ユーロを終えて、ブラジルW杯に向けての準備こそがホジソン政権での本番と見る向きも多く、ユーロ後の初戦、かつ予選の初戦となったアウェーのモルドバ戦には注目が集まったが、これを5-0で快勝。相手のレベルもあっての結果とはいえ、現地のメディアには一気にポジティブな論調が出回った。特に、10番を背負ったトム・クレバリのプレーや、代表32キャップ目にして初ゴールを挙げたジェームス・ミルナーのプレーを称える記者が多かった印象で、次いでスティーブン・ジェラードとフランク・ランパードの共存を議論する内容が目立っていた。
そんな雰囲気の中で、BBCの「Match of the Day」でお馴染みのアラン・ハンセンが、戦術よりも選手たち自身に目を向けるべきとのトーンでコラムを書いている。
++(以下、要訳)++
イングランドでは代表チームに対して、主要な国際大会でこれ以上の失望を味わわないために、よりフレキシブルで戦術的な取り組みを切望する声がある。そして、モルドバ戦での快勝は、トム・クレバリが中盤とストライカーのリンクマンとして機能する、より進化したシステムでのプレーの最初の兆候だと考える者もいる。
アウェーで5-0で勝ったことの重要性を否定するわけではないが、イングランドのプレーが今後先進的な変化を遂げる時期が来た、と語るにはまだ早い。
私が金曜に見て、この先の予選でも予期できることは、イングランド代表のここ16年間かそこらの間の予選の戦いで見てきたものと同じだ。予選では素晴らしい戦いをしても、本番では無防備さを露呈してしまうのだ。実際、今まで主要大会に向けた予選で大きく崩れることは少なかったし、それはスヴェン・ゴラン・エリクソンの時もファビオ・カペッロの時も同様だった。そして、それがロイ・ホジソンの下であてはまらない理由は見出せない。
監督の戦術的な知性、もしくは選手たちの質の面でのチャレンジは、難しさもあったであろうモルドバでのアウェー戦で訪れることは無かった。しかし、国際大会の場で技術的に最も恵まれているチームに対しては、3ヶ月前のイタリア戦で見たようにそうならないのだ。
最大限の敬意をモルドバに払ったとして、金曜の夜にイングランドが4-4-2、4-3-3、5-3-2のどの形でプレーしても問題にはならなかっただろう。彼らが勝ったのは、より優れた選手たちを揃えていたからだ。
戦術について、向こう2年間好き放題語り続けることもできるが、仮にリオでの準々決勝で技術的に優れたチームと対戦すれば、 何の違いも生み出さないだろう。厳格でないシステムについて語るとき、それは私にとっては、選手たちが試合の進め方について責任を持ち、ピッチでの問題を自分で解決することを究極的には意味している。
ホジソンには彼のシステムを変える必要がある、と考えるのはいささか安易過ぎる。システムを機能させるのは選手たちであり、コーチたちではない。しかしながら、監督は試合が特定の流れにある時に、選手たちがどう対応すべきかについて、指示をすることができる。
ユーロ2012の準々決勝を例にとってみよう。
あの日のピッチではアンドレア・ピルロがベスト・プレーヤーだったことは周知の事実だ。多くの人々、そして私自身も、ピルロには試合をコントロールするためのスペースが与えられ過ぎていた、と考えていた。
イングランド代表のスタッフにもそう考えた者がいると感じるのは、ピルロにいくらボールを持たせようが、実際にイングランド守備を脅かすことはなかった、という別の見方で、それが実際の決着がPKでついた理由だ、とするものだ。
イングランドがウクライナ戦で4-4-2であったか4-5-1であったか以上に私を憂えさせたのは。後者の考え方だ。
あの晩になされるべきだったことは、ウェイン・ルーニーがピルロに時間とスペースがあり過ぎることに気付き、開始15分でもうひとりの中盤の人材となってピルロの前に立ちはだかり、彼がボールに触れるのを防ぐことだった。
ルーニー自身も自分でその判断をする権限があると考えるべきだったし、もしくはチームの誰かがひとりでも彼にそうしろと言えるべきだった。ベンチからそうした指示があっても良かったと思う者もいるだろうが、監督は選手たちがそうした問題点に自ら気付いて対処すべきと考えるものだろう。
したがって、イングランドがよりフレキシブルなアプローチを取るようになる、という点において最も重要なことは、ゲームの流れに応じて選手たちがそうした決断をする自由があると感じられることなのだ。知性ある選手たちには、何が起きているかを判断してほしいだろうし、決まったパターンにとらわれて持ち味を発揮できないような状況は望まないだろう。
イングランド内であれヨーロッパ内であれ、優れたチームには厳格な枠組みなどない。すべてのチームには適応能力のある選手がいて、選手たちに責任あるプレーを望む監督がいる。
4-4-2でプレーしていて中盤の人数で圧倒されていると感じたならば、前線から下がってくるか、サイドがフォローする。スペースが空きすぎていると感じたならば、自分たちの位置取りを確認し、スペースを消すために距離を詰めるべきなのだ。
これらはフットボールの基本だ。監督が予めイメージしておくプレーのイメージとは何の関係もなく、むしろ試合の中で進化していくために状況ごとにどう対応していくかという話だ。イングランドが強敵と対戦する際の問題点を解決するには4-4-2を捨てて4-5-1でプレーすべき、などと提案するのは危険なまでに短絡的だ。
仮にブラジルでのワールドカップが明日開幕するとして、金曜に先発した面々で大会に優勝できるだろうか?答えはもちろんノーだ。
ポジティブな前進は勿論認識すべきではあるが、どんな励みの兆しも、こうしたリアリズムでバランスを取る必要があるだろう。
トム・クレバリを見れば、イングランドには国際的に良いレベルに達するポテンシャルのある選手がいると考えることができる。ジャック・ウィルシャーの早期の復帰は望めないが、彼には海外のスターと同様のテクニックが備わっている。そしてアレックス・オックスレイド=チェンバレンが、将来に希望をもたらす、この際立った若き才能のトリオを完成させる。
しかし、イングランドもこの3人だけで成り立つわけではない。スペインやイタリア、南米の強豪と真剣勝負の場で対等に戦うには、2014年までに同様に高いクオリティを持つ10人のフィールド・プレーヤーが必要なのだ。
私はこの2年でイングランドがその域に達することができると信じて疑わないし、モルドバのような相手に完勝することは、モラルと自信の確立につながる。
しかしながら、より手強い相手と渡り合っていくには、新たな戦術に頼るだけでなく、選手自身を育てていく必要があるのだ。
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たしかにこのモルドバ戦後の楽観ムードは過剰な印象で、ユーロでのイタリア戦の明確な技術面での差はボールの保持率にもシュート数にも表れていたはずだった。ただ、チェルシーが気合と根性の堅守でチャンピオンズリーグを勝ち取った余韻とホジソンに与えられた準備期間の短さもあり、それらを深刻に反芻する流れも起きてはいなかった。
このハンセンの見解は極めて当たり前というか、基本的なことではあるのだけど、そのくらいユーロに望んだイングランドは「堅かった」。時間を与えられたホジソンの下で、この先代表がどう変わっていくは確かに楽しみではあるが、今回のグループHはイングランドの他は、モンテネグロ、ポーランド、サンマリノ、ウクライナ、モルドバ。指摘通りに予選はスムーズに行ってしまう気もするし、イタリア戦のような「学習」の機会が少ないと、応用の利かないチームのままブラジル大会に臨んでしまう可能性も無くもない。
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