力のゴールスコアラーだったアンディ・コールをマンチェスター・ユナイテッドへと放出しながら6位に入っていた。オーナーのジョン・ホールの富により、キーガンはレス・ファーディナンド、ワーナー・バートン、ダヴィド・ジノラ、シャカ・ヒスロップ、後にはファウスティノ・アスプリージャも買うことができた。そして、このエキサイティングなトゥーンの戦士たちは、1996年初頭には、ユナイテッドに12ポイント差をつけてトップに立っていた。しかしながら、次に起きたのは屈辱的な失速であり、崩壊したニューカッスルは、ファーギーの若きユナイテッドにタイトルを献上することとなった。
それでもブラックバーンとは異なり、タイトルをギリギリのところで逃しても、ニューカッスルは移籍マーケットで素早く動いた。ユナイテッドに競り勝って、当時の世界記録である1,500万ポンドでアラン・シアラーの獲得に成功した。プレミア最高のストライカーの獲得は、キーガンのパズルの最後のワンピースになるはずだったが、シアラーの獲得がマグパイズにとって唯一ユナイテッドを上回ることができた瞬間であり、1997年もユナイテッドが順位表のトップに立っていた。シーズン途中のキーガン解任もプラスには働かず、 ファーギーとのライバル関係はケニー・ダルグリッシュが引き継いだものの、トゥーンは再生しつつあったアーセナルを上回る2位につけるのがやっとだった。
アーセナル
1996年10月のアーセン・ヴェンゲルの到来は、イングランドでのフットボールのプレーのされ方に革命ともいうべき何かをもたらした。 知名度が高いとは言えなかったこのフランス人は、新たなコーチング手法を適用し、アーセナルの戦術的なダイナミックさをもたらすにとどまらず、選手たちのコンディショニングにも重きを置くようになった。ガナーズはプレミアリーグを揺り動かし、ユナイテッドに正面から立ち向かっていった。
フランスのフットボールの隆盛と時を同じくして、ヴェンゲルの抜け目ない補強によって彼の母国からエマニュエル・プティ、パトリック・ヴィエラ、二コラ・アネルカといった面々がやってきて、彼がハイバリーにやってきて最初のフルシーズンで、ガナーズはリーグとカップのダブルを達成した。その翌シーズン以降、90年代後半から2000年代の初期にかけて、アーセナルとマン・ユナイテッドはプレミアリーグの覇権をかけて凌ぎを削ることとなった。ユナイテッドはかの有名なトレブルを果たした1998/99シーズンを含む、プレミア3連覇で反撃し、この間アーセナルは2位に甘んじていたが、ティエリ・アンリ、ロベール・ピレスそしてソル・キャンベルによって補強されたガナーズは、オールド・トラフォードでの勝利でタイトルを手繰り寄せ、2001/02シーズンにもダブルを果たした。
ガナーズは 2003年にもダブルを勝ち取っておかしくなかったが、最後の数週間でヴェンゲルたちが首位の座を投げ捨てる状況の中、ファーギーが先にゴールのテープを切った。この失敗が効いたのか、2003/04年は無敗のアーセナルがユナイテッドを置き去りにし、新たに資金が注入されたチェルシーがファーギーのチームを3位へと沈めた。ガナーズと金満ブルーズが先を行き、2004年、2005年にユナイテッドは優勝クラブからそれぞれ15、18ポイント離されてフィニッシュした。まるで、ロンドンがイングランド・フットボールの新たな首都になったかのような様相だった。
チェルシー
多額の資金を得たチェルシーの存在は、プレミアリーグへの投資家たちにも分水嶺だった。これまでにも豊富な資金を持つオーナーたちがタイトル争いに投資をしてきたが、西ロンドンに現れた、潤沢なオイルマネーを持つロマン・アブラモビッチは、イングランドのフットボールでの資金の使われ方を変えてしまった。2003/04シーズンにアーセナルに次ぐ2位に入ると、ジョゼ・モウリーニョと数多くのスター選手の到来で、ブルーズは2005年にタイトルに向かってまい進し、ガナーズはまたもヴェンゲルの下でタイトルを守ることができなかった。また、この年は14年間で初めてファーギーのチームが2年続けて優勝を逃したシーズンでもあった。しかし、翌シーズンもチェルシーは誰にも止められず、ガナーズは4位まで滑り落ちた。ロナウドとルーニーを中心に作り上げられたファーギーの新しいユナイテッドが、チェルシーに最も近い挑戦者となった。
3シーズン続けて優勝を逃しても、ユナイテッドは典型的にファーギーな反撃を見せ、2006/07シーズンはチェルシーの上に立ってみせた。しかし、その翌シーズン早々、ロマン・アブラモビッチはジョゼ・モウリーニョを解任するという自らの足を撃つに等しい行為に出て、結果的にこのあとユナイテッドはリーグを3連覇、そしてチェルシーを下しての2008年のチャンピオンズリーグ制覇は説明の必要もないだろう。アヴラム・グラント、ルイス・フェリペ・スコラーリ、フース・ヒディンクの後にスタンフォード・ブリッジにやってきたのは、カルロ・アンチェロッティで、彼が2010年にファーギーの4連覇を阻止した。それでも、翌年ユナイテッドがタイトルを奪い返してチェルシーが2位となると、アブラモビッチは再び自分の高価な靴に発砲し、アンチェロッティを解任。チェルシーはそれ以来タイトルに近づいてはいない。
マンチェスター・シティ
チェルシー以上に金を使うことなど不可能だと思われたが、それはシェイク・マンスールがユナイテッドの地元のライバルを2008年に買収して資金を注入したことで、マンチェスター・シティによって上回られてしまった。準決勝でユナイテッドを破ってのFAカップ優勝を上回ったのは、最終節の信じがたいロスタイムでの2ゴールで逆転してのリーグ制覇だろう。ユナイテッドのトレードマークとも言うべき「諦めない姿勢」でタイトルを勝ち取ったことで、青きマンチェシターの半分が、遂にファーギーを玉座から引きずり降ろすかと思われた。
しかし、それもオフにはファーガソンが良い手を打ってきて、移籍マーケットでシティが標的にしていたロビン・ファン・ペルシ獲得に成功した。アウェーのシティ戦での決勝ゴールを含む、ファン・ペルシの素晴らしいゴール量産体制は、ファーギーが元の王座に戻るのを大いに助けている。これまでに克服してきたライバルの数々を考えれば、彼は引退するまでトップの座を守り続ける、と賭けない人の方が珍しいだろう。
++++
「やられたらやり返す」シーズンにあたる今季は、差のつけ方も圧倒的ですよね。ファーガソンには相当期するものがあるんだと思いますけど。
Friday, March 29, 2013
Thursday, March 14, 2013
「大事なのは栄光」を思い出させたトッテナムとヴィラス・ボアス
今回紹介するのは、インテルとのヨーロッパリーグの対戦を控えるトッテナムと監督のアンドレ・ヴィラス・ボアスに関する、「インディペンデント」紙の記事。昨季までチームを率いたハリー・レドナップとは一線を画すスタンスでヨーロッパリーグに臨むヴィラス・ボアスは、グループリーグからほぼメンバーを落とさず、本気でタイトルを獲りに行っている。
そのスタンスが、忘れていた一見当たり前な、栄光に対する欲求を思い出させてくれている、というトーンをホワイト・ハート・レーンのスタンドに掲げられてるモットーのひとつである "The game is about glory"と重ね合わせて、サム・ウォレス記者がエッセイにしている。
ちなみにこのモットーは、 1961年の二冠達成時のキャプテンであるダニー・ブランチフラワーが語った、“The great fallacy is that the game is first and last about winning. It is nothing of the kind. The game is about glory, it is about doing things in style and with a flourish, about going out and beating the other lot, not waiting for them to die of boredom.”(概訳:「(フットボールは)勝ち負けこそ全てというのは誤りで、大事なのは栄光だ。それは、相手が退屈して死ぬのをを待つのではなく、スタイリッシュかつ華麗にプレーで自ら相手を叩きに行くことだ」)という言葉から来ている。
++(以下、要訳)++
ホワイト・ハート・レーンのスタンドの真ん中で声高に宣言されている通り、大事なのは栄光 - The game is about glory - だ。もしくは、この22年で獲得したトロフィーが3つで、最後にリーグを制したのが1961年であるクラブで、彼らはそう伝えられている。
長きに渡って、フットボールは、偉業を成し遂げた1961年のトッテナム・ホットスパーのキャプテンであるダニー・ブランチフラワーがこのエレガントな5語に描き出した - より長い部分ではフットボールがどうあるべきかを語っている一節 - ように、実際に栄光を追い求めてきた。しかし、近年では、好むと好まざるとにかかわらず、フットボールにはより多くの意味が内包されている。
フットボールとは金であり、商業的な収入を伸ばすことであり、収入に占める給与の比率を下げることであり、チャンピオンズリーグ出場権内を確保することである。スパーズの場合には、ハリンゲー・カウンシル(自治体)やセインズベリー(スーパーマーケット)、市長の同意を取り付けて財源を確保し、世界の金持ちが集まるロンドンの中でも最も恵まれないエリアのひとつに新スタジアムを建設することだ。
確かにフットボールでは栄光こそが全てだが、現代で栄光を勝ち取りたければ、そこには計画、予算、認可、そして実際の建設まで必要だが、それでもアーセナルに10年遅れをとっていることに気付くのだ。スパーズを21世紀へと引き込むのは簡単な任務ではない。しかし、実際にそこに辿り着きつつある中で、ひとりの男がこの5語のモットーの重要な要素にしっかりと目を向けている。
その男とはアンドレ・ヴィラス・ボアスだ。他の監督がトップ4でのフィニッシュに注力する中で、今でもヨーロッパリーグを勝ち取ろうとしている。ブラボーだ。週末のアンフィールドでのリバプール戦には3-2で敗れたのは痛手だが、これは12月9日エヴァートンに敗れて以降の初黒星だ。(プレミアとヨーロッパリーグの)2つの大会を戦うことは簡単ではないが、この時点でヨーロッパリーグを諦めるのも愚かな考えだろう。
勝ち上がる意思が無かったわけではないが、リバプールは先月1つ前のラウンドで敗退した。メンバーを揃えて臨んだロシアでのゼニト・サンクトペテルブルクとの1stレグを落とし、ホームでの素晴らしい3-1の勝利も、アウェーゴールの差で敗退するのを止めることはできなかった。しかし、リバプールにとっては、この大会の意味は違っていた。
現在の平凡な姿は別にして、リバプールはこの12年間の間にチャンピオンズリーグもUEFAカップも勝ち取っている。スパーズは131年間の歴史の中で、3つのヨーロッパ・タイトルで、しかもそのどれもヨーロッパ王者ではなく、最後の1984年のUEFAカップから来年でもう30年が経とうとしている。タイトルを獲りに行かないとしたら、どんなエクスキューズがあるというのか?
最も明白なものは、ストーク・シティやアストン・ヴィラといった、近年この大会にメンバーを落として臨んでいたチームのように、リーグ戦への影響、というものがあるだろう。スパーズの手には3位の座も手に届く範囲にあり、クラブの歴史上たった2度目のチャンピオンズリーグに来季も出場できる順位だ。
木曜日のミラノでのインテル戦を勝ち上がれば(ヨーロッパリーグの)準々決勝に勝ち上がり、そこから先の日程は、リーグ戦の日程と相まって多忙なものになるだろう。
ヨーロッパリーグの準々決勝2試合は、スパーズがエヴァートン、同じくヨーロッパリーグに残るであろうチェルシーとのリーグ戦がある週の半ばに開催される。準決勝の1stレグは、ホームでのマンチェスター・シティ戦を戦った後に入るだろうし、アムステルダムでのファイナルに到達すれば、それは5月15日、リーグ最終節であるホームでのサンダーランド戦の4日前だ。ヨーロッパリーグを勝ち取っても、それを祝福するヒマもないだろう。
しかし、それを誰が気にするというのだ?時に、モダン・スポーツの注意深さなど無視して、前に突き進まねばならないのだ。ヴィラス・ボアスの場合には、個人的な理由からもヨーロッパリーグを勝ちたいと考えるだろう、という見方もある。ヨーロッパリーグが、彼を、当時指揮を執っていた小さなリーグからヨーロッパの舞台へと引き上げた。彼が2011年にポルトで勝ち取ったタイトルであり、ポルトガルの外にも彼の名声を轟かせることになった大会で、彼にとって意味するところは大きいのだ。
それがどうした?最後のヨーロッパでのトロフィーが、まだ鉱夫たちがストライキをしていた時代であるクラブにおいて、それが可能であるかは別にして、監督がそのタイトルを欲しいと思うことに、考慮の余地など無いのだ。
ヨーロッパリーグは、その序盤戦は馬鹿げたほどに肥大化した - 最初からトーナメントにすべきだ - 大会で、クリスマス明けのチャンピオンズリーグ敗退クラブの参加は、最初から戦ってきたクラブに対する侮辱でもある。スパーズの場合、既に9試合をプレーしている。しかし、今3月になって、大会は興味深いものになってきている。
別にスパーズが国内リーグと両立しながらヨーロッパのトロフィーを勝ち取る最初のクラブになるわけではないが、チャンプオンズリーグを勝ち取るのは別次元の話だ。相手のレベルが違う?そうだろう。しかし、昨年のチェルシーの成功からスパーズも痛いほど理解しているように、翌シーズンのチャンピオンズリーグへの出場権を得られる上、金銭的もメリットが大きい。UEFAから受け取る賞金は、チャンピオンズリーグが1,050万ユーロ、ヨーロッパリーグは500万ユーロだ。
チャンピオンズリーグでの地位を確立しているクラブは、増大する試合数への対処でも有利で、長年に渡るより多額の収入で選手の補強も可能になる。ヨーロッパリーグを制しつつ、国内でチャンピオンズリーグ圏内を確保することは、比較の面で言っても、壁の高い話だとも考えられるだろう。
しかし何より、ヴィラス・ボアスのスパーズがヨーロッパリーグのタイトルを追い求めることは、クラブとしての彼らが何者であるかを、より深遠に物語っている。スパーズはチャンピオンズリーグ出場権を
欲しいと思っているが、スパーズのような伝統的な意味での「ビッグクラブ」であっても滅多に来ない貴重なチャンスを棒に振るというのは、代償の大きい話だろう。
スパーズと会長のダニエル・リヴィは、この数年で特筆に値する進歩を成し遂げてきたが、今シーズンのヨーロッパリーグを狙いに行って、栄光を勝ち取るというギャンブルには、その価値が十分にある。ヴィラス・ボアスがホームでの毎試合で通り抜けるプレスルームの写真の数々の中で最も目を引くものは、男たちがトロフィーを掲げているものだ。それこそ、ここでのフットボールが意味するところだ。
++++
ひいきのクラブであるスパーズの話であったことを差し引いて、ヨーロッパリーグでの戦い方、もしくはそもそも何のためにプレーをするのか、って視点だけで見ても、改めて考えさせられるコラムだった。去年のハリーが完全にELを捨ててたことに釈然としない気持ちがあったのは事実だし、今年AVBがこうして(当たり前のことだけど)明確にタイトルを狙いに行っていることには爽快さがあるんだよな。
アムステルダムでのファイナル、是非とも辿り着いて欲しい。
そのスタンスが、忘れていた一見当たり前な、栄光に対する欲求を思い出させてくれている、というトーンをホワイト・ハート・レーンのスタンドに掲げられてるモットーのひとつである "The game is about glory"と重ね合わせて、サム・ウォレス記者がエッセイにしている。
ちなみにこのモットーは、 1961年の二冠達成時のキャプテンであるダニー・ブランチフラワーが語った、“The great fallacy is that the game is first and last about winning. It is nothing of the kind. The game is about glory, it is about doing things in style and with a flourish, about going out and beating the other lot, not waiting for them to die of boredom.”(概訳:「(フットボールは)勝ち負けこそ全てというのは誤りで、大事なのは栄光だ。それは、相手が退屈して死ぬのをを待つのではなく、スタイリッシュかつ華麗にプレーで自ら相手を叩きに行くことだ」)という言葉から来ている。
++(以下、要訳)++
ホワイト・ハート・レーンのスタンドの真ん中で声高に宣言されている通り、大事なのは栄光 - The game is about glory - だ。もしくは、この22年で獲得したトロフィーが3つで、最後にリーグを制したのが1961年であるクラブで、彼らはそう伝えられている。
長きに渡って、フットボールは、偉業を成し遂げた1961年のトッテナム・ホットスパーのキャプテンであるダニー・ブランチフラワーがこのエレガントな5語に描き出した - より長い部分ではフットボールがどうあるべきかを語っている一節 - ように、実際に栄光を追い求めてきた。しかし、近年では、好むと好まざるとにかかわらず、フットボールにはより多くの意味が内包されている。
フットボールとは金であり、商業的な収入を伸ばすことであり、収入に占める給与の比率を下げることであり、チャンピオンズリーグ出場権内を確保することである。スパーズの場合には、ハリンゲー・カウンシル(自治体)やセインズベリー(スーパーマーケット)、市長の同意を取り付けて財源を確保し、世界の金持ちが集まるロンドンの中でも最も恵まれないエリアのひとつに新スタジアムを建設することだ。
確かにフットボールでは栄光こそが全てだが、現代で栄光を勝ち取りたければ、そこには計画、予算、認可、そして実際の建設まで必要だが、それでもアーセナルに10年遅れをとっていることに気付くのだ。スパーズを21世紀へと引き込むのは簡単な任務ではない。しかし、実際にそこに辿り着きつつある中で、ひとりの男がこの5語のモットーの重要な要素にしっかりと目を向けている。
その男とはアンドレ・ヴィラス・ボアスだ。他の監督がトップ4でのフィニッシュに注力する中で、今でもヨーロッパリーグを勝ち取ろうとしている。ブラボーだ。週末のアンフィールドでのリバプール戦には3-2で敗れたのは痛手だが、これは12月9日エヴァートンに敗れて以降の初黒星だ。(プレミアとヨーロッパリーグの)2つの大会を戦うことは簡単ではないが、この時点でヨーロッパリーグを諦めるのも愚かな考えだろう。
勝ち上がる意思が無かったわけではないが、リバプールは先月1つ前のラウンドで敗退した。メンバーを揃えて臨んだロシアでのゼニト・サンクトペテルブルクとの1stレグを落とし、ホームでの素晴らしい3-1の勝利も、アウェーゴールの差で敗退するのを止めることはできなかった。しかし、リバプールにとっては、この大会の意味は違っていた。
現在の平凡な姿は別にして、リバプールはこの12年間の間にチャンピオンズリーグもUEFAカップも勝ち取っている。スパーズは131年間の歴史の中で、3つのヨーロッパ・タイトルで、しかもそのどれもヨーロッパ王者ではなく、最後の1984年のUEFAカップから来年でもう30年が経とうとしている。タイトルを獲りに行かないとしたら、どんなエクスキューズがあるというのか?
最も明白なものは、ストーク・シティやアストン・ヴィラといった、近年この大会にメンバーを落として臨んでいたチームのように、リーグ戦への影響、というものがあるだろう。スパーズの手には3位の座も手に届く範囲にあり、クラブの歴史上たった2度目のチャンピオンズリーグに来季も出場できる順位だ。
木曜日のミラノでのインテル戦を勝ち上がれば(ヨーロッパリーグの)準々決勝に勝ち上がり、そこから先の日程は、リーグ戦の日程と相まって多忙なものになるだろう。
ヨーロッパリーグの準々決勝2試合は、スパーズがエヴァートン、同じくヨーロッパリーグに残るであろうチェルシーとのリーグ戦がある週の半ばに開催される。準決勝の1stレグは、ホームでのマンチェスター・シティ戦を戦った後に入るだろうし、アムステルダムでのファイナルに到達すれば、それは5月15日、リーグ最終節であるホームでのサンダーランド戦の4日前だ。ヨーロッパリーグを勝ち取っても、それを祝福するヒマもないだろう。
しかし、それを誰が気にするというのだ?時に、モダン・スポーツの注意深さなど無視して、前に突き進まねばならないのだ。ヴィラス・ボアスの場合には、個人的な理由からもヨーロッパリーグを勝ちたいと考えるだろう、という見方もある。ヨーロッパリーグが、彼を、当時指揮を執っていた小さなリーグからヨーロッパの舞台へと引き上げた。彼が2011年にポルトで勝ち取ったタイトルであり、ポルトガルの外にも彼の名声を轟かせることになった大会で、彼にとって意味するところは大きいのだ。
それがどうした?最後のヨーロッパでのトロフィーが、まだ鉱夫たちがストライキをしていた時代であるクラブにおいて、それが可能であるかは別にして、監督がそのタイトルを欲しいと思うことに、考慮の余地など無いのだ。
ヨーロッパリーグは、その序盤戦は馬鹿げたほどに肥大化した - 最初からトーナメントにすべきだ - 大会で、クリスマス明けのチャンピオンズリーグ敗退クラブの参加は、最初から戦ってきたクラブに対する侮辱でもある。スパーズの場合、既に9試合をプレーしている。しかし、今3月になって、大会は興味深いものになってきている。
別にスパーズが国内リーグと両立しながらヨーロッパのトロフィーを勝ち取る最初のクラブになるわけではないが、チャンプオンズリーグを勝ち取るのは別次元の話だ。相手のレベルが違う?そうだろう。しかし、昨年のチェルシーの成功からスパーズも痛いほど理解しているように、翌シーズンのチャンピオンズリーグへの出場権を得られる上、金銭的もメリットが大きい。UEFAから受け取る賞金は、チャンピオンズリーグが1,050万ユーロ、ヨーロッパリーグは500万ユーロだ。
チャンピオンズリーグでの地位を確立しているクラブは、増大する試合数への対処でも有利で、長年に渡るより多額の収入で選手の補強も可能になる。ヨーロッパリーグを制しつつ、国内でチャンピオンズリーグ圏内を確保することは、比較の面で言っても、壁の高い話だとも考えられるだろう。
しかし何より、ヴィラス・ボアスのスパーズがヨーロッパリーグのタイトルを追い求めることは、クラブとしての彼らが何者であるかを、より深遠に物語っている。スパーズはチャンピオンズリーグ出場権を
欲しいと思っているが、スパーズのような伝統的な意味での「ビッグクラブ」であっても滅多に来ない貴重なチャンスを棒に振るというのは、代償の大きい話だろう。
スパーズと会長のダニエル・リヴィは、この数年で特筆に値する進歩を成し遂げてきたが、今シーズンのヨーロッパリーグを狙いに行って、栄光を勝ち取るというギャンブルには、その価値が十分にある。ヴィラス・ボアスがホームでの毎試合で通り抜けるプレスルームの写真の数々の中で最も目を引くものは、男たちがトロフィーを掲げているものだ。それこそ、ここでのフットボールが意味するところだ。
++++
ひいきのクラブであるスパーズの話であったことを差し引いて、ヨーロッパリーグでの戦い方、もしくはそもそも何のためにプレーをするのか、って視点だけで見ても、改めて考えさせられるコラムだった。去年のハリーが完全にELを捨ててたことに釈然としない気持ちがあったのは事実だし、今年AVBがこうして(当たり前のことだけど)明確にタイトルを狙いに行っていることには爽快さがあるんだよな。
アムステルダムでのファイナル、是非とも辿り着いて欲しい。
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