Saturday, January 12, 2013

アウェー・チケットにもファイナンシャル・フェア・プレーを

プレミアリーグのチケット代に関する考察は、以前「プレミアリーグの高額チケットが追いやるもの」で紹介した。おとといあたりから話題になっているのは、日曜にエミレーツで行われる試合のアウェー・チケットが売れず、シティが割り当て分の余りをアーセナルに突っ返した、という件。アーセナルのファンもチケット代高騰に反発して行進をするなどしており、メディアはこぞって高騰するチケット代についての問題を記事にしている。ここで選んだのは、「ガーディアン」紙のポール・ウィルソン氏のコラム。(※最近の為替のレートは、1ポンド140円前後)


++(以下、要訳)++

既に、日曜のアーセナル戦でアウェー用に割り当てられたチケットのうち900枚を、62ポンドという料金が高すぎると考えたマンチェスター・シティがアーセナルに返した、という話はご存じだろう。この件は、イングランドでのチケット代の狂ったような高騰が分水嶺もしくは転換点になっておかしくない、と思わせるには十分だった。

同様に2,000人弱のシティのファンが喜んで -いや、おそらく喜んでではないだろうが。いずれにしても彼らはチケットを買った- 62ポンドのチケット代を払い、シティのファンが買わなかった分はアーセナルのファンが喜んで買うだろうから、アーセナルは困ることもないだろう。62ポンドというのは、エミレーツでのカテゴリーAの試合のチケット料金だ。特にビッグクラブ同士の対戦の場合には、ホームのクラブはアウェー側で不要となったチケットについては簡単に買い手を見つけることができてしまう。ということは、これはチケット代高騰に対する抵抗の流れなのか、それともアウェーのサポーターにはより少ない枚数のチケットを割り当てる、という流れの始まりなのだろうか?

ひとつ確かなのは、クラブはチケットを得ることしか考えていない、ということだ。彼らは、スチュワードに追加コストがかかることやサポーター同士を隔離する必要があることことから、実際のところ誰がチケットを買おうがさほど気にしてはいないし、アウェーのファンの数を可能な限り少なくするためにアウェー席のチケット代を高く留めておこうとしても、それはさほど大きな驚きではない。そうしてるクラブは既にある、と主張する者もいるだろう。交通費をはじめとするその他の必要コストも値上がりする中、アウェーのサポーターが支払わねばならない追加料金がアンフェアな重荷となるのは当然だ。

例えばニューカッスルがアウェー席をどこに割り当てるかを見てみれば、数多くのホームのファンを抱える彼らが、アウェーに駆け付ける相手クラブのファンを居心地悪くしようとしている、と思うのはたやすいことだ。逆にウィガンのようなクラブは、入場料を払ってくれる全員に感謝し、アウェーのファンであろうが、喜んでゴール裏全体を開放している。

ここで言いたいことは、アウェーのファンがしばしば酷い仕打ちを受けるということではなく、各クラブは彼らを好きなように扱えるということだ。存在しているべき規定は無いのだろう。アーセナルの求める62ポンドという料金の支払いの拒否についてコメントしたマンチェスター・シティの広報の1人は、「多くのファンは支払うこともできたが、ロンドンのクラブがおちょくってきていると感じて、多額の金を払うことを拒否したのだろう」と語った。文句は無い。アーセナルのファンは、エミレーツでのチケット代がシーズン平均で言えば37ポンド程度だ、と指摘するだろうが、彼らにしたってカテゴリーAに区分される強敵との試合では60ポンドを支払うのだから。


ロンドンの上位クラブたちのチケット代の高さは悪評高いが、これはマンチェスター・シティのようなクラブに選手が流出しないように巨額のサラリーを支払わざるを得なくなった結果として、年俸総額が非常に高くなっているからであり、最も必死になっているのがアーセナルだ。シティはロビーニョやアデバヨルにバカげた金の使い方をしてサラリーのインフレを生む前に、キチンと自分たちのファンベースを認識していなかった。したがって、高いチケット代への責をシティのサポーターに浴びせるのは誤りなのだろうが、昨季タイトルを獲ったことで、自分たちは区分上の最高レベル、カテゴリーAであり、それに合わせた料金設定となってしまうのだ。

一般的に言えば、大部分のアーセナル・ファンが日曜日の試合に60ポンド程度を払っているのであれば、シティが異論を唱える余地はなくなる。彼らとて、身も凍る北部からやってきた恵まれない従兄弟たち、というわけではないのだ。より興味深い質問は、試合を観るためにこれだけ高い金額を支払っているアーセナルのファンたちはどう感じているのか、ということだ。リーグで最も高価なスタジアムから値段に見合う価値を得ているとは思っていないというのは明らかな中、TV放映権からの追加収入は来季からクラブの更なる収入源になる。アーセナルのファンは、スタジアムに通うサポーターに正当なチケット料金を設定して欲しい、と各クラブに嘆願する活動では先頭に立っている。

彼らの主張はこうだ。プレミアリーグのクラブはすべての席を20ポンド(高くない席であれば3分の1)を値下げしても、追加のテレビ放映権収入で利益を生めるはずだ。そうすることで、観客たちもスタジアムに帰ってきて、皆にメリットがある。そして、ヒルスボロの悲劇の後の報告書でテイラー判事が「全席指定のスタジアムであっても観客にそのコスト増を転嫁する必要はない」とした精神を引き継ぐことができる、というものだ。もちろん、そんなことは起こりやしない。各クラブは追加の収入があるのであれば、それは将来を考えてサポートの継続のためにいくらか投資をするよりも、選手や代理人に資金をつぎ込んでいくのだ。

少し脱線する。アウェー・チケットの料金は、アーセナルが62ポンドに設定し始める前から議論の中心だった。今シーズンはまだ半分が経過したところではあるが、私は不道徳なチケット代に不満を持つアウェーのファンの声を数え切れなくなっている。「ウチはあいつらを20ポンドで入れてやったのに、ウチには35ポンドも払わせやがる」、「自分たちのチケットを値上げしないで、俺たちの分だけあげやがった」といった具合だ。高過ぎると言ってシティがアーセナルに返した900枚のチケットは、自分たちでさばけてしまうのであればアーセナルには問題にならないだろう。証明されてしまってるようなものだが、需要と供給の関係は狂った形で成り立っていて、その意味でチケット代は高過ぎないのだ。62ポンドで900枚ということは5万6000ポンドくらいの収入にあたる。アーセナルやシティにとってははした金だろうが、大半のフットボールクラブには5万6000ポンドと言えば多くの使い道がある。全部で7,500ポンドの移籍金でできているブラッドフォード・シティ(現在4部ながら、リーグカップでアーセナルやアストン・ヴィラを破って話題になっている)がその7倍の金額を手にしたら、どれだけ良いチームになるだろうか?


トップクラブは、アウェーのファンが貢献する利益に無関心なだけでなく、彼らが試合当日にもたらす雰囲気も軽んじているようだ。両チームのサポーターがいないのであれば適切なフットボールの試合とは言えないし、飾りだけのようになりつつあるプレミアリーグでのアウェーのファンの存在感は、より多くの人数が駆け付けてより良い雰囲気を醸し出すカップ戦のそれとは比べるべくもなくなった。

ウェストハムは、オールド・トラフォードでのFAカップ再試合の彼らの割り当て分を既に完売した。1枚45ポンドだ。これは反対方向に旅をすることになるシティがチケット代を払いたがらないことと矛盾するようにも思えるだろうが、アイアンズ(訳注「ハマーズ」と同様のウェストハムの愛称)のファンは、歴史的な「俺はあそこにいた」という瞬間の可能性を逃したくないのだ。おそらく将来にわたって自慢できることであり、そのために自分たちは喜んで努力をするのだ。

これこそ現在のプレミアリーグが欠いてしまっているアウェー・サポーターの質だ。いまや観客はすっかり大人しくなり、彼らは呆れるような扱いで高い料金を課されている。フットボールにおいてユニークな存在であり続けてきた存在を守るという意味では、アウェーのファン向けの「ファイナンシャル・フェア・プレー」を導入すべきなのではないだろうか。プレミアリーグの試合のアウェーチケットは、ホームのファン向けの最安のチケットよりも高くなるべきではない。いつも同じであるべきなのだ。一番観にくい場所ではあるだろうが、アウェーのファンは最も安い席を割り当てられれば良い。しかし、今はそこにいるために、必要以上の金を支払わされているのだ。アウェーのファンは必要だし、価値があり、最近は暴れることもない。プレミアリーグには彼らをもっと尊重する財力があるはずだ。

++++

雰囲気を作り出す、という意味でのアウェー・サポーターのことにはいろいろと思うことがある。ホワイト・ハート・レーン通いしていた時には、相手がニューカッスル(ボロ負けしててもずっと歌ってる)とフラム(そもそも来ない)じゃ全然違ったし、チャンピオンズリーグでブレーメンのファンが来た時は、そりゃいつもと違う雰囲気だった。

お前らの応援なんて大したことないな、と少人数のアウェーのファンとしてホーム側に言える時なんて気分が良いものだし、そう言われるホームのファンが一層盛り上げる、なんてこともあって、イングランドの「あの」雰囲気は作られてもいる。それができにくいレベルにまでチケット代が上がってきているのも事実なんだろうけど。62ポンドって、今のレートで8,500円超えだし。

オマケ。いずれもホワイト・ハート・レーンでのスパーズvsアーセナル。



最初のはアーセナル・ファンが「(お前らの声が聞こえないから)代わりに歌ってやろうか?」ってチャントで、次はスパーズ・ファンが「お前らのサポートはクソだな」とふっかけているもの。前者は2010年のカーリングカップの試合で、アーセナルのファンがゴール裏まで来てるけど、プレミアの試合の時にはこんなに割り当ては無くて、後者のように角に追いやられてる。

どのチーム同士の試合でも、こんなやり合いは常にあって、楽しい雰囲気作りにも一役買ってるんだよね。

Wednesday, January 9, 2013

ムサ・デンベレはいかにルカ・モドリッチの穴を埋めたのか

「FourFourTwo」は、ほんの一時期日本語版も出ていたイギリスのフットボール雑誌。そのウェブ版に、データに特化したコラムが掲載される『Stats Zone』なるコーナーがあるのだけど、そこによく寄稿しているのがフリーライターのマイケル・コックス氏。先日は「ガーディアン」紙に書いていたマンチェスター・ダービーのプレビューを紹介したが、彼がここでピックアップしたのは、トッテナムのムサ・デンベレ。

彼がいかにしてルカ・モドリッチの穴を埋めているのか、というのを、Optaのデータを活用してこの「FourFourTwo」誌がiTunesで提供するアプリ、「Stats Zone」を使って解説している。


++(以下、要訳)++

年末の「デイリー・メール」の素晴らしいインタビューでは、ムサ・デンベレはトッテナム加入後に彼がすんなりと役割を引き継いでみせたルカ・モドリッチとの比較を避けていた。「自分がルカの後を継いでいると考えたことは無いよ。自分では全然違う選手だと思っている。彼のプレーには凄く感銘を受けたけど、彼のスタイルはまた違うよね」

ある意味、デンベレはモドリッチの直接的な代役ではない。アンドレ・ヴィラス・ボアスがハリー・レドナップからチームを引き継いでいる、ということはトッテナムのプレースタイルが大きく変わっていることを意味していて、中盤の構成も違ってきているのだ。

レドナップの下で、スパーズは若干古いイングランドのスタイルを取り入れ、中盤はワイドに開いてスピード溢れる攻撃を見せるウィングたちにボールを散らすことが役割だった。少なくとも就任直後の早い段階では、ヴィラス・ボアスは中盤の3人がコンスタントに入れ替わることによる、選手たちのタテ方向への展開を求めていた。

たまたま最近のスパーズは、ハリー・レドナップがトッテナム時代に好んでいた形に近い4-4-2のシステムに戻してきている。中盤の三角形の頂点で使われるクリント・デンプシーやギルフィ・シグルズソンの調子の波が、ヴィラス・ボアスにジャメイン・デフォーとエマニュエル・アデバヨル -結果的に2-5で敗れたアーセナル戦での退場はあったにせよ- との2トップへとスタイルを変えさせた。

それがデンベレの役割も若干変えることになった。ヴィラス・ボラス就任からから間もない頃、特にリーグ初勝利となったアウェーのレディング戦では、デンベレは中盤のローテーションの触媒となっていた。サンドロよりも低い位置まで引くこともあれば、シグルズソンを追い越しもした。現在は、彼の横にサンドロがいるだけで、トッテナムの中盤はより固定された形になっている。サンドロが後ろに残って相手を止め、デンベレが前に攻撃に出る、という形だ。その意味で、現在のデンベレの役割はモドリッチのそれに近くなっている。フィジカル面では全く異なるが、少なくともピッチ上の役割で言えば、彼らは同様だ。

それでももちろんひとつの重要な例外がある。デンベレは依然として非常にダイレクトな選手で、突然ペースを上げてピッチ中央をドリブルし、相手をスピードで置き去りにすることもできる。モドリッチも相手に勝つことはできるだろうが、デンベレほどの頻度ではない。


それにしてもデンベレのパス能力は素晴らしい。元々ウィングやフォワードとしてプレーし、ボールを一人で前に運ぶことに慣れている選手であることから、パスは気まぐれなものになると思うだろう。しかし、彼はプレーをワイドに広げようというときには、極めて信頼性の高い選手である、ということが、最近の2つの試合でのデータからも分かる。



デンベレのパス展開はモドリッチを思い起こさせるものだ。今季と昨季の同じ、ホームでのストーク戦でデンベレとモドリッチを比較してみよう。デンベレが考えているよりも、多くの共通点が見いだせる。中央左に位置し、パスは大抵横向きだ。


明確な違いはその正確性だ。モドリッチは常に信頼の置けるパサーだと考えられているが、昨季のパス成功率は87.4%だった。今季のデンベレは、91.2%だ。

モドリッチはより野心的なパスを出すことを狙っていて、1試合平均で2.7回の決定機をチームメイトにもたらしていたが、デンベレはそれが2.0回となり、これがモドリッチのパスに失敗が多いことの理由になるだろう。そしてもう一点驚きなのは、デンベレが1試合平均で1.1本しかシュートを打たないというのは、彼が務めてきたポジションの変遷から言っても驚きに値する。モドリッチは平均2.3本だ。デンベレ本人が先に紹介した記事でも説明しているように、彼は幼少時にストリート・サッカーに没頭していた。そこではシュートによるゴールは無く、ドリブルで相手をかわし、街頭にボールを当てることが目的だった。シュートを打つことをためらい、タイトなエリアでもディフェンダーにチャレンジしていく、という彼の好みも理解できるだろう。

それでも、スパーズがモドリッチのレベルと同等のパス能力を持つ選手を何とか後継者として迎え入れることができた、という事実は印象的だ。デンベレは依然選手として成長できるし、ファイナル・サードでの貢献度を高めることができるだろう。それでも純粋に中盤エリアに限って言えば、スパーズはモドリッチの移籍による質の低下には困っていないのだ。

++++

個人的には、デンベレとサンドロにパーカーが加わった3枚の中盤、って形で機能したら凄いだろうな、と考えてるから2枚でも3枚でもフレキシブルに使えるようになってて欲しいけど、デンベレの適応は早かったね。ちょっと猫背でボール持って上がって、あのネットリしたドリブルしてくれると心躍るし。モドリッチの「いちいち正しい」プレーの選択にもいつも唸らされてたけど、デンベレにも趣があって、見ていて飽きない。

Thursday, December 27, 2012

「ファーギー・タイム」は実在するのか?

マンチェスター・ユナイテッドの劇的な展開に一役買っているとも言われるのは、「ファーギー・タイム」と呼ばれるロスタイム。ユナイテッドに有利になるように、アレックス・ファーガソンがレフェリーたちに圧力をかける結果、時間が変化するとまで揶揄される時間帯なのだが、それを統計的に分析したのが今回のBBCの記事。BBCの「フットボール」のコーナーでなく、一般のコーナーで取り上げられてる、ってのも興味深い(実際は「BBCマガジン」という雑誌の記事)。



++(以下、要約)++

フットボール・ファンであれば、「ファーギー・タイム」 -サー・アレックス・ファーガソンのチーム、マンチェスター・ユナイテッドがリードされている時に追加されるロスタイム- なるアイディアがあることはご存じだろう。
しかし、それは実在するのだろうか?

フットボールの試合の終盤というのは、非常に緊迫するものだ。試合が同点であれば、両チームとも勝利を求めて必死だし、一方が1点リードされているなら、何とか引き分けに持ち込もうとしているだろう。とにかく必死になる時間なのだ。

中には(大半がマン・ユナイテッドのファンではないと考えるのがフェアだろう)、サー・アレックスファーガソンのチーム他よりも長いロスタイムを得ていて、それが重要な終盤のゴールにつながっていると責める者もいて、それがいつしか「ファーギー・タイム」と呼ばれるようになった。

仮にそれが存在するなら、それはレフェリーが自分の仕事を適切にしていない、ということになる。標準の90分が終わった後にどれだけの時間を追加すべきかの判断は、彼らの責任だからだ。

一般的には、レフェリーたちはゴールと選手交代ごとに30秒、そして選手の負傷時に一定時間を足していくと言われている。


(左がリード時、右がビハインド時の試合時間)

しかし実際は、世界のフットボールを管轄するFIFAでも時間をどのように足していくべきかについて明確に規定してはいない。レフェリーたちが自分自身で解決することになっているのだ。

かつてプレミアリーグでレフェリーを務めていたグラハム・ポール氏は、実際に試合を裁いている時は、ファーギー・タイムのことなど考えないという。

「そんなものは、マンチェスター・ユナイテッドの成功を羨ましく考えるチームたちの迷信だとしか思わない」

しかし、一歩引いて考えてみると、そこに何かがあるかもしれないと思う、とも彼は言う。

「くだらない話と一蹴してしまうのは簡単だ。しかし、心理的にどんなことが起こり得るかを考えてみれば、オールド・トラフォードやエミレーツ、スタンフォード・ブリッジに自分がいれば、無意識のうちであれ、かかってくる重圧が何らかの形で影響するはずだ」

ファーギー・タイムのコンセプトの始まりは、プレミアリーグ初年度の1992-93シーズンにさかのぼる、とオプタ(Opta)・スポーツでデータ収集を行うダンカン・アレクサンダー氏は言う。

それはマン・ユナイテッドとシェフィールド・ウェンズデイの試合で、90分を過ぎてスコアは依然1-1だった。7分のロスタイムが与えられ、スティーブ・ブルースが得点、26年ぶりのリーグタイトルへと突き進んでいくこととなった。

「その時以来、ユナイテッドの試合で少々長いロスタイムが与えられると人々の頭には 『またユナイテッドにファーギー・タイムだ』という考えが浮かぶようになっていった」

何らかの因果があるかを検証するために、彼は毎試合の後半のロスタイムの平均値(勝っている時と負けている時のロスタイムの差)を計測してみることにした。結局のところ、問題にされるのは後半のロスタイムだからだ。

「今シーズンで言えば、ユナイテッドが一番長いね」彼は言う。

したがって。ファーギー・タイムは実在するのだ。しかし、それは今季に限ったことだ。昨季はマン・ユナイテッドは後半のロスタイムが最も短かった。

「プレミアリーグ20年の歴史で見てみれば、そこに一貫性は無い。ユナイテッドが毎シーズン一番長い、というわけではないんだ」


(全ゴール数に占めるロスタイムのゴールの比率)

しかし、最も重要な数値は、マン・ユナイテッドが同点、もしくはリードされている時にどれだけのロスタイムをもらっているかということだ。Optaが過去3シーズンのデータを参照し、他の上位5チーム(マンチェスター・シティ、チェルシー、アーセナル、トッテナム・ホットスパー、リバプール)との比較を行った。

マン・ユナイテッドがリードを許している時には、彼らは平均して4分37秒のロスタイムを得ており、これがリードしている展開だと3分18秒になる、とアレクサンダー氏は語る。

「したがって、リードされているとより長いロスタイムをもらっている言えるね。ただ、他のチームについても、チェルシーを除くといわゆる上位クラブは皆リードされている時には、平均してより長いロスタイムをもらっている。守っている側のチームが上位相手の大きな勝利のために時間の浪費をしているのであれ、レフェリーがマン・ユナイテッドが負けているという事実に影響されているのであれ、その理由はデータからは分からないがね」

もうひとつのデータ分析企業であるディシジョン・テクノロジーのガブリエラ・レブレヒト氏は、過去3シーズンについて、ロスタイムが加算された理由についてより深い分析を行った。

選手交代やイエローカード、レッドカードの提示、ゴール等によってロスタイムが加算された後にも、「レフェリーのよって影響された時間」がいくらかまだある、と彼女は言う。

彼女の計算によると、ホームのチームが勝っているとその時間は46秒。そして、「より強いチームがホームでリードされていると、そのチームがアウェーでリードされている時よりも多くの時間を得る」と言うのだ。

レブレヒト氏は、チームが「強い」かどうかをチームの攻撃および守備のパフォーマンスから算出している。今シーズンで言えば、マン・シティが最も強く、僅差でマン・ユナイテッド、アーセナル、チェルシー、そしてエヴァートンが追っている。

つまりファーギー・タイムは、特にこうした「強い」チームのひとつがホームでプレーしている時には確かに存在する、ということになり、これはチェルシーにも当てはまる。

「そうしたチームもアウェーでプレーしている時にはあまりそうした傾向はみられない。フットボール統計学の世界では、これをホームアドバンテージという考えがある。誰もその原因がどこにあるのかは理解してはいない。我々は統計上それが重要だとは認識しているが、理由については明確ではないのだ。ホームアドバンテージの要素のひとつかもしれない、ということだ」

一点彼女が言及したのは、選手交代がロスタイム中に行われると、通常の時間内に比べて多くのロスタイムが加算されている、ということだ。「レフェリーたちは、十分な時間を加算しなければ、(ホームの)ファンの怒りを買うと感じるのだろう」と語る。

グラハム・ホールは、それは自分の経験からも裏付けできるという。

「プレッシャーを感じるときには、それが反撃しようとしているチームなのであれば明確に分かる。レフェリーとしてピッチに立っていればね。そこで試合を見ていて、『選手交代がいくつかあったな。ゴールも決まったし、時間つぶしもあった。ケガもあった・・・、3分か4分くらいかな』と考えて、『5分』と言っている自分に気が付くのさ」

「そのことには、こうしてじっくり分析してみた時に、『あれ、この余分な時間はどっから来たんだ?』と考えるわけだが、それこそさっき言った無意識が働いている場面だ。しっかりとしたレフェリーであればそれを実際に認識できて、自分でその罠に陥らないようにすることができる」

ファーギー・タイムがマン・ユナイテッドにだけ適用されている、とする統計的な裏付けは無い。しかし、同時に統計はよりビッグなクラブたちへのバイアスがあることも示している。

もしかすると、我々はこれを「マンチーニ・タイム」だとか「ヴェンゲル・タイム」呼ぶべきなのかもしれない。それとも「ベニテス・タイム」(もしくは、あなたがこれを読んでいる時のチェルシーの監督の名前)?

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・・・といういかにもイギリスらしい記事。もっと細かいデータが知りたい方は、こちらからどうぞ。このBBCの記事にはExcelシートまであったり。

この記事にある「ホームかどうか」の条件には当てはまらないけど、ユナイテッドがバイエルンに勝ったCL決勝は、ビハインドで突入したロスタイムに2点入れて(シェリンガムとソルシャール)逆転しちゃったよね。

Saturday, December 8, 2012

マンチェスター・ダービーの戦術プレビュー

共にいまひとつ不安定さの抜けない中で迎える、今季最初のマンチェスター・ダービー。日曜のこの頂上決戦を戦術的な切り口からプレビューしているのがマイケル・コックス氏。今回は「ガーディアン」紙への寄稿記事だけど、普段は「Zonal Marking("ゾーンマーク"の意味)」という戦術分析サイトをやっていて、数多くの試合を分析している。彼が今回指摘するキープレーヤーは、シティのヤヤ・トゥーレ。ユナイテッド側で彼を止めに行くのは誰なのか?


++(以下、要訳)++

2011年のFAカップ準決勝で彼がゴールを決めてからというもの、サー・アレックス・ファーガソンは、屈強なヤヤ・トゥーレに手を焼いてきている。

マンチェスター・シティはここのところのダービーでは素晴らしい結果を残してきている。昨季のオールド・トラフォードでの6-1での勝利には誰もが驚いたし、エティハドの1-0の勝利は、その後のシーズン残り2節を有利に進めさせることになった。それでも、2011年のFAカップ準決勝でのシティの勝利がロベルト・マンチーニにとってはサー・アレックス・ファーガソン相手の最初の重要な勝利だと言え、この試合こそが、後の成功のきっかけとなったのだ。

昔ながらの太陽の眩しい午後のウェンブリー、シティでカギを握っていた選手は中盤前目の位置からエネルギッシュに前に飛び出していたヤヤ・トゥーレだった。彼の決勝ゴールは、両チームの対照的なアプローチを浮き彫りにした。ヤヤ・トゥーレは、マイケル・キャリックからポール・スコールズへの横パスをインターセプトすると、一気にボールを持ち上がってユナイテッドの守備を破ってゴールを決めた。ユナイテッドは落ち着いた、我慢強い中盤の組み立てについては集中力を保っていたが、ヤヤ・トゥーレが見せたのは、ユナイテッドが抗するのに苦しむ、生々しいまでのフィジカルの強さだった。

昨季のヤヤ・トゥーレは中盤深目の位置でプレーしており、6-1の試合でも目立ってはいなかったが、それでもエティハドでの試合の時にはパク・チソンを中盤真ん中で3か月ぶりに先発させて彼を消しに行っていた。 パク・チソンは2010年のACミラン戦でアンドレア・ピルロを完璧に抑えてみせたが、ピルロは眩いばかりのクリエイティブさは持ちつつも、脆さもある選手だ。その点、ヤヤ・トゥーレには相手を圧倒するパワーがあり、実際パク・チソンは何度となく倒されていた。ヴァンサン・コンパニが決勝ゴールを決める頃には、ヤヤ・トゥーレはシティの他のどの選手よりもパスを成功させていた。これは、彼のコンスタントな影響力を示すものであるし、彼が前へ前へと出ていくことでパク・チソンは深く下がることを余儀なくされ、結果的にウェイン・ルーニーは前線で孤立していた。この試合がパク・チソンのマンチェスター・ユナイテッドでの最後の試合となった。

日曜のダービーでもヤヤ・トゥーレは深めの位置を取るだろう。他のギャレス・バリーにジャック・ロドウェル、ハヴィ・ガルシアというオプションが、まだそこまで確信を持てるものではないからだ。おそらくファーガソンもヤヤ・トゥーレを止めに来るだろうし、その役割はルーニーしかいない。ここのところ中盤での役割を担うことが多いし、積極的なタックルも模範となる規律も持ち合わせている。

それでも、ルーニーは過去に大舞台で守備的な役割を求められた時には、頼りない側面も見せてきている。2011年のチャンピオンズリーグ決勝のバルセロナ戦を例に挙げると、彼は素晴らしい同点弾を決めはしたが、長い時間続いた「チキ・タカ」の中で、セルヒオ・ブスケツを抑えることはできなかった。今年の夏のユーロ2012準々決勝でも、イングランド陣内に効果的なボールを送り続けるピルロを全く止めに行けず、ロイ・ホジソンやチームメイトが「もっとキツく寄せろ」と絶叫していた。

これらのシーンは、守備の仕事を完璧にこなした先週のレディング戦の彼のプレーと比べると驚きですらある。 大舞台になると、2年前のダービーでの輝かしいオーバーヘッドのように攻撃面で試合にインパクトを与えようという気持ちが強くなるのだろう。しかし、この日曜日、ファーガソンはルーニーに確固たる規律を求めるはずだ。

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ちなみに、その2011年4月のFAカップ準決勝の時の戦術レポートに興味のある方はこちらからどうぞ。毎週末2、3試合分をこのボリュームで出してるんだから大したもの。

Saturday, December 1, 2012

ヨルとの再会でクレイヴン・コテージで輝くベルバトフ

フィオレンティーナやユヴェントスの名前も挙がりながら、最後の土壇場で急転フラムに移籍が決まったディミタール・ベルバトフ。家族の生活環境のこともあったというが、フラム選択の背景にはスパーズ時代に師事したマルティン・ヨルの存在も影響したと思われる。この写真からも伝わってくる、そんな師弟関係の温かさも感じる、「テレグラフ」紙のジェイソン・バート記者による記事。


++(以下、要約)++

金曜の朝のフラムの練習場、モッツパー・パークではディミタール・ベルバトフが、監督のマルティン・ヨルにその前の週、3-3のドローに終わったアーセナル戦でのPKを再現して見せていた。またペナルティ・スポットに駆け出すと、ちょっとした躊躇いを挟んで、ボールはゴールネットに吸い込まれて行った。

ヨルは「アイツは俺にあのPKがまぐれじゃなかったことを見せたかったんだ。俺は、『頼むよ。次はキーパーが動くのを待ってないで普通に蹴ってくれ』って言ったよ」と説明してくれた。

「でもアイツがあれをやったのは、俺が『イングランドにはキーパーが飛ぶまで待って蹴れる奴はいねーな』って言ったからなんだ。で、それをやったんだよ。でも、アイツはそれを6万人の前でやったんだからな。全然違うレベルの話だし、アイツは本当に『違う』んだよ」

そうしてエミレーツ・スタジアムで平然とゴールを決めると、ベルバトフはフラムのベンチへと駆けて行った。


「タッチラインの俺の所までわざわざ来たのは、俺に『できただろ』っていうためだったんだ。エンターテイナーになるのが好きなタイプじゃないと思うが、アイツらしいスタイルでそうしてくれたし、ああいう一面は是非残しておいて欲しいんだよな」

ベルバトフは31歳になっても神秘的な存在で、彼への意見も分かれがちだ。マンチェスター・ユナイテッドへは、現在でもクラブ記録の3,075万ポンドで2008年にトッテナム・ホットスパーから加入した。もちろん、トッテナムで彼を獲得したのはヨルだ。 ベルバトフはユナイテッドでも無頓着な雰囲気と一匹狼的な本能、一心不乱で偏向した考え方から、一部には"Berbagod"(神)であり、他には"Berbaflop"(ハズレ) だった。

しかし、この点でヨルは明確だった。「ピッチでのアイツが不機嫌で100%を発揮していないと言う輩もいるが、気持ちの中ではすべてをチームに捧げていて、それを周りも受け入れるべきなんだ。俺はそうしてるし、アイツは素晴らしいフットボーラーだ」

8月31日の移籍市場締切日に僅か500万ポンドでベルバトフがユナイテッドからやってきたことは、ヨルにクラブの歴史の中でも最も重大と讃えられ、「俺がいたからこそクレイヴン・コテージにやってきたんだ」というヨルの話のネタにもなっている。

ヨルはまた、彼が昨年の12月以来どれだけ熱心にベルバトフを口説き、どのようにしてユヴェントスやフィオレンティーナとの競争に勝ったのかを語った。

「最初は無理だろうと思ってたんだが、話してみてからは『イケるかも』って思ったよ。アイツが空港にいる時に代理人(エミル・ダンチェフ)が電話してきてね。『彼に電話をしてくれ。イタリアに行く飛行機を待ってるところだから』って。それで電話してみたら、すぐに気持ちを変えて戻ってきたんだよ」

一体何が彼を説得したのか?

「多くを語る必要はなかったが、『まぁ、俺もいるしな』って言ったのは覚えてるよ。俺はフラムにいて、『ディアラ、シュウォーツァー、ペトリッチ、ダフ・・・、良い選手も揃ってる。俺もいるしな』って言って、『オマエもここに来りゃいいじゃねぇか』って続けたよ」

ベルバトフ口説き落としの過程は、フラムがオールド・トラフォードを訪れ、ベンチから登場したベルバトフがユナイテッドの5点目を決めた、昨年の12月に始まっていた。

「5-0になった試合にはガッカリしただろうし、もし俺がアイツの立場でもそれは同じだ。ウチが大したチームじゃないのは見ただろうし、『今は来ないだろうな』って思ったよ。で、数か月後、8月にまたウチはマン・ユナイテッドと試合をしたんだが、その時は3-2でウチも違うチームに見えたし、それで気持ちを変えたんだろう。唯一の問題は、同じ日にデンベレの移籍が決まっていたことだった」

ヨルによるフラムの印象的な再建と新たなモデルの導入は、過小評価されている。最もクリエイティブな選手だったデンベレとデンプシーを失いながら、ブライアン・ルイスとベルバトフを軸に、更にクリエイティブなチームを築き上げているのだ。

ヨルはこう語る。「いかに良いフットボーラーか、って話さ。ベルバトフやルイスみたいな選手を見れば、必ずしも最高の組み合わせじゃないと考えるかもしれないが、それが見た通りなことなんてまず無いんだよ」

それはおそらくベルバトフのことも的確に言い当てている描写だ。見た通りのままであることは、まずない。最初の6試合で5ゴールを決めてみせ、それらの試合ではフラムは無敗、ベルバトフは移籍市場での激変でヨルも懸念していたフラムのシーズンを見事に変えている。

「本当にマズいなと思ってたが、移籍市場の残り数日でウチは非常に上手くやった。アイツが来てくれて、みんな『素晴らしい補強だ』って言ってたし、俺も『そうだな。そりゃ本当だ』って思ったもんだよ。アイツもまずは自分の力を証明する必要があったけど、それはやってのけたし、今はウチもおそらく今まででも一番良いプレーをしている」

「アイツもハッピーで、笑ってるよ。奥さんも妊娠してて、もう子供も生まれるしね。また戻ってきたら、まだまだプレーも良くなるだろうしな」

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ベルバトフは大好きな選手で、ユナイテッド時代の末期にも記事をピックアップしていた(「品格と共にオールド・トラフォードを去るディミタール・ベルバトフ」)。

12月1日は、クレイヴン・コテージでスパーズ戦。スパーズ・ファンなもので、個人的にはこの対戦は楽しみ。ユナイテッドで不遇な頃も、ベルバトフには良いチームを見つけてまだまだ試合に出てほしいと思ってから嬉しいもんだし、それがヨルの下でなら尚更。

Thursday, November 29, 2012

AFCウィンブルドン・ファンには受け入れ難きMKドンズ戦

今から10年ほど前、ウィンブルドンFCがミルトン・キーンズへの移転によってMKドンズとなる際に騒動になっていたのは、ウェブを通じてではあるが、リアルタイムで知っていた。サポートしてしていたクラブが財政難から他のオーナーの手に渡り、名前を変えて他の街へ移転してしまう、という状況の当事者であったら、その喪失感というか、当て場のない怒りや悲しみは計り知れないだろう、とも思った。(日本にも、クラブ自体がなくなったフリューゲルスのような事例もあるけど)

そんな命運を分けた2クラブの対戦が、日曜のFAカップで「実現してしまう」ことになった。1つは、ウィンブルドンFCがミルトン・キーンズに移転してできたMKドンズ。もう一方はその移転に反発したサポーターたちが創設したAFCウィンブルドンだ。

この巡り合わせを当事者たちの 言葉とともに、「ガーディアン」紙のデイビッド・コン記者がエッセイにしている。


++(以下、要約)++

南ロンドンには、今でもミルトン・キーンへのクラブの移転に対する怒りは残っており、多くのファンは彼らが「フランチャイズFC」と呼び捨てるチームとの対戦のために駆け付けたいとは考えていない。

そして、遂に、運命的に、自分たちのクラブの移転に拒絶したサポーターたちが2002年に設立したAFCウィンブルドンが、かつてのウィンブルドンが論争とともに姿を変えた、リーグワンのミルトン・キーンズ・ドンズと対戦することとなった。

12月最初の週末の、ミルトン・キーンズでのこのFAカップの2回戦を指して、人々は「怨念の試合」、だとか単に「ドンズ・ダービー」呼ぶ人々は、早々にAFCウィンブルドンのファンに考えを正されていた。多くはすでにこの「フランチャイズ」と呼ぶクラブとの試合には行かないことを明言していて、もちろん中にはチームをサポートしに行く面々もいるが、彼らもこの試合が実現してほしくはなかった。

AFCウィンブルドンのCEOであるエリック・サミュエルソンは、こう語る。「我々の多くがこれを楽しめないことは分かっているが、やらねばならないことでもあるし、プロフェッショナルに我々の評判を傷つけないようにやるまでだ」

南ロンドンでは、フットボールの歴史の中でも並外れて苦々しいエピソードは人々の傷跡として今でも残っており、それはFAカップのドローが決まった時には生々しくかきむしられた。AFCウィンブルドンのサポーターたちには、今でも自分たちのクラブが奪われたことに対する激しい抗議の念が生きている。そして、現在はフットボール・リーグに所属する彼らのクラブが、ゼロからスタートして10年でここまで到達しているというプライドもある。

彼らが言うには、「怨念の試合」というのは短絡的過ぎて、AFCウィンブルドンの感情の深さを誤解している。これはライバル関係や共有できる歴史を持つ同等レベルのクラブ同士のダービーとは異なるのだ。かつてのウィンブルドンは、破綻してホームレスとなり、FAが開催した3人の評議員からなる独立委員会によってミルトン・キーンズへの移転を認められた。しかしAFCウィンブルドンのファンは、今でも自分たちのクラブは盗まれた、と話している。

サポーターたちは、その独立委員会で2-1で決まった決定を今でも覚えている。期待がかなわず、ピーター・ウィンケルマンのミルトン・キーンズ・プロジェクトにウィンブルドンとフットボール・リーグの地位が与えられるのであれば、ファンがそこから離れて、自分たちのクラブを作るまでだった。

賛成に票を投じた2人の評議員は、FAの商業弁護士を務めていたラジ・パーカーと当時アストン・ヴィラでオペレーションを仕切っていたスティーブ・ストライドだった。2人は当時の動きについて、「クラブを墓場から再生するのは、クラブが113年前に設立された場所に戻したいと考えるそのクラブのサポーターの問題で、広くフットボールの利益のためではない」と語っていた。

これに反発したAFCウィンブルドンのファンは、やがて決意と楽しみを以って新たなファンの手によるクラブでフットボールのピラミッドの最下層のコンバインド・カウンティ・リーグから参入する頃には、「広くフットボールの利益のためでなく」とのフレーズが入ったTシャツを着用するようになった。

このFAカップでの対戦は「怨念の試合」というより、むしろ、モダン・フットボールの2つの相反する化身の衝突と考えた方が分かりやすいだろうミルトン・キーンズの疲れを知らないセールスマンでもあるウィンケルマンは、ノンリーグのチームであったミルトン・キーンズ・シティを買収してフットボールリーグまで我慢強く上げていくことはできないと主張していた。フットボールリーグやFAは移転に反対であったが、ひとたび委員会が移転を認めると、スーパーマーケットのアスダ(ASDA)が店舗とともにスタジアムの建設をすることになった。当初クラブはウィンブルドンとしてミルトン・キーンズでプレーしたが、2004年に「ドンズ」というウィンブルドンの愛称だけを残して名前を改めた。この点については、サミュエルソンやAFCウィンブルドンのファンは、今でもその名前を正式に返して欲しいと願っている。

2006年の降格でMKドンズがフットボールリーグのチームとなり、2年後に再度リーグ・ワンに復帰している間に、AFCウィンブルドンのファンは、クラブを新たな形にし、ファンが民主的に運営し、依然中立の基金によって維持されるようになった。彼らは自分達を1889年に設立され、1988年には「クレイジー・ギャング」と呼ばれたチームでFAカップを制した古きウィンブルドンと定義し、新たなチームはノンリーグの階段を昇格を重ねて一気に駆け上がっていった。その中には、独立委員会で移転に反対したメンバーだったアラン・タービーがトップを務めるライマンリーグも含まれていた。

昨年、ルートン・タウンとのカンファレンスでのプレーオフを制してフットボールリーグの地位を勝ち取ったが、これはファン所有のもたらす価値を追求するサポーター基金と当時の会長であるデイブ・ボイルにとって、自分達の忠実さ、屈強な決意と大勝利を正当に証明するものだった。

この歴史こそ、多くのAFCウィンブルドンのファンにとって何故MKドンズとの対戦が実現してほしくなかったのか、そして何故多くのファンがそれを観に行きたいとは思わないのかを説明するだろう。

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フリューゲルス解散とフリエ設立の流れも裏事情を完全に理解してるわけじゃなかったけど、「F」が残るのとかは微妙だったもんな。アメリカのプロスポーツだとよくあるけど、イギリスはこんなの初めてだったらしく、大きな論争になって、今回の対戦も「実現してしまった」っていうニュアンスになっているわけだね。そりゃ、自分達のクラブを「盗んで」フットボールリーグへと近道したクラブと、一番下から上がって正当性を示す自分達との対戦なら、もうただのフットボールじゃないよね。

Monday, November 26, 2012

アブラモビッチへの批判を肩代わりするベニテス

ファンをも驚かせたロベルト・ディ・マテオの解任。それ以上に驚いたのが、ラファエル・ベニテスが後任の「暫定」監督だということ。お気づきの方も多いだろうが、ベニテスに集中している批判は、結果的にそれがオーナーのロマン・アブラモビッチに向くことをいくらかでも避けさせることにもなっている。そんな視点からBBCのフィル・マクナルティ主幹が描く、チェルシーとベニテスの現在。


 ++(以下、要訳)++

チェルシー・ファンがオーナーのロマン・アブラモビッチと交わした沈黙と従属の約束は、ラファエル・ベニテスを憎悪に包まれたスタンフォード・ブリッジへと直行させることとなった。

チャンピオンズリーグを制した6ヶ月後にロベルト・ディ・マテオを解任するというアブラモビッチの決断は、多くのチェルシー・ファンを傷つけた。しかし、それはその後任にベニテスを選ぶという判断に比べれば、ごく普通のことのように思えた。

ベニテスのリバプール時代は、チェルシーのファンにとっては嘲笑と憎しみの対象だった。それはジョゼ・モウリーニョとの辛辣なライバル関係の産物でもあり、ベニテスがチェルシー・ファンにとっての「スペシャル・ワン」を2005年、2007年のチャンピオンズリーグ準決勝、そして2006年のFAカップ準決勝で出し抜き続け、サポーターたちが忘れないベニテスの手厳しい言葉をよく覚えているからでもある。

これらの歴史は、暫定監督してのベニテスの就任と、日曜のマンチェスター・シティ戦のスタンフォード・ブリッジで彼がファンと初めて出会う場が、どれだけ場違いなものになることを意味していた。

いかにベニテスがその罵声には耳を傾けなかったと主張しようが、キックオフ前にトンネルを抜けてテクニカル・エリアに向かう彼を襲う大音量の怒りに対処する方法など無かったはずだ。チェルシーの面々にもう驚く力など残っていなかっただろうが、せいぜい冷たい歓迎だろうと予想していた彼らにも、これだけの敵意はショッキングだっただろう。

ベニテスはマンチェスター・シティの面々からはチェルシー・ファンからに比べれば温かい挨拶を受けたが、その一方でアブラモビッチに向けては何の声も上がってはいなかった。このロシア人富豪が歓迎されないという横断幕やチャントには遭遇しなかった。一切無かったのだ。

したがって、スコアレスドローに終わったマンチェスター・シティ戦を通じて、スタンフォード・ブリッジにはこれまでにない程の憎悪が充満しながら、アブラモビッチへの怒りは聞かれずじまいだった。全ての罵りは、痛々しいまでにベニテスにのしかかったのだ。

厳然たる事実は、多くのチェルシー・サポーターたちは、アブラモビッチの金がもたらすものを、チャンピオンズリーグ、プレミアリーグ、FAカップを通じてエンジョイし過ぎてきており、単純に彼のアプローチが受け入れられてしまっているのだ。そして、多くの他クラブのサポーターたちがそこに非難と軽蔑をぶつけることも同様であることにあなたも気付いているだろう。

状況によってはベニテスも面の皮の厚い所を見せる。しかし、彼がテクニカルエリアで浴びせられていたものの内容は理解していなかったという、単純な反対から辛辣な嘲りに至る様々なチャントは、彼がこの先歩む、居心地の悪いことこの上ない仕事を体現しているものだろう。 これだけの個人攻撃を受けるとなると、石からでも生まれていない限り、何のインパクトも受けないというのは無理だ。

スタンフォード・ブリッジの雑音があまりに大き過ぎて、場内アナウンスが亡き元監督のデイブ・セクストンに1分間の拍手を捧げる案内を伝えるのにも一苦労していた。実際、セクストンに対する敬意は、場内の注意がひと時でもこの歓迎されない新監督から偉大な古きスタンフォード・ブリッジの奉仕者へと移ったことで、ベニテスを救いもした。

アブラモビッチは微動もせずにその様子を眺めていた。仮に彼が目撃した場面を気にしようが、彼の取り巻き以外は誰も気付きはしないし、いずれにしてもベニテスが彼の盾となっているのだ。

ベニテスは嬉々としてクリーンシートのポジティブさや王者相手の1ポイントなどを強調したが、今やマイナスになっている評判を挽回するために必要なことを説明したのは、相手のロベルト・マンチーニだった。「勝利、勝利、勝利、勝利、勝利・・・毎試合だ」

別にベニテスへの中傷を確かなものにするために多くの金を使う者などいないだろう。監督が就任当初から時間を与えられず、これだけの大音量と悪意に満ちた形で自分のチームのサポーターからの不支持を知らされれば、アブラモビッチに「暫定」の肩書を外すよう説得する前にファンの支持を得ようにもやれることが見当たらなくなってしまう。

シェッド・スタンドの横断幕には「ラファは出て行け - 動かぬ事実」と掲げられ、「俺たちが信じて愛したロベルト、決して信じないラファ。動かぬ事実」というポスター、他にも沢山の横断幕があった。

もうひとつの事実は、アブラモビッチがこの監督を選んだのであり、いかに反対の声が大きかろうが、そして好むと好まざると、この監督とやっていくしかないのだ。彼が他の決断をするまで。これがスタンフォード・ブリッジの掟なのだ。

若干マンチェスター・シティが優勢ではあったが、この凡戦の中で、ベニテスが施した戦術的な修正で組織的になったチームに喜びは見出せるのかもしれないが、他にこの楽しみに欠ける1日を救うものは見当たらなかった。

そして、ベニテスならかつてのリバプールの狙撃手であるフェルナンド・トーレスを即座に再生できると考えた者たちは失望することになるだろう。おそらく最初の疑問はこうだろう。「フェルナンド、どうしてそんなに悲しそうなんだ?」

トーレスは意気消沈して惨めな存在に映り、それは何故彼から活力も脅威も無くなってしまったのかを考えるまでもなく明らかだ。ベニテスのチェルシーでは、より長いボールでより素早くトーレスにボールを渡す、という指示が出ているのはすぐに分かる。しかし、それはこのストライカーよりもマンチェスター・シティのキャプテンであるヴァンサン・コンパニに喜ばれる策略となった。

ベニテスは最初のうちはチームの中での約束事の浸透に時間を費やすだろう。チームに信頼性と我慢強さを植え付けるためには、ディ・マテオ時代の艶やかさの一部は喜んで切り捨てるだろう。

そして、1月に1つか2つの修正を施した後は、マンチーニが主張する「勝利、勝利、勝利、勝利、勝利・・・毎試合だ」という言葉を追いかけていることだろう。

これがベニテスがアブラモビッチと交わした取引だ。そして、チェルシーのファンが成功のためにアブラモビッチと交わした取引なのだ。

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※シティ戦後の「スカイ」でのインタビュー。聞き手のジェフ・シュリーヴスも厳しい・・・。
「アンタは聞こえてなかっただろうけど、酷いブーイングでしたぜ。この先どうする?」


アブラモビッチの資金力に飼いならされるのも、チェルシーをアブラモビッチの乗り物、金満クラブと揶揄するのも同じこと、という一節にハッとさせられてしまった。その通りだよな。

それでも、このコラムを書いたマクナルティ氏も思う所があるんだろうな。興奮してたんだろうか、似たことを何度も繰り返してる感もあったけど、ひとまずそのまま訳出。昨日、一昨日あたりはこんな記事ばっか。ホント、メディアもアブラモビッチを必要としているね。

Sunday, November 25, 2012

スターリングに続く若き才能たち

ここでは初めて取り上げるが、「Life's a Pitch」は、今季からプレミアの放映権を得ている通信企業であるBTが運営するポータルサイトで、よくメディア各紙の記者を集めた座談会を収録して公開したりしている。その司会者を務めるマイク・カルヴィン氏は、業界ではベテランの部類に入るが、このポータルのコラムニストのひとりでもあり、今回取り上げるのは彼が選んだ、ラヒム・スターリング(リバプール)に続くプレミアの新星たちに関する記事。



++(以下、要訳)++

ラヒム・スターリングは夢の世界を生きている。彼はリバプールの未来の象徴で、若手のポテンシャルに賭けるクラブの信念を体現している。彼の年齢の多くの少年たちが最低限のサラリーの奴隷か半ば休暇のような状態でアイドリングをする中、彼はプレミアのフットボールの世界でレギュラーを張っている。今日はアンフィールド、明日には世界だ。

最初にスターリングを見た時は公園で冷やかし半分だった。しかし、それは予期もせず忘れられぬ、 発見の瞬間だった。しかし、彼だけが最高レベルで輝く準備ができている才能なわけではなく、我々が選ぶ「フェイマス・ファイブ」 -最高のキャリアのスタート地点にいる若き選手たち- の1人もリバプールにいる。

ジェローム・シンクレア(リバプール)

リバプールのアカデミーから出てくる次世代のスターについて訊ねられれば、 2人の名前が出てくるだろう。MKドンズからやってきた15歳のミッドフィルダー、セイ・オジョと、ウェストブロムから引き抜かれたスピード豊かでテクニックにも長けたジェローム・シンクレア(写真)だろう。

シンクレアは既に大きな飛躍を遂げている。彼は16歳の誕生日から6日後の9月26日にホーソンズでのリーグカップに交代出場し、リバプール史上最も若い選手となった。彼は常時トップチームでトレーニングを重ねており、同年代レベルでは抜きん出た存在であり続けている。

ジェームス・ワード=プロウス(サウサンプトン)

君は17歳。君は新たなプレミア王者であるマンチェスター・シティとのアウェーの試合でデビューの機会を得た。何のプレッシャーもない。君が成功に彩られたサウサンプトンのアカデミーの最新作であるジェームス・ワード=プロウスだろうが、何の問題もない。彼はトップチームに最低5人は地元出身の選手を含めるというクラブの戦略的な決意を体現する存在なのだ。

ポール・スコールズとの比較は大げさだろうが、理解できるものだし、つい比較してしまうだろう。彼のパスのレンジや動きの賢さ、スペースの嗅覚は不気味なほど似ているのだ。彼をよく見てみるといい。彼の頭が止まっていることはない。彼は常に2つ先のプレーを考えているのだ。

ニック・パウエル(マンチェスター・ユナイテッド)

素晴らしい点があることは、クルー・アレクサンドラのアカデミーでは当然のことだ。しかし、スターダムの駆け上がり方を理解する組織にあっても、ニック・パウエルは特別な存在だと認められていた。彼をオールド・トラフォードに連れてくるために要した400万ポンドは、ユナイテッドに最高のバーゲンのひとつに数えられることになるだろう。

パウエルのボール捌きの軽やかさ、プレッシャーのある場面でのプレー、そしてシュートの正確さは、クルーの育成コーチたちが重ねてきた素晴らしい習慣を物語るものだろう。しかし、彼らに規律を教え込むことはできない。今の彼は自分が世界で最もビッグなクラブに属していることを理解している。我々にもやがて分かるだろう。


ロス・バークリー(エヴァートン)

デイビッド・モイーズは、監督して滅多にはクオリティを持ち、その我慢強さは特筆ものだ。そのパワーと早熟さですぐに認知されたウェイン・ルーニーという例外を除いて、彼は若手に息継ぎをする時間を与え、この世界の雰囲気を学ばせている。

ロス・バークリーは彼の足で考える。 彼の視点の鋭さとフィジカル面での強さは、彼をモダンな中盤の選手のあるべき姿にしている。モイーズは彼をシェフィールド・ウェンズデイにローンに出すことでプレッシャーを和らげさせたが、シーズン後半はエヴァートンの一員としての彼の活躍を期待できそうだ。

カリム・フレイ(フラム)

カーディフは、フラムをコスモポリタンなチームにする典型とも言うべき彼を双方にとってメリットとなる短期ローンで獲得した。彼はモロッコ人の母を持つオーストリア生まれで、スイスで育った。U-21代表はスイス代表としてプレーしたが、フル代表では父の出身地であるトルコ代表を選択した。

彼は古いタイプのウィンガーで、そのスピードとダイレクトなプレーは、昨季マン・オブ・ザ・マッチに輝いたチェルシー戦で見事に体現されていた。ここまで見せている以上のものが約束されていたとしても、彼はフラムの次の大事な収入源でもあるのだ。

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という5人を紹介しているが、正直マトモにプレーを見たのはフレイくらいで、しかも自分が見た時はパッとしない感じだったから何とも言えないけど、こうやってまとめて取り上げてくれると、注目するポイントも増えるしありがたいのは確かよね。ただ、スパーズ・ファンとしては、ここにトム・キャロルを入れて欲しかった、というのが本音。

Friday, October 19, 2012

古巣チェルシーとの対戦で試練に直面するアンドレ・ヴィラス・ボアスとスパーズ

この週末の土曜日に昨年解任された古巣チェルシーとの対戦を控えるアンドレ・ヴィラス・ボアスは、どのような気持ちでスパーズの監督としてこの試合に臨むだろうか。「テレグラフ」紙のジェイソン・バート記者によるコラム。



ちなみに、前回AVBの記事を取り上げた時も「テレグラフ」だったのだけど、結局メディアの予想を遥かに上回るタイミングでクビが飛んでいたのだな・・・。

++(以下、要訳)++

怒りも苛立ちも遥かに超えていた。3月にチェルシーに解任を通告された時、アンドレ・ヴィラス・ボアスに覆いかぶさった感情は、当惑だった。

彼はまるでプレミアリーグでの容赦の無い8カ月が、彼の名声を傷つけたと感じただろう。そもそもチェルシーなどに行ったのが誤りで、彼は過ちを犯しただけでなく、失望もさせられた、と。

彼にとっての最大の過ちは、人心掌握ではなく、単に結果が出なかったことでも、強大な力が渦巻くロッカールームをまとめられなかったことでもない。それは、彼がロマン・アブラモビッチ -より規律があり、内容の濃いフットボールを望んでいた- から得ていた信頼を信じきれなかったことだ。

ヴィラス・ボアスは、 トッテナム・ホットスパーの監督就任時には、チェルシー監督の座を解任されて反撃する初めての監督になることを我慢できはしなかった。彼が言うには、アブラモビッチの方が彼に愛想を尽かしたのだ。

重圧は非常に大きなものになっていて、彼の解任は避けられないものだったし、その解任でチェルシーが解放されたことは、チャンピオンズリーグ制覇という並外れた栄光によって証明されてしまった。チェルシーは判断の正しさを証明した気分だっただろう。

ヴィラス・ボアスがイングランドのフットボールから距離を置きたいと感じていた後にも、多くのオファーがやってきたが、ヴァレンシアやサンパウロの話を断ってトッテナムに加わることに合意したことには、何かが暗示されている。

リベンジというわけではないだろうが、今週で35歳ながら、長くとも10年以上も監督生活を続ける気がない男には、名声の回復という側面はいくらかは含まれているだろう。ひとたび就任が決まり、ひとたび日程が決まって公開されれば、スパーズとヨーロッパ・チャンピオンであるチェルシーとの最初に試合にはまず目が行ったはずだ。そして、それはこの土曜のランチタイムにホワイト・ハート・レーンで実現するのだ。

今週ヴィラス・ボラスがチェルシー、彼の元アシスタントにして後継者のロベルト・ディ・マテオ、そして選手たちについて発する一語一句が注目され、分析され、見出しとなるだろう。そして、全ての質問に率直に答える男には、それはあまり心地の良い経験ではないだろう。彼は落ち着いている必要がある。

エゴについての批判はあるにせよ、ヴィラス・ボアスは原理原則の男であり、チームと組織力、そして手柄を得るだけでなく、注目の的となることにも耐えうる選手たちを信じる監督だ。例えば、チェルシー時代に彼が持っていた考えには、監督ばかりが会見するのでなく、選手がメディアに話をする「ミックスゾーン」を試合前の金曜日にやる、ということも含まれていた。注目が監督ばかりに集まることを嫌い、ピッチでクラブを代表している選手たちにより多くの責任を担って欲しいと考えていたのだ。もっとも、これが実現することは無かった。

ヴィラス・ボアスは目的を持ってスパーズにやってきた。そしてその目的は、願わくばスパーズを安定させるということだけでなく、トップ4入りを実現してチャンピオンズリーグの舞台に再び立つことだ。彼はトロフィーを勝ち取りたいと思っている。そして、それを今実現したいのだ。競争力を高めて帳尻を合わせるだけでは彼には不十分で、必要なのはタイトルであり、勝利なのだ。

スパーズの選手たちもそれをトレーニングの初日から告げられ、ヴィラス・ボラスは念押した。 単に効果を狙って言っているわけではない。2シーズン前のポルト時代に制したヨーロッパリーグにあれだけ強力なメンバーで臨んでいるのも偶然ではない。選手たちもヴィラス・ボアスのフットボール哲学の何たるかを伝えられている。

彼は恐れずに常に攻撃を仕掛け、常にボールを支配するチームで成功したいと考えている。ポゼッションを高めるということは、攻撃のカギであると同時に、守備の負担も軽減できるのだ。アウェーで3-2でマンチェスター・ユナイテッド相手に挙げた勝利でのペース、目的意識、意図は、このシーズンの青写真となった。そして、チェルシー時代に初黒星をオールド・トラフォーで喫した監督にとっては、素晴らしい挽回劇だった。

ヴィラス・ボアス本人も、その攻撃なスタイルをこのイングランドで適用するのは難しいと理解しているのは明白だ。他の多くの国と違って、ここは勝利第一の文化だけでなく、勝つにも内容のあるフットボールを求められるのだ。

大胆?勇敢?ナイーブ?時折この前2つがヴィラス・ボアスに当てはまるのは確かだろうが、特に敗れる時には3つ目そのものであり、それを評論家にも指摘されている。しかし、スパーズは開幕戦以降は敗れておらず、リーグ戦は4連勝中だ。

チェルシー戦は大きな試練となるし、ヴィラス・ボアスも我を忘れてはいないだろう。結局、昨季の現時点でチェルシーは16ポイント -今のスパーズが14ポイント- で、フランク・ランパードは「CHELSEA TV」で新監督のアプローチと戦術、オープンさを褒め称えていた。しかし、それは今のスパーズでは異なった印象で、それは誰にとってもの心地良さになっているかもしれない。ヴィラス・ボアスはチームを安定させ、彼への賞賛で上向きの風が吹くようになったのも最近になってからだ。

試合の流れを変えるルカ・モドリッチとラファエル・ファン・デル・ファールトは売却され、レドリー・キングは引退、スコット・パーカーとユネス・カブール、そしてベノワ・アス・エコトはケガで欠場し、エマニュエル・アデバヨルもまだフィットしてはいない。 昨季であれば大半の試合に先発していた7人だ。

5,000万ポンドの豪華な投資 -そして6,000万ポンドを回収した-が行われたが、6人の補強のうち4人はシーズンも始まった後の移籍締切日近くに獲得が決まっている。そして、中でもヴィラス・ボアスが最も獲得を望んだポルトのプレーメーカー、ジョアン・モウチーニョは、スパーズは11時までの締切に話をまとめることができず、獲得に至らなかったことは言うまでもない。

その不満はいったん棚上げされ、スパーズの選手たちはヴィラス・ボアスの綿密で実力を重視するスタイル、彼の詳細にこだわる目、そして彼の先進的なトレーニングに適応して行っている。どの監督も「ドアは開いている」と主張するが、ヴィラス・ボアスの場合は、いかに選手のモチベーションを上げるか、いかに自分たちが重要だと感じさせるか、と考える際にそれが発揮されている。

スパーズに来て以来、チームの強化について語るのに四苦八苦してきているが、数人の選手には明瞭な成長の兆しが見えている。サンドロはレベルを一段上げたし、カイル・ウォーカーはディフェンス面で向上している。アーロン・レノンは中への切り込みで成長を見せ、サイドをえぐるだけの選手ではなくなっている。スティーブン・コールカーもいよいよ台頭し始め、ジェイク・リバモアも改善してきている。

ヴィラス・ボアスにその価値を認めさせ、新たな契約も手にしたジャメイン・デフォーは、まるで息を吹き返したかのようだ。ギャレス・ベイルは過去最高の破壊力を見せつけている。マイケル・ドーソンの処遇には多くの疑問符も付いたが、QPRからの900万ポンドのオファーは、ウィリアム・ギャラス、カブール、ヤン・フェルトンゲン、さらにはコールカーも揃う中では良いビジネスだ。

ヴィラス・ボアスがスパーズでの生活をエンジョイしていることに疑いは無い。新練習場や会長のダニエル・リヴィによる新スタジアム計画、そして彼が熱心に進めるフットボール・ディレクターの採用  -元イングランド代表のGM、フランコ・バルディーニが依然第一候補-等に感銘を受けて来ているのだ。

まだまだ始まったばかりではある。尊大なフットボールを目指す欲望の裏には、この青年監督への注意も常に付いて回る。この土曜日は試練だ。彼が率いるスパーズだけでなく、彼自身にとっても。

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AVBの自己実現の場にスパーズが重なっていることを強く言いたそうな主旨ではあるけど、どんな監督もそれは同じだと思う。むしろ、この年齢で昨季チェルシーを率い、8カ月で解任の憂き目にあったAVB本人が、この先の自分のキャリアをどう判断して同じロンドンのスパーズに来たのか、という方が個人的には興味があるけど。

でも、去年のユナイテッド戦でのスタンスについて、アラン・ハンセンにBBCで「あんなオープンに撃ち合いに持ち込むなんてナイーブ過ぎる」って言われてたことを考えれば、スパーズ監督として乗り込んだこの間のオールド・トラフォードは既に成長の一端を見せたってことにはなると思う。古巣のチェルシー戦はホントに楽しみ。

Sunday, October 14, 2012

さらばアンブロ:イングランド代表との一時代の終焉

イングランド代表と言えばアンブロ、という印象を持っている人も多いだろう。それも当然で、実際の所、過去60年間に渡って代表のユニフォームのサプライヤーはアンブロだった。それでも、それももうあと数カ月の話。今回の契約が切れると、イングランド代表はナイキのユニフォームを身にまとうことになる。この歴史と背景について、「インディペンデント」紙のサム・ウォレス氏がコラムにしている。


++(以下、要訳)++

アンブロは過去60年間に渡って、イングランド代表の大半の象徴的なシーンにそのシャツを提供してきた - しかし、それももう終わりだ。ナイキはどのようにこの斜陽の国産ブランドを追い込んで行ったのだろうか。

新たにオープンしたセント・ジョージ・パークのフットボール・センターの照明に満たされたアトリウムには、150体のマネキンがあり、皆アンブロがデザインしたジャージを身にまとって来年に迫ったFAの創設150周年を祝う準備をしている。いくつかはクラシックなアンブロで、他もイングランド代表の歴史から、良く知られたシーンや選手を描き出している。

ものの数週間のうちに、これらは皆はがされてしまうだろう。まるで企業の一揆かのようにナイキが代表チームのキット・サプライヤーになることが決まり、88年前にチェシャーのウィルムスロウにあるパブの奥の小部屋で産声を上げた古き英国ブランドは、今は実権を握るアメリカの親会社に道をあけるために、横に下がるよう礼儀正しく求められている。

英国のスポーツ用品ブランドのアンブロは、生き残りのために戦っている。ナイキは5月にアンブロを売却する方針を発表しており、一番あり得る未来は、ライセンスモデルでブランドとしてのみ生き残る形だ。英国本社の経験やノウハウがあるにも関わらず、そのクリエイティブな頭脳は活かされずに、製造業者がアンブロに費用を払って製品を販売する。ここまで多くの資産を失ってきた企業の最後の価値を絞り出す、というわけだ。

ハロルドとウォレスのハンフリーズ兄弟によって1924年に設立されたアンブロには輝かしい歴史がある。これまでにも1962年のブラジルのワールドカップ制覇、1967年のセルティック、1977年のリバプール、1999年のマンチェスター・ユナイテッド、そして何より1966年のイングランドの栄冠と共にあった。ブランドが最も近い関係にあったのが1954年に着用を始めたイングランド代表であり、1974年から84年を除いて(訳注:アドミラルがサプライヤー)、それは続いてきた。

ダンカン・エドワーズはアンブロのシャツで代表デビューをした。ボビー・ムーアがジュールス・リメ杯(訳注:ワールドカップの初代のトロフィー)を掲げ、テリー・ブッチャーが血まみれになり(上写真)、ポール・ガスコインが涙したのもアンブロのシャツだ。デイビッド・ベッカムもこれで退場して行った。それが、これからはそこで愛情を注がれるのは、ナイキのスウーシュのロゴであり、ナイキの最初のメッセージはおそらく火曜日にウィリアム王子がセント・ジョージ・パークのオープン時に大胆に宣言した「イングランドのフットボール、未来」だろう。

しかし、その過去というのはどんなものだっただろうか?アンブロの衰退には、複雑な要素が絡み合っている。2008年の3.77億ポンドでのナイキによる買収は上手く行かなかった。社内事情に近い関係者によると、ナイキはこの小さくニッチな会社に、自社の製造・販売網を押しつけようとしたようだ。伝統的に、アンブロは小さな単位でのオーダーの工場との交渉も販売店との親密な関係の構築ももっと戦術的に行ってきた。

販売店にどの程度その商品が必要なのか、などと聞くことのないナイキのような巨大企業には、アンブロは違った種類の生き物に思えた。ナイキによるより小さなブランドの買収の結果はまちまちだ。アイスホッケー関連ブランドのバウアーは買収したものの、やがて売却された。逆にコンバースとはここまで上手く行っているようだ。しかし、アンブロに影響を及ぼしたのはナイキによる買収だけではない。

2004年から06年の間、アンブロはホーム、アウェー合わせて約300万着のイングランド代表のレプリカを販売した。 2009年にFAと9年契約の交渉に臨んだが、その頃には2008年のユーロ予選敗退による本大会吹出場もあり、イングランド代表のシャツの人気は急落していた。販売店のスポーツ・ダイレクトとJJBスポーツとの間の競争も、レプリカ・シャツの値下げを容易なものへとしていった。状況悪化の一途をたどる経済状況も一部は影響しているだろう。

年間2,000万ポンドと言われるFAとの契約は元が取れるとは考えられず、アンブロには重荷になっていった。ナイキが引き継いだのはこの契約であり、FA側からも何の抵抗もないまま、来年からイングランド代表のシャツのナイキへの移行は始まる。

ナイキやアディダスのようなグローバルなメガブランドは、代表のシャツでの赤字などマーケティング費用として処理できてしまう。ナイキは元々「パフォーマンス」と呼ばれる商品ラインに注力しており、アンブロの買収は「フットボール・ライフスタイル」や「ファンのファッション」といった市場に切り込むためだった。これらのビジネスは必ずしも交わるわけではないが、やがてナイキはアンブロの偉大な資産を切り裂いていった。

アンブロの抱えるもう一つの宝石は、マンチェスター・シティとのシャツの契約だが、これも来季にはナイキに引き継がれることになるだろう。こうした要素に敏感な者であれば、エティハド・スタジアムのピッチ脇の看板は、もうナイキに入れ替わっている、と言うだろう。現在もアンブロのスパイクを着用する数少ないスター選手のジョー・ハートも、ほどなくナイキになっているだろう。ダレン・ベント、アンディ・キャロル、マイケル・オーウェンも依然アンブロと契約している。ジョン・テリーの契約は6月に 切れたが、彼も依然としてアンブロのスパイクを着用している。

数々のビッグクラブや代表チームのユニフォームを提供してきたブランド、そして言うまでも無く最初の子供用レプリカシャツを出したブランドは、来年にはイングランドではノッティンガム・フォレスト、ハダースフィールド・タウン、そしてブラックバーン・ローヴァーズにしか契約が無い状態になる。

ハンフリーズ兄弟の実家から数マイル、南マンチェスターのチードルにあるアンブロの本社では、約200人の社員が働き、ナイキによる買収時にはオフィスの拡大もしたが、最近ではアンブロの社員がブランドの将来について知らされるのを待っている様子は、廃墟の街のようだ、と語られていた。

グローバル化した世界にあって、イングランド代表が少なくともイングランドにルーツがある会社のシャツを着なくなったとして問題だろうか?フランスだってル・コックでなく、結局はナイキを着用している。スペイン、ブラジル、アルゼンチン、オランダといった代表の強豪は、いずれもアディダスかナイキと契約している。それでも、ドイツ代表がドイツのブランドであるアディダスかプーマ以外のシャツを着用しているのは想像しがたい。

1994年のワールドカップ優勝時のブラジルのユニフォームや、1997年のフランス戦で見せたロベルト・カルロスの有名なフリーキックの時のスパイクなど、アンブロにはフットボールの遺産の中に一定の存在感があることは誰にも否定できない。文化の中にも浸透していったのも確かだ。リアム・ギャラガーは1995年の「トップ・オブ・ザ・ポップス」出演時には、シティ色のアンブロのコートを身にまとっていた。

1966年ワールドカップの決勝トーナメントでは、 16チーム中15チームがアンブロ製のシャツを着ていた。近年では、それはナイキとアディダスによる世界の覇権を戦いの場となってしまった。アンブロは今後もフットボールの市場での居場所があると望んでいるが、イングランド代表という大きな勲章を失ってしまい、歴史はそれを2度と取り戻すことはできないと示唆している。


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何年か前のナイキによる買収の話の時は驚きつつも時の流れと感じてたけど(実際、その前にアディダス傘下にリーボックが入ったりって流れもあったし)、イングランド代表のユニフォームがアンブロからナイキになってしまう違和感はかなりのもの。

個人的に、現行のアウェー・モデルは結構好きだから、買っとこうかな、と。
(↓は、そのアウェー・モデルがデビューした去年のブルガリア戦)



日本代表の今のサプライヤーはアディダスになって長いけど、昔は結構ローテーションしてたよね。